97 モニカの母性愛、バルドの純情
宮殿に戻ったアールファレムはまず風呂に入って汗を流し、身支度を済ませると私室の応接室に向かった。バルドとモニカが立ち上がって出迎えたが、アールファレムは手を振って、着席させた。モニカは一瞬、目を見開いたが、何も言わずにアールファレムの出方を待つ事にした。隣のバルドは目のやり場に困ったようで、じっと机の上を見詰め、アールファレムから視線を逸らした。
「あまり驚いてはいないようだな。やはりばれていたか。遅くなったが私から告白させてもらいたい。私は性別を偽って皆を騙していたんだ。今まで黙っていて本当に申し訳なかった」
アールファレムは座りながら頭を下げて謝罪した。アールファレムは胸の晒しを外しており、胸の膨らみが女性である事を控え目に示していた。小振りである為、或いは分かりにくいのではないかとアールファレムは心配したのだが、ルーヴェルが大丈夫と送り出した。シルヴィンは赤面するだけで発言は控えた。
二人に説明するのはアールファレム一人で行うと、ルーヴェル達を説得したのだ。ルーヴェルとシルヴィンは一応、隣室で待機していた。ちなみにアルスラーダは不適任と判断され、除け者にされて不貞腐れている。
モニカはアールファレムの頭頂部をじっと見詰め、やがて微かな笑みを浮かべた。バルドは身を縮めて、どうしていいか分からぬようで、視線でモニカに救いを求めた。この国の男どもはとモニカは呆れたが、今は目の前のアールファレムを安心させる方が先決である。
「陛下、どうか頭を上げて下さいませ。よくぞ打ち明けて下さいました」
「怒ってくれてもいいんだぞ」
アールファレムは恐る恐る顔を上げたが、モニカは笑みを浮かべており、バルドは困った顔でアールファレムと目が合うと、慌てて下を向いてしまった。
「何故わたくしが怒るのでしょう。例えバルド隊長が陛下をなじろうとも、わたくしは陛下の味方でございます」
「な、なじるなどとんでもございません! 私も陛下の味方です」
分かりやすくバルドは狼狽して、思わず席を立ってしまい、椅子が大きな音を立てて背後に倒れてしまった。すかさずシルヴィン達が室内に踏み込んできてしまい、アールファレムは頭を掻いて大きく溜め息を吐いた。
「いや大丈夫だから。心配はいらない」
既にシルヴィンは抜刀しようとしており、勢いを削がれ、気まずそうにルーヴェルと視線を合わせた。ルーヴェルも過剰反応を示したことに気恥ずかしさを感じ、倒れた椅子を直して、バルドに勧め、立ち去ろうとしてモニカに呼び止められた。
「随分信用がないようですね」
モニカは冷ややかな口調で言い放ち、室内に不穏な空気が流れた。立場ではルーヴェルの方が上だが、実質モニカが宮殿で一番の実力者である。シルヴィンは逃げ出したいが、後が怖いので、後ろで黙り込んでルーヴェルを心の中で応援する事にした。バルドはというとかかしのように突っ立って、嵐が過ぎるのを待つだけである。
「いやそういう訳ではない。一応何かあればすぐに説明しようかなと」
「力ずくでですか」
「それは誤解だ。大きな物音で驚いて、慌てて駆け付けたに過ぎん。よくよく考えればバルドがいたのだから、我々が焦ることはなかったのだが、なにぶんアルファ様のこととなると私も冷静な判断が出来なくなる。未熟者でいかんな」
「随分達者な物言いですこと。詭弁にしか聞こえませんわ」
普段のモニカなら一言嫌味を言うぐらいで引き下がるが、忠誠心を疑われたとあっては黙ってはいられなかった。
「モニカ、それぐらいで勘弁してやってくれ。私が二人に待機を命じたんだ。疑ったのではなく私が臆病だったせいなんだ。重ね重ね申し訳ない」
口先だけの謝罪ではないのはアールファレムの表情から明らかであり、モニカは再び優しい微笑を浮かべた。
「陛下。わたくしにもっと早く打ち明けて下されれば、かように気の利かぬ方々を頼る必要はなかったのです。男性ときたら肝心な時に頼りないのですからね。今度からはわたくしがついています」
こんな時に口を挟んではいけないのは皆、承知していた。バルドなどは先程からほとんど発言していない。
他者には割りと厳しいモニカだが、アールファレムには大甘になるのはアルスラーダと大差ない。だからアールファレムとルーヴェルでは印象は大分異なる。だが母親を亡くしたアールファレムにとっては母同然の女性なのだ。
アールファレムは回り込むと椅子に座ったままのモニカを抱き締めた。モニカは感情が高ぶるのを何とかこらえ、アールファレムの抱擁をしっかりと受け止めた。暫く抱き合う二人だったが、モニカはアールファレムが落ち着くまで、赤子をあやすように優しく背中を撫でた。やがてアールファレムは身を起こすと、恥ずかしそうにはにかんだ。モニカは最後にアールファレムの頬をいとおしげに撫でると、力強く頷いた。アールファレムはモニカからの許しを得たのを確認すると、次に立ったままのバルドの手を取り、両手で力強く握った。
「バルド、私が女でも今まで通り忠義を尽くして欲しい。我が儘なのは分かっているが、私にはお主が必要なんだ」
近衛隊長はお飾りと陰口を叩かれていても、愚直にアールファレムを守る事だけを自らの存在意義としていたバルドである。今までの忠節を苦と思ったことは一度もないが、アールファレムの一言で全てが報われた気がした。目頭が熱くなり、まぶたを閉じて涙を堪えたが、手からアールファレムの体温が伝わり、全身が熱く燃えるようだった。手汗が気になりだし、目を開けるとアールファレムが、すがるような目で覗きこんでいて、バルドはどうしていいか分からず、狼狽えてしまった。
ルーヴェルとシルヴィンはアールファレムのたらしっぷりに改めて感嘆して他人事のように眺めており、モニカは不甲斐ない態度のバルドに苛立ちを感じているようで、厳しい視線で自分で処理するように訴えた。
「陛下!」
バルドは大声で叫び、少しアールファレムは驚いたが、バルドの手を離すことなく、続きを待った。
「申し訳ありません。私は陛下をお慕いしております。…………いえっ! 深い意味ではなく、主君として敬愛しているのでして、決してやましい気持ちはその、まったくないのでありまして……」
しどろもどろに言葉を選ぶバルドにアールファレムは破顔すると、またまた抱き付いてしまった。背の高いバルド相手では胸に顔を埋めることになる。
「バルド、ありがとう。これからも頼む」
バルドにとっては至福のような、あるいは拷問のような時間が訪れた訳だが、この場にアルスラーダがいなくてよかったとアールファレム以外の全員が胸を撫で下ろしたのだった。
「なぁルーヴェル。まさかアールファレム様は将軍全員に抱き付いて回るおつもりではないだろうな」
「計算ではないだろうが結果的にはそうなるかも知れんな。アルファ様は甘えたというか、すぐに抱き付く癖があるからな」
困った口振りで言うルーヴェルだが、そういうふうに育てたのは他ならぬルーヴェルである。シルヴィンはそれには触れずに、バルドを羨ましそうに眺めた。今のアールファレムは胸の晒しを外しているので、柔らかい凶器がバルドの理性をじわじわと攻め立てていた。
シウ感謝する。そなたのお陰だなどと言いながら、抱き付いてくれたらと馬鹿な妄想を抱くシルヴィンだが、あの攻撃に耐えられる自信がない。二度と過ちを犯すわけにはいかないと自分に言い聞かせてはいるが、アールファレムに警戒心がないのが一番の問題だろう。
この分では将軍からも犠牲者が出てもおかしくない。女に免疫のないライナーやハリーなどは生涯独身宣言をするのではないかと杞憂してしまう。もっともシルヴィンのように暴走することはないだろうが。
何にせよ誘惑しようとしている訳ではないが、結果的には色仕掛けととられても仕方無いかもしれない。もしアールファレムが女の武器を自覚して使用すれば、更に恐ろしい結果になるだろう。
「ふむ。やはりアルスは同席させん方が良さそうだな」
「宮殿の平穏の為にも是非そうなさいませ」
ルーヴェルが呟くとモニカは強い口調で賛成した。アルスラーダの悋気を思えば、わざわざこの光景を見せつける必要はない。何せ妻帯者のバルドですら、鼻の下を伸ばしてでれでれしているのだ。他の反応も似たり寄ったりになることが容易に予想出来た。
「おやアルスとの関係も御存知のようで」
ルーヴェルが軽い口調で確認すると、モニカは目を吊り上げてルーヴェルに迫った。
「あれでは気付かない方が難しいですよ。どれだけ隠すのに苦労しているか御理解頂きたいですね。少しは慎むように注意なさって下さいませ」
「あ、ああ。既に双方に控えるようにお願いしている。引き続き警戒を頼む。味方に引き入れたい人材がいたら、必ず相談してからにしてくれ」
「勿論そう致します。女官にも気付いているらしい勘の良い者もいますが、わたくしの見る限りでは、口外する心配はありません。ですが慎重に判断していきたいと思います。元より側仕えには信用の置けない者は採用しておりませんが、今以上に留意して参ります」
どうやらモニカを仲間に入れたのは間違いないようである。もう少し早く決断すれば、ルーヴェルの気苦労も軽減していただろうが、今更言っても仕方あるまい。今は強力な味方が増えたことを喜ぶべきである。




