第16話 遭遇
朝の森は、昨夜よりも明るかった。
木々の隙間から差し込む光が、湿った地面を薄く照らしている。
直人は体を起こすと、傍らに置いていたペットボトルを手に取った。
残っている水は、底にわずかだった。
相希も同じものを見ている。
「今日は戻ることも考えた方がいい」
相希が言った。
「水が見つからないまま進めば、帰るための分までなくなる」
直人はすぐには答えなかった。
昨夜見つけた折れた枝。
不自然に並んだ石。
人が通ったようにも見える地面。
ただの偶然かもしれない。
だが、もし人の痕跡なら。
「もう少しだけ見たい」
直人は言った。
「人がいるなら、場所を知ってるかもしれない。この辺がどこなのか、近くに町があるのか、どうすれば帰れるのか」
相希は黙って聞いている。
「俺たちだけで考えてても、分かることには限界がある。相手が持ってる情報と、俺たちが見たものを合わせれば、今の状況を外から見られるかもしれない」
相希は足元へ目を落とした。
接触には危険がある。
相手が友好的とは限らない。
人数も、暮らし方も、価値観も分からない。
だが、人との接触から得られる情報が大きいことも分かっていた。
「接触すること自体には、俺も賛成だ」
相希は顔を上げた。
「ただし、相手を見つけたからといって、何も考えず近づくのは違う。こちらが相手を怖がるように、相手も俺たちを怖がる」
「分かってる」
「道具は見せない。急に近づかない。声をかけるなら、姿を隠さず、手を見せる。逃げ道も残す」
直人は少し笑った。
「じゃあ、もう少しだけだな」
「水が減りすぎる前までだ」
二人は荷物を整え、森の奥へ進んだ。
昨夜見つけた痕跡をたどるように、折れた枝の向きと、地面の硬さを確かめながら歩く。
しばらく進むと、直人が足を止めた。
「聞こえないか」
相希も動きを止める。
遠くで、かすかな音がしていた。
葉が揺れる音とは違う。
一定ではないが、途切れずに続いている。
「水だ」
二人は音の方へ進んだ。
木々の間を抜けた先で、斜面の下に細い流れが見えた。
石の隙間から水が染み出し、小さな筋となって流れている。
「……あった」
直人の声が漏れた。
相希は返事をせず、足早に斜面を下りた。
水は透明だった。
底の小石まで見える。
相希は周囲を確認し、流れの上流へ目を向けた。
「すぐには飲まない。上を確認する」
「分かってるよ」
そう答えながらも、直人の表情は隠しきれず緩んでいた。
相希も同じだった。
これまで、海水を蒸留して一滴ずつ集めてきた。
火を絶やさず、容器を見張り、失敗を繰り返して得ていた水が、目の前を流れている。
「水だな」
直人がもう一度言った。
「ああ」
相希は短く答えた。
それだけで十分だった。
直人は、空になりかけていたペットボトルへ水を汲んだ。
飲むかどうかは、上流を確認してから決めるつもりだった。
二人は流れに沿って上流へ進んだ。
少し行くと、水の脇に積まれた石が見えた。
自然に崩れた形ではない。
石の大きさがそろい、流れの一部を導くように並べられている。
さらに先には、人が足を置くために作ったような平らな石もあった。
直人と相希は同時に足を止めた。
「やっぱり、人がいる」
直人の声には、警戒よりも先に安堵が混じった。
相希も否定しなかった。
水だけではない。
人がいる。
話ができれば、状況が動く。
だが相希は、足元の流れを見た。
「一つ問題がある」
「何だ」
「この水が、誰かに管理されている可能性がある」
直人も表情を引き締めた。
石組みは、水を使うために人の手で整えられたように見える。
もしそうなら、ここは単なる自然の水場ではない。
「俺たち、もう汲んだな」
「ああ。向こうから見れば、勝手に水を盗った人間になるかもしれない」
「泥棒扱いされる可能性もあるか」
「ある。それに、ここが日本だという保証もない」
漂流した距離は分からない。
どこかの島かもしれない。
国外へ流された可能性もある。
仮に言葉が通じても、土地や水に対する考え方が同じとは限らない。
外部との接触が少ない共同体なら、見知らぬ二人が現れるだけで警戒される。
「だからって、黙って帰るのも違うよな」
直人が言った。
「水だけ持って逃げれば、本当に盗んだように見える」
相希は直人を見た。
直人はすでに、自分たちの立場だけではなく、相手からどう見えるかを考えていた。
相希は小さくうなずく。
「接触するなら、隠れない方がいい」
「声をかけるか」
「まず日本語でいい。ここが日本なら、それが一番自然だ。通じなければ、その時に別の方法を試す」
二人は持っていた道具をバッグへしまった。
手に何も持っていないことを確認する。
水場から少し離れ、周囲が見渡せる位置へ移動した。
背後には森へ戻れる道を残す。
「誰かいますか」
直人が、森の奥へ向けて声をかけた。
「すみません。話がしたいです」
返事はない。
鳥の声だけが続いた。
直人は相希を見る。
相希は耳を澄ましたまま、わずかに手を上げた。
待て、という合図。
木々の奥で、何かが動いた。
枝が揺れる。
足音がする。
一つではないようにも聞こえたが、はっきりとは分からない。
やがて、木の陰から一人の人間が姿を現した。
長い棒のようなものを両手に持っている。
槍なのか、農具なのかは分からない。
服は汚れ、ところどころ破れていた。
それでも、見たことのない衣服ではなかった。
その人物は水場の手前で止まり、二人を警戒するように見つめた。
直人は両手を見える位置に上げた。
「驚かせてすみません」
相希も動かない。
相手の視線が、直人から相希へ移る。
そして、二人の足元に置かれたペットボトルへ落ちた。
長い沈黙の後、その人物が口を開いた。
「……誰だ」




