第19話「卒業式と、春の前夜」
2月が終わって、3月になった。
3年生の卒業式が近づいていた。
生徒会長として、卒業式の準備に関わることになった。会場の設営確認、式次第の確認、在校生代表としての送辞の準備。元の高校時代には副会長として少し手伝っただけだったが、今回は中心的に動く立場だった。
放課後に体育館の準備をしながら、3年の先輩たちを横目で見ていた。
最後の授業が終わって、廊下を歩く先輩たちの顔が、少し違って見えた。学校が終わる、という感覚が顔に出ていた。嬉しそうな人も、寂しそうな人も、どちらでもなさそうな人も、全員が「終わる」という事実を体のどこかで感じているようだった。
38歳の俺には、その感覚がわかった。
学校の終わりというのは、そういうものだ。
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卒業式の前日、放課後に生徒会室で最終確認をしていると、キョンが来た。
「明日は卒業式か」とキョンが言って、棚の前に立った。
「そうだな」
「3年の先輩たち、なんか今週ずっと変な感じだった」
「終わりが近いから」
「そういうもんかな」
「来年の今頃は、俺たちも同じ顔をしてると思う」
キョンが少し俺を見た。
「1年後か」
「早いぞ。今年の春から3年で、来年の3月には卒業だ」
「そうだね。あっという間だな」
「あっという間に過ぎるか、密度を上げて過ごすかは、今年の使い方で変わる」
「密度を上げて、か」
「キョンにとっては、専門学校の入試もあるし、今年は特に密度が高くなる年だ」
「プレッシャーをかけないでほしい」
「プレッシャーじゃなくて、楽しいことが多い年だということだ」
「そういう言い方をするのか」
「そういう言い方の方が正確だから」
キョンが少し笑った。
「リュウは来年、推薦で国立大に行くんだよね」
「そのつもりだ」
「大学に行ってからも、今みたいに話せるかな」
「話せるよ」
「離れるじゃない、学校が」
「学校が離れても、会えなくなるわけじゃない。俺は関東を離れないから」
「関東を離れないって、最初に言ってたね」
「言った。今も変わらない」
キョンが棚から手を離して、窓の外を見た。
「なんかリュウって、ずっとそういう言い方をするよね。離れない、どこにも行かない、って」
「言ってるか?」
「言ってる。何回も」
「気になるか」
「気になるというか、なんか、安心する。でも」
「でも?」
「約束できることなのかなって、たまに思う。先のことって、どうなるかわからないから」
「わからないことの方が多い。でも、離れないという気持ちは本物だ。気持ちだけなら約束できる」
「気持ちだけ?」
「状況がどうなるかは、俺の力だけでは決めきれない部分がある。でも、関東を離れたくない気持ちは変わらないし、キョンの近くにいたい気持ちも変わらない。それだけは確かだ」
キョンが少し黙った。
「キョンの近くにいたい、って言ったな」
「言った」
「また困ることを」
「本当のことだから」
「本当のことだからずるいんだよ」
「ずるくない」
「ずるい。でも」
少し間があった。
「でも、嫌じゃない」
「そうか」
「うん。全然、嫌じゃない」
キョンが窓の外を見た。3月の夕方で、光の角度がだいぶ変わっていた。春が近かった。
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卒業式当日。
生徒会長として、在校生代表の送辞を読んだ。
体育館に全校生徒が並んで、3年生が前に座っていた。送辞は短い文章だったが、ちゃんと準備していたから、ちゃんと読めた。
読みながら、3年の先輩たちの後ろ姿を見ていた。
来年は俺たちが、あの席に座る。
1年後のことを、今から考えていた。国立大の経済学部で何を学ぶか。投資の知識をいつから実際に動かし始めるか。バータの起業をどうサポートするか。フミの法学の勉強をどう後押しするか。ユースケの体調をどう管理させるか。
全部、1年後から動く話だ。
そして、キョンのことも。
「キョンの近くにいたい」と昨日言った。それは本当だった。来年の春以降も、離れない。そのためには今年の残りをどう使うかが大事だった。
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式が終わった後、校庭で在校生が3年生を見送った。
桜はまだ咲いていなかった。3月の上旬は早かった。でも木の枝にはつぼみがついていて、もう少しで開きそうだった。
先輩たちが校門を出ていくのを、俺は見ていた。
元の俺は、この卒業式に出たことがない。副会長だったが、あの頃は生徒会の仕事を最小限にしていたから、準備にも深く関わっていなかった。今回は中心で動いたから、先輩たちとも話す機会が多かった。
ひとつひとつが、元の俺とは違う経験だった。
「送辞、よかったよ」とキョンが隣に来て言った。
「ありがとう」
「緊張してなかった?」
「してた。でも準備してたから、大丈夫だった」
「なんか、すごく落ち着いて読んでた」
「緊張してるのを顔に出すのが苦手なんだ、俺」
「得意なんじゃないの、出さないのが」
「まあ、どっちかというと」
ミナミが「2人でこそこそしてる!」と走ってきた。
「こそこそしてない」
「してるって。でもまあいいか、今日は」
サナが「3年生が行っちゃったね」と少し寂しそうな顔で言った。
「来年は私たちか」とリサが静かに言った。
「そうだな」と俺は言った。「でも来年まで、まだ1年ある」
「1年、長いか短いかわからないね」とキョンが言った。
「どちらにするかで変わる」
「また密度の話か」
「また密度の話だ」
キョンが少し笑った。ミナミが「何それ」と言った。リサが「2人の会話についていけない」と言った。サナが「なんかいい感じ」と言った。
校庭に春の光が差していた。つぼみをつけた桜の枝が、風に揺れていた。
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帰り道、2人になった。
10分歩いて、駅に着いた。ホームに上がって電車を待った。今日はMDは出なかった。卒業式の日だから、少し違う空気があった。
「ねえ、リュウ」とキョンが言った。
「ん」
「来年の今頃、私たちはどうなってると思う?」
「どうなってるか、は予測できない。でも、どうなっていたいかはある」
「どうなっていたい?」
俺は少し考えた。
「キョンが専門学校に合格して、俺が推薦で大学に決まっていて、ユースケとフミとバータがそれぞれ動き出していて。全員が、今より少し先に進んでいる」
「全員、か」
「全員だ」
「それで、私たちは?」
「私たちって、俺とキョンのことか?」
「うん」
俺は少し黙った。
「来年の今頃に、ちゃんと答えを出していたい」
「答えって」
「今、俺はキョンのことが好きだ。それをちゃんと形にしたい。今年の中で、ちゃんと言う」
キョンが少し固まった。
「今言ったじゃない」
「今は前置きだ。ちゃんとしたタイミングで、ちゃんと言う」
「前置きって」
「キョンには、ちゃんとした場所で、ちゃんとした言葉で伝えたい。今日はその予告だ」
「予告なんて初めて聞いた」
「今回だけの特別だ」
キョンが俺を見た。何かを確かめるような目だった。
「……本気で言ってる?」
「本気だ」
「タイミングって、いつ?」
「決まったら言う」
「また決まったら、か」
「そうだ。ただ、今年中には言う」
「今年中、か」
「うん」
キョンがしばらく黙った。電車が来る音が遠くでした。
「わかった」とキョンが言った。
「何がわかったんだ」
「待つ。ちゃんとしたタイミングを、待つ」
「待てるのか」
「待てる。リュウが待てる人だから、私も待てる」
電車が来た。ドアが開いた。乗り込んだ。
MDは出なかった。でもイヤホンがなくても、今日の40分は十分だった。
「予告、した」とキョンが静かに言った。
「した」
「受け取った」
「ありがとう」
「こっちこそ」
電車が走り出した。3月の夜の空が、窓の外を流れていった。
来年の今頃に、ちゃんと答えを出す。
そのために、今年の残りを全部使う。
それだけが、今の俺のやることだった。
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*(第20話へつづく)*




