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第16話「文系という選択と、先生の顔」


 1月の終わりに、3年のクラス選択の用紙が配られた。


 ホームルームで担任の橋本先生が一枚ずつ配りながら、「3年から理系と文系でクラスが分かれます。慎重に考えて提出してください」と言った。提出期限は2週間後だった。


 俺は用紙を受け取って、チェック欄を見た。


 「理系」と「文系」の2択だった。


 理系、のところに丸をつけるつもりは最初からなかった。


 でも、説明のしやすさとしては「理系から文系への変更」になるから、担任への話が少しめんどうかもしれない、と思った。


 元の俺は、このクラス選択で理系を選んだ。理由は「なんとなく理系の方が就職に有利な気がしたから」という、今思えば根拠のない動機だった。その結果、SEになって、マーケティングに回されて、地方に転勤になった。


 今回は違う。


 経済学を学びたい、という理由が本当にあった。それだけで文系を選ぶには十分だった。


 ただ、それとは別にもう一個理由があるわけだが、それは先生には言わなくていい話だ。


---


 昼休み、4人でいつものベンチに座った。


 ユースケが用紙を出しながら「俺は理系一択だな」と言った。宇宙系に進む気持ちが固まってきているから、迷う必要がなかった。


 バータが「俺は文系。経営か商学の方向で考えてるから」と言った。


 フミが「文系。法学部に行く」と言った。迷いがなかった。短く、はっきり言った。フミが法律の方向に向かっているのは、奨学金の話をしてからだいぶ意識が変わってきているように見えた。


 「リュウは?」とユースケが聞いた。


 「文系」


 「え、マジで? お前って理系っぽいのに」


 「経済学を学びたいから」


 「急に文系っぽいことを言う」


 「経済学は理系的な思考も使うよ。数学や統計も普通に出てくるし」


 「そうなのか。まあ、リュウが決めたことだからいいけど」


 「バータとフミと同じクラスになるな」


 「そうなる。まあ、よろしくな」


 バータが「3人一緒か、悪くない」と言った。フミが「悪くない」と繰り返した。


 ユースケが「俺だけ理系か、寂しいな」と言った。


 「理系に行く奴と繋がっとけよ。院に行くつもりなら、早くから情報を集めておいた方がいい」


 「そうだな。同じ大学を目指してる奴を探すか」


 「英語の勉強は続けてるか?」


 「続けてる。先週、模擬問題を初めてやったら、思ったよりリスニングができてなかった」


 「リスニングは早めに鍛えておけ。読解は詰め込みでなんとかなるが、リスニングは時間がかかるから」


 「わかった。CD借りて毎日聴くようにする」


 「それがいい。あと体調だけは崩すな」


 「何回言うんだよ、体調」


 「大事だから」


 ユースケが「わかってるって」と笑った。


 でも元の未来では、ユースケは院で体を壊した。「わかってる」と言いながら、無理をした。今回はそうさせたくなかった。口酸っぱく言い続けることで、少しでも頭に残ってくれればいい。


---


 放課後、担任の橋本先生のところに行った。


 進路相談の時間を使って、クラス選択について話しておきたかった。提出期限まで2週間あるとはいえ、先生に事前に話しておく方が、何かあったときにスムーズだった。


 職員室に行くと、橋本先生は自分の席で採点をしていた。


 「柳か。どうした」


 「クラス選択のことで、少し話しておきたくて」


 「文系にするのか?」


 「そうです」


 「理系から変えるわけだな。理由は?」


 「経済学を学びたいので。国立大の経済学部に推薦で行けるなら、そのルートを目指したいと思って」


 橋本先生が少し目を細めた。


 「推薦か。それには生徒会長になる必要があるな。お前、来年は会長に立候補するつもりか?」


 「はい」


 「今まで会長はしないと思ってたが、気が変わったのか」


 「変わりました。やることができたので」


 橋本先生が採点の手を止めて、俺を見た。


 「柳は1年の頃から生徒会に入っていて、副会長もそつなくこなしてきた。会長をやれるかという能力的な問題はないが、お前は自分から動くタイプじゃないと思ってたから、意外だ」


 「今回は動きたい理由があるので」


 「経済学が学びたい、というのが本当の理由か?」


 「本当の理由のひとつです」


 「ひとつ」


 「はい」


 先生が少し笑った。珍しかった。橋本先生は滅多に笑わない先生だった。


 「正直でいい。まあ、理由がひとつかいくつかかは問わない。会長をやる気があって、推薦で国立大を目指す気があるなら、それでいい。ただ、会長になれば仕事が増える。生徒会の仕事と、学業と、受験準備を並行してやれるか?」


 「やれます」


 「やれると言い切れる根拠は?」


 「計画を立てて動くのは得意なので。優先順位をつけて、詰め込みすぎない範囲でやります」


 先生がしばらく俺を見た。


 「……成熟した答え方をするな、お前は」


 「そうですか?」


 「普通の高校生はもっとふわっとした答え方をする。お前は、なんか、ひとつ上の視点から話してる感じがする」


 「そういうものだと思ってたので」


 「まあいい。文系の用紙を出して、3学期に会長選があるから、そこで立候補しろ。今のうちにやることを整理しておけ」


 「ありがとうございます」


 「あと、一個聞いていいか」


 「はい」


 「文系を選ぶのに、他に理由があると言ったな。言えない理由か?」


 俺は少し間を置いた。


 「まあ、そういうことです」


 先生が「そうか」と言って、採点に戻った。


 それ以上は聞かなかった。橋本先生はこういう先生だった。聞かなくていいことは聞かない。でも、全部わかっている顔をしていた。


---


 職員室を出て廊下を歩いていると、キョンとミナミが向こうから来た。


 「リュウくん、どこ行ってたの?」とミナミが言った。


 「担任のところ」


 「何の話?」


 「クラス選択の話」


 「理系? 文系?」


 「文系」


 ミナミが「え!」と言った。大きい声だった。


 「なんで驚くんだ」


 「だってリュウくん、絶対理系だと思ってたから! なんか理数系が得意そうで」


 「文系にやりたいことがあるから変えた」


 「何をやりたいの?」


 「経済学」


 「難しそう」


 「面白いよ、ちゃんと学ぶと」


 ミナミが「へえ」と言って、キョンを見た。「キョンも文系じゃない? 同じクラスになるね」


 キョンが俺を見た。


 「文系にするの?」


 「うん」


 「なんか、意外」


 「そうか?」


 「リュウって、なんか理系的な感じがしてたから」


 「よく言われる。でも経済学をやりたいから文系にする」


 キョンが少し考えた。


 「3年で同じクラスになるか」


 「なるな」


 「……まあ、悪くない」


 ミナミが「まあ悪くないって! キョン!」と言った。「もっと喜べばいいのに!」


 「別に普通に言っただけ」


 「全然普通じゃない顔してたけど」


 「してない」


 「してた!」


 俺はその会話を横で聞きながら、笑いを抑えた。


 「まあ悪くない」がキョンにとっての全力の言葉だということは、2ヶ月ちょっと見てきたからわかっていた。ミナミの解説は必要なかった。


---


 夜、ガラケーにキョンからメールが来た。


 『文系にするって、本当に経済学のため?』


 直球だった。


 俺は少し考えてから、正直に答えた。


 『経済学は本当の理由のひとつ。もうひとつの理由は、今は言わない』


 すぐに返信が来た。


 『タイミングじゃないやつか』


 『そう』


 『相変わらずだな』


 『そういうもんだよ』


 少し間があった。


 『でも、なんか、わかった気がする。もうひとつの理由』


 俺は少し固まった。


 『わかったのか』


 『なんとなく。間違ってるかもしれないけど』


 『間違ってるか正しいかは、タイミングが来たときに話す』


 また間があった。今度は少し長かった。


 『ねえ、リュウ』


 『ん』


 『もうひとつの理由が、もし私に関係することだったとして』


 『うん』


 『それって、私にとって、うれしいことなの?』


 俺は画面を見ながら、少し笑った。


 キョンが確かめようとしていた。わかっているかもしれない、と言いながら、それでも確認したくて聞いてきた。


 正直に答えることにした。


 『うれしいかどうかは、キョンが決めることだから、俺には言えない』


 『そっか』


 『ただ、俺としては、うれしくあってほしいとは思ってる』


 また長い間があった。


 ガラケーの画面を閉じたり開いたりしながら待った。これがガラケーの時代のもどかしさだった。送ったら送りっぱなし、返信が来るまでわからない。スマホなら既読がついて、相手が読んだかどうかわかるが、今は来るまで何もわからない。


 5分後に来た。


 『うれしい、かもしれない』


 『かもしれない、か』


 『まだわからないけど。でも、うれしくないではないと思う』


 「うれしくないではない」という二重否定が、キョンらしかった。断言できない。でも否定もしない。それがキョンの精一杯の正直さだった。


 『わかった。それで十分だ』


 『そう?』


 『うん。十分』


 また間があった。


 『リュウって、なんで怒らないの』


 『何が?』


 『こんなにはっきりしない答えばかりなのに、怒らないし急かさない』


 『怒る理由がない』


 『普通は怒りそうなのに』


 『キョンのペースがあるから』


 また間があった。


 『ねえ』


 『何』


 『熊木杏里の新しいアルバム、年明けに出て、もうMDに入れてある』


 話が変わった。でも変え方が、キョンらしかった。重い話の後に、さらっと別の話に移る。


 『明日聴かせてくれるのか』


 『聴かせる。すごくいいから』


 『楽しみだ』


 『楽しみにしてていい』


 『してる』


 『おやすみ、リュウ』


 『おやすみ』


 ガラケーを閉じた。


 「うれしい、かもしれない」


 「うれしくないではないと思う」


 キョンが言える精一杯の言葉が、今夜はこれだった。


 38歳のアラフォーには、それがどれだけのことかわかっていた。自分の感情を言語化することが難しいキョンが、「うれしいかもしれない」と言った。それは小さな一歩だったが、確かな一歩だった。


 明日の朝、新しいMDのアルバムを聴く。


 それだけを楽しみに、布団に入った。


---


*(第17話へつづく)*

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