第14話 その日暮らし
漂着してから、どれほどの時間が過ぎたのだろう。
二人には、正確な日数が分からなくなっていた。
使える時計はない。
日付を確認できるものもない。
太陽が昇り、沈むたびに一日が過ぎたと考えることはできた。
だが、生きるための作業に追われる中で、その回数を最初から正確に数えていたわけではなかった。
数日なのか。
一週間を超えているのか。
あるいは、自分たちが思っているよりも長い時間が過ぎているのか。
二人とも、はっきりとは分からなかった。
ただ、時間が経ったことだけは確かだった。
二人は、少しずつこの場所での暮らし方を覚えていった。
蒸留器へ海水を補充する量。
薪を足す間隔。
火力が落ちた時の戻し方。
管の角度や、接続部分の泥を直すタイミング。
最初は何度も水滴が止まり、そのたびに原因を探した。
火が弱い時もあれば、泥の亀裂から蒸気が漏れている時もあった。
一つずつ直していくうちに、蒸留器は以前よりも安定して水を作れるようになった。
拠点には、調理用の小さな火も作った。
磯場から持ち帰った巻貝やカニ、罠に入った魚を焼くための火だった。
二人は、漂着していたペットボトルの上部を切り取り、向きを反対にして中へ差し込んだ。
中に巻貝の身を少し入れ、潮だまりへ沈める。
最初は何も入らない日もあった。
小さなヤドカリだけが入っていることもあった。
それでも、置く場所や深さを変えていくうちに、小さな魚が入るようになった。
初めて魚を見つけた日、直人は罠を持ち上げたまま声を上げた。
「相希、いたぞ」
「何が?」
「魚」
相希は近づき、ペットボトルの中をのぞき込んだ。
小さな魚が一匹、狭い容器の中を泳いでいる。
「やっと魚だな」
「小さいけど」
「魚は魚だろ」
二人は形や模様を確認し、十分に火を通した。
最初は少量だけ口にし、体に異変がないことを確かめてから残りを食べた。
「初ウオだな」
直人が焼けた魚を見ながら言った。
相希は魚から直人へ視線を移した。
「また名前をつけるのか」
「初めて取れた魚だからな」
「初ガイに、初カニに、今度は初ウオか」
「分かりやすくていいだろ」
「そのうち、全部に名前をつけそうだな」
「最初のやつだけだよ。記念だから」
「そういうことにしておくよ」
雨が降った時には、容器やシートを使って雨水を集めた。
集めた水は火にかけ、十分に沸かしてから飲んだ。
雨水を得られた時は、蒸留器だけに頼るより多くの水を確保できた。
だが、雨は必要な時に降ってくれるものではない。
強く降れば、薪や火を守らなければならなかった。
雨水は助けにはなる。
しかし、安定して頼れるものではなかった。
二人は海辺だけでなく、拠点の裏に広がる森へも少しずつ足を延ばした。
最初は海の音が聞こえる範囲まで。
目印になる木や岩を覚えながら、前に歩いた場所より少しだけ奥へ進んだ。
森では、薪になる枝や、使えそうな蔓を集めた。
食べられそうな植物も探したが、確信を持てないものには手を出さなかった。
「これは食えそうじゃないか?」
直人が足元の葉を指さした。
相希はしゃがみ込み、葉の形や茎を確かめたあと、首を横に振った。
「似たものが多すぎる」
「じゃあ、やめとくか」
「ああ」
魚が多く取れた時には、身を細く裂き、火から少し離した場所で乾かした。
本格的な保存食とは呼べない。
それでも、焼いただけの魚よりは水分が少なく、次の食事まで残せることもあった。
「燻製ってことでいいよな」
「燻製というより、乾かした魚だな」
「じゃあ、燻製もどき」
「それでいいよ」
「投げやりだな」
水を作る。
薪を集める。
罠を確認する。
魚や貝を焼く。
森へ入り、使えそうなものを探す。
火を守り、眠れる時に眠る。
二人は、その繰り返しの中で生きていた。
最初の日と比べれば、生活は確実に整っていた。
喉が渇けば、少しは水を飲める。
腹が減れば、少量ながら食べ物を探せる。
火も、拠点もある。
それでも、相希の中から不安は消えなかった。
水は作れている。
だが、十分ではない。
蒸留器は、火と薪がなければ動かない。
雨水は、雨が降らなければ得られない。
今の生活を続けることはできる。
しかし、続ければ続けるほど、少しずつ体力と余裕を失っていく。
どこかで、もっと安定した水源を見つけなければならない。
相希は何度もそう考えていた。
だが、直人には言わなかった。
今それを口にしても、水が増えるわけではない。
ただ、不安を形にするだけだと思った。
直人も気づいていた。
相希が蒸留器の水滴を見つめる時間が、以前より長くなっている。
雨が降った時も、集まった水より、その後の空を気にしていた。
多分、水のことだ。
直人はそう思っていた。
だから、聞かなかった。
「大丈夫か」と聞けば、相希は答えなければならなくなる。
まだ答えのない不安まで、言葉にさせることになる。
その代わり、直人はいつも通りに振る舞った。
魚にくだらない名前をつけた。
一匹取れただけで喜んだ。
固い燻製もどきを食べて、食事らしくなったと言った。
不安がないわけではない。
不安があるからこそ、空気まで重くしないようにしていた。
相希も、それに気づいていた。
直人が何も考えていないわけではない。
分かっていながら、明るくしている。
相希は言わなかった。
直人は聞かなかった。
二人とも、相手がそうしていることに気づいていた。
それからも、二人は同じ暮らしを続けた。
蒸留器の管から落ちる水滴を集めた。
薪を探し、罠を確認し、手に入った食料を二人で分けた。
雨が降れば水を集め、晴れれば濡れた薪や衣類を乾かした。
何度、太陽が昇って沈んだのか。
二人は、もう数えていなかった。
ある日の夜。
二人は蒸留器の前に並んで座っていた。
辺りは暗く、火の明かりだけが、二人の顔と蒸留器を照らしている。
管の先から、一定の間隔で水滴が落ちていた。
直人は火へ薪を足し、炎が安定するのを確認した。
相希は、受け皿に溜まった水を見つめている。
しばらくして、直人が口を開いた。
「なあ」
「ん?」
「そろそろ、探しに行くか」
相希は直人を見た。
「……何を?」
「水」
相希は、しばらく何も言わなかった。
「気づいてたのか」
「そりゃ分かるよ」
直人は、管の先から落ちる水滴へ目を向けた。
「お前、ずっとこれ見てるし」
「お前だって、分かってないふりをしてただろ」
「雰囲気を悪くしても、水は増えないからな」
相希は小さく息を吐いた。
それが、少し笑ったようにも見えた。
「ああ」
「じゃあ、明日行こう」
「ああ」
それ以上、話す必要はなかった。
二人は、ここを離れると決めたわけではない。
明日はただ、水を探しに行くだけだ。
それでも、その一歩が今の暮らしを変えることを、二人とも分かっていた。




