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はじまりの岸  作者: インフィ
集団生活編

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第53話 誰のせい



「いない」



高瀬の声に、近くにいた者たちが男の寝床へ集まった。

戸田がもう一度、男の名前を呼ぶ。

返事はない。


寝床にしていた場所は、昨夜と大きく変わっていなかった。

争ったような跡も、血もない。


残されているものを一つずつ動かすと、水を入れていた容器と、男が普段持ち歩いていた道具がいくつかなくなっていることが分かった。



「食べ物は?」



黒田が尋ねた。

戸田が、保存しているものを確かめに行く。



「見た限り、減ってない」


「何も持たずに出たのか?」


「昨日の分を残してた可能性はある。でも、何日も持つ量じゃない」



誰かが拠点の外を見る。

木々の間には、朝の薄い光が差し始めていた。



「いつ出たんだよ」


「夜、見たやつはいないのか?」


「寝る前はいたよな?」



いくつもの声が重なる。

誰も、男が拠点を出るところを見ていなかった。



「高瀬」



一人が高瀬を見る。



「昨日、一緒に森へ行ってたよな。何か言ってなかったか?」



高瀬は空になった寝床を見たまま答えた。



「俺が、あいつを悪いと思ってるのかって聞かれた」


「何て答えた?」


「悪くないとは言えないって」



少しの間が空く。



「それだけか?」


「ああ」



高瀬は顔を上げた。



「あいつがしたことと、ここから追い出すことは別だとも言った」



誰も、高瀬へそれ以上は聞かなかった。

高瀬も、自分から何かを付け足すことはしなかった。


相希が男の寝床へしゃがむ。

残されたものを見る。


次に、寝床から拠点の外までの地面へ視線を動かした。



「少なくとも、ここで争った跡はない」



全員が相希を見る。



「水を入れる容器と道具がなくなっている。自分で持って出た可能性はある」


「じゃあ、自分から出ていったのか?」


「まだ断定できない。ここからいなくなった経緯も、そのあと何があったのかも分からない」


「どっちへ行った?」


「それも、まだ分からない」


「跡はないのか?」


「人が何度も歩いている場所だから、ここだけでは判断できない」



相希は立ち上がった。



「周囲を見れば、何か残っている可能性はある」


「一人で、どれくらい持つんだ?」



別の者が尋ねた。



「水は持ってるんだろ?」


「容器へ入れていたなら、今すぐなくなることはないと思う」


「じゃあ、少しくらいなら大丈夫か」



相希は首を横へ振った。



「持ち出したものだけで見れば、余裕はない」



声が止まる。



「水場へ辿り着ければ、数日は動けるかもしれない。ただ、一人で森を移動した経験はほとんどない」



相希は森を見る。



「道を誤ったり、怪我をして動けなくなれば、そのまま死ぬ可能性もある」



誰かが小さく息を呑んだ。



「結局、追い出したのと同じじゃないか」



低い声が上がった。

昨日、男と組む者が決まらない中で、高瀬が行けばいいと言った男だった。


黒田が男を見る。



「何が言いたい」


「そのままの意味だよ」



男は空になった寝床を示した。



「ここにいられないようにしたのは、黒田さんたちだろ」


「俺たちは追い出してない」


「最初に追い出せって言ったのは黒田さんだ」


「最後は、三日待つって決めただろ」


「口でそう決めただけだろ」



男の声が大きくなる。



「あいつがどこに座っても、皆離れていった。仕事だって誰も一緒に行きたがらなかった」


「お前が言うのか」



黒田も立ち上がった。



「昨日、高瀬にあいつを押しつけたのはお前だろ」


「押しつけたわけじゃない」


「なら、何で自分が行かなかった」


「それは今関係ないだろ」


「何が関係ない。お前だって、あいつと一緒にいたくなかったんだろ」



男はすぐには答えなかった。



「俺一人の話じゃない」



代わりに、周囲を見た。



「皆そうだっただろ」



視線を向けられた者たちが、互いの顔を見る。



「俺は、一緒に行きたくないとは言った」



昨日、最初に組を替えてほしいと頼んだ男が言った。



「でも、出ていけなんて言ってない」


「一緒にいたくないやつばかりの場所に、残れると思うか?」


「だからって、無理に今までどおりにはできないだろ」


「それは女の人たちが怖がってたからだ」


「男だって避けてたじゃないか」


「あんなことをしたあとだぞ。警戒するのは普通だろ」



近くにいた女性が、身体をわずかに引いた。



「普通なら、あいつが出ていっても仕方ないってことか?」


「そんなことは言ってない」


「さっきから、皆そればっかりだな」



言葉を向けられた男が黙る。

誰も追い出していない。

誰も、残れるようにしたわけでもない。


その間にあるものを、誰も自分の判断として引き受けようとはしなかった。



「でも、黒田さんが追い出すって言ったから、ああいう空気になったんじゃないか?」


「違うだろ。何かあったら困るから、離したんだ」


「あいつが自分で出ていっただけじゃないか」


「あれだけ避けられて、自分でって言えるのかよ」


「じゃあ、今までどおり一緒に暮らせばよかったのか?」


「そんなことは言ってない」


「だったら、どうしろっていうんだよ」



声が重なる。



「三日間、様子を見るって決めたじゃないか」


「決めたのは相希だろ」



相希が、声のした方を見る。



「俺が決めたわけではない」



責めるような声ではなかった。



「方法を提案して、皆が受け入れた」


「でも、相希がそう言ったから――」


「反対するか聞かれた時、誰も反対しなかった」



言葉が止まる。


あの夜、相希が三日間の方法を提案した時、確かに誰も反対しなかった。

納得していた者ばかりではない。


ほかに答えを持っていなかった者もいる。

話し合いを終わらせたかった者もいた。


それでも、受け入れたことだけは同じだった。



「今さら、そんな言い方するなよ」



別の者が言った。



「皆、どうすればいいか分からなかったんだ」


「分からなかったら、決めたことにならないのか?」


「そういう意味じゃない」


「じゃあ、誰のせいなんだよ」



その言葉を待っていたように、いくつもの視線が動いた。


黒田へ。

相希へ。

高瀬へ。

男のいない寝床へ。



「この森に一人で出たら、どうなるか分かってただろ」



高瀬に行けばいいと言った男が、もう一度言った。



「あいつが死んだら、追い込んだやつらが殺したのと同じだ」



「私が……」



小さな声だった。

紗良が振り返る。


女性は黒田の少し後ろに立っていた。

周囲から向けられる目に気づかないまま、地面を見ている。



「私が話さなかったら、出ていかなかったのかな」



紗良が女性の前へ回る。



「違う」


「でも、私が我慢してれば――」


「違うよ」



紗良は、今度ははっきりと言った。



「我慢しなきゃいけなかったことじゃない。話したことは、何も悪くないよ」



黒田も女性の隣へ移る。



「お前のせいじゃない」


「でも……」


「違う。あいつが出ていったことまで、お前が背負う必要はない」



女性は何も答えなかった。

紗良がその手を握る。

黒田は女性と、言い合いを続ける者たちの間に立った。


ほかの女性たちも、少しずつ近くへ集まった。

誰も、うまく言葉を掛けられない。

ただ、一人にしないように女性の周りへ立つ。


その姿を見て、口を閉じる者もいた。

反対に、目を逸らす者もいた。



「でも、きっかけはあの件だろ」


「だからって、あの人のせいにするのか?」


「誰もそんなこと言ってない」


「今、そう聞こえたぞ」



また声が重なり始める。



「もうやめよう」



直人が言った。

何人かは聞こえていないように話し続けた。



「自分で出ていったんだから――」


「悪者探ししてる場合じゃないでしょ!」



直人の声が、拠点に響いた。

全員が口を閉じる。

直人は、誰か一人を見ていなかった。


集まった者たちを順番に見る。



「ここに来てから、何か決める時は、みんなで決めてきたじゃん」



誰も答えない。



「結衣のことも、罠のことも、幼体のことも、今回のことも」



直人の声は、先ほどより下がっていた。

それでも、いつもの調子には戻っていない。



「誰かが言ったことを聞いて、考えて、最後はみんなで受け入れてきたんでしょ」


「でも――」


「うまくいったことはみんなのもので、駄目だったことだけ誰か一人のせいって、それは違うよ」



口を開いた者が、言葉を止めた。



「黒田さんだけじゃない。あいつと一緒にいたくなかった人だけでもない」



直人は空になった寝床を見る。



「俺だって、昨日声を掛けただけで、結局何もしてない」



直人は相希を見る。



「あいきが三日って言った時も、誰も反対しなかった。俺も、それでいいと思った」



今度は戸田と高瀬を見る。



「決め方が悪かったっていうなら、それもみんなで考えなきゃ駄目でしょ。あとから誰かが決めたことにして、その人だけ責めるのは違う」



直人は一度、息を吐いた。



「ここにいる全員、何かしらあったでしょ」



視線を下げる者がいた。



「今、横見て、誰が悪いってやってる場合じゃない」



直人は森へ顔を向ける。



「前見ないと。次は本当に、取り返しつかなくなるよ」



誰も何も言わなかった。


火の中で、細い枝が折れた。


直人は皆の顔を見る。

先ほどまで互いへ向いていた視線が、今度は直人へ集まっている。

そのうちのいくつかは、すぐに相希へ移った。


次にどうするのか。

何を決めればいいのか。

誰かが答えを出すのを待っている。


直人は、その目を見返した。

助けを求められたら、答えたくなる。

困っている者がいれば、放っておけない。


それは今も変わらない。


だが、何かが起きるたび、皆が自分たちを見る。

自分たちも、それに答える。

いつからそうなったのか。

その先で何が起きるのか。


直人の中で、今まで形を持たなかったものが、わずかに輪郭を持った。


誰かが、何かを尋ねる前に。

直人は口を開いた。



「俺は、探しに行きたい」



その言葉だけは、向けられた視線に応えるためのものではなかった。

直人が、自分で前を向くために選んだ答えだった。



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