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93 アルスラーダ対カミーユ

 二回戦が始まろうというのに、アルスラーダとシルヴィンが一向に現れないのに、ルーヴェルは苛立ちを隠せずにいた。先程、戻ったクルトから一通りの説明を聞いて一安心したところだったが、予定外の行動をとっているのだとしたら、まだ何か問題が起こっているのだろう。

 アールファレム達の様子に変わりはないようで、カミーユとやらは舞台の上で涼しい顔で対戦相手の到着を待ちわびている。

 あのクルトにいけすかない野郎と言わしめるぐらいだ、さぞかし問題のある人物なのだろう。これ以上の厄介ごとは御免なのだが、今はオリアンヌを敵に回す訳にはいかない。

 受け入れざるを得ないが、この先の展開次第ではオリアンヌは敵になる。そうなればカミーユの存在は厄介でしかない。或いはカミーユがオリアンヌではなく、サミュエルの指示で動いていたとしたら? カミーユの金色の瞳がルーヴェルに不安を抱かせた。考えすぎに違いないと言い聞かせても、不安は拭えない。

 まして、この後アールファレム達は敵地に赴くのだ。何事も起こらなければよいが。ルーヴェルが深い思考の沼にはまり、脱け出そうともがいていると、アルスラーダ達がようやく姿を見せた。アルスラーダは颯爽と現れて、淀みない足取りで舞台に上がった。

 ルーヴェルの目にはアルスラーダに異変は感じられない。気負わず、ごく自然な表情で、軽く体をひねり、準備を整えていた。むしろ冷静であることの方が意外なほどだった。

 観衆はアルスラーダを大歓呼で迎え、会場は最高潮に盛り上りを見せた。


「ガルフォンの黒雷ですか。なかなか勇ましい渾名ですな」


 カミーユからの挑発にも乗らず、アルスラーダは黙々と体を動かし、やがてカミーユに向き合った。


「剣で語らうという訳ですか」


 一人で会話するカミーユにアルスラーダは内心うんざりしていたが、心は凪いだ水面のように静かだった。確かに怒りはあるし、殺意は抑えきれないほど溢れている筈なのに、我ながら不思議な程、落ち着いているのだ。

 カミーユは僅かに目を細め、アルスラーダの変貌を訝しく思った。先程声を荒げていた男と同一人物とは到底思えなかった。底の浅い激昂しやすい小者だと侮っていたのだが、どうやらこの僅かな間に何かがあったらしく、それには大将軍が絡んでいるに違いない。

 ただアルスラーダの内面がどう変化しようと、カミーユのすべきことは変わらない。皇帝の面前でアルスラーダを叩きのめし、今後自らが守護者となるのだ。

 オリアンヌからの命令などカミーユには何の意味はない。カミーユ自身が判断を下す。そうオリアンヌに告げたが、オリアンヌは意味深に笑い、それで構わないとカミーユを送り出した。カミーユが必ずアールファレムを気に入ると確信しているようだった。

 オリアンヌの恋慕はカミーユからみれば、おぞましいほど重苦しい。まるで蜘蛛の糸を張り巡らせ獲物を絡めとろうとしているようで、カミーユはまだ見ぬ皇帝に深く同情していた。もっとも今ではオリアンヌには感謝している。シャリウスよりガルフォンの方が遥かに刺激的で愉快な事が起きそうだからだ。まずは軽くアルスラーダをあしらい獅子帝を料理するとしよう。

 カミーユが剣を抜いて構えると、アルスラーダも同じように構えた。


「始め!」


 合図があっても、両者はすぐに動かなかった。じりじりと時間だけが過ぎてゆき、焦れた観客達から声が上がったが、二人の耳には届かない。ただお互いだけを見詰め、全神経を目の前の男に集中させていた。

 ふっとカミーユの体から緊張が抜け、アルスラーダが警戒した時には、カミーユは目の前に迫っていた。一瞬で懐まで入られ、反射的に防いだものの、重い一撃が腕に強く響いた。

 カミーユは速さと力、両方を兼ね備え、剣技は達人の域に達している。アルスラーダは今まで敵味方共に、これ程の使い手には出会った事がない。最強にして、最悪な男である。もしこれで品性がよければ、どれ程良かったのかも知れないが、天は二物を与えない。いやその強さが彼を傲慢にしたのかは分からないが、ガルフォンにとっては災厄以外の何物でもない。

 思考する隙もない程の猛攻がアルスラーダを追い詰める。だが全てを捌ききり、隙あらば反撃しようとするのだから、アルスラーダの力量も優に常人のそれではない。

 選手席にいる面々は、ガルフォンでも最高峰の集団である。その彼等をして感嘆を禁じ得ない程の戦いが目の前には繰り広げられていた。

 一番悔しい思いで眺めているのはシルヴィンである。本来ならシルヴィンもあそこに参加出来た筈だ。通用するとは思わないが、試す事すら叶わぬ身を呪った。シルヴィンは二人の一挙一動を見逃さないように、食い入るように舞台に見いった。

 カミーユの思った以上にアルスラーダは善戦している。正直止めをさそうと何度が仕掛けているが、全て紙一重で躱されてしまった。まだ小手調べに過ぎないが、それでもカミーユとしては十分過ぎる程の手応えを感じていた。未だかつてここまで食い下がった相手はいない。カミーユは善戦するアルスラーダに少しばかりの敬意を払い、力の片鱗を披露する事にした。

 カミーユの動きの変化は劇的だった。今まで一見、互角に見えた対戦が嘘のように一方的になった。みるみる追い詰められるアルスラーダだが、その目に諦めはない。黒々とした瞳の奥には強い光が宿り、粘り強くカミーユの攻撃を捌き続けた。

 だがカミーユはその目が気に入らなかった。剣先がアルスラーダの右頬を掠め、一筋の赤い血が流れた。痛みをものともせず、アルスラーダは突きを繰り出したが、カミーユは難なくかわし、次に左の頬をやや深目に切り裂いた。本気になればいつでも殺せるのだということを体で分からせたのだ。

 アルスラーダの左頬から血が滴り落ち、首を伝い服の中まで入り込んだ。不快感に僅かに顔をしかめ、気を逸らした僅か一瞬にカミーユはアルスラーダの剣を叩き落とした。そのまま流れるように回し蹴りを加え、アルスラーダを場外まで吹っ飛ばしてしまった。

 明らかに最後の一撃は余計であり、慌てて審判がジャンの勝利を宣言したが、あまりに異様な光景に観客達は唖然とし、罵声を浴びせた。何せシルヴィンに続き、アルスラーダまで敗退するなど、到底受け入れられるものではない。

 罵詈雑言の中、アルスラーダは立ち上がり、頬に流れる血を手の甲で乱暴に拭うと、舞台に戻り愛剣を拾って鞘に収め、カミーユに向かって一礼した。

 シルヴィンが立ち上がって拍手すると、次々に他の者が追随し、選手席の全員が立ち上がり、アルスラーダ達の戦いに敬意を表した。観客席からもまばらに拍手がおき、やがて会場全体に広がった。

 アルスラーダは踵を返し、毅然とした態度で席に戻り、深い溜め息をつきながら腰を下ろした。疲れた様子を見せるアルスラーダにシルヴィンは心からの労いの言葉を掛けた。


「いい試合だった」

「どこがだ。奴は遊んでいやがった。本気にすらなっていない」

「そうでもない。少なくとも奴を苛立たせる事には成功していたぞ」

「死に物狂いでそれが精一杯か。これが私の限界とは情けないな」


 自嘲するアルスラーダに向かい、近衛兵が湿った布を差し出した。アルスラーダは受け取ると、顔の血を拭い、最後に手を拭いた。服の中までは流石に拭くわけにはいかず、赤く汚れた布を礼を言いながら近衛兵に返した。近衛兵は止血用の乾いた布を渡し、心配そうな表情を浮かべたまま下がっていった。

 右頬の傷は浅かった為、もう血が流れる事はないが、左頬の傷はやや深く、いまだに血が滲み出ているのだ。だが次の試合はアールファレムが戦うのだ。ライナーとの対戦とはいえ、アルスラーダが離席する筈がない。それが分かっているので、近衛は無理強いはしなかったのだ。


「ようやく見れる顔になったな。ただでさえ強面なのに凶悪過ぎて直視出来ない程だったからな。」

「ふんっ! 貴様の顔にも傷をつけてやろうか? 少しは箔がつくかも知れんぞ」


 アルスラーダは布で傷口を押さえながら、悪態をついた。

 先程よりは血の滲みが緩やかになっているのを、シルヴィンはちらりと確認した。先程からアールファレムが心配そうにこちらを気にしているのに気付いていたのだ。アルスラーダは不甲斐ない自分が情けなくて、あちらに顔を向けられないでいた。焦れったいが、男としてはアルスラーダの気持ちは分かる。

(惚れた女の前で負けるのは……。って! 惚れた女に負けた俺の方が情けないじゃないか!)

 シルヴィンはやや落ち込みながらも、平静を装い会話を続けた。


「傷なんかで箔がつくならライナーはどうなる?」

「あいつは駄目だ。ただのお調子者だ。まだハリーがいれば兄貴風を吹かせて少しはましだが、結局似たり寄ったりだ」

「確かにな。だがそれでいいさ。陰気臭いのはアールファレム様は好まれない。少々騒がしい方がいい」

「程度の問題だろうさ。さて次はそのお調子者の出番だ。お手並み拝見といこうか」


 眼光鋭くアルスラーダは舞台に目を向けた。シルヴィンはやや顔をひきつらせながら、アルスラーダの横顔を眺めた。

(だから凶悪過ぎると言っているだろうが!)


「何か言いたそうだな」

「いや。アールファレム様の唯一の欠点を残念に思ってな」

「アルファ様の欠点?」


 目を剥き出しにしてこっちを見ないでくれと本気で思うシルヴィンである。


「趣味の悪さだ」


 無言でシルヴィンの頭を強く叩き、再び前を向いてしまった。そんな二人の様子にアールファレムは安心して立ち上がると、同時にライナーも立ち上がった。


「ライナー選手、レオン選手! 舞台に上がって下さい」


 武術大会本選も残り二試合となった。次の勝者が決勝に進む事になる。


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