第21話 火を囲む
二人が最初の拠点を離れたのは、朝のうちだった。
背負った荷物は、来た時よりも重い。
それでも、必要な物だけに絞ったため、歩けないほどではなかった。
直人は何度か足を止め、巻貝と磯ガニを入れた容器の中を確認した。
「そんなに見ても増えないぞ」
前を歩く相希が言った。
「減ってないか確認してるんだよ」
「逃げられるような入れ方はしてない」
「黒田さんたち、喜ぶかな」
「食べられる物が増えて困ることはないだろ」
相希の答えに、直人は少し笑った。
あの人数で分ければ、一人分はわずかだ。
それでも、何も持たずに戻るより、二人が海岸で得たものを持ち帰りたかった。
日が傾き始めた頃、木々の向こうから人の声が聞こえてきた。
やがて拠点が見え、先に二人へ気づいた男が声を上げる。
「戻ったぞ」
その声に、何人かが顔を上げた。
水場で二人を案内した男が近づき、背負った荷物を見る。
「ずいぶん持ってきたな」
「使えそうな物だけです」
相希が答えた。
黒田も奥から姿を見せる。
二人の顔を確かめると、わずかに表情を緩める。
「無事だったか」
「向こうで一晩休んできました」
直人が答え、抱えていた容器を差し出した。
「それと、これを」
中を見た男が目を丸くする。
「貝か?」
「小さいカニもいます。大した量じゃないですけど、鍋にでも入れてください」
鍋を管理していた女性が容器を受け取り、巻貝と磯ガニの状態を確かめた。
「これなら、今日のうちに使えるね」
「みんなで分けたら少ないですけど、出汁くらいにはなると思います」
「十分だよ。海の物なんて久しぶりだから」
その言葉に、周囲からも小さな声が上がった。
直人が安心したように相希を見る。
相希は何も言わず、わずかにうなずいた。
荷物を下ろしたあと、相希はバッグから防水マッチを取り出した。
「これも、ここで使ってください」
黒田は差し出された物を見て、すぐには手を伸ばさなかった。
「いや、でも……」
黒田は言葉を探すように二人を見る。
「俺たちから、二人に渡せるような物はほとんどない」
防水マッチが、この場所でどれほど価値のある物か理解しているのだろう。
火は今も絶やさず維持している。
それでも、完全に消えた時に確実に火を起こせる物があるのと、ないのとでは大きく違う。
「見返りが欲しくて渡すわけじゃありません」
相希が言った。
「ここで持っていた方が、全体にとって役に立つと思っただけです」
「水も飯も分けてもらいましたし、泊めてもらいました」
直人も続ける。
「それで十分です。受け取ってください」
「それは、二人が困っていたからだ」
黒田が言った。
「困っている人間に渡すのは当然だろ」
「俺たちも同じです」
直人は迷わず答えた。
「これから一緒に暮らすんです。役に立つ物があるなら出す。それだけですよ」
相希も小さくうなずく。
「交換にする必要はありません」
黒田はしばらく二人を見ていた。
施しでも、ここで暮らすための対価でもない。
これから同じ場所で生きる者として差し出していることを理解したのか、やがて防水マッチを受け取った。
「……分かった。ありがたく使わせてもらう」
「お願いします」
その後、二人は寝床を作る場所を探すことになった。
黒田は、共同の火に近い場所や、すでにある寝床の間に残された空間をいくつか示した。
どこも、少し手を入れれば二人分の場所は作れそうだった。
拠点の中を見て回り、相希が足を止めたのは、最も外側に近い場所だった。
共同の火からは離れている。
水場へ向かう道からも少し外れ、人の出入りは少ない。
背後には木々があり、正面からは拠点の大部分を見渡せた。
「ここがいいと思います」
相希が言った。
黒田はその場所を見て、眉を寄せる。
「ここか?」
「はい」
「少し遠すぎないか。火も水場も、ほかの場所より距離があるぞ」
「大丈夫です」
直人が答えた。
「いきなり新入りがすぐ近くにいたら、みんなも戸惑うと思うので」
相希も続けた。
「まずはここで生活しながら、必要に応じて近くへ移っていこうと思います」
黒田は二人と、その場所を見比べた。
「そうか」
しばらくして、うなずいた。
「二人がそれでいいなら、ここを好きに使ってくれ。屋根も寝床も、必要なように手を入れていい」
「ありがとうございます」
直人が答えた。
荷物を置いたあと、黒田は二人へ現在の生活について簡単に説明した。
「細かい決まりがあるわけじゃない」
黒田が言う。
「ただ、水と食料は基本的に皆で分けてる。遠くへ行く時は、誰かに行き先を伝える。火と夜の見張りは交代だ」
使った道具は元へ戻す。
体調が悪い時は隠さずに伝える。
食料を見つけても、一人で抱え込まない。
どれも黒田が最初から決めたものではなく、ここで生活する中で自然にできた約束らしい。
「俺が全部決めたわけじゃない。ここまで暮らしてきて、今はこうなってるだけだ」
相希が尋ねた。
「見張りは、時間で交代しているんですか」
「いや。今は火が落ちる前と、夜中、それから明け方で分けてる」
「担当は固定ですか」
「ある程度はな。寝付きが悪い奴もいれば、朝に強い奴もいる。最初は均等に回したが、そっちの方がうまくいかなかった」
相希はうなずいた。
「なるほど」
それ以上、口を挟むことはなかった。
黒田は話を続ける。
「二人の仕事は、すぐには決めないつもりだ」
「いいんですか?」
直人が尋ねる。
「昨日だけでも、二人が動けるのは分かってる。でも、こっちにも今までの流れがある」
黒田は拠点の中へ目を向けた。
「入ってきたばかりで、すぐに仕事を押しつけるのも違うだろ。まずは数日、ここの生活を見てくれ」
「手が足りないところがあれば、手伝えばいいですか」
「ああ。それでいい」
「分かりました」
相希が答えた。
「まずは皆さんの動きを見ながら手伝います」
日が落ちる頃、黒田は全員へ声をかけた。
「今日は二人が正式に加わった。せっかくだから、全員で食べよう」
普段から食事は共有しているが、全員が同じ時間にそろうとは限らない。
見張りや作業の都合で、順番に食べることもある。
この日は黒田の計らいで、拠点にいる者たち全員が共同の火の周囲へ集まった。
直人は集まった人々を見渡した。
黒田たちを含めて、十五人。
男性が九人、女性が六人。
自分たちを合わせれば、ここで暮らすのは十七人になる。
鍋の蓋が開けられた。
直人たちが持ち帰った巻貝と磯ガニが、山菜やキノコ、小魚と一緒に煮込まれている。
量は多くない。
それでも海の香りが汁へ溶け込み、前に食べた時とは違う匂いが立ち上っていた。
器が一人ずつに渡される。
全員が火を囲んだところで、黒田が周囲を見回した。
「今日から、直人と相希もここで一緒に暮らすことになった」
黒田は二人へ視線を向ける。
「せっかくだ。まずは二人から、簡単に自己紹介してもらおう」
直人がうなずき、火の向こうにいる者たちを見渡した。
「天城直人です」
全員の視線が集まる。
直人は固くなりすぎないよう、少し笑った。
「相希とは、船の外に出ていた時に事故に遭いました。そのあと別の海岸で目を覚まして、二人でここまで来ました」
一度言葉を切り、周囲の顔を見る。
「これから一緒に暮らすことになるので、よろしくお願いします」
直人が軽く頭を下げる。
続いて、相希が口を開いた。
「月影相希です」
直人の説明を補うように、必要なことだけを話す。
「ここへ来るまでの間は、海岸に拠点を作って生活していました。分からないことも多いので、まずは皆さんのやり方を見ながら動こうと思っています」
相希も軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
二人の自己紹介が終わると、黒田が口を開いた。
「じゃあ、次は俺たちの番だな」
火の近くに座り直し、改めて二人を見る。
「改めて、黒田征司だ」
黒田は周囲の森へ視線を向けた。
「趣味で山登りをやっていて、地形の見方も少しかじっている。山菜やキノコを見分けるのも得意だ」
「ここへ来てからは、水場を探したり、食べられる物を見つけたりしてきた。分からないことがあれば、遠慮なく聞いてくれ」
「よろしくお願いします」
直人が頭を下げる。
次に、水場で二人を案内した男が名乗った。
「高瀬修平。前は配送の仕事をしてた」
高瀬は少し笑った。
「体力には多少自信があるから、今は探索とか薪運びとか、外に出る仕事をよくやってる」
そこで直人は、初めて水場で出会った男の名前を知った。
「改めて、よろしくお願いします」
直人が答えた。
「三浦美和です」
鍋を管理していた女性が続いた。
「以前は給食関係の仕事をしていました。今は食材の管理と、みんなの食事を作るのを中心にやっています」
三浦は直人の方を見た。
「食べ物は限られてるから、勝手に持っていったら怒るからね」
「気をつけます」
直人が真面目な顔で答え、周囲から小さな笑いが起きた。
「戸田健一だ」
少し離れた場所に座っていた男が名乗る。
「船では設備関係の仕事をしてた。今は流れ着いた物を使って、道具や寝床を直したりしてる」
「何か困ったら言ってくれ。できることなら手伝う」
「ありがとうございます」
相希が答えた。
その次に、若い女性が軽く頭を下げた。
「水無瀬紗良です」
穏やかな声だった。
「前は営業事務と、お客さんの対応をしていました。ここでは水運びや食べられる物を探す作業、それから食事や寝床の手伝いをしています」
紗良は少しだけ笑った。
「人の顔や話を覚えるのは得意なので、分からないことがあれば聞いてください」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
直人が答える。
紗良は直人だけではなく、その隣にいる相希にも視線を向け、静かに頭を下げた。
二人をまとめて見るのではなく、それぞれの顔を確かめるような視線だった。
相希も静かに頭を下げる。
その後も、一人ずつ名前と、以前の仕事や経験、今していることを簡単に話していった。
漁業の経験がある者。
裁縫が得意な者。
力仕事を多く引き受けている者。
体力に不安があり、拠点内の作業を中心にしている者。
年齢も、得意なことも違う。
それでも、それぞれが自分にできることを持ち寄りながら、この場所で生活していた。
一度ですべての名前を覚えることはできなかった。
それでも直人と相希は、一人ずつ顔を見ながら挨拶を返していった。
自己紹介が終わると、皆が鍋へ手を伸ばした。
具材は全員へ少しずつ分けられた。
直人は汁を口へ運び、ゆっくりと飲み込む。
「うまいな」
高瀬が笑った。
「それ、前にも言ってたな」
「今日は俺たちも入れてますから」
直人は鍋を見た。
「前より、ちょっとだけ自分たちの飯って感じがします」
その言葉に、高瀬がうなずいた。
誰かが火へ薪を足す。
火の粉が舞い上がり、集まった人々の顔を照らした。
最初にここで食事を受け取った時、二人はまだ助けられる側だった。
今、鍋の中には二人が持ち帰った食材が入っている。
ほんの少し。
それでも確かに、二人のものが、この場所での暮らしへ加わっていた。
食事を終えると、直人と相希は拠点の端に選んだ場所へ戻った。
中央の火は、ここからでも見える。
人の話し声も、風に乗って途切れながら届いた。
直人は荷物の上へ腰を下ろす。
「思ったより遠いな」
「自分たちで選んだんだろ」
「そうだけどさ」
直人は中央の火を見た。
「でも、悪くないな」
相希は周囲を見渡した。
人の出入りは少ない。
拠点全体の様子も見える。
二人で話をするにも、荷物を管理するにも都合がいい。
「ああ。俺たちにはちょうどいい」
直人と相希は、遠くに見える火をしばらく眺めていた。
二人は、この集団の一員になった。
それでもまだ、その輪の少し外側にいた。




