92 シルヴィンとアルス
二回戦の時間になり係の役人が選手達を呼びにやってきたときには、アールファレム達は仮面姿に戻っていた。それぞれ移動しようと立ち上がるなか、ハンスがアルスラーダを呼び止めた。
アルスラーダは手振りでバルドにアールファレムの警護を委ねた。エクムント達もカミーユを警戒しアールファレムの両脇を固めた。アルスラーダはアールファレムの様子を目で追った後、ハンスに視線を移した。
ハンスは思い詰めた表情をしており、厄介ごとの匂いを嗅ぎ取ったシルヴィンも残り、室内は三人だけになった。
「何かあったのか?」
「奴は危険過ぎます。あの男を陛下のお側に近付けないようにして下さいませ」
「そんな事は言われるまでもなく分かっている。だがオリアンヌ様からの推挙となれば断るのは難しいだろうな」
「それでもです!」
ハンスは必死の形相で二人に強い口調で訴えた。流石に何かあると思い、シルヴィンがハンスに尋ねた。
「具体的な根拠があるのか?」
シルヴィンの問い掛けに、ハンスは下唇をかみ、暫くためらったのち口を開いた。
「先程、奴は陛下の事を痛めつけて喘がせてみたいと申したのです」
「何て事を! あの野郎!」
シルヴィンは目を見開き低い声で唸った。無礼を通り越して悪意に満ちた邪悪な発言は我慢出来る限界を遥かに越えていた。もし現場を押さえていたら、不敬罪で斬首刑は免れない。一方アルスラーダはというと感情が溢れるあまり、とっさに言葉も出なかった。アルスラーダがここまで怒りを覚えたのは、シルヴィンの事件以来である。目を血走らせ、怒りに打ち震え、やがて吠えた。
「殺してやる!」
「待て! 冷静になれ!」
シルヴィンは飛び出そうとしたアルスラーダの腕を掴み引き止めた。
「止めるなら、貴様も殺してやる!」
アルスラーダはシルヴィンにまで噛み付かんばかりに威嚇したが、シルヴィンは手を緩めなかった。首が痛んだが、そんな事を気にしている余裕はない。
「ハンス。先に行っていろ! 私はこいつを宥めてから行く」
ハンスは完全に竦み上がっていたが、シルヴィンのお陰で呪縛から解放され、逃げるように立ち去った。
アルスラーダは憎悪を剥き出しにしてシルヴィンの手を振りほどこうとしたが、シルヴィンはアルスラーダの腕を掴む手に力を入れて、思いきり壁に叩き付けた。背中を強打したアルスラーダが痛みも気にせずに、殴りかかろうとしたが、シルヴィンの拳の方が早く、アルスラーダの顎を捉えた。
すかさずシルヴィンはアルスラーダの首もとを掴んで、壁に押さえ付けると、至近距離で睨み合った。
暫くしてアルスラーダの目に理性の光が戻り、シルヴィンが力を緩めるとアルスラーダは壁にもたれかかり、小声でぼやいた。
「もう少し手加減をしろ」
「こっちは本調子じゃないんだ。そんな余裕はない。ルーヴェルなら上手く説得出来ただろうが、あいにく俺はこのやり方しか出来ない。我慢しろよ。アルスラーダ……」
「アルスでいい。長ったらしくてうっとうしい」
アルスラーダのそれは野生の獣がなつくのに似て、少しずつ歩み寄る姿はシルヴィンにとっては好ましく映った。
実の弟を愛せなかった自分がまさかアルスラーダに対して、このような感情を抱くようになるとは数ヶ月前には想像も出来なかっただろう。恐らくは親友の弟分というのが、多分に影響しているに違いない。
恋敵の男ではあるが、今更シルヴィンにどうこうするつもりはない。アールファレムがアルスラーダを望む限り、相応しい男になるように鍛え、そして見守るつもりだ。
アルスラーダは殴られた顎がまだがくがくしており、何回も開閉して違和感を取り除こうとした。シルヴィンの温かい眼差しには気付いていないようで何よりである。
「アルス、奴に勝つのは難しい。ましてや怒りに任せていては微かな勝機すらなくなるぞ」
「それを分からせる為に私の顎をここまで痛め付ける必要があったのか? …………正直どうしていいか分からん。恐らくアルファ様は奴を気に入っている。旅の間から並々ならぬ興味を示されていたからな」
アルスラーダがルーヴェル以外に弱音を吐くのは初めての事だ。シルヴィンとしては感慨深いものがあったが、さりとて解決法があるわけではない。
「オリアンヌ姫からの気遣いを断れん。奴には常に監視をつけるしかない。バルドには十分に言い聞かせておこう。取り敢えずは目前の試合だ。アルス、勝つ気で当たれ。それこそ殺すつもりでだ」
「これほどの殺意を抱いたのは二ヶ月ぶりだな。あの時の相手は殴る事すら禁じられたから、今回はましかもな。……うん? おい、一発殴らせろ。よく考えたらおかしいだろうが。何で私が一方的に殴られているんだ!」
「今になって蒸し返すなよ。こらこら、相手が違う」
シルヴィンは逃げ出そうとして、後ろから羽交い締めにされて呻いた。
「首を絞めるな。まだ駄目だと言っているだろうが」
「うるさい。このままでは気がすまない。試合前にすっきりしておきたい。殴らせろ」
振りかぶったところで扉が開き、再び先程の係員が顔を出した。
「あの皆様お待ちですので、そろそろお越し願えませんか?」
「おぅ! そうだな。よし! 早く行くぞ」
張り切るシルヴィンの背中をアルスラーダは思い切り蹴飛ばそうとして思い直し、軽く突き飛ばすだけにとどめた。衝撃で背中をのけ反らせたところ痛めた首に響き、呻くシルヴィンを一顧だにせず、アルスラーダはずんずん進んでいった。
「あの? 一体何が?」
可哀想なシルヴィンの背中を擦りながら、係員が尋ねたが、シルヴィンは唸るだけで返答を避けた。元々は自分の撒いた種であり、これぐらいで済んだのだから、ましと思うしかない。
ゆっくりと歩いていたが、闘技場の入り口付近で立ち止まるアルスラーダの背中が見え、小走りに近付いた。
「待っていたのか?」
「いや、気合いを入れ直していただけだ」
「素直じゃないね」
「うるさい。行くぞ!」
ぶっきらぼうに言い捨て、アルスラーダはシルヴィンと肩を並べてアールファレム達の待つ武舞台へと歩き出した。




