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はじまりの岸  作者: インフィ
集団生活編

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第24話 わずかな余白



道具の置き場所を決めてから、数日が過ぎた。

その間も、すべてがうまく回っていたわけではない。


使った縄が違う枝へ掛けられていることもあった。

外へ持ち出す道具が、拠点内で使う物の中へ混ざっていることもある。

決められた場所へ戻らず、誰かの寝床から見つかる物もあった。

一度決めた置き場所が使いにくく、以前の場所へ戻したこともある。


そのたびに相希は、自分が正しいと思う場所へ戻すのではなく、実際に使う者へ確認した。



「これは、外へ持っていく方で合っていますか」


「いや、それは寝床を直す時にも使う」


「では、戸田さんの近くに置いた方が使いやすいですか」


「その方がいいかもな」



石で作った境目を少し動かし、縄を掛ける枝の位置も変えた。

細かく分けた道具を、再び一緒に戻したこともある。

毎日、目についたものを一つずつ試した。

使いやすければ残し、かえって手間が増えるなら元へ戻す。


相希が最初から全体の形を決めたわけではない。


戸田や高瀬たちの意見が加わり、使う者の手によって少しずつ形を変えていった。

直人も、落ちている道具を黙って戻すことはしなかった。



「これ、どこに戻すんでしたっけ」



分かっていても、近くにいる者へ尋ねる。



「そっちの端だ」


「ここですね」


「いや、もう少し奥だ。雨が降ると濡れる」


「じゃあ、この辺にしておきます」



何度か繰り返すうちに、直人が尋ねる前に、ほかの者が置く場所を教えるようになった。

それでも、すぐに全員が同じ場所へ戻すようになったわけではない。

昨日は戻されていた物が、今日は見つからないこともある。

一度うまくいったからといって、次の日も同じようにいくとは限らなかった。


それでも、必要な物を探す声は、いつの間にか以前より減っていた。

修理を頼む物も、戸田の作業場の脇へ集められるようになった。


口頭だけで頼まれることは減った。

だが、頼まれる数そのものが減ったわけではない。

戸田の前には毎日のように、壊れた容器や緩んだ柄、破れた寝床の枠が増えていった。


頼まれた順番が分かるようになっても、実際に手を動かすのは戸田一人だった。

ある日、相希は戸田の作業をしばらく見たあと、積まれた材料へ目を向けた。


長さの違う木材。

絡まった縄。

使える部分と傷んだ部分が混ざった布。


戸田は道具を直す合間に、それらを一つずつ選び分けていた。



「戸田さんがやらなくてもいい作業はありますか」



相希が尋ねた。

戸田は縄をほどきながら答える。



「人に教える方が時間がかかる」


「加工ではなく、準備だけならどうですか」


「準備?」


「木材を長さごとに分ける。縄の使える部分を残す。修理する物を状態ごとに置き直す。それなら、戸田さんでなくてもできます」



戸田は周囲に積まれた物を見る。



「最初は、俺が確認しないと余計に散らかるぞ」


「それでも、一人か二人に覚えてもらえば、あとで楽になるかもしれません」



直人が言った。



「とりあえず何日か、試してみませんか」



戸田は縄を置き、少し考えた。



「誰にやらせるんだ」



二人は、そのまま黒田のところへ相談しに行った。

黒田は話を聞くと、拠点の中へ目を向けた。


水を運ぶ者。

食事の準備をする者。

薪を割る者。


その中に、周囲の様子を見ながら、頼まれた時だけ作業へ加わっている男がいた。

外へ出る仕事では、体力のある者についていくのが難しい。

食料に関する知識もなく、決まった役割を持たないまま、その時々で手の足りない場所を手伝っているらしい。



「あいつはどうだ」



黒田が言った。



「外仕事は得意じゃないが、細かい作業は嫌いじゃないはずだ」


「本人が嫌じゃなければ、お願いしたいです」



直人が答える。


黒田はもう一人、裁縫を手伝うことが多い女性にも声をかけた。

布や縄を扱う作業が丁寧で、壊れた物の状態を見分けるのにも向いているという。

二人とも、最初は戸田の作業場へ呼ばれた理由が分からない様子だった。



「俺が直す前に、使えそうな材料を分けてくれ」



戸田が言った。



「木は傷んでない物を長さごとに。縄は切れてるところを外して、まだ使える部分を残す」



男は積まれた木材を見た。



「どれが傷んでるのか、分からない」


「最初は俺が見る。触って覚えろ」



女性にも、布や縄の状態を確かめる方法を説明した。

最初の数日は、戸田が以前より忙しくなったようにも見えた。


木材の分け方が違う。

縄を短く切りすぎる。

使える布まで傷んだ物の中へ入れてしまう。


戸田はそのたびに作業を止め、置き直した。



「だから、教える方が時間がかかるって言ったんだ」



夕方、戸田が直人へ言った。



「今はそうですね」


「今は、じゃなくて、しばらくはだ」


「でも、途中から少し早くなってましたよ」



直人が答えると、戸田は作業を手伝っている二人を見る。


男は、昼間に教えられたとおり、木の表面を指で押していた。

女性は縄を伸ばし、傷んでいる箇所を一つずつ確かめている。



「続けばな」



戸田はそれだけ言って、作業へ戻った。

翌日も、二人は戸田のところへ来た。

さらに何日かが過ぎても、自分から作業場へ向かった。


男は少しずつ、木材の状態を見分けられるようになった。

女性も、布や縄の傷み方を見て、修理に使える部分を選ぶようになった。

ある日にはできたことが、翌日にはうまくできないこともある。

戸田が説明したことを、もう一度聞き直す日もあった。


それでも、以前なら戸田が一人でしていた準備を、二人だけで終えている日が少しずつ増えた。

誰かが壊れた道具を持ってくると、戸田がいなくても受け取るようになった。



「戸田さんは?」


「今、使えそうな木を見に行ってます」



男が答えた。

持ち込まれた道具の壊れた場所を確認する。



「これは柄に使う木が足りないので、すぐには直せません。こっちに置いておきます」


「分かるのか?」


「これは前にも同じのがあったから」



男は少しだけ誇らしそうに言った。

戸田が戻ると、男が置いた道具を確かめた。



「それでいい」



短い言葉だった。


男は何も答えなかったが、それ以降、誰かが修理品を持ってくるたびに、以前より落ち着いて応じるようになった。

戸田の作業場だけではなく、ほかの仕事にも、小さな変化が少しずつ広がっていった。


水汲みでは、出発する前に三浦へ必要な量を確認するようになった。



「今日は洗う分を多めに頼むよ」



三浦が言う。



「昨日の容器が残ってるから」


「食事用は?」



高瀬が尋ねる。



「昨日と同じくらいで足りる」



高瀬は周囲を見回し、水場へ行く者へ声をかけた。

水汲みの往復を一度減らせた日があった。

その翌日は必要な量を見誤り、結局もう一度水場へ向かった。


一度の往復で、以前より多くの水を運べるわけではない。

それでも、同じ道を何度も歩く日は少しずつ減った。


薪も、乾いた物と湿った物を分けるようになった。


細くて火をつけやすい枝。

長く燃える太い木。

雨に濡れたばかりの物。


戸田が簡単な屋根を作り、すぐ使える薪だけをその下へ置いた。

雨が強ければ、置き方を変えた。


風向きによっては、乾かす場所を動かした。



「ここまで分けなくても、燃やせば同じだろ」



最初はそう言っていた男も、夜の見張りで乾いた枝をすぐ手に取れるようになると、何も言わなくなった。


高瀬やほかの者も、外へ出る前に行き先を確認するようになった。

別々の組が、同じ場所へ山菜を探しに行くことが減った。

予定していた場所で何も見つからず、結局遠くまで足を延ばす日もある。

それでも、どこへ誰が向かったのか分からなくなることは少なくなった。


食べ物にも、わずかな変化が現れ始めた。

相希は、採ってきた山菜や木の実を見るたびに、形や匂い、葉の付き方を確かめた。

知っている植物に似ていても、同じものだとは決めつけない。

食べられる可能性があるものは黒田にも見せ、以前に見つけた場所や、周囲に生えていた植物について確認した。


ある日、一人の男が、見慣れない木の実を相希へ差し出した。



「相希、これ食えると思うか?」



相希は木の実を受け取り、表面や形を確かめた。



「食べられるものに似ています。でも、これだけでは判断できません」


「分からないのか?」


「似ているだけで、別の種類かもしれません。黒田さんにも確認してみましょう」


「黒田なら分かるかもしれないな」



男は木の実を受け取ると、黒田のいる方へ歩き出した。

数歩進んだところで振り返る。



「食えるって分かったら、お前にもやるよ」


「ありがとうございます」



相希が答えた。

その様子を見ていた直人が、男の姿が離れてから相希へ近づいた。



「だいぶ馴染んだな」


「何がだ」


「木の実くれるって」


「食べられると決まったわけじゃない」


「そういうことじゃないんだよ」



相希は意味が分からないという顔で、男が持っていった木の実を見送った。


それから、黒田と相希が食べられる可能性のある植物について話す姿や、直人が新しい場所へ足を運ぶ姿を見て、ほかの者たちも、自分が以前に見かけたものを持ち寄るようになった。



「この先に、赤い実がなる木があった」


「水場の反対側で、見たことのない葉を見つけた」


「前に苦くて食べられなかった草も、茹で方を変えれば使えないか?」



相希は持ち込まれた植物の一つを手に取り、葉を裏返した。



「これに似たものなら、茹でて水にさらせば食べられる種類があります」



相希は黒田を見る。



「この辺りで、似たものを見たことはありますか」



黒田は茎を折り、匂いを確かめた。



「川沿いの日陰に、似たものがまとまって生えていた」


「そこを見に行きたいです」


「明日なら案内できる」



その会話を聞いていた直人が、すぐに顔を上げた。



「俺も行きます」


「お前はまだ何も聞いてないだろ」



相希が言う。



「採れるかもしれないんだろ。人手はあった方がいい」


翌日、直人は黒田と相希について川沿いへ向かった。

似た葉はいくつも見つかったが、すべてを持ち帰ったわけではない。


形が少し違うもの。

匂いが強いもの。

虫が食べた跡さえないもの。


確かめきれないものは、その場に残した。


持ち帰ったものも、すぐに鍋へ入れたわけではない。

黒田と相希がもう一度状態を確認し、三浦が少量だけ茹で、時間をかけて水へさらした。


別の場所でも似たものを探し、葉や茎の特徴を比べた。

食べられると判断できたものも、最初は少量だけを使った。

新しい山菜が食事へ加わるまでに、何日もかかることもあった。


持ち帰ったものが、すべて食べられたわけではない。

判断できずに捨てたものもあれば、苦みが抜けず、食事に向かなかったものもある。


一度見つけても、その後は同じ場所で採れないこともあった。

それでも、探す者と見る場所が少しずつ増え、鍋の中身は以前よりわずかに変わるようになった。


山菜の種類が一つ増える日。

木の実が少しだけ入る日。

小魚が多く採れ、汁の味が濃くなる日。

何も見つからず、以前と変わらない食事になる日もあった。


豪華になったわけではない。

腹いっぱい食べられるようになったわけでもない。

食料に余裕ができたとは、誰も思っていなかった。


それでも、昨日とは違うものが鍋に入っているだけで、食事を待つ時間の感じ方は少し変わった。

三浦も、持ち帰られた食材に合わせ、切り方や煮る順番を変えるようになった。


ある日は、いつもならそのまま鍋へ入れる山菜を細かく刻んでいた。



「今日は随分細かくするんですね」



紗良が尋ねる。



「この前の葉と一緒に煮ると、苦みが残りにくいみたいでね」


「相希さんが言っていた方法ですか?」


「それもある。でも、前に試した時は煮すぎたんだよ。今日は少し遅く入れてみる」



三浦は鍋の中をかき混ぜた。



「毎回同じようには採れないから、その日にあるもので考えるしかないけどね」



食事の量は、目に見えて増えたわけではなかった。

それでも、その日の汁には以前にはなかった香りがあり、山菜の苦みも少し弱かった。



「うまいな」



高瀬が言う。



「何を食べても、それしか言わないね」



三浦が返す。



「今日は本当に昨日と違うだろ」


「昨日も同じこと言ってたよ」



火の周囲に笑い声が広がった。


一度にすべてが変わることはなかった。

昨日より楽になったと感じる日もあれば、何も変わっていないように思える日もある。

それでも、毎日一つずつ、余計に歩いた理由や、作業が止まった原因を確かめた。


相希が考え、直人が皆へ聞く。

黒田が人の組み合わせを考え、戸田や高瀬、三浦たちが、実際の生活に合う形へ直していく。


誰が始めたのか分からない工夫も増えた。

気づいた者が位置を変え、使った者が別の方法を試し、それを見た者が次の日も続けた。

そうして、何度も見張りの順番が巡り、雨の日と晴れの日を繰り返すうちに、生活の形は少しずつ変わっていった。


食べ物が十分になったわけではない。

水場が近くなったわけでもない。

薪を探す距離も短くはならなかった。

毎日しなければならないことは、以前とほとんど変わらない。


それでも、探し物をする時間が減った。

無駄に同じ道を歩く回数が減った。

誰か一人が、すべてを覚えておく必要も少なくなった。

一日ごとに見ていれば、その違いには気づけなかった。


だが、月が少しずつ形を変えるほどの日々を重ねた頃、以前にはなかった時間が、夕方の拠点に残るようになっていた。


戸田は、修理する物が途切れた時間に、余った木片を手に取った。

急いで直す必要がある物ではない。

木片の端を削り、浅い窪みを作っていく。



「何を作ってるんですか」



直人が尋ねた。



「まだ決めてない」


「決めてないのに削ってるんですか」


「形を見てから考える」



戸田は木片を裏返した。



「前は、こういうことをする暇もなかった」



出来上がったのは、小さな器だった。

食事を入れるには浅い。

だが、木の実や細かな道具を置くには使えそうだった。



「いいじゃないですか」


「役に立つかは分からん」


「何に使うか、みんなに聞きましょうよ」


「そうすると、また依頼が増える」



戸田は呆れたように言った。


それでも、その器を捨てることはなかった。

以前なら、食事を終えた者からすぐに寝床へ戻っていた。

最近は、器が空になってもしばらく火のそばへ残る者が増えている。


誰かが船へ乗る前の仕事を話す。

別の者が、その話へ口を挟む。

内容のない冗談で笑う者もいた。


紗良は、破れた衣服を縫っている女性の隣に座り、布を押さえていた。

別の日には、女性の髪をまとめるため、細く切った布を渡している。


生きるために必要なことではない。

それでも、誰かが鏡の代わりに水面をのぞき込み、少しだけ笑った。


役割が見つかった者もいた。

戸田の作業場を手伝うようになった男は、以前より人の近くにいる時間が増えた。

誰かに頼まれるのを待つのではなく、自分から材料を確かめる。

戸田が外しておいた縄を見つけると、使える部分だけを残して束ねた。

女性も、布や縄の状態を見ながら、戸田へ必要な物を先に伝えるようになった。

二人とも、作業場へ来た当初より表情が落ち着いていた。


一方で、仕事が整理されたことで、以前ほど声をかけられなくなった者もいた。

水汲みへ行こうとすると、必要な人数はもうそろっていると言われる。

薪を運ぼうとしても、別の者が担当している。

食事の準備へ近づけば、三浦から今日は手が足りていると返される。

その男は、共同の火の近くでしばらく立っていた。



「何かやることあるか?」



戸田の作業場へ声をかける。



「今は足りてる」



戸田が答えた。


男は小さくうなずき、その場を離れた。

楽になったはずだった。

それでも、行く場所を探すように、拠点の中を何度か見回していた。

直人はその様子に気づいたが、声をかける前に、高瀬から水運びを頼まれた。

振り返った時には、男は自分の寝床へ戻っていた。


黒田も、改善の流れから外れてはいなかった。


誰をどの作業へ回せるか。

外へ出る人数が足りているか。

体力の弱い者へ無理が集中していないか。

直人と相希が何かを試す時には、必ず黒田へ相談した。


黒田も、二人が知らないそれぞれの性格や経験を伝えた。



「あいつは力仕事は苦手だが、同じ作業を続けるのは苦にしない」


「こっちは手先は器用だが、急かすと雑になる」


「水場へ行かせるなら、帰りは荷物を減らしてやってくれ」



二人だけでは見えなかった事情が、黒田の言葉によって少しずつ分かっていった。


改善の形も、相希が最初に考えたものとは少しずつ変わっていく。

気づけば、二人がこの集団へ加わってから、随分と日が過ぎていた。


ある日の夕方、直人と相希は、拠点の端にある自分たちの寝床へ戻った。

中央の火では、何人かが食事の準備を手伝っている。


少し離れた場所では、高瀬と戸田が何かを話しながら笑っていた。

戸田の作業場では、手伝いの二人が明日のために材料を整えている。

紗良は、衣服を縫っている女性の隣で布を押さえていた。


直人は荷物を下ろし、その場へ腰を下ろした。



「なんか、少し変わったよな」



相希が中央の方を見た。



「何がだ」


「うまく言えないけど」



直人は火の周囲にいる者たちを見渡した。



「前より、みんなの顔が疲れてない気がする」


「作業量は、大して変わってない」


「じゃあ、気のせいか?」


「一日で減った無駄は、ほんの少しだ」



相希は、戸田が作った小さな器へ目を向けた。

今は木の実が入れられ、共同の火の近くに置かれている。



「でも、それが毎日積み重なれば、残るものはある」


「時間とか?」


「時間と、体力。それから、考える余裕だ」


「それでいいんじゃないか?」



直人は中央から聞こえる笑い声に耳を傾けた。



「生きるためのことだけやって、一日が終わるよりは」



相希は何も答えなかった。

直人は少し間を置いてから尋ねた。



「少しは、役に立ててるかな」



相希は火の周囲を見たまま答える。



「少しはな」


「もう少し認めてくれてもいいだろ」


「お前だけの成果じゃない」


「分かってるよ」



直人は笑った。



「俺たちも含めて、少しはってこと」



相希は小さくうなずいた。


日が落ちると、中央の火が人々の顔を照らした。

初めてこの場所で夜を迎えた時には遠く感じたその明かりも、今は以前ほど遠くは見えなかった。



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