第二部 ニコロ・メディシスは如何に戻ってきたか
「ニコロ」
そう、その声は、間違いなく、リリシアを捨てた元婚約者、ニコロのもの。今更戻ってきて、何のつもりなの。
「まずは謝らなくてはいけない」
ニコロは口を開く。
「さんざん放っておいて、何を今更。若い頃のすべてを失ったのよ。さあ、言ってごらんなさい、どこに行っていたかを」
「オスム王国」
「ねえ、今何て?」
「オスム王国。真実の愛、そんなのはウソだ。イザベラと聞いて、思い当たる節は?」
「あなたの侍女、それから、第三王女」
第三王女は、名をイザベラと言った。長らく、オスム王国に嫁いでいたけれど、先般離縁されて帰国した、と。
嫁いだといっても、その実態は誘拐だったと言われている。ラティーナ公国沖合の島に船で訪問する予定と発表されたけれど、そのまま帰ることなく、船はオスム王国に着いた。王女は、島で見聞きしたことを父王にお伝えしたいと話していたのに。
島の近海では、オスム王国の辺境を拠点にする海賊が出没していた。王女はおそらく海賊に捕まったのだ。ラティーナ公国との交渉が難航する間に、オスム王国は大金を積んで人質として王女を買い取った。敵対するラティーナ公国に圧力をかけるためだ。
海賊に威信をつぶされたラティーナ公国は、表向きには、王女はオスム王国に嫁いだことにして、事態の鎮静化を図り、真実を揉み消した。王女の自由と引き換えに。少なくとも、そう噂されていた。
先日、使節が派遣されて、王女の離縁を勝ち取ったと知らせが届いた。王女は、奴隷として後宮に入れられていたところを、解放されたのだ、と。
「まさか、ね」
「そう、イザベラ王女は後宮に監禁されていた」
後宮。そこは女の地獄。異教のオスム王国では、一夫多妻制が認められていた。ただし、その人数は、正妻一人、側室二人まで。大抵の有力者はその範囲で収まる。しかし、確実に血統を残さなければならない、また、諸国から人質として政略結婚で多数の王女を娶る王族は別だった。そこで、奴隷に対する例外扱いが使われる。所有する奴隷は、妻の人数に数えない、という規定。その条件を満たすために、政略結婚でオスム王国に送られた王女たちは、身分としては奴隷に落とされていた。
王家の所有物として、市井の奴隷より待遇はよいとはいえ、ハーレムに閉じ込められ、一生を終えることには変わらない。唯一の脱出手段は、王に寵愛され後継ぎを産むこと、それによって、側室の地位を得ること。強制参加の足の引っ張り合い、それが死ぬまで続き、最期は、異国の地に粗末な墓を残して忘れ去られる。
短い旅行のはずが、突然ハーレムに送られ、国からも見捨てられる。イザベラ王女の絶望はいかほどだっただろう。
そんなイザベラ王女を、勇者がオスム王に奴隷解放を認めさせ、帰国させたと話題になっていた。交渉役の勇者の名は、
「ニコロ!」
「そう。そのまさかだよ」
その手にはメダルが握られている。それは大公から贈られた最高位の勲章。
ニコロは語り始めた。
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卒業式の数日前、大公様から手紙が届いた。イザベラ王女奪還のため、刺客を送る。行商人の集団を装って国境を越える。薬学の知識で、厳しい旅での一行の回復薬調合の役目を果たせ。計画は内密に行い、家族以外に知らせてはならない。出立まで、あと半年。
手紙を受け取って、迷った。リリィとはもう婚約まで済ませた。正式に結婚したい、一日でも長く、君と一緒に過ごしたい。
けれど、君の夢は、子供を授かり、家庭を築くことだった。たとえ結婚したとしても、その願いは叶えられない。それどころか、この国では離婚は禁止だ。失踪宣告から7年後に再婚が認められる。けれど、それまで君は、一人孤独な日々を過ごさなくてはならない。なにより、僕がどこかで生きていると信じた君は、失踪宣告などできないと思った。すると、家庭を築くという夢は叶わない。
他の男と家庭を築いて夢を叶えてほしかった。僕を捨てて、思いきり嫌いになってほしかった。だから、一番ショックを受けるだろう場、卒業パーティーで、婚約破棄を宣言した。
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「傷つくのが分からないの? 男に裏切られたら、はいそうですかと、次の男に移れるとでも思ったの? あなたに裏切られたせいで、一切の男性を信じられずに生きてきた、今までずっと。それで私がどれほどのものを失ったか。ねえ、弁明してみなさいよ!」
泣きじゃくっていた。溢れる涙はまるで、今まで抑圧してきた、二十代の記憶が噴き出すようで。
「弁明になってしまうけれど、オスム王国でのことを話させてもらうよ」
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大公からの命を受けて集まったのは、屈強な騎士、兵士たち。半年かけ、オスム語の訓練を受けた。行商人に化けて、オスム王国との国境を越えた。
しかし、進めたのは町を二つ三つまでだった。先を急ぎ過ぎた。商いもせず、王都に向かう屈強な集団。オスム軍は見逃さなかった。流ちょうにオスム語を話せる、黒い髪の僕だけが生き残った。敵国に捕まって刺客の集団に入れられ、通訳をさせられていたと偽って。
解放された後は、一人王都に向かった。裏切った仲間の無念を晴らすために。それから数年、オスム王国の薬屋で、見習いとして働いた。いつか、きっと、好機は巡って来るはず、そう言い聞かせて潜伏を続けた。
そして好機がやってくる。先のオスム国王が斃れ、新しい国王に代わった。新国王は、権力闘争に明け暮れた後の即位で、早々に疲弊していた。ラティーナ公国との戦争を含む対外戦争を一度止め、内政も臣下に任せた。相続した後宮の体制刷新も例に漏れず。大量の人員が募集され、身辺確認も深くなされずに、採用された。募集広告の中に薬師の募集を見つけ、応募した。そして、僕は後宮に潜入した、屈辱を経て。
イザベラ王女に近づくのは簡単だった。前国王の時代は一応の敬意を持って扱われていたようだったけれど、政に飽いた新国王は、人質の扱いに無頓着だった。王女は後宮の片隅で放置され、病を得ていた。お付きの薬師になることを望み、許されると、イザベラ王女に近づく。びくり、と震えた王女の耳元に、ラティーナ語でささやいた。
「王女様、大丈夫です。ラティーナ公国の者です。必ず、貴女をここから助け出してみせます」
ラティーナ語を聞き、泣き出したイザベラ王女。その後、心通わせながら、じっと機会を待つ。けれど、いたずらに時間だけが過ぎ、王女様は再び絶望の淵に沈みかけていた。病も重くなり、衰弱していく。
意を決して言う。
「王女様、策があります。危険を伴いますが」
「ここから出るためなら、再び外の世界を見るためなら、何だってしましょう」
計画を話した。王女に毒を埋め込んで仮死状態にする。オスム王国では、死者は死後一昼夜以内に埋葬しなければならない。その代わり、墓には空気穴を設け、蘇生した場合に救出できるようにしている。蘇生したと嘘を言い、掘り出させたあと、毒を取り出し、回復薬を打つ。意識を取り戻したら、後宮に連れ戻される前に逃走する。重要なのが、毒による仮死状態の時間を調整。葬儀の間蘇生せず、埋葬後すぐに回復薬を打てば蘇生する、そのギリギリを狙う。
「回復薬が少しでも遅れれば、貴女は死にます。本当に良いですか?」
「このまま異国に囚われ続け、孤独に死んでゆくくらいなら、故国の民の手にかかった方がましです。」
そして僕は、王女の体に毒薬を埋め込んだ。
予め買収しておいた医者に、死亡宣告をさせ、葬儀の手配を始めた。少しでも早く埋葬を。その願いが通ったように、王は義理の母を一目見ただけで、棺を閉めさせ、墓地への搬送を命じた。こんな扱いをされるために、王女は一生を棒にしなければならないのか。必ずお救い申し上げます、そう誓いながら棺に土をかけていく。
捨て置かれていた王女を慕った物好きな薬師として、僕は一人、墓の前で一晩を過ごすことを願い出、許された。
そして夜がやってきた。
「音が聞こえるぞ!」
墓守りを呼び、真新しい墓を暴く。
「騎士の方々は、早馬で王宮に報せを」
掘り出された棺の中の王女の体から毒薬を取り出す。同時に、隠し持っていた回復薬を注射する。
「息を吹き返された!」
戻ってきた騎士の一人に近づき、麻酔薬を打ち込む。剣と馬を奪うと、王女を抱いてひた走った。追手の追撃をかわしながら、馬を駆ること数日、国境を越えた。昇る朝日に向かい、ラティーナの守護天使に感謝した。
**********
「そのあとは、君が聞いた通り。オスム王国は、交渉で、補償金の対価に奴隷を解放したとして、真実を揉み消した。王宮の中までたやすく侵入ができ、しかも、内部は賄賂が蔓延しているとは、知られたくなかったからだろう」
「ふーん。王女様を救う勇者様。お二人はさぞ仲睦まじくなったのでしょうね。」
「そこは自制したよ。イザベラ王女は、元の婚約者のもとに嫁ぐ予定だ。」
「じゃ、あなたはどうするのかしら」
「後宮で働いたから、子をなすことはできない。身を引いて、独りで生きることに決めている。ただ……、最後に一目、幸せになった君を見たくて、訪ねてきた。どんな素敵な人と結ばれて、幸せな家庭を築いているのだろうと思ったの……」
バチーン
ビンタの音が響き渡る。
「幸せになんてなれるはずないでしょ! いきなり婚約破棄されて捨てられて。人間不信で婚期を逃した上に、学園時代私のことをイジメていたレオのもとに嫁がされるところだったのよ! タダでは赦さない!」
「過ぎた時は戻せない。何と謝ればいいのか……」
「謝罪の証として、貴族籍を捨てて、私のもとに婿入りしなさい」
「言ったろう、子をなすことはできない。子供を持って、幸せな家庭を築くという君の夢は叶えられない……」
「そんなことは百も承知。私の目当ては、あんたががっつりもらった、大公からの褒賞とあなたの家の資産。どうせ一代じゃ使い切れないでしょ。それを私に寄越しなさい!」
「……」
「分かった? この○○無し。あんたたち男が、やれ国家の威信だの、覇権だの言って、愚かな戦いを繰り広げる間、泣くのはいつだって女。話を聞きながら、怒りで張り裂けそうになっていったわ。この腐った世界を変えるの! あんたが前に語っていたみたいに!」




