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はじまりの岸  作者: インフィ
集団生活編

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第34話 見えない疲れ



新しい罠を作るための作業は、少しずつ拠点全体へ広がっていった。

最初に話を切り出したのは直人だった。

朝の食事を終え、森へ入る支度をしていた者たちのそばへ、縄を編む者や薪を割る者まで集める。



「次は全員でやるって決めただろ」



直人の言葉に、何人かが手を止めた。



「だから、場所を探すところから、もう少しみんなに関わってもらえたらと思ってる」


「全員で森へ行くのか?」



誰かが尋ねると、相希がすぐに首を振った。



「人数が増えれば、それだけ地面を踏み荒らす。人の匂いも残る」



高瀬も続けた。



「獣道を見つけても、全員で囲んだら使えなくなるぞ」



直人はうなずいた。



「だから、全員で同じことをするって意味じゃない」



森へ入り、足跡や獣道を調べる者。

縄や木材を準備する者。

森へ人を回した分、水や薪、食事の仕事を引き受ける者。

獲物が掛かった時に運ぶ者。

血抜きや解体を手伝う者。

直人は地面へ枝で線を引きながら、必要になりそうな役割を書き分けていった。



「それぞれができることをやる。それなら、全員でやったことになるだろ」



反対する者はいなかった。

むしろ、前回の狩りへ関われなかった者の中から、森へ入りたいという声がいくつも上がった。

だが、森へ連れていける人数には限りがある。


高瀬は痕跡を踏み荒らさないよう、一度に増やすのは二人までだと言った。

相希も同意した。


最初の同行者が決まると、選ばれなかった男が、手元の縄を見下ろした。



「俺は、これを作ってればいいってことか」



戸田が顔を上げる。



「縄がなきゃ罠は作れない」


「分かってるよ」



男は笑った。



「別に文句じゃない」



その言葉どおり、声に怒りはなかった。

それでも、森へ行くことになった者が少し誇らしげに道具を整える横で、男はしばらく編みかけの縄を見つめていた。


森へ向かった一行は、前の罠を仕掛けた時よりもゆっくり進んだ。

高瀬は同行した二人へ、足を置く場所まで細かく指示した。



「柔らかい土は踏むな。葉が沈んでるところも避けろ」


「そこまで気にするのか?」


「俺たちの足跡で、獣の跡が消えたら意味ないだろ」



高瀬は立ち止まり、地面に残った浅い窪みを示した。



「これが昨日か、それより前か分かるか?」



二人は顔を寄せた。

一人が答える。



「縁が崩れてないから、新しい?」


「雨のあとではあるな」


「じゃあ、昨日?」


「そこまでは分からない」



高瀬の返答に、男は困った顔をした。



「何を見れば分かるんだ?」


「土の湿り方とか、葉の戻り方とか……いろいろだ」


「いろいろって?」



高瀬は口を開きかけて、閉じた。

普段なら一目で判断しているものを、順番に言葉へ置き換えることができない。



「見れば、なんとなく分かるんだよ」


「それじゃ俺たちには分からないだろ」



責める調子ではなかった。

ただ、男の言うことも正しかった。

高瀬は頭を掻き、相希を振り返る。



「お前なら説明できるか?」



相希は足跡の脇へしゃがんだ。



「輪郭の外側が崩れていない。内部の土も周囲より湿っている。踏まれた葉の断面も、まだ乾き切っていない」



近くの葉を一枚持ち上げる。



「ただし、湿度や日当たりでも変わる。これだけで時間は断定できない。周囲の糞や泥の付着、同じ方向へ続く跡も合わせて――」


「待って」



同行した一人が手を上げた。



「それ、全部覚えないと駄目なのか?」


「正確に判断するには、いくつかの情報を組み合わせる必要がある」



男は足跡から目を離した。



「俺には無理かもしれない」


「最初から全部を判断する必要はない」


「でも、何を覚えればいい?」



相希が答えようとしたところで、直人が口を開いた。



「今日は、跡の輪郭だけ見ればいいんじゃない?」



相希が直人を見る。



「それだけでは判断できない」


「今、判断するのは高瀬さんたちだろ」



直人はしゃがみ、足跡の縁を指した。



「こういう輪郭が崩れていない跡を見つけたら、近づく前に声を掛ける。それができれば十分だよ」



同行した二人は、もう一度足跡をのぞき込んだ。



「それなら分かる」



一人が言う。

張っていた空気が少しだけ緩んだ。

相希は足跡へ視線を戻した。



「まずはそれでいい。ほかの違いは、見慣れてから覚えればいい」



そう言って立ち上がった。


森のさらに奥では、数日前に置いた枝や石の状態を確かめた。

太い木の近くへ獣を寄せるため、元の獣道の片側へ、不自然に見えない程度の障害物を置いている。

一部の枝は倒れていた。

相希は地面を調べ、枝の向きを確認した。



「風じゃないのか?」


「可能性はある」


「獣が動かした可能性は?」


「それもある」



同行した男が眉を寄せた。



「結局、分からないことばかりだな」


「だから跡を残して比べる」



相希は倒れた枝を元へ戻さず、その位置へ小さな石を置いた。



「次に来た時、さらに動いていれば、何かが通っている可能性が上がる」



別の男が、新しい枝を獣道の端へ置いた。



「これは?」



相希はすぐに首を振った。



「少し不自然に見える」


「そうか?」


「そこだけ急に塞がれて見える。もう少し離して、低く寝かせた方がいい」



男は枝を持ち上げ、位置をずらした。



「この辺か?」



相希は置き直された枝を見る。



「それなら問題ない」



直人が男を見る。



「向きは合ってたんだよ。少し目立っただけ」



男は一度相希を見てから、直人へうなずいた。


その日は、候補地をいくつか回ったが、罠の設置までは進まなかった。

拠点へ戻る頃には、森へ入った者たちの足は重くなっていた。

火のそばでは、残った者たちが食事の準備を進めている。


森から戻った一人が、水の容器を持ち上げた。



「水、これだけ?」



拠点に残っていた男が顔を上げた。



「これだけって何だよ」


「いや、もっとあると思ってた」


「こっちも遊んでたわけじゃない。森へ行ける人数が増えた分、水を汲める人間は減ってるんだ」



森から戻った男は、すぐに言い返した。



「俺だって遊びに行ってたわけじゃない」


「分かってるよ。だからって、こっちに何でも残すなって話だ」



周囲の手が止まった。

高瀬が口を開こうとした時、直人が先に水の容器を持ち上げた。



「ごめん。予定より戻るのが遅くなった」


「直人に言ってるわけじゃない」


「でも、俺も森に行く人数を決めた側だから」



直人は容器の中をのぞいた。



「明日は俺が拠点に残るよ」



高瀬が眉を上げる。



「森はどうする」


「相希たちだけで大丈夫だろ。候補地も見つかってるし、明日は罠の形を詰めるんだろ?」



相希が答える。



「問題ない」


「じゃあ決まり。俺は水と薪。それ以外も足りてないところ手伝うよ」



直人は拠点に残っていた者たちを見る。


「今日もありがとう。森のことばかり考えて、こっちの負担まで見えてなかった」



水を運んだ男は、気まずそうに視線を落とした。



「別に、そこまで言いたいわけじゃ……」


「分かってる。でも実際、増えてたんだろ」



直人が笑う。



「明日は任せて。森で役に立ってるかは怪しいけど、水汲みなら数くらい数えられるから」


「昨日、鍋の水こぼしてただろ」



戸田が言う。



「あれは地面が悪い」


「平らだったぞ」



周囲に小さな笑いが起きた。

止まっていた作業も、少しずつ動き始める。


森へ行く者と、拠点へ残る者。

どちらも、同じ獲物を手に入れるために動いていた。


それでも、一日の終わりになると、互いが背負っていた疲れだけは見えにくくなっていた。



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