第8話「カラオケと、サナの作戦」
土曜日の午後2時、駅前のカラオケボックスに9人が集まった。
リュウ側からユースケ、バータ、フミ。キョン側からミナミ、サナ、リサ。そして俺とキョン。フミは「そういう場所は得意じゃない」と言いつつ、ユースケに「たまには来い」と引っ張られてきていた。バータは「歌うの好きなんだよな」と早くも体が前のめりだった。
受付で部屋を取って、エレベーターで上がった。
廊下を歩きながら、ユースケが「なんか大所帯だな」と言った。確かに9人は多い。でもカラオケにちょうどいい人数でもある。
部屋に入った。横長のソファに全員で座ると、ちょうどぴったりだった。
「誰が最初に入れる?」とサナが言った。
「バータに決まってんだろ」とユースケが言った。
「なんで俺が」
「さっきからずっとそわそわしてたじゃないか」
「してない」
「足が貧乏ゆすりしてた」
バータが「うっ」と言って、デンモクを手に取った。負けを認めたらしかった。
バータが最初に入れたのは90年代のJ-POP だった。知っている曲だった。というか38歳にとってはど真ん中の世代だ。でも今の高校生にとっては「少し前の曲」になっていた。不思議な感覚だった。
バータは歌がうまかった。体が大きい分、声にも迫力がある。ミナミが「すごい!」と言って拍手した。サナが「バータくん意外!」と言った。バータが照れながら「意外は失礼だろ」と返した。
そういう感じで、最初の1時間はにぎやかに流れた。
---
ユースケは音程が外れるのに妙に楽しそうで、フミは渋々1曲だけ入れて無表情で完璧に歌い切り、ミナミはアイドルの曲を振り付き で披露した。リサは「私は聴く専門」と言っていたが、サナに「1曲だけ!」と強引に入れさせられた。
サナは上手かった。ソファに座ったまま、さらっと歌い上げて、またオレンジジュースを飲んだ。
「サナ、普通にうまいじゃないか」とユースケが言った。
「ありがとう。でも本番は次よ」
「次って何が」
「キョンとリュウくんがデュエットするのが本番」
「してない、そんな話」と俺は言った。
「するの。私が決めた」
「なんで」
「なんとなく見たいから」
「それは理由じゃない」
「いい理由よ」
ミナミがにやにやしながら「いいじゃん、やろうよ」と言った。リサが「無理強いはよくない」と言ったが、完全にアリバイ作りの発言で、本人も見たそうだった。
キョンは「やらない」と言った。
「なんで?」
「デュエットする曲が思いつかない」
「思いつかないんじゃなくて、やりたくないんでしょ」
「……そういうわけじゃないけど」
「じゃあやる?」
キョンが少し俺を見た。「リュウは?」という目だった。
「俺はどっちでもいい」と俺は言った。
「どっちでもいい寄りどっち?」
「やりたい寄りのどっちでもいい」
キョンが少し黙った。
「……じゃあ、1曲だけ」
ミナミが「やった!」と言った。サナが拍手した。フミが「何がやったなのか理解できない」と呟いた。バータがくすくす笑った。
---
キョンが選んだのは、有名な邦楽のバラードだった。
男女が交互に歌うタイプの曲で、Aメロをキョンが、Bメロを俺が、サビは一緒に歌う構成になっていた。
「これでいい?」とキョンが俺に確認した。
「いい。知ってる曲だし」
「本当に? 無理しなくていいけど」
「無理じゃない」
「じゃあ、やろう」
イントロが流れ始めた。
キョンが歌った。
最初の一節を聴いた瞬間、俺は少し固まった。
キョンの声は低めで、ハスキーで、男女どちらでも通るような声だった。知っていた。電車の中で毎朝聴いていたから、キョンの声は知っていた。でも「歌っているキョンの声」は初めて聴いた。
よかった。普通によかった。
音程も取れているし、感情の乗せ方が自然だった。うまい、というより、声が曲に合っていた。低めのハスキーボイスがバラードに溶け込んでいた。
俺のパートが来た。
歌った。高校2年の声は少し高かったが、バラードには悪くなかった。画面の歌詞を追いながら、隣でキョンが歌っているのを感じた。
サビになった。
2人で歌った。ユニゾンになる部分と、ハモりになる部分があった。特に打ち合わせもしていなかったのに、自然にハモっている部分があった。
「あ、ハモってる」とミナミが小声で言った。
「言うな」とリサが止めた。
最後のサビが終わって、イントロの感じのアウトロが流れた。2人で最後の一節を歌って、曲が終わった。
拍手があった。
ミナミが「よかった!」と言った。サナが「思ってたより全然よかった」と言った。フミが「悪くなかった」と言った。バータが「なんか普通にうまくてびっくりした」と言った。ユースケが「お前ら、合うじゃないか」と言って俺の肩を叩いた。
キョンは俺の方を向いた。
「ハモってたね」
「意図してなかったけど」
「意図してなくてハモるのって、感覚が似てるってことだよね」
「そう言われてる、らしいな」
「へえ」
キョンが少し考えるような顔をした。何を考えているかはわからない。でも悪い顔ではなかった。
---
3時間のカラオケが終わって、外に出た。
冬の夕方は暗くなるのが早い。もう空が紫色になっていた。
みんながそれぞれ帰る方向に散っていった。ユースケとバータとフミは駅で電車に乗り、ミナミとリサはバスで帰ると言った。
最後にサナが、帰り際に俺の耳元でこっそり言った。
「リュウくん、キョンのことちゃんと見てるでしょ。知ってる」
「何の話だ」
「白々しい。ただね、キョンって自分の気持ちに気づくのがすごく遅いから、焦らないでね。それだけ言いたかった」
サナがウィンクして走っていった。
俺は少し呆れた。でも、ありがたかった。
---
キョンと2人になった。
キョンの帰り方向と俺の帰り方向は同じだ。いつも同じ電車に乗る。だから解散した後も、駅まで並んで歩いた。
「楽しかったな」とキョンが言った。
「そうだな」
「みんなで集まったの、久しぶりな気がして。学校以外で全員そろうのって、文化祭の打ち上げ以来かも」
「そうかもしれない」
「またやりたい」
「声かければいいだろ、いつでも」
「みんな、よく来てくれるよね。リュウが声かけると来やすいのかな」
「俺じゃなくて、みんなが来たいんだよ。俺はきっかけを作っただけだ」
「でも、リュウがいないとみんな動かない気がする。なんか、まとめる感じがあるから」
「大げさだよ」
「大げさじゃない。さっきカラオケでも、誰かがもめそうになったときに自然と場を収めてたじゃない」
「そんなことあったか?」
「あった。バータとユースケが選曲でちょっとぶつかったとき、リュウが間に入って別の曲を提案してた。気づいてなかったんだね、自分で」
言われてみれば、そういうことがあった気がした。38年間の経験で、場の空気を読むのは得意になっていた。高校生の体にその経験が入っているから、自然に動いてしまうのかもしれない。
「キョンはよく見てるな」と俺は言った。
「観察するのが好きだから」
「何が一番面白い? 人を観察してて」
「変化かな。人ってちょっとしたことで変わるじゃない。今日だってユースケくん、最初は照れながら歌ってたけど、途中から完全に楽しんでた。その変化が面白い」
「キョンも変化してた? 今日」
「どうだろう」
「デュエットの前と後で、少し違った気がした」
「違ったかな」
「俺にはそう見えた」
キョンが少し黙った。
「……ハモれたのが、なんか嬉しかったのかも」
「俺も嬉しかった」
「意図してなかったのに」
「意図してなかったのにの方が、嬉しいだろ」
キョンが「そうかも」と言った。
駅のロータリーが見えてきた。街灯が灯って、夕方の人通りがあった。
「ねえ、リュウ」とキョンが言った。
「ん」
「最近、リュウと話すの、楽しい」
「最近?」
「最近というか、今月に入ってから。なんか前より話してる気がして」
「俺から話しかけるようにしたから」
「そうなの?」
「意識的に話しかけてる。話したかったから」
キョンが少し立ち止まった。俺も止まった。
「なんで今まで話しかけなかったの?」
「俺が勝手に遠慮してたのかもしれない」
「遠慮? 何を?」
「うまく言えないけど、踏み込みすぎたら嫌われるんじゃないかと思って」
「嫌いになるわけないじゃん」
「そういうもんでもないけど、まあ、そういう感じだった」
「遠慮しなくていいよ」とキョンが言った。
少し驚いた。
「遠慮しなくていい、って?」
「リュウが話しかけてくれると、楽しいから。遠慮しなくていい」
さらっと言った。さらっと言いすぎて、この台詞の重さをキョン本人がわかっているかどうか怪しかった。
でも俺には、重かった。
「わかった」
「うん」
改札の前に着いた。ICカードをかざして通った。ホームに上がって、各駅停車を待った。
電車が来た。乗り込んだ。今日は2人だったから、席に座った。
キョンがMDプレーヤーを取り出した。
右のイヤホンが、差し出された。
「今日もか」と俺は言った。
「今日も」
「カラオケで3時間歌った後でも聴くのか」
「聴く。疲れたときこそ聴きたい」
「そうか」
受け取って、耳に当てた。いつもの曲が流れた。
電車が走り出した。車窓の外に夜の街が広がっていた。街灯が流れていった。キョンが窓の方を向いて、目を細めた。
このMDのアーティスト名を、キョンはまだ教えてくれない。
タイミングが来たら教えると言った。そのタイミングが何なのか、まだわからない。
でも、急かさなくていいと思った。
この40分があれば、今日はもう十分だった。
---
*(第9話へつづく)*




