~カモミールの花言葉~
───その日、ロートはいつも通り書類仕事をしていた。王都の巡回に行くリィとレイルを送りだし、時々談笑しながら作業すること約二時間。突然控室のドアが開いた。
息を切らした騎士長の額に汗がにじんでいる。一瞬驚き、視線を下げてその理由に気付いた。
「副騎士長⁉」
気を失ったレイルがリィに抱えられていた。
レイルの顔半分は頭から流れた血に染まっている。唇からも赤い雫をこぼしていて、被害が頭だけにとどまらないことをロートは察した。
「何が・・・いえ、とにかく医務室に!」
皆と交互に治癒魔法を行使し、落ち着いたのは夜で、皆魔力を極限まで消費して疲れ果てていた。
ロートはリィの家に行き、リュナを医務室に案内して控室に戻ると椅子に座りこんだ。
もう、動く気力も残されていない。
「・・・なぁ、皆もうここで寝ないか?」
反対意見は出なかった。机に顔を伏せると、すぐさま眠りの波に引きずり込まれていった。
疲れていたはずだが、レイルが心配なのも事実で、翌朝は皆早く起きた。強張った体をほぐし、タオルを掴むと水の出る魔道具に近づいた。レバーを引くと冷たい水が流れるのだ。普及したのはつい最近。
魔道具の水を使って顔を洗い、身支度を整えていると、ドアがノックされ、入ってきたのはリィだった。リィは口を開くと、
「レイルの目が覚めた」
ロートは怪訝に思った。目が覚めたにしては、リィの表情は暗い。
「・・・どうやら、記憶を失ってるみたいなの」
頭の中が真っ白になった。本当に、そうとしか表現できないほどの衝撃を受けた。
そんな・・・そんなことが、あってたまるか。
記憶を失ったレイルはもちろんだが・・・それでは、あまりにも。
───リィが、可哀想ではないか。
レイルは事故に巻き込まれそうになっていた人を助けて大怪我をしたと聞いた。
リィが咄嗟に動けなかったことも。
レイルの心配と、後悔の中にいるリィに、これ以上の負担をかけないであげてくれ。
「私が・・・私がもっと上手く・・・」
「騎士長・・・」
「また・・・まただ。アルクスにミリア、カイル・・・アルト・・・今度はレイルか」
ロートの知らない名前が囁かれる。リィの気持ちが痛いほど伝わってきて、何も言ってあげられない。
この一人の年若い少女に、かけてやれる言葉を見つけられない。
そんな沈黙が続いていたから。
───突如として入ってきた声に、ロートは心から感謝した。
「───レイルは、自分からそうしたのだ。リィが行動していても、レイルがリィにかわるか、両方になるかだろうな」
サクリを連れてやってきたテセウスは、リィの方を向いた。
「記憶をなくしても、レイルはレイルだ。その本質は、変わらない」
テセウスは毅い。どんなどん底にいる相手でも、引き上げられるくらい。
だから・・・ほら。
リィの瞳に光が宿っている。前に進んでいこうという、光が。
「今一番不安なのはレイルだわ。──皆、いつも通りにレイルに接して」
テセウスはリィを案じる色を浮かべ、
「───リィ。無理はするな」
リィが部屋を出て行き、騎士達は息をはいた。
それから数週間、リィは普通の様子だったが、ロートも騎士達も精神的に疲弊していた。何度もレイルのもとに足を運ぼうとしたが、上手くいかなかった。胸がぎゅっと締めつけられたみたいになって、体が動かなくなるのだ。
ある雨の日、仕事を始める直前にリィが控室に入ってきた。その後ろに───レイルが。
「今日からレイルも訓練に参加するわ」
少し緊張した面持ちで、騎士達はレイルの言葉を待った。
「皆にとっては久しぶり、かな。僕の治療をしてくれたのは皆だってリィに聞いている。───ありがとう」
驚いた。本当に、驚いた。
胸の奥から、熱い感情が湧き上がってくる。
「記憶がなくても、俺達にとって副騎士長は副騎士長です」
揺れそうになる声を必死で抑え、続ける。
「───これからもよろしくお願いします、副騎士長」
レイルがロートの差し出した手を握った。
ふわりと、温もりがロートの手のひらを通じて全身に広がった。
ああ、なんだ。何にも変わってないじゃないか。
ロートの安堵が騎士達にも伝わり、頬を緩めた。
ロートとレイルを見ていたリィが、髪に差した白い花にそっと触れる。
カモミール。花言葉は、『逆境に耐える』『逆境で生まれる力』。
リィとレイルが逆境に耐えているなら、自分は横で支えよう。出来ることを手分けしてやり、助けになろう。
それが仲間だと、他でもないリィとレイルが教えてくれたのだから。
この手の温もりを、離さぬように。
───いつしか雨はやみ、空には虹がかかっていた。




