第22話 朝の役割
直人が目を覚ました時、拠点ではすでに何人かが動き始めていた。
共同の火の近くでは、三浦が鍋の中を確かめている。
夜の見張りを終えた男が、火のそばへ腰を下ろした。
別の場所では、誰かが空になった容器を持ち上げている。
二人だけで暮らしていた時にはなかった、人の足音や話し声が、朝の薄暗い拠点の中を行き交っていた。
直人は上半身を起こし、中央の火を見た。
「朝からにぎやかだな」
隣では、相希がすでに目を開けていた。
「十七人いれば、誰かしら起きてる」
「起きてたなら声かけろよ」
「必要ないと思った」
相希はそう言って立ち上がった。
寝床の外へ出ると、湿った朝の空気が肌に触れる。
共同の火は、昨夜より少し近く見えた。
朝食を終えると、黒田が二人のところへ来た。
「昨日も話したが、しばらく仕事は固定しない」
黒田は、拠点の外へ出る準備をしている高瀬たちへ目を向けた。
「今日は向こうが人手を欲しがってる。直人は高瀬たちと水と薪を頼めるか」
「分かりました」
黒田は次に、流木のそばで道具を広げている戸田を見る。
「相希は戸田の手伝いをしてくれ。寝床の補修がいくつか残ってる」
「はい」
二人はそれぞれの場所へ向かった。
直人が高瀬たちへ近づくと、高瀬は大きな容器を一つ持ち上げた。
紗良も、その隣で小さな容器を抱えている。
ほかに、昨日自己紹介をした男が一人いた。
「新入りに、いきなり一番重いのを持たせたら黒田さんに怒られるな」
高瀬が言った。
「昨日泊めてもらった分です」
直人は、高瀬の横に置かれていた容器を持ち上げる。
「じゃあ、明日からは普通に働いてもらう」
「今日も普通に働きますよ」
高瀬が笑った。
四人は水場へ向かった。
途中で、乾いた枝や倒木を見つければ、帰りに運べるよう目印をつけておく。
以前より近くの薪が減り、少し遠くまで探すことが増えたらしい。
高瀬は歩きながら、道の状態や雨のあとのぬかるみについて説明した。
水場へ着くと、全員で容器へ水を入れた。
帰り道、高瀬は水の入った大きな容器を肩へ担ぐ。
その動作の途中で、わずかに顔をしかめた。
すぐに歩き始めたが、紗良はその様子を見ていた。
「高瀬さん、昨日も右肩を触ってましたよね」
「見てたのかよ」
「何度か」
「大したことない。寝方が悪かっただけだ」
高瀬は軽く肩を回した。
直人は何も言わず、高瀬の持っていた容器へ手をかける。
「半分持ちます」
「いや、平気だって」
「俺の方、まだ余裕あるんで」
直人が手を離さないため、高瀬は諦めたように容器を傾けた。
二人で持つと、歩く速度が少し上がった。
「悪いな」
「その代わり、帰りに薪の場所を教えてください」
「それくらいなら何か所でも教える」
紗良は二人の後ろを歩きながら、何も言わずに小さく笑った。
その頃、相希は戸田の前に座り、削られた木材を見ていた。
戸田は石と金属片を組み合わせた道具で、細い木の表面を整えている。
「この木を使っているのは、割れにくいからですか」
相希が尋ねる。
戸田は手を止めずに答えた。
「それもある。湿っても、ほかの木より曲がりにくい」
「数は多くない?」
「近くじゃあまり見ない。見つけたら持って帰るようにはしてる」
相希は、周囲に置かれた修理途中の物を見る。
柄の緩んだ道具。
破れた寝床の枠。
地面から少し浮かせるための台。
どれも使える材料を継ぎ足しながら作られていた。
「これ、持ってろ」
戸田が木材を差し出した。
「ここが動かないように押さえてくれ」
相希は言われた場所を両手で押さえる。
戸田は木の繊維に沿って、少しずつ表面を削った。
相希も途中で道具を借りたが、刃先が深く入りすぎ、木の表面が欠けた。
「力を入れすぎだ」
戸田が言った。
「同じ角度で当てればいいわけじゃないんですね」
「木目が変わる。触れば分かるようになる」
相希は再び試した。
今度は浅すぎて、ほとんど削れない。
戸田が少し笑う。
「頭で分かってても、手は別だな」
相希は削り跡を見た。
「そうですね。これは戸田さんの方が速い」
「素直に認めるんだな」
「事実なので」
戸田は相希の顔を見たあと、作業へ戻った。
昼になると、二人は共同の火の近くで合流した。
直人は水を飲みながら、肩を回す。
「そっちはどうだった」
「戸田さんがいないと、壊れた物がかなり溜まる」
相希は、食事を受け取りながら答えた。
「ほとんど一人で直してるのか?」
「手伝う人はいる。でも、判断と細かい加工は戸田さんに集まってる」
直人は高瀬たちの方を見る。
高瀬は何事もなかったように、ほかの男と話していた。
「こっちも似たような感じだな。外に出る仕事は高瀬さんたちに偏ってるみたいだ」
「肩は?」
「紗良さんが気づいてた。本人は大したことないって言ってる」
相希は高瀬の右肩へ一度だけ視線を向けた。
「一日見ただけじゃ分からない」
「ああ」
直人は食事を口へ運んだ。
「まあ、まずは働けってことだな」
午後も、それぞれの作業は続いた。
直人たちが水を運び終えた直後、別の女性が空の容器を抱えて水場へ向かおうとした。
聞けば、食事用とは別に、洗うための水が必要だという。
高瀬が戻ってきたばかりの道を、もう一度歩くことになった。
薪を置く場所では、乾いた枝と湿った枝が混ざっていた。
火へ入れようとしてから使えないことに気づき、別の薪を探す者もいた。
相希の方では、戸田のもとへ次々に修理を頼む人が来た。
頼まれた戸田は、そのたびに手を止める。
どれから手をつけるかは、本人の記憶に頼っていた。
必要な道具が見つからず、戸田と相希が周囲を探す時間もあった。
夕方になり、二人は拠点の端にある寝床へ戻った。
直人は荷物の上へ座り、息を吐く。
「久しぶりに働いたって感じするな」
「今までも働いてただろ」
「二人だけでやるのとは違うんだよ」
直人は中央の火へ目を向けた。
「高瀬さん、いい人だな。紗良さんもよく見てる」
相希も、火の周囲で動く人々を見た。
「半年間、生き延びてる。それぞれが必要なことをしてきたんだろ」
「でも、結構無理してる人もいるな」
相希は少し間を置いてうなずいた。
「一部の人間に、作業と判断が偏ってる」
「変えた方がいいと思うか?」
「まだ分からない」
相希は戸田のいる方を見る。
「今の形になった理由がある。表面だけ見て変えれば、別のところに負担が出る」
「じゃあ、しばらく見る?」
「ああ」
二人は持ち帰った荷物を片づけ始めた。
直人が小さな刃物を使おうとして、荷物の中を探る。
見つからず、別の袋を開いた。
さらにその下を探し、ようやく布に包まれた刃物を取り出した。
「これ、毎回探してないか?」
「お前が毎回違うところに入れるからだろ」
「使ったの、昨日は相希だぞ」
相希は少し考え、自分たちの荷物と、中央にある道具置き場を見比べた。
「置く場所を決めるだけでも、探す時間は減る」
「それくらいなら、みんなも困らないんじゃないか?」
相希は、手にした刃物を荷物の端へ置いた。
「明日、戸田さんに聞いてみる」
共同の火のそばでは、誰かが探し物をしていた。
何を探しているのか尋ねる声が続き、別の誰かが立ち上がる。
直人と相希は、その様子を遠くから見ていた。
日が落ちると、三浦が用意した食事を囲んで、皆が順番に器を受け取った。
鍋の中には、山菜と小魚、それから細かく刻まれたキノコが入っている。
直人は自分の器を受け取ると、相希と並んで火の近くへ座った。
昼間に同じ作業をしたからか、高瀬が少し離れた場所から手を上げる。
「お疲れ、新入り」
「もう新入り扱いやめてくださいよ」
「まだ二日目だろ」
「明日からは?」
「三日目の新入りだな」
高瀬の言葉に、周囲から小さな笑いが起きた。
直人も笑いながら、器へ口をつける。
温かい汁が喉を通り、昼間に使った身体へゆっくりと染み込んだ。
その隣では、相希が鍋の中身を見ていた。
「何か気になる?」
直人が尋ねる。
「昨日と入っている物が少し違う」
「そりゃ毎日同じ物が採れるわけじゃないだろ」
三浦が会話を聞きつけ、鍋をかき混ぜながら答えた。
「今日は小魚が少なかったから、その分キノコを増やしたんだよ」
「食材の量は、毎日記録しているんですか」
相希が尋ねる。
三浦は首を横へ振った。
「記録ってほどのことはしてないね。採ってきた物を見て、その日の分を決めてる」
「保存する分との配分も?」
「それも、その時次第だよ。傷みそうなら使うし、持ちそうなら少し残す」
三浦はそう言って、鍋の底を確かめた。
「細かく決めても、その通りに食べ物が来るわけじゃないからね」
「そうですね」
相希は素直にうなずいた。
三浦は一瞬だけ相希を見たあと、再び器へ汁をよそった。
食事が進むうちに、昼間の作業について話す声が増えた。
誰かが見つけた木の実のこと。
水場へ向かう途中で見た足跡のこと。
補修した寝床が、次の雨に耐えられそうかという話。
直人は会話へ加わりながら、周囲の様子を見ていた。
よく話す者もいれば、黙って食べている者もいる。
食事を終えるとすぐ立ち上がる者もいた。
全員が同じように輪へ入っているわけではない。
それでも、火の周りには一定のまとまりがあった。
その時、少し離れた場所で声が上がった。
「これ、誰か使ったか?」
一人の男が、短い縄を手にしている。
「昼に戸田さんのところへ持っていったやつじゃない?」
紗良が答えた。
「いや、それは別のだ。もう少し長かった」
「薪をまとめる時に使ってなかったか?」
別の男が言った。
何人かが記憶をたどるように顔を見合わせる。
戸田も作業場所から立ち上がった。
「俺のところにはないぞ」
「じゃあ、どこだ?」
男の声には、わずかな苛立ちが混じっていた。
誰かが立ち上がり、薪置き場の方へ向かう。
別の者は寝床の近くを探し始めた。
直人も器を置こうとしたが、相希が小さく首を振った。
「今はいい」
「でも探してるぞ」
「人数が増えても、見つかりやすくなるとは限らない」
しばらくすると、薪をまとめていた枝の下から縄が見つかった。
使った者が、そのまま置き忘れていたらしい。
「あったぞ」
見つけた男が声を上げる。
最初に探していた男は縄を受け取り、短く息を吐いた。
「使ったら戻してくれよ。探すだけで時間がかかるんだから」
責めるような口調ではなかった。
それでも、言われた男は少し気まずそうに視線を逸らした。
「悪かった。忘れてた」
それだけで話は終わった。
誰かが火へ薪を足し、会話も別の話題へ戻っていく。
しかし相希は、縄が見つかった場所と、道具がまとめられている場所をしばらく見ていた。
食事のあと、夜の見張りに入る者が黒田のところへ集まった。
黒田は三人の名前を確認し、それぞれの時間を伝えていく。
直人と相希も近くへ行った。
「俺たちは?」
直人が尋ねる。
黒田は二人を見る。
「今日はいい。昨日戻ってきたばかりだし、昼も動いてもらった」
「でも、皆やってるんですよね」
「明日から入ってもらう」
黒田はそう言ったあと、少し考える。
「最初は二人一緒の方がいいかもしれないな。場所と流れを覚えてから、別々にする」
「分かりました」
相希が答えた。
「時間は、明日決める」
見張りの者たちがそれぞれの場所へ向かう。
共同の火から少し離れたところには、小さな火がもう一つ作られていた。
夜の間、周囲を確認する者が身体を冷やさないためのものらしい。
直人はその火を見ながら言った。
「火が二つあると、薪も結構使うな」
「ああ」
「でも、見張りが暗い中でずっと立ってるのも無理か」
「一つにまとめれば、拠点の反対側が見えなくなる」
相希は周囲へ視線を巡らせた。
「今の配置にも理由はある」
二人は自分たちの寝床へ戻った。
昼間に使った容器や道具を一つずつ荷物のそばへ置いていく。
直人は刃物を布で包み、今度は決めた場所へ入れた。
「ここな」
「覚えておけよ」
「相希もな」
相希は返事をせず、中央の火の方を見た。
昼間より静かになっていたが、人の気配は消えていない。
見張りをする者の足音。
火の中で木が弾ける音。
寝床の中で誰かが咳をする声。
二人だけの拠点では、夜になると自分たち以外の音はほとんどなかった。
ここでは、誰かが起きている。
直人は身体を横たえながら、暗闇の向こうにある火を見た。
「変な感じだな」
「何がだ」
「寝てても、誰かが見張ってる」
「お前も明日からやる」
「そうだけどさ」
直人は片腕を頭の下へ入れた。
「二人だけの時は、寝ても完全には休めてなかったんだな」
相希はすぐには答えなかった。
外では、見張りの男が薪を動かしている。
火の明かりが木々の間で揺れた。
「人数が増えれば、一人が背負うものは減る」
相希が言う。
「でも、増えた分だけ別の面倒も増えるか」
「そうだな」
直人は昼間の高瀬の肩と、戸田の前に積まれた修理途中の道具を思い出した。
それから、先ほど探していた縄のことも。
「少し楽にできそうなことは、ありそうだけどな」
「ある」
相希は短く答えた。
「でも、ここの人たちは半年間、このやり方で生きてきた」
「分かってるよ」
「自分たちにとって分かりやすい形が、皆にとって使いやすいとは限らない」
「だから、まず戸田さんに聞くんだろ」
「ああ」
直人は小さく笑った。
「じゃあ、俺は高瀬さんたちに聞いてみる」
「何を」
「水とか薪とか。どうしたら少し楽になると思うか」
「相手の方が、現場のことは分かってる」
「相希が考えて、俺が聞く」
「逆だ。聞いてから考える」
「そうだった」
直人は目を閉じた。
しばらくして、中央の火の周囲から人の声が消えた。
夜の見張りだけが起きている。
時折、森の奥から聞き慣れない鳴き声が届く。
直人は一度だけ目を開けた。
火はまだ消えていなかった。
その向こうで、見張りの者がゆっくりと立ち上がる。
誰かが起きていることを確かめると、直人は再び目を閉じた。
拠点の音は、次第に遠くなっていった。




