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はじまりの岸  作者: インフィ
集団生活編

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第46話 近さの意味



翌朝。


黒田は昨夜決めたとおり、二つの見回り組から二人ずつを入れ替えた。

遠い方へ向かう者の名が呼ばれる。


男は昨日と同じ水の入った容器へ手を伸ばしていた。

だが、最後まで自分の名は呼ばれなかった。



「俺は?」



男が尋ねる。



「今日は拠点を頼みたい」



黒田が答えた。



「遠い方、昨日も俺が歩いたけど」


「だから、今日は別の人にも覚えてもらう」



男は呼ばれた二人を見る。

高瀬が道具を受け取りながら言った。



「三人は残る。道は分かるよ」



男は少しだけ間を置き、手にしていた容器を地面へ戻した。



「分かった」



不満を重ねることはなかった。


もう一方の組でも、昨日まで森へ入っていた男が、自分の名を待っていた。

別の名が呼ばれると、先に手にしていた縄を元の場所へ置く。


代わりに呼ばれた者が、その縄を拾った。

誰も拒まない。

誰も、決め方がおかしいとは言わなかった。


それでも、仕事を替わるだけの朝に、前より少し長い間が生まれていた。



「今日は、こっちなんだ」



女性が男へ声を掛けた。



「そうみたいだな」


「じゃあ、水を運ぶの手伝って」


「朝から使う気かよ」


「嫌なら、ほかの人に頼むけど」


「冗談だって。どれ?」



女性が拠点の端を指す。



「あそこに置いてある分。日が当たる前に、こっちへ移したい」



男は水の入った容器を一つ持ち上げた。



「これ?」


「それ。一人で二つは無理だから、助かった」



女性も隣にあった容器を抱える。



「先に言えよ」


「今、言ったじゃん」


「昨日のうちに」


「昨日は森へ行くつもりだったでしょ」


「残るって分かってたら、最初からやったのに」



女性が少し笑った。



「はいはい。じゃあ、そっちお願い」



二人は容器を持ち、日の当たらない場所まで運んだ。

一つ目を下ろすと、男は女性が持っていた方へ手を伸ばす。



「それも持つよ」


「もう着いたから大丈夫」


「じゃあ、次」



男は返事を待たず、元の場所へ戻っていった。

女性も、その後に続く。



見回り組が森へ入ったあと、拠点に残った者たちはそれぞれの仕事へ散った。

水を運び終えた女性は、紗良と結衣のもとで、採ってきた根と葉を分け始める。


男は空いた容器をまとめ、紐で縛った。

それが終わる頃、黒田が近くを通った。



「手が空いたなら、薪か食料の方を頼めるか?」



男は薪を割っている戸田たちと、女性たちを順番に見る。



「食料の方を手伝う」


「分かった」



黒田はそれ以上何も言わず、別の場所へ向かった。

男は女性たちのそばまで来ると、その場へしゃがむ。



「何を分ける?」


「こっちが食べる方。傷んでるのはそっち」



女性が二つの籠を指した。



「見分けつかないんだけど」


「色が違うでしょ」


「同じに見える」



結衣が男の手元を覗き込む。



「それ、傷んでる方」


「危なかった」


「最初から分かってないじゃん」



女性が笑い、男の手から根を取った。



「分からないなら、勝手に籠へ入れないで。こっちに置いて」


「教えてくれれば覚える」


「じゃあ、これは?」



女性が別の根を差し出す。

男は表面を眺め、匂いを嗅いだ。



「食べられる」


「なんで?」


「今、お前が食べる方から取った」



結衣が吹き出した。



「ずるい」


「正解は正解だろ」



男も笑い、その根を籠へ入れた。

初めのうちは、一つ確かめるたびに手が止まった。

それでも何度か繰り返すうちに、男は傷んだ部分の色を見分け始める。



「これは、こっち」



男が傷んだ根を別の籠へ入れた。

女性が中を確かめる。



「合ってる」


「覚えた」


「さっきまで同じに見えるって言ってたのに」


「教え方がよかったんじゃない?」


「自分で言う?」


「教えたのはお前だろ」



女性は一瞬きょとんとしたあと、笑った。



「じゃあ、もっと働いて」


「急に厳しくなったな」



男は次の根を取り、今度は迷わず二つの籠へ分けた。


手つきは次第に速くなった。

女性が新しい束へ手を伸ばす前に、男が紐をほどいて近くへ寄せる。



「ありがとう」


「これくらいなら分かる」



男の手が加わった分だけ、作業は確かに早く進んでいた。

紗良は二人のやり取りを聞きながら、葉についた土を落としていた。


少し離れた場所で、木を組んでいた男が声を上げた。



「誰か、こっちを持ってくれないか」



何人かが顔を向けた。

しかし、それぞれ手にしている作業を止める者はいなかった。


男は傾いた木を肩で支え直す。



「悪い。誰か一人でいい」



今度は、普段その男と火の近くで話している者が立ち上がった。



「今行く」



二人は木の両端を持ち、組みかけの台へ載せた。


最初に声を掛けられた時、誰も聞こえなかったわけではない。

手を貸したくなかったわけでもなかった。

ただ、誰かが動くだろうと、自分の手元へ戻っただけだった。


女性たちの作業が進み、籠の底が少しずつ見え始める。

男は女性の隣に置かれた根へ手を伸ばした。



「それ、こっちの分」


「どれ?」


「今触ってるやつ」



男が身を寄せ、女性の指している先を見る。

肩が、女性の腕へわずかに触れた。

女性は何も言わず、身体を少し外側へずらす。


男は根を一つ持ち上げた。



「こっち?」


「そう」



そのまま作業は続いた。


男が別の籠へ手を伸ばした時、もう一度、二人の肩が近づく。

女性は空になった小さな籠を取り、二人の間へ置いた。



「分からないのは、ここに入れて」


「あとで見るやつ?」


「うん。その方が早いから」



男はうなずき、手にしていた根を籠へ入れた。

しばらくすると、分からない根はなくなった。



「この籠、もういらないだろ」


「そこに置いておいて」


「空だけど?」


「あとで使うから」



男は籠へ伸ばしかけた手を戻した。

紗良が一度だけ、二人の間に置かれた籠を見る。

女性は次の根を手に取り、結衣の話へ笑っていた。


紗良も何も言わず、作業へ戻った。


午後、二つの見回り組が拠点へ戻ってきた。

誰も獲物を持っていない。

結果を尋ねる声は上がらなかった。

持ち帰った縄が広げられ、使った道具が元の場所へ戻されていく。


高瀬のそばへ集まった者は、明日歩く場所を確かめ始めた。

黒田の近くでは、見回りへ入れ替える者の話が始まっている。


二つの話は、混ざらないまま進んでいた。

遠い方の罠から戻った男が、広げてあった長い縄を手に取る。

ほぼ同時に、新しい方の見回りへ入っていた男も、その端を持ち上げた。



「これ、明日持っていく」


「こっちも使うんだけど」



二人は、同じ縄を挟んで顔を見合わせた。



「遠い方は、作動部分の縄を替えるって話になってる」


「新しい方も、誘導用の枝を固定し直すことになった」


「それは聞いてない」


「今、決まったからな」



声は荒くなかった。

だが、どちらも手を離さない。

周囲にいた者たちが、それぞれ自分の近くで進んでいた話を止めた。


戸田が二人の間へ歩いてくる。



「遠い方は、この長さが必要なのか?」


「支点まで届かせたい」


「新しい方は?」


「枝を縛るだけだ。短くても足りる」



戸田は並べてあった縄から、短いものを一本持ち上げた。



「なら、新しい方はこれでいい。傷んでるところを切れば使える」



男は戸田の持つ縄を確かめ、手を離した。



「分かった」



長い縄は、遠い方へ持っていく道具のそばへ置かれた。


必要なものは足りた。

明日の仕事が止まることもない。


ただ、同じ場所にある道具を、二つの組が別々に使うつもりで話を進めていたことだけが残った。

それでも、食事の支度が始まると、足りない水も薪も、それぞれの場所から同じ火へ集められた。


日が落ちた。


食事を終えても、火の周りには何人もの姿が残っている。

男は空になった器を置くと、高瀬たちの話へ加わらず、紗良たちの方へ歩いた。


女性の隣には、小さな籠が置かれていた。

男はその外側へ腰を下ろす。



「そこ、狭くない?」



女性が尋ねた。



「俺は平気」



男は籠を少し女性の方へ寄せた。

女性は籠を自分の前へ移し、外側へ身体をずらす。



「高瀬さんたちのところ、行かなくていいの?」


「明日の話は、もう終わってる」


「いつも長いじゃん」


「今日は昼に話したから」



男はそう答え、女性たちの方へ身体を向けた。



「何の話してた?」


「結衣が、今日の根は自分が見つけたって言い張ってる話」


「本当に私が見つけたんだって」


「採ったのは私だけどね」



女性が言うと、結衣が身を乗り出した。



「場所を見つけなかったら、採れなかったでしょ」


「じゃあ、半分ずつだな」



男が言った。



「何を半分にするの?」


「手柄」


「いらないよ、そんなの」



紗良が笑った。

女性も笑いながら、使い終えた器を重ねる。

男が身体の向きを変えるたび、すぐ隣で衣服の擦れる音がした。


女性は一度だけ男を見た。

男は結衣の話を聞きながら、いつもと同じように笑っていた。

女性も器へ目を戻した。


少しずつ、寝床へ戻る者が増えていく。

火の番を残し、その日の道具も片づけられていった。


女性は立ち上がり、昼間から干してあった縄へ目を向ける。



「あれ、しまってくる」



夜露に濡れる前に、屋根を掛けた物置へ移さなければならない。

女性が縄の束を抱えようとすると、男も立ち上がった。



「半分持つよ」


「一人でも大丈夫だよ」


「二人の方が早いだろ」



男は重ねてあった束の半分を持ち上げた。

女性は男の手元を見たあと、残った方を抱える。



「じゃあ、そっちお願い」



二人は並んで火を離れた。

物置は、拠点の端にある。


火の明かりは、その手前までしか届かない。



「足元、見える?」


「見えるよ。そっちは?」


「大丈夫」



話し声は、火のそばからでもまだ聞こえていた。

姿だけが、先に明かりの外へ消えていった。



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