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はじまりの岸  作者: インフィ
サバイバル編

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第19話 選択



時間の食い違いについて、それ以上の答えは出なかった。

直人たちも、黒田たちも、正確な日付を把握していたわけではない。

事故の途中から全員の記憶が途切れている以上、どちらの感覚が正しいのかを確かめる方法もなかった。


相希は違和感を残したまま、今は判断できない問題として切り分けた。

考え続けても、新しい情報が増えるわけではない。


黒田も納得したわけではなさそうだったが、それ以上追及することはなかった。


しばらくして、話題は互いの生活へ移った。

ここまで何を使い、何を食べ、どうやって火や水を確保してきたのか。

黒田たちは、この拠点で使っている道具や、海岸から拾い集めた物について簡単に話した。

転覆した船から流れ着いた厨房の備品もあり、その中にあった包丁や鍋、金属製の容器が今の生活を支えているらしい。


ほかにも布やロープなど、使える物は皆で持ち寄っていた。

十分な物がそろっているわけではない。

足りない部分は木や石で補い、壊れた物も直せる限り使い続けてきたという。



「これから協力することもあるだろう」



黒田が言った。



「お互いに、何を持っているかくらいは確認しておいた方がいいと思う」



相希もうなずいた。



「そうですね」



一方だけが手の内を見せる話ではない。

今後、助けを求める時や、道具を使う時に、何があり、何がないのかを互いに知っていた方がいい。

相希は、自分たちの持ち物を簡単に説明していった。


ナイフやペンチなど、複数の機能を備えたマルチツール。

金属の容器。

エマージェンシーシート。

海から拾ったペットボトル。

そして、火を起こすための防水マッチ。


その言葉が出た瞬間、何人かの表情が変わった。

黒田もわずかに身を乗り出した。



「火をつけられるのか」


「はい。残りは多くありませんが」



相希が答える。

実際には、バッグの奥にファイアースターターもある。

だが、それについては口にしなかった。

防水マッチがあることは嘘ではない。

これまで火を起こす時にも、主にそちらを使ってきた。


相希は周囲を見た。


防水マッチという言葉を聞き、隣の者と視線を交わした者。

表情を変えずに話を聞いている者。

先ほどまでとは、わずかに目つきが変わった者。

ただ、着火手段が貴重であることを考えれば、不自然な反応とまでは言えない。

相希はそれ以上考えず、記憶に残すだけにした。



「ほかには?」



黒田が尋ねた。


直人が自分のバッグへ目を向けた。



「あとは、薬――」


「薬は持っていませんか?」



相希が、直人の言葉へ重ねるように黒田へ尋ねた。

周囲の視線が一斉に相希へ集まる。


黒田は少し間を置き、首を横へ振った。



「無い」



相希はうなずいた。



「そうですか」



それ以上は聞かなかった。

直人も続けようとはしなかった。

互いの状況を一通り確認したところで、黒田は二人の顔を見た。



「今日は休め」


「でも――」



直人が何か言おうとしたが、黒田は手で制した。



「水場で、あれだけ水を飲んでたんだろ。ここまで来るのも楽じゃなかったはずだ」



案内してきた男が、小さく笑った。



「二人とも、しばらく水から離れなかったからな」



直人は少し気まずそうに頭をかいた。



「食べ物も用意する。話は明日でいい」



黒田の言葉に、周囲の者たちが動き始めた。


二人は簡素な屋根の下へ案内された。

十分な広さがあるわけではない。

それでも、雨や夜露を避けられる場所だった。


夕方になると、大きな鍋が火にかけられた。

中には山菜やキノコ、小さな魚が入っている。


具材は決して多くなかった。

それでも、たっぷりの水で煮込まれた鍋は、集まった全員の器に行き渡った。

魚や山菜から出た味が汁へ溶け込み、湯気とともに柔らかな匂いが立ち上っている。


直人は受け取った器を両手で包んだ。

温かい。

その感覚だけで、張り詰めていた身体から力が抜けていく。


具材を口へ運び、最後に汁まで飲み干す。

腹いっぱいとは言えない。

それでも、腹の中には確かな温かさと重みが残った。



「うまいな」



直人が思わず言った。

隣にいた男が笑った。



「腹が減ってれば、大抵のものはうまい」



その言葉に、周囲から小さな笑いが起きた。

人の声がある。

火を囲んで、同じ鍋を分け合っている。

それだけのことが、直人にはひどく懐かしく感じられた。


翌朝。


直人は目を覚ますと、すぐに相希へ言った。



「今日、手伝ってからにしよう」



相希は、すでに起きて周囲を見ていた。



「何を」


「昨日、水も飯ももらっただろ。泊めてもらったまま何もしないのは嫌だ」



相希は直人の顔を見た。

最初から、そう言うだろうとは思っていた。



「分かった」



二人は黒田に、今日一日作業を手伝わせてほしいと申し出た。

黒田は少し驚いたが、断らなかった。


直人は薪を運び、食料を分ける作業を手伝い、手が止まっている者へ自然に声をかけた。

誰かに命令するわけではない。

ただ、人手が足りない場所を見つければ入り、作業が重なっていれば間へ入って調整した。

話しながら動くうちに、直人の周りでは少しずつ空気が和らいでいった。


相希は、拠点全体の動きを見ていた。

水を運ぶ者が同じ道を何度も往復している。

薪を集める者と、それを切り分ける者の作業量が合っていない。

食料を置く場所も、使う順番が曖昧だった。


黒田のやり方を否定せず、相希は小さな改善を提案した。


運ぶ順番を変える。

一度に持ち帰る量をそろえる。

傷みやすい食料を手前へ置く。

誰か一人に負担が偏らないよう、作業を交代する。


どれも、大きな仕組みではない。

それでも、一日の終わりには、朝より少ない動きで同じ作業が終わっていた。



「頭が回るんだな」



黒田が、相希へ言った。



「見えている無駄を減らしただけです」


「それができる奴が少ない」



黒田はそう言って笑った。


日が落ちた頃。

食事を終えた直人と相希は、黒田に呼ばれた。

少し離れた火のそばに、三人だけで座る。



「今日一日、二人の動きを見ていた」



黒田が言った。



「二人とも、十分すぎるくらい動ける。それは分かった」



直人は、黒田の言葉を黙って聞いている。



「だから、二人だけでも何とかやっていけるんだろう。実際、ここまで生きてきたんだからな」



黒田は一度言葉を切った。



「でも、何でも二人だけで抱える必要はない」



火の向こうで、薪が小さく爆ぜた。



「ここには水も食料もある。人数が増えれば、一人ずつの負担も減らせる。怪我や何かあった時も、二人だけより誰かがいた方がいい」



黒田の声音は、集団に役立つ人材を誘うものというより、二人の身を案じているように聞こえた。



「同じ船に乗っていた仲間だ。ここで、一緒に暮らさないか」



直人はすぐには答えなかった。

相希を見る。

相希も、直人の視線を受け止めた。



「ありがとうございます」



相希は黒田の気持ちを受け取ってから続けた。



「明日の朝まで、考えさせてください」



黒田は少しも不満そうな顔をせず、うなずいた。



「分かった。二人で話せばいい」



夜。

周囲の声が少なくなり、火の音だけが残っていた。

直人と相希は、借りた寝床へ並んで横になっていた。



「薬、なんで言わなかった?」



直人が、小さな声で尋ねた。

相希は天井代わりの布を見つめたまま、少し黙った。



「薬のことは、今は言わない方がいい」


「怪我した時には必要だろ」


「必要だからだよ」



相希は声を落とした。



「ここじゃ、薬は金より価値がある。場合によっては、水や食料よりもな」



直人は、そばに置かれた救急バッグへ目を向けた。


その意味は、すぐに分かった。

水や食料は、時間と労力をかければ確保できる可能性がある。

だが、薬は違う。

今ある分がなくなれば、それで終わりだ。



「自分が欲しいだけなら、まだいい」



相希は続けた。



「家族や大切な人が死にかけていたら、悪い人間じゃなくても盗むかもしれない。脅すかもしれない。それでも渡さなければ、最悪、奪うために何をするか分からない」



直人は黙って聞いていた。



「それだけじゃない。薬を持っていること自体が、力になる」



病人を助けられるのは自分だけだと分かれば、周囲に言うことを聞かせることもできる。

誰に使うかを選び、見返りを求め、自分の立場を作ることもできる。



「俺たちは、そんなことしない」



直人が言った。



「ああ。俺たちはしない」



相希は迷いなく答えた。



「でも、誰かに奪われれば同じことが起きる。薬を持つ人間の顔色を、皆がうかがうようになるかもしれない」



相希は救急バッグへ視線を落とした。



「薬は人を救える。でも、あると知られるだけで、集団の関係そのものを変える可能性がある」



しばらく沈黙が続いた。



「だから、今は言わないのか」


「ああ」



相希はうなずいた。



「使わないつもりはない。必要な時には使う。ただ、まだ会ったばかりだ」



相希は救急バッグへ視線を落とした。



「今のところは、薬のことは伏せておこう。この人たちがどういう人たちなのか分かってから判断しても遅くない」



直人は少し考えた後、静かにうなずいた。



「……分かった」



再び、短い沈黙が落ちた。

相希は、黒田の申し出について考えた。


水。

食料。

見張り。

情報。

人手。


二人だけで生きるより、ここで暮らす利点は多い。


人間関係や資源の扱いには注意が必要だ。

それでも、現時点では危険より得られるものの方が大きい。

薬や道具については、自分たちが気をつければいい。

直人も、こちらの意図を理解している。

相希は考えをまとめた。



「一度、ここで生活してみよう」



直人が、少し意外そうに相希を見た。



「お前からそう言うんだな」


「何が」


「いや。お前なら、集団に入らずに二人で動く選択も普通に考えると思ってた」


「考えたよ」



相希は答えた。



「その上で、今はこっちの方が利点が多い」



直人は少し笑った。



「ここに来て、変わったなお前」



相希は眉を寄せた。



「合理的に判断しただけだ」


「はいはい」



直人は笑ったまま、目を閉じた。

相希も、それ以上は何も言わなかった。


明日の朝、黒田に答えを伝える。

二人は、この場所で人と暮らしてみることを決めた。



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