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87 ハンス対ジャン

 第二試合、ハンス対ジャンの試合が目前にせまり、緊張するハンスに近衛の先輩からありがたい助言が与えられた。


「心配いらん。誰も期待していないのだからあまり気にするな」


 事実ではあるが、あからさまに言われて、はいそうですかと言えるほどハンスは人間が出来ていない。不満げな様子がありありと態度に出ていた。

 皇帝補佐次官のルーカスはハンスの随伴者として応援にきていた。ハンスとは交友もあるし、アールファレムの警護の問題もあるので、随伴者に選ばれたのだ。

 ルーカスは不貞腐れた顔をするハンスの頭をくしゃくしゃに撫で回した。


「あれだけの数の参加者の中から勝ち残るなんて凄いじゃないか。近衛の中でも本選に残ったのはバルド隊長とお前の二人だけだ。もっと誇りに思っていいぞ。近衛の代表として、恥ずかしくない試合をしてこい」


 ルーカスは最後に背中を勢いよく叩いてハンスを送り出した。ハンスの中で誇りがむくむくと沸き上がるのが、背中からも感じられた。背筋を伸ばし、堂々としてジャンに相対するハンスだったが、撫で回された為に髪型が乱れていた。

 審判に指摘され、慌てて髪を手櫛で整えると、改めてジャンと向かい合った。敵わないまでも、せめて一撃をくわえてやりたい。その一念でジャンと向き合い、剣を握る手に力を込めた。

 しかし現実は残酷であり、気迫だけで勝つには実力差がありすぎた。それが可能ならば先程の試合はテオが勝てただろう。

 ハンスは隙を窺ったが、打ち返される未来しかみえてこない。ジャンは自然体で立っているだけなのに、ハンスは尋常でない汗をかいていた。

 二人の試合を見詰める将軍達の視線は厳しかった。話には聞いていたが、いざ目の前にすると、その圧倒的な威圧感に圧されそうになる。マルクスは昨日の試合を思い出しているのだろう、悔しそうな顔で舞台を注視していた。

 同じくらい悔しそうな顔で見ているのが、シルヴィンだ。万全の体調で臨んでも勝てそうにないが、今の自分では恐らくは対戦する事も叶わないだろう。あの危険な男とアールファレムが対戦するのだけは、何としてでも阻止する必要がある。アールファレムは昨日将軍達とも約束を交わした。それでも不安は拭えないのだ。強敵を前に棄権するアールファレムなど考えられない。

 シルヴィンとてアールファレムが逃げるのを見るのは嫌だ。アールファレムはどんな不利な状況でも必ず勝機を見いだし、これまで生き抜いてきた。だが個人的な戦闘となれば、そうも言ってられない。アールファレムの個人的な戦闘能力は高い。ガルフォンにおいてもアルスラーダとシルヴィンが突出しているだけで、将軍達相手ならひけをとらないのだ。先日クルトと戦って勝利したように、彼等よりは抜きん出ている。

 だが目の前の男は更に上をいっていた。アルスラーダとシルヴィン二人がかりでも厳しいだろう。シルヴィンは首筋を擦りながら、アールファレムの方をちらりと見た。アールファレムとてジャンの実力は分かった筈だ。だが忌々しい仮面が邪魔で、依然として表情は見えないままである。

 シルヴィンは視界の隅でハンスが動くのを知覚し、意識をそちらに戻した。ハンスがじりじりと距離を詰め出したのだ。アールファレムの敵相手に怯むのは、近衛として恥である。だが破れかぶれではなく、相手の出方を窺うように、丁寧に剣を振るった。ハンスはアルスラーダやバルドなど実力上位の相手とも散々手合わせしてきたのだ。

 動かなくては罵声を浴びせられるのだから、勝ち目がなくともやるしかなかった。ましてジャンの標的がアールファレムだと思えば、怯んでなどいられない。

 そんなハンスの葛藤を嘲笑うかのようにジャンが動いた。その瞬間をハンスは正確に認識出来なかった。衝撃がきて気が付けば、剣を叩き落としていたのだ。呆然と立ち尽くすハンスだったが、審判は無情にも、ジャンの勝利を宣言するのだった。


「あれに勝てるか?」

「勝つしかないだろう。辛うじて見えたが、奴は化け物か……」


 シルヴィンがアルスラーダに尋ねると呻くような声の返事があった。アルスラーダはこれまで自分より強い相手に出会った事がなかった。シルヴィンとは好敵手ではあるが、二人にさほどの実力差はないし、そもそも味方である。だがジャンが全てに於いてアルスラーダより勝っているのは明らかだ。勝てる見込みはなくても、勝つしかない。

 ハンスがしょんぼりしているのをルーカス達が慰めていたが、アルスラーダの眼中にあるのはジャンだけだ。ジャンは観客に手を振りながら、連れの男の方へと歩いていった。


「次はバルドの出番だな。ライナー相手ならバルドに分がある。大将軍閣下の分まで奮闘してもらわんとな」

「それを言うなって。ガルフォンの黒雷殿」


 シルヴィンの反撃はそれなりに効果があり、アルスラーダは黙りこんでしまった。舌打ちをして会話を打ち切り、アールファレムの様子を窺った。バルドは相変わらずアールファレムの側を離れない。不動の壁のように思えるが、全神経をアールファレムに集中しているのが、端から見てても分かるほどだ。


「不味いな」

「だからそう言うなって」

「下らん話じゃない。あれだ」


 アルスラーダが顎で示した先にはアールファレム達がいる。仮面三人組とバルド、それに随伴の近衛達が並んでいた。そこからアルスラーダ達を挟んで、ライナー等が並び、一番端にジャン達の席がある。適当に割り振ったように装ったが、実際はジャンをアールファレムから遠ざけたに過ぎない。


「仮面が怪しすぎるか?」

「平和惚けしているのか? どう見てもレオン様の警護しているようにしか見えん」

「警護させているんだから当然だろう」


 シルヴィンからすればまだ手薄に思えるが、正体を隠しながらでは限界があった。アルスラーダからの冷たい視線にシルヴィンは必死に頭を働かせた。


「近衛がレオン様の警護をしているのが不自然?」

「はい。よく出来ました」


 アルスラーダはようやく正解を出したシルヴィンを棒読みで誉める。


「おいおい。今更そんな事を言い出しても手遅れだろうが」


 二人の会話は小声で行われていたが、両脇にいたライナーや近衛には聞こえている。確かに選手席にいる近衛達は警戒心を丸出しにしているせいで、明らかに周囲から浮いていた。バルドが出場している為に、一般客からは不自然に見えないだろうが、少し注意してみれば違和感があるだろう。


「近衛の者は皆、大会に出たくて参加している訳ではないからな。どこぞの補佐官殿より、余程アールファレム様の事を考えているかも知れん」

「ふん。もっと自然な態度をとってくれれば私も文句は言わん。生真面目というより馬鹿正直と言うべきだろうな」


 面と向かって注意するには人目がありすぎる。これからの展開がどう転ぼうとアールファレムを守るだけだ。今のところ、ジャンからはまったく敵意は感じられない。狙いは大会終了時に皇帝に接触する為だろうが、もしレオンの正体に気付けば、その前に事に及ぶ恐れがある。これだけの人間がいては、下手な真似はしないだろうと思うには実力がありすぎる。

 いっそこの段階で逮捕してやりたいが、奴は今のところ何の罪も犯していない。この段階での逮捕はルーヴェルが許さなかった。アールファレムの安全がかかっていてもだ。証拠はまったくなく、自供すらない。そんな状況での逮捕を許しては、法が形骸化してしまい、国家としての在り方が問われかねない。宰相としてはどうしても譲れない一線だった。

 見張りの報告では、ジャン達の会話に不審な点はないらしい。だがこのまま無事で終わるとは誰も思っていない。何よりレオンの正体がばれるのは時間の問題に思えてくる一同だった。


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