第4話「ユースケの夢と、俺の知ってること」
放課後の生徒会室でキョンと話した翌日、土曜日だった。
週末の午前中、俺は自分の部屋の机に向かって、ノートを広げていた。
書いていたのは小説の続きじゃない。勉強でもない。「覚えていること」のリストだった。
ユースケのこと。フミのこと。バータのこと。
38年分の記憶の中に、3人の「その後」がある。ユースケが体を壊した経緯、フミが院試に失敗した理由、バータが2浪してから海外に行った流れ。全部うっすらとだが、知っている。
知っているから、変えられる。
でも変え方を間違えたらまずい。押しつけがましくなったり、先走りすぎたりしたら、かえって関係が壊れる。38歳の経験から言えば、人間は「答えを教えられる」よりも「自分で気づく」方が動く。
だからまず、聞く。今の3人が何を考えているかを、ちゃんと聞く。
それからだ。
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昼過ぎ、ユースケから電話がかかってきた。
「暇か? ゲーセン行かね」
ユースケらしい誘い方だった。「暇か」と聞きながら、「行かね」と言う時点でほぼ決まっている。
「行く」
「じゃあ駅前で2時。バータも来る」
「フミは?」
「バイトだって」
フミは高校1年の頃からバイトをしていた。そういえばそうだった。家計が苦しいというのは、直接聞いたことはなかった。でも週3、4日バイトに入っているのは知っていた。当時の俺は「フミって真面目だな」くらいにしか思っていなかった。
今の俺は、もう少しわかる。
弁護士になりたかったフミが、勉強する時間を削ってバイトをしていた。その積み重ねが、後の院試失敗につながった。
何かできることがあるはずだ。でも今日は、まず聞くことから始める。
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駅前のゲームセンターで、ユースケとバータと落ち合った。
ユースケは俺を見るなり「お前、昨日から顔が違うんだけど」と言った。
「そうか?」
「なんか落ち着いてる。学園祭終わって吹っ切れた感じ?」
「まあ」
「男前になったんじゃないの」
「変なこと言うな」
バータが「本当だぞ」と言って、俺の肩を叩いた。
3人でクレーンゲームをやって、格ゲーをやって、コインゲームで負けて、気づいたら夕方になっていた。ファミレスに流れて、ドリンクバーを頼んで、だらだら話した。
高校生の日常だった。38歳の俺には、こういう時間がどれだけ貴重かがわかりすぎて、少し怖かった。
「ユースケって、大学どうするつもりだ」
唐突に聞いた。
ユースケが「え、急に」と言った。
「なんとなく気になって。理系行くんだろ、お前」
「そうそう。物理好きだし。なんか宇宙の研究とかしたいんだよな、漠然と」
「宇宙」
「恥ずかしいこと言ってんのわかってるけど。JAXA的なとこに行けたらとか、夢みたいなこと考えてる」
ユースケが少し照れたように言った。
バータが「お前それ初めて言ったな」と言った。
「言ってなかったっけ。まあ夢の話だから」
「夢で終わらせなくていいんじゃないか」と俺は言った。
「でも宇宙系って超狭き門じゃん。国立の理系行って、院まで行って、それでもなれるかどうか」
「なれるかどうかは、やってみないとわからない。ただ、なりたいなら英語は今から本気でやった方がいい」
「なんで英語」
「宇宙系の研究は論文も学会も英語が基本だから。大学受験の英語と、研究に使う英語は別物だけど、基礎が高いほど有利なのは変わらない。あと体も大事にしろよ、理系の院は体壊すやつ多いから」
ユースケが少し黙った。
「お前、なんでそんな詳しいんだ」
「調べたことがあって」
「嘘くさ」
「本当だよ」
「でも……なんか、妙に説得力あるな」とユースケが言った。コーラのストローをいじりながら、少し真剣な顔になっていた。「英語か。今のままじゃ全然足りないのはわかってる」
「一緒にやるか、俺と」
「え、お前英語得意なの?」
「まあまあ」
実際には38歳になってから仕事で英語を使う機会がそこそこあって、読み書きはそれなりにできる。高校生レベルなら十分教えられる。
「ユースケが本気でやるなら、放課後付き合うよ」
「なんで急にそんな」
「なんとなく、お前には宇宙系に行ってほしい気がして」
「気がしてって何だよ」とユースケが笑った。でも嬉しそうだった。「まあ、考えてみる」
バータが「俺も大学どうしようか迷ってるんだよな」と言った。
「外部受験するつもりだろ、バータは」
「そうそう。附属の大学じゃなくて、自分で受けてみたくて。でもどこ受けるかが全然決まってなくて」
「何がしたいかによるけど、まず体調だけは管理しろよ。受験は長期戦だから、直前に倒れたら全部崩れる」
「わかってるわかってる」
「わかってないやつが言う台詞だぞ、それ」
バータが「うっ」と言った。ユースケが笑った。
俺は2人の顔を見ながら、ちゃんと覚えておこうと思った。今日のこの感じを。まだ何者でもない16歳の友人が、夢を口にしてちょっと照れている顔を。
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夕方、解散して帰り道を歩いていたとき、ユースケが並んで歩いてきた。
「なあ、リュウ」
「ん」
「お前、なんか変わった? 昨日から」
「そうか?」
「なんか、すごくちゃんとしてる。以前からちゃんとしてたけど、なんかもっと。うまく言えないけど」
「学園祭終わって、少し考えることがあって」
「キョンのこと?」
俺は少し黙った。
「なんで急にキョンが出てくるんだ」
「いや、お前昨日の電車でずっとキョンの隣にいたし、なんか意識してるかなと思って」
「意識してない」
「嘘くさ」
「してない」
「まあいいけど」とユースケが笑った。「キョンってさ、なんか不思議な感じしない? 男でも女でもないっていうか、独特の雰囲気あるよな」
俺は答えなかった。
「悪い意味じゃないよ。なんか、カッコいいなって思う。あのスタイルが」
「そうだな」
「お前はどう思うの」
「……好きだよ、あの感じ」
「でしょ。なんかリュウとキョンって、うまくいきそうだよな。知らんけど」
ユースケは軽口のつもりで言ったのだろう。でも俺には少しだけ重かった。
「英語、本気でやるなら言ってくれよ」と話を変えた。
「わかった。来週話し合おう」
「お前が本気かどうか、来週の月曜日の顔で判断する」
「プレッシャーかけんな」
ユースケが笑って、角を曲がって行った。
俺は少し立ち止まって、夕暮れの住宅街を眺めた。
電線の上にカラスが一羽止まっていた。空がオレンジから紫に変わっていくところだった。
変えてやる、とまた思った。
お前の夢、ちゃんと叶えてやる。
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家に帰ると、母さんが「夕飯何がいい」と聞いた。
「なんでもいい」と言いかけて、止まった。
「肉じゃが」
「あら、珍しい。好きだったっけ」
「好きだよ」
母さんが「わかった」と言って、台所に入った。
俺は自分の部屋に戻って、ノートを開いた。
ユースケの欄に「英語・体調・来週から」と書いた。
フミの欄に「バイト状況・家計・勉強時間の確認」と書いた。
バータの欄に「外部受験志望・体調管理・受験校の絞り込み」と書いた。
台所から、包丁の音がした。母さんが鼻歌を歌い始めた。
2005年11月5日、土曜日の夕方。
やり直しの3日目は、わりと悪くなかった。
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*(第5話へつづく)*




