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第13話「オープンキャンパスと、キョンの目」


 1月の第2週の日曜日、朝9時に駅で待ち合わせた。


 いつものキョンの最寄り駅ではなく、俺の最寄り駅だった。都内の専門学校に行くには、俺の側から乗る路線の方が乗り換えが少なかった。


 俺が先に着いた。


 改札の外で待っていると、5分後にキョンが来た。コートを着て、小さなリュックを背負っていた。手帳を持っていた。当日に聞くことをまとめたメモが入っているらしかった。


 「おはよう」


 「おはよう。早いね」


 「気合いが入ってるんじゃないか、お前」


 「入ってる」とキョンが言った。珍しく、素直に認めた。「緊張もしてる」


 「なんで緊張する」


 「なんか、本当に行く感じがして。今まで頭の中で考えてたのが、今日はじめて実体になる感じ」


 「いいことだろ、それは」


 「そうなんだけど、なんか急に怖くなってきた」


 「怖い、というのは?」


 「行ってみて、やっぱり違う、ってなったらどうしようとか。思ってたのと全然違かったら、また最初から考え直さないといけなくて」


 「それはそれでいい情報じゃないか」


 「そうかな」


 「違う、ってわかるためにも行く価値がある。いいところだけじゃなくて、合わないところも見てくればいい。全部が完璧な場所なんてないから、何を許容できて何が無理かを確認してくる、くらいの気持ちで行けばいいんじゃないか」


 キョンが少し俺を見た。


 「なんかリュウ、就活経験者みたい」


 「そう見えるか」


 「見える。妙に慣れてる感じがする」


 「まあ、行けばわかるよ。緊張してていい。緊張しながら行ってこい」


 「リュウも来るじゃない」


 「そうだな。一緒に行く」


 キョンが少し笑った。さっきまでの緊張が少し和らいだ顔だった。


---


 電車に乗った。


 いつもの各駅停車ではなく、急行だった。キョンの最寄り駅に止まる各駅と違って、速い。窓の外の景色が流れるスピードが違った。


 「なんか、この電車違和感ある」とキョンが言った。


 「急行だから速い」


 「毎日あの各駅に乗ってるから、体がびっくりしてる」


 「贅沢なびっくり方だな」


 「そう?」


 「各駅でゆっくり行くのを楽しんでるくせに、急行でびっくりしてる」


 「楽しんでるって、誰が」


 「お前が」


 キョンが少し黙った。否定しなかった。


 「……まあ、あの40分は悪くない」


 「俺も悪くないと思ってる」


 「知ってる」


 「知ってるのか」


 「なんか、そういう顔してるから。乗り込んだときから少しだけ、表情が変わるじゃない」


 38歳のアラフォーが高校生の顔で感情を隠せていないらしかった。気をつけなければならない。いや、でも今更か。


 「よく見てるな」


 「毎日見てるから」


 「毎日ね」


 「何その言い方」


 「いや、嬉しいなと思って」


 キョンが少し顔を背けた。窓の外を見た。耳が少し赤かったかもしれないが、確認しなかった。確認したら、こちらが恥ずかしかった。


 MDプレーヤーは今日は出てこなかった。それはそれで、話せる時間だった。


---


 都内の、駅から歩いて7分のところに専門学校があった。


 4階建てのビルで、外観はそこまで大きくなかった。入口に「オープンキャンパス開催中」という看板が出ていた。


 キョンが看板を見て、少し足が止まった。


 「着いた」と俺は言った。


 「着いた」とキョンが言った。


 「入るぞ」


 「うん」


 「大丈夫か?」


 「大丈夫。行く」


 受付で名前を書いて、パンフレットをもらった。案内に従って会場に入ると、他にも参加者がいた。高校生らしき子が保護者と一緒に来ているケースが多かった。1人で来ているのはキョンだけで、俺はどういう立場になるのか少し考えたが、「友人」で通るだろうと判断した。


 まず全体説明の会があった。


 学校のコンセプト、カリキュラムの概要、卒業後の進路、在籍する教員の紹介。スタッフが丁寧に説明した。


 キョンは手帳を開いて、メモを取りながら聞いていた。


 俺も聞きながら、内心でいくつか確認していた。卒業後の就職先データ、カリキュラムの実習比率、在学中に取れる資格の種類。キョンが事前に確認したいと言っていたことが、説明の中に含まれているかどうかを追っていた。


 全体説明が終わった後、自由に施設を見学する時間になった。


 「どこから見る?」とキョンが手帳を開きながら言った。


 「工房か、実習室から見た方がいいんじゃないか。設備が一番判断材料になるから」


 「そうだね。行こう」


---


 工房に入ったとき、キョンの歩き方が変わった。


 施設を見学し始めてから、全体説明を聞いていたときとは明らかに違う動きをしていた。ミシンの配置を確認して、生地を保管する棚の前で立ち止まって、壁に貼ってある在校生の作品を一枚一枚見た。


 見るスピードが遅くなっていた。


 急いでいる様子がなくなった。


 俺はその少し後ろを歩きながら、キョンの後ろ姿を見ていた。


 これが「好きなものに触れているときのキョン」だ、と思った。


 生徒会室で生地の雑誌を読んでいたときの顔に似ていた。でも今日はスケールが違った。自分が学びたい場所の設備を、実際に目で見て確認している。それがキョンの全身ににじみ出ていた。


 「このミシン、学校で使えるの?」


 キョンが近くにいたスタッフの女性に声をかけた。


 「はい、在籍中はいつでも使えます。放課後や休日も開放しています」


 「生地の種類によって使い分けが必要だと思うんですが、対応できる機種は揃ってますか?」


 「はい。産業用と家庭用、それぞれ複数台あります。担当の先生に申請すれば、特殊な素材の扱い方も指導してもらえます」


 「ありがとうございます」


 スタッフに礼を言って、また次の場所に移った。


 俺は横に並んで歩きながら「さっきの質問、うまかったな」と言った。


 「そう?」


 「事前に準備してた質問だろ」


 「そう。でもうまく聞けるか心配だった」


 「ちゃんと聞けてた。向こうも答えやすそうだった」


 「リュウが来てくれてよかった」


 「なんで」


 「なんか、見てくれてるから安心する」


 また困ることをあっさり言う。このパターンが増えてきた。


 「見てるよ、ちゃんと」


 「知ってる」


 「知ってるのか」


 「うん。今日はずっと私の後ろを歩いてたじゃない。邪魔しないで、でもちゃんとそこにいる感じで」


 「それは……まあ、そのつもりだった」


 「うまくできてたよ」


 「そうか」


 「うん」


キョンが少し前を向いた。次の展示の方に歩き始めた。


 俺はその後ろを歩きながら、少し思った。


 「邪魔しないで、でもちゃんとそこにいる」


 それがキョンの隣に立つときの、俺のやりたいことだった。気づいていなかったが、キョンにはわかっていた。


---


 見学が終わって、個別相談の時間になった。


 キョンはスタッフと15分ほど話した。俺は少し離れた椅子に座って待っていた。


 キョンが質問しているのが見えた。スタッフが答えるたびに、手帳にメモを取っていた。途中で追加の質問が出たのか、少しやり取りが増えた。最後にスタッフが笑顔で何かを言って、キョンが頷いた。


 話が終わって、キョンが戻ってきた。


 「どうだった?」と俺は聞いた。


 「すごくよかった」


 「具体的には」


 「卒業生の就職先のデータを見せてもらえた。アパレルメーカー、生地問屋、フリーランスのデザイナー、いろんなルートがあって。どれも、ちゃんと服に関わった仕事に就いてる人が多かった」


 「それは重要な情報だな」


 「うん。あと、授業が実習中心で、1年目から実際に縫って作るカリキュラムになってると教えてもらった」


 「それはキョンには合いそうか?」


 「すごく合ってると思う。頭で覚えるより、手を動かした方が覚える人間だから」


 「そうか」


 「リュウってそっち? 頭で覚える方?」


 「どちらかというと、やりながら覚える方だ」


 「じゃあ同じかも」


 「かもしれない」


 外に出た。1月の空気は冷たかった。


 キョンが空を見上げた。


 「来てよかった」


 「よかった」


 「なんか、現実になってきた感じがする。ここで2年間学んで、服を作れるようになって、仕事にするっていう未来が」


 「それが今日の一番の収穫じゃないか」


 「うん。でも」とキョンが少し言いにくそうにした。


 「でも?」


 「親に言うのが、やっぱり怖い」


 「まあ、それは次のステップだ。今日は今日でよかった。情報が揃ったから、次は何を話すかを考えられる」


 「うん。そうだね」


 「一人で話しに行かなくていいぞ、最初は」


 キョンが俺を見た。


 「どういう意味?」


 「親に言う前に、俺に一度話してみればいい。どう伝えるか、一緒に考える」


 「……そんなとこまで付き合ってくれるの?」


 「付き合う」


 「なんで」


 「キョンが行きたいとこに行ってほしいから」


 またそれだ、とキョンが言いたそうな顔をした。「また言う」ともう言わなかったが、目が少し困っていた。


 俺は少し笑った。


 「ご飯食べてから帰ろう。せっかく都内まで来たんだから」


 「どこ行く?」


 「キョンが決めていい」


 「じゃあ、パスタが食べたい」


 「行こう」


 2人で歩き出した。1月の都内は人が多かったが、2人並んで歩くには不都合のない人通りだった。


 「ありがとう、リュウ」とキョンが歩きながら言った。


 「礼はいらない」


 「言いたいから言う。今日、来てくれてありがとう。一人で来てたら、半分も見られなかったと思う」


 「なんで」


 「緊張で頭が働かなくて、手帳のメモを追うのに必死になってたと思う。リュウが後ろにいてくれてたから、落ち着いて動けた」


 「それはよかった」


 「うん。すごくよかった」


 キョンが少し前を向いて歩いた。


 冬の空が青かった。


 アーティスト名を、今日教えてもらえるかもしれない、と少し思っていた。クリスマスの帰りに「候補に入れる」と言っていたから。


 でも今日は、キョンがいっぱい動いた。オープンキャンパスでいっぱい考えた。それだけで十分だ。アーティスト名は急がなくていい。


 パスタ屋に入って、窓際の席に座った。


 メニューを眺めながら、キョンが「ここ、いい感じだね」と言った。


 「そうだな」


 「またキョンが好きなものだから来たんでしょ、みたいな言い方するの?」


 「しない」


 「えー」


 「今日はお前が頑張ったから、お前が食べたいものを食べていい日だ」


 キョンが少し黙った。


 「……それの方がずるい」


 「またずるいか」


 「うん。また困る言い方した」


 俺はメニューから目を上げた。キョンがこちらを見ていた。何か言いたそうな、でも言い方を探している顔だった。


 「ねえ、リュウ」


 「ん」


 「今日、帰り道で教える」


 「何を」


 「アーティスト名」


 俺は少し固まった。


 「今日がタイミングだったのか」


 「なんとなく、今日だと思った」


 「教えてくれるのか」


 「帰り道で、ね。今じゃないけど」


 「わかった。待つ」


 キョンが少し笑った。


 「すごく素直に待つって言うな」


 「待ちたいから待つ」


 「またそういうことを」


 「本当のことだから」


 キョンがメニューを持ち上げて、顔を隠した。顔を隠したくなるくらい、何かを感じているということだ。


 俺はメニューを眺めながら、今日の帰り道を少し楽しみにした。


---


*(第14話へつづく)*

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