95 危険な決勝戦
控え室では仮面を外したアールファレムがアルスラーダの戻りを待っていた。ビクトール達とほぼ同時にアルスラーダは部屋に入ったのだが、アールファレムは厳しい表情のまま、手招きしてアルスラーダを呼び寄せた。
「どうかなさったのですか?」
アルスラーダが尋ねると、アールファレムはアルスラーダを座らせ左頬の傷口の布を慎重に剥がした。
「大丈夫か?」
本人よりも痛そうに顔を歪め、アルスラーダに優しく声を掛けた。
「掠り傷です」
「きちんと手当てをしないと跡が残る。薬を持ってこさせているから大人しくしていろ」
やがて近衛兵が傷薬と水を持ってきて手当てをしようとしたが、アールファレムは自分でやるからと下がらせた。丁寧に傷口を水で洗い、水気を拭き取ると薬を塗り付けた。上衣を脱がせようとしてアルスラーダが抵抗したが、アールファレムは鋭く叱責して強引に従わせた。首筋に垂れた血も綺麗に拭うと、ようやく安堵の溜め息を付いた。人前でなければ舐めてやりたかったのだが、衆人環視の中ではこれが限度だろう。既に限度を越しているのだが、アールファレムだけが気付いていない。
「お手を煩わせてしまい申し訳ありません」
「気にするな」
アルスラーダとしては傷口よりも周囲の生暖かい視線が痛い。アールファレムの優しさは嬉しかったが、人前ではもう少し遠慮して欲しいところである。シルヴィンの呆れた視線には断じて気付かない……振りをした。
「うん。血は止まったな。後は包帯を巻いておくか」
「そこまでしなくても大丈夫ですよ」
いくらなんでも大袈裟過ぎて、アルスラーダは飛び退いて断った。慌てて上衣をひったくり、身繕いを済ませた。
ガルフォン陣営はそんな二人を温かく見守っていたのだが、そんな雰囲気をぶち壊す男がアルスラーダの前に現れた。
「手加減を間違えたようで、申し訳ありませんでした」
まったく悪びれた様子もみせずにぬけぬけとカミーユが謝罪したが、アルスラーダはうっとうしそうに手で追い払った。
「私の力不足だ。だがもし次の試合で同様の真似をしてみろ。ただでは済まさんからな」
アルスラーダ以外の者も、カミーユに対し敵意を剥き出しにしている。ギースはカミーユの頭を押さえつけ自らも頭を下げた。
「ご安心くださいませ。決してその様な真似はさせません」
「それでは戦う意味がないではないか。私相手では本気になれないというつもりか」
アールファレムがまなじりを上げて文句を言い出したが、シルヴィンが毅然とした態度で押し止めた。
「陛下。お気持ちは分かります。ですがアルスラーダですら敵わぬ相手です。御身に万一の事があればいかがなさいますか。我々が武術大会という枠組みの中で戦っている中で、こやつは違います。ただアルスラーダをなぶる為だけに傷を付けたのです。かように品性の下劣な男相手にまともに戦える筈がありません」
アルスラーダは自らが敗北した為、言い出しにくかったのだが、シルヴィンがそれ以上に代弁してみせた。ここまで正面から言われてはアールファレムとしても反論しにくい。元々約束した事でもあり、周囲に味方はいない。
せっかくライナーとの対戦で戦いの勘を取り戻し、好戦的になったところでの反対に理性では分かっていても、感情が追い付かない。急速に萎れるアールファレムに救いの手が差し伸べられた。
「どうかなさったのですか?」
ルーヴェルは一同を見渡し、アールファレムに元気がないのを見咎めた。
「決勝進出おめでとうございますという雰囲気ではなさそうですね」
「当然だ。先程の戦いぶりを見ただろう。こんな男との対戦を許可出来るか!」
シルヴィンは決勝戦を取り止めるように更に畳み掛ける。ルーヴェルまで反対すればアールファレムは諦めるしかない。アールファレムもそれは分かっていて、不安げな表情でルーヴェルを見詰めた。ルーヴェルは室内を再度見渡し、アルスラーダに視線を留めた。
「随分と男前になったじゃないか」
「私の顔だけで済めば別に構わない」
ルーヴェルは仏頂面をするアルスラーダの右頬のかすり傷を軽く撫でながら、左頬の痛々しい傷跡を見つめ、この傷をアールファレムが負ったところを想像してみた。到底許せるものではなく、カミーユの方を見てみれば、特に恐縮するでもなく、ふてぶてしい態度でルーヴェルに無遠慮な視線を向けていた。
「私が宰相のルーヴェルだ。もし貴様が必要以上に危険な攻撃を加えれば、即座に貴様を殺す。当然ながら貴様一人の命では済まさんからな。戦争となった場合、全責任はシャリウス側にある事を理解してもらいたい」
ルーヴェルの恫喝にギースは顔面蒼白を通り越して、痙攣して言葉も出ない有り様である。カミーユはわざとらしく居住まいを正し、真剣な表情で深々と頭を下げた。
「私はアールファレム陛下の盾となるべく馳せ参じました。その私がどうして御身を損なうような真似を致しましょうか。どうか信用して下さいませ。もし信用出来ないとあらば、私は喜んで棄権致しましょう。ですが恐れ多いことに、陛下は私との対戦をお望みでございます。どうかこのまま試合を行わせて頂けないでしょうか」
先程までとは打って変わり真面目な態度をみせ、殊勝な言葉を述べるカミーユだったが、今までの言動から容易に信用出来るものではない。将軍達は誰一人、カミーユを信用しようとせず、白けた様子で成り行きを窺った。アールファレムが進み出ると、ルーヴェルは少し下がり、場を譲った。
「私はそなたを信用出来ない。だがオリアンヌ姫の事は信用している。そなたを遣わした姫の御心を決して裏切らぬと誓えるか?」
アールファレムとしては戦いたい欲求もあるが、それ以上に今後カミーユを危険人物として扱う事は避けたかった。彼を受け入れざるを得ない現状では、カミーユに今のような態度を続けさせる訳にはいかないのだ。アルスラーダにしたような嗜虐的な行為を繰り返させてはならない。既に諸将からの反感を取り除くのは不可能ではあるが、少なくとも敵でないと分からせる必要がある。武術大会などしょせんはただの祭りに過ぎない。
「無論でございます。オリアンヌ様の信頼を裏切りは致しませぬ。ですが今日より私はガルフォンに仕える身でありますれば、忠誠はアールファレム陛下御一人に捧げるつもりでございます。旧主に恩義はあれど、今後は陛下の御意にのみ従う事を誓約致します」
微妙な物言いにこれ見よがしにマルクスが舌打ちして、不快感を露にした。他の者も似たり寄ったりで、不快感を隠そうともしない。礼儀にうるさいエクムントでさえたしなめず、極力視界に入らないようにして、自制している有り様だ。
ルーヴェルはカミーユを遣わしたオリアンヌの真意を問い質したかった。今までアールファレムは数多くの戦いに身を投じてきた。何故今回に限り、護衛を寄越したのかが解せない。シルヴィンならともかく、シャリウス内でそれほどカスパードの評価が高いとは思えない。
だとすると脅威となるだけの何かがアールファレムに差し迫るのを察知したのか。ルーヴェルの脳裏にはサミュエルの事がよぎる。オリアンヌが自分達よりゾレストに詳しい筈がなく、判断材料はシャリウス国内ではないかとの疑念が消えない。
各々が休憩をとる中、ルーヴェルはギースの前に立ち、質問を投げ掛けた。
「ギース殿。サミュエル殿下はそなた達の動きをご存知なのか?」
突然の質問にギースはあたふたと身繕いをして、ルーヴェルに向き合った。
「御存じです。アールファレム陛下はサミュエル様にとっては義兄になるかも知れない御方でございます。カミーユを遣わす事には強く賛成しておいでです」
ギースの言葉に室内の全員が反応したが、顔に出した者はいない。だが不自然に会話が止まり、ギースは不安にかられ、自らの発言におかしな点がなかったか考えこんだが、何が警戒を招いたのか見当が付かなかった。
一方でカミーユは訳知り顔で室内の様子を楽しんでいた。二人の反応の違いを見逃すアールファレムではない。ルーヴェルと軽く視線を合わせ、意思の疎通を確認すると軽く頷いてみせた。後ほどカミーユから情報を引き出せれば、糸口が掴めるに違いなかった。




