84 シルヴィンの失態(武術大会編)
一月三日武術大会本選が帝都大闘技場で開催された。この大会に限り、賭博は国により黙認されている。このような大会では取り締まったところで無駄だからだ。
果たして優勝の栄冠を掴むのは誰か? 下馬評では本命がアルスラーダ、対抗がシルヴィンだが、今年はバルドが参戦した為、票が割れた。圧倒的な強さでマルクスを下したジャンにも票が入ったが全体からみれば少数である。
マイヤールは期待と希望を込めて、アルスラーダに大金を賭けた。無論私費であるが、今年一年の商売の始まりを占う意味では、是非ともアルスラーダには優勝して欲しいところである。もしマイヤールが仮面男レオンの正体を知っていれば悩んだろうが、幸いな事に今のところは一般人には秘匿されている。
今年は残念な事に皇帝の移動が箱馬車で行われた為、沿道からは窓から金髪が見えただけだった。それでも民衆は歓声を上げて彼等の敬愛する皇帝を讃えた。近衛兵は顔には出さないが、後ろめたい思いを抱きながら、影武者の護衛を真面目に務めた。
一方、アールファレム扮するレオンはとっくに宮殿を脱け出し、お供を引き連れ闘技場に到着していた。堂々とした態度で控え室に入ると、既にバルドとハンスが来ており、二人は直立不動で出迎えた。
アールファレムは鷹揚な仕草で右手を上げて挨拶を済ませ、椅子にどっかりと座って他の出場者の到着を待つ事にした。アールファレムが座るや否や、バルドはさりげなく場所を移し、不測の事態に備えるように警戒しながら出口を見据えた。
兵士も警備に付いているが、自分がいながら他の者にアールファレムの安全を委ねるのはバルドの矜持が許さない。アルスラーダがいない以上、バルドが全責任を負うつもりだ。例えエクムントやビクトールといえども譲るつもりはない。
そうこうする内にシルヴィンとアルスラーダ、それにルーヴェルが入室してきたが、何やら様子がおかしかった。
「ここまで貴様が使えんとは思わなかったぞ! 多少なりとも期待した私が馬鹿だった!」
アルスラーダが憤慨してシルヴィンを糾弾していたが、シルヴィンは反論する事なく、妙な角度で首を傾け瞑目している。
アールファレム達が何事かと興味津々で三人を注視しているのに、ルーヴェルが最初に気付き、ひとまずバルドに説明する事にした。何せレオンなど見知らぬ筈の人物に話し掛けるのは不自然極まりない。
「我らが大将軍閣下はなんと寝違えて首を痛めたのだ。よりにもよって今日のような日にだ!」
仮面男達は思わず吹き出したが、何とか言葉を呑み込んだようで、無言でシルヴィンの方を眺めた。シルヴィンはうっすら赤面して軽く頭を下げた。それすら痛そうで、このような場面でなければ笑えただろう。情けない上官の姿にエクムントは目眩がしそうだった。
「その……大丈夫なのですか?」
バルドがためらいがちに尋ねたが、シルヴィンは首を振ろうとして失敗し、顔をしかめて首を擦った。
「すまん。期待しないでくれ」
「誰が期待するか!」
大幅に算段が狂ったルーヴェルまでが罵声を浴びせ、シルヴィンの頭を叩こうとしたが、縋るような眼差しで訴えられ、ルーヴェルは振り上げた拳を下ろした。
「面目無い」
気弱に謝る姿は哀れ過ぎて、アルスラーダですらそれ以上は追求出来ずに、呆れ顔のまま視線をずらすとアールファレムと目が合った。といっても仮面越しでは、ただこちらを向いているのが分かるだけだ。アールファレムは無言で成り行きを見守っていたが、ビクトールが警護兵にばれないよう声色を変えて尋ねた。
「棄権なさるのですか?」
「取り敢えず全力は尽くすつもりだ」
ルーヴェルは元気を無くした親友を冷ややかに見詰めていた。今更組み合わせの変更はきかないだろう。既にルーヴェルは部下に命じて、対戦表を作成させていた。大会はまだ二回目で少々前回と違っていても、それほど不満は出ないだろうと踏んだのだ。アールファレムが反対しても後の祭りである。
だがシルヴィンが戦力外となれば残るはアルスラーダとバルドしかいない。ジャンにはまずテオをぶつけ、その後アルスラーダとあたるようにしていた。一方アールファレムの方は、まずバルドとあたり、その後シルヴィンと対戦する事になっていた。
残念ながらハンス、ライナーはルーヴェルの計算から弾かれていた。これ以上は彼等の実力からいって厳しいだろう。
アールファレムを負かすのは、今のシルヴィンでは厳しいだろう。細工が裏目に出るとは昨日の時点で分かる筈がない。
これではアルスラーダとシルヴィンを入れ替える方がましである。今からでも強引に変更しようかと迷うルーヴェルだったか、バルドの咳払いにより、思考の中断を余儀無くされた。ルーヴェルが顔を上げると、金目のジャンが入口に立っていた。連れの男と共にジャンは室内を見渡し一礼すると、空いている椅子に腰掛けた。
アールファレムは仮面を被っているのをいい事に二人組を凝視した。ジャンの方でも視線に気付き、アールファレム達を興味津々にじろじろと眺めた。連れの男がジャンをつついて止めさせたが、張り詰めた空気が室内を満たした。その雰囲気を打ち破ったのは、老将軍マルクスだ。にわかに外が騒がしくなり、マルクスとライナーが元気よく駆け込んできたのだ。
「よしっ! 間に合ったわい。まったくとろとろしよってからに、儂の分も頑張るんじゃないのか!」
「誰のせいだ! 急いでいるのに、お代わりまでしやがって……」
ライナーはいつもの調子で言い合いしていたが、室内の注目が自分達に集まっているのに気付き、慌ててぺこりと頭を下げた。
「遅くなりました。俺が最後ですか?」
ライナーはテオの顔は知らないので、あるいはジャンの隣の人物ではないかと思ったのだ。ライナーの問い掛けに誰も答えようとせず、ライナーはようやく室内の雰囲気が険悪な事に気付いた。
目付きの悪いアルスラーダはよりいっそう凶悪な表情を浮かべ、鬼のような上官シルヴィンは浮かない顔で俯いている。あのルーヴェルすらしかめ面をしているのだから、きっと何か都合の悪い事が起こったに違いなかった。ライナーは仮面姿の主君を盗み見たが、特に問題なく元気そうにみえる。
入口で固まって動かないライナーの後ろから、少年、少女達が顔を覗かせた。フィリップ、ブルーノ、レオナ、それにジークが訪ねてきたのだ。三人は今日は休みを与えられ、揃って武術大会の観戦に来たのである。ルーヴェルがブルーノの為に座席を確保してやったのだ。
フィリップとレオナは勿論アールファレムを応援していたが、ブルーノは密かにライナーとマルクスを応援していた。浴場で会ってから、二人は何かとブルーノの事を気にかけてくれていたのだ。お菓子をくれたり、時には訓練をつけてくれたりもしたのだ。見知らぬ他人に囲まれ不安な日々を送るブルーノには、声を掛けてもらえるだけでも十分励みになっていた。
残念ながらマルクスは敗退してしまったが、その分もライナーには頑張ってもらいたかった。
大会にはブルーノの苦手なアルスラーダやシルヴィンなどが参加しており、なんとアールファレムまで参戦する事になった。アールファレムに対しては、未だに複雑な感情を抱いている。長い間抱いていた憎悪を霧散させるには、まだまだ時間が必要だった。
「ライナー様、どうか頑張って下さい」
ライナーはブルーノに気付くと、照れたように頬の傷を掻いた。
「ありがとう。ここから先は正直なところ、まったく自信がないんだが、無様な真似だけはしないように頑張ってみるよ」
ライナーがブルーノの頭を撫でると、ブルーノはくすぐったそうに首を竦めた。フィリップは仲の良い二人に気をとられ油断してしまった。
足元にいたジークがアールファレム目掛けて駆け寄ったのだ。室内が凍り付く中、ジークは尻尾を振り、アールファレムの足元にじゃれついた。アールファレムは慣れた手付きでジークを抱き上げると、隣のビクトールに渡した。
ジークは抗議するように吠えたが、ビクトールは頭を撫でながら宥め、フィリップに渡した。
「申し訳ありませんでした」
フィリップはジークを受け取ると、深々と頭を下げて謝罪した。
「フィリップ、ジークを連れてくるなら、しっかり抱いていろよ。その犬は見境なしに誰にでもなつく駄犬だからな」
アルスラーダは大した問題ではないと言わんばかりに涼しげな顔をしながら注意したが、その実、見た目ほどの余裕はない。ジャンだかケビンだか本名は知らないが、奴はタヘノスでジークを抱いたアールファレムに遭遇しているのだ。
案の定、ジャンはアールファレムを品定めするようにじろじろと眺めていた。しかもバルドやアルスラーダの視線すら意識しているようで、にやついた顔を一発殴ってやりたくなる。
「お邪魔して本当に申し訳ありませんでした。皆様のご活躍を楽しみにしています。どうか頑張って下さいませ」
フィリップが再び深々とお辞儀をして、部屋を後にすると、ブルーノもルーヴェルに向かって軽く手を振ってから、慌てて部屋を後にした。レオナはアールファレムの方を気にしていたが、変装しているアールファレムに声を掛ける訳にはいかない上、そもそも話し掛けられる立場にない。後ろ髪を引かれながらも二人を追い掛けた。
「それにしても辛気臭いのぉ。何があったのか?」
マルクスがいつもの調子でハンスに問い掛けた。他の面々はとても答えてくれそうになかったからだ。ハンスが言っていいものか逡巡している間に、最後の出場者がやって来てしまった。
同名の別人などではなく、ルドルフの元家臣で行方不明中のテオで間違いない。そのテオを追い掛けるようにイグナーツとリッケンが一緒に入ってきた。だがいくら二人が話し掛けても、テオは無言を貫いていた。テオはアルスラーダに気付くと、軽く礼をして、隅の方の壁にもたれ掛かり、イグナーツ達の追及から逃れるように瞑目した。リッケンはテオに詰め寄ろうとしたが、イグナーツが割って入った。テオは我関せずとばかりに黙り込んだままである。
「結局、テオはジャンとぶつけたのか?」
アルスラーダはルーヴェルを隅まで引っ張って小声で確認したが、ルーヴェルとしては変更するには急がなくてはならない。
「ああ。だが問題はあの馬鹿の後始末だ。ちょっとひとっ走り……」
言いかけたが、既に手遅れで、係りの役人が選手を呼びに来てしまった。
「皆様、お時間になりました。闘技場まで移動して下さい。ルーヴェル閣下達もそろそろお時間でございます」
ルーヴェルやマルクスは皇帝と並んで特別観覧席で観戦する事になっていた。一方、出場者は闘技場の舞台脇に観覧席が設けられている。今年から出場者には随伴が二人まで許されていた。無論エクムント達を側におく為の処置であった。
「じぃは俺の付き添いだから、気にしないでくれ」
マルクスも最初からそのつもりらしく、頷いて受け入れた。本当はブルーノも希望したのだが、ライナーが断った。今回の大会は何が起こるか分からない。子供を巻き込むわけにはいかなかった。クルトに頼むつもりだったが、それにはシルヴィンが難色を示した。特別観覧席に将軍が一人もいないとなれば流石に不審を招く。クルト一人でもいないよりはましである。無難にライナーの副官が務める事になった。
他の者の空いた枠にはそれぞれ腕利きの部下を指名してあり、選手用の観覧席は満員である。
イグナーツ達にはアールファレムの影武者の側に席が用意されている。リッケンに促され、イグナーツは不安そうにしながら、控室を後にした。
ルーヴェルもこうなればどうとでもなれと腹をくくった。アールファレムの表情は仮面に隠れて見えない。仕方なしにアルスラーダの肩を軽く叩いて励まし、イグナーツに続いた。
レオンの仮面の奥に、いたずらっ子のような笑みが隠れていた事は誰も知らない。




