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86 アルスラーダ対テオ

 本選第一試合、アルスラーダ対テオの一戦がまもなく開始されようとしていた。テオにとっては待ちに待った瞬間だった。まさかこんなに上手く事が運ぶとは思わなかったが、きっと神が味方したに違いない。

 今でもルドルフが死んだ瞬間の光景は脳裏に焼き付いている。あれ以来テオは四六時中、復讐の方法を考えていた。アルスラーダを殺すだけでは足りなかった。それくらいでは空虚な心を充たす事は出来ない。ならどうすればいい? 悩んだ末に出した結論はアルスラーダを皇帝の前で殺す。そうする事でルドルフを失ったテオの苦しみがあの皇帝にも分かるというものだ。出来れば二人とも殺してやりたいが、その手段が思い浮かばなかった。だがアルスラーダ一人なら機会がある。アルスラーダは武術大会に出場する筈だ。そう観衆の面前で、奴の罪をぶちまけてやるのだ。

 テオは腕には自信があり、本選に残るぐらいは訳がない。だが正直なところアルスラーダ相手に勝てるとは思っていない。ルドルフが殺された瞬間テオは微動だに出来なかった。縛られて床に転がされていなくとも、反応出来なかったのは間違いない。

 だが敵わないからといって復讐を諦める事は出来ない。ルドルフは欠点の多い主君だった。それでもテオにとっては唯一人の大事な主君だったのだ。大逆が死罪なのは当然である。大義がアルスラーダにあるのは認めざるをえない。ルドルフが正当な裁判の結果、処刑されたのなら納得も出来た。だがアルスラーダは裁きすら与えずに、一方的に処刑を下したのだ。

 実のところルドルフがどんな死に方をしようとテオを納得させる事は出来なかっただろう。それでもテオは必死で自分に言い聞かせたのだ。自分は間違っていないと思わなくては、自我が保てなかった。

 試合には負けるだろう。だが決着がついた一瞬の隙を狙い、油断したアルスラーダを殺してやるのだ。自分の命などどうでもよかった。

 テオの目の前には憎きアルスラーダが平然としながら立っている。テオの視線を真っ向から受け止め、そしてまったく意に介していないのが容易に見てとれた。


「お久し振りです。アルスラーダ閣下」

「ああ、久しいな。わざわざこんな大会に参加しなくても、いつでも相手をしてやったのに御苦労な事だ」


 アルスラーダは嫌味ではなく本気でそう思っているようで、その表情にあざけりはない。テオはかっとなり、思わず声を荒げて詰め寄った。


「なら決闘を申し込んでも受けて頂いたのですか?」

「勿論構わん。どうせさほど時間もかからんからな。お互い面倒な事はさっさと済ませよう」


 アルスラーダは近寄るテオを手を振って追いやり、早く構えろとテオを急かした。

 あまりに人を食った態度に側で見ていた諸将は揃って呆れた。あれではテオを納得させる事は出来ないだろう。

 アルスラーダはルドルフに対して一切、罪の意識はない。アールファレムの殺害を企んだ男には当然の末路である。テオのような小者の事も眼中にない。逆恨みで付きまとわれても迷惑なだけなのだ。


「悪い人ではないんだが、もっと言い方があるだろうにな」

「まぁ、無理じゃろうな。よくも悪くも陛下の事しか頭にない。弱い者の心情など知ったことではないだろうて」


 ライナーが溜め息混じりにぼやくと、マルクスが困ったように顎髭を撫でながら相槌を打った。

 シルヴィンは二人の会話を聞きながら、ちらりとアールファレムの方を見たが、仮面のせいで依然として表情は読めない。


「我が軍はお人好しが多いからな。補佐官としてはあれぐらいでちょうどいいさ。陛下をお守りするのに情けなど邪魔なだけだ。敵の心情まで気にかける必要はない」


 シルヴィンは自分の事はお人好しとは思っていない。最近自分でも変わってきた自覚はあるものの、あくまで味方に対して寛容になっただけで、敵に対してまで甘くなるつもりは毛頭ない。

 だが今のシルヴィンがどれほど格好つけて言っても、締まりがない。ライナー達は後が怖いので賢明にも沈黙を守り、試合に集中する事にした。

 開始の合図と共にテオが動いた。無謀にも上段に構え正面から向かっていった。


「あららっ」


 ライナーの口から憐れみの言葉が漏れでた。アルスラーダ相手に真っ正面から斬りかかるなど、愚の骨頂である。もっともどうあがいても勝ち目はないが、本気で勝ちたいなら、もう少しやりようもあるだろう。

 案の定テオは初撃を躱され、体勢を崩したところを足払いをかけられ、地面に突っ伏した。アルスラーダは容赦なくテオの背中を踏みつけて、剣を首筋にあてた。


「そ、そこまで! 勝者アルスラーダ選手!」


 慌てて審判が制止の合図を出した。先程開始の合図を出してから、ほんの数秒後である。とっさに反応が出来ないのも無理はない。場内も静まり返り、かなり遅れて大歓声が上がった。


「ガルフォンの黒雷アルスラーダ!」


 観客の一人が妙な二つ名でアルスラーダを呼ぶと、瞬く間に場内に広がり、人々は黒雷の名を連呼した。この日以来アルスラーダは黒雷の異名で呼ばれ続ける事になる。

 アルスラーダは大層な異名が気に入らないらしく、顔をしかめながら、剣を鞘に納めた。未だ片足でテオを踏みつけたままである。アルスラーダが足を浮かせた瞬間、テオは這いつくばったまま、アルスラーダの足を掴もうとした。だがアルスラーダは振り向きもせずに、テオの手を踏みつけた。血が滲み出たが、アルスラーダは構わずに、より一層体重を込めて踏みにじった。


「ふざけるな! こんな馬鹿な事があってたまるか! 貴様のような卑劣な男が何故生き残るのだ! この国に正義があるのなら貴様は死ぬべきなのだ!」

「正義だと? そんなものは弱い人間の言い訳に過ぎんな。貴様は弱いから私に負けたのだ」


 歯を食い縛りながら見苦しく喚くテオを見下ろしながら、アルスラーダは冷徹に告げた。

 見兼ねたアールファレムが動こうとしたが、エクムント達がなんとか席にとどめた。代わりにシルヴィンがすっくと立ち上がった。


「衛兵! その男を逮捕しろ! そいつは大会に紛れ、補佐官の命を狙う暗殺者だ!」


 シルヴィンが声を張り上げ抜刀すると、バルドはジャンを警戒したまま、自然を装いアールファレムを背後に庇うような位置に身を割り込ませた。

 ジャンは先程から微動だにせず、目の前の光景を興味津々に眺めていた。一方、連れの男はジャンに比べて胆力がないのか、不安そうな面持ちで舞台上を見詰めている。

 幸い厳重な警戒体制を敷いていたので、瞬く間に兵士達は舞台にかけ上がり、テオを取り囲んだ。

 テオは抵抗しようとしたが、アルスラーダはさっさと剣を取り上げてしまい、兵士達にテオを引き渡した。


「神が貴様の罪を許しても、私が裁いてやるからな! 逃げられると思うなよ」

「逃げるつもりはないが、私はいったい何の罪を問われているのだ?」

「裁判もなしに我が主を残虐に殺しておいて、よくもぬけぬけと言えたな!」


 テオの返事に一気に興味が失せたアルスラーダは兵士に手を振って、テオを連れていくように指示した。テオはまだ何か言いたそうにしていたが、猿ぐつわをかまされ、連行されていった。

 特別観覧席のイグナーツはテオが逮捕されるの呆然と見送る事しか出来なかった。顔面が蒼白になり、我に返って腰を浮かせたところ、リッケンがとどまるように説得し、代わりにテオの元へ向かった。

 観客は騒然としていたが、ルーヴェルが再開を宣言すると、次第に落ち着きを取り戻していった。波乱含みの武術大会本選はまだ一戦を終えたばかりである。


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