82 その名はレオン
アールファレムは窓際でジークを抱きながら物思いに耽っていたが、ノックの音に振り向いて扉の方を見やった。
「よろしいですか?」
一応尋ねるルーヴェルだが、断られると思っていないのが、丸わかりの態度だった。
「既に入ってきているじゃないか」
アールファレムは呆れながらも笑みを浮かべており、シルヴィンは密かに胸を撫で下ろした。
「少しご報告があります」
「まだあるのか?」
アールファレムは心底うんざりしたようで、のろのろと椅子に腰掛けた。ジークを開放してやると、部屋を我が物顔でうろうろし出した。二人はそのまま真向かいに座り、将軍達との話し合いの内容を伝えた。
「勝手に判断を下しまして、申し訳ありません」
「構わんさ。機会をみて話そうと思ってたんだ」
アールファレムはにっこりと微笑んで、シルヴィンをどぎまぎさせた。簡単に揺れ動く自分の感情がいっそ恨めしい。初心な若者に戻ったようで、以前普通に接していたのが嘘のようだった。
「シウが同行してくれるなら心強い。頼りにしているぞ」
シルヴィンの内心を知らないアールファレムの目は信頼に満ち溢れていた。シルヴィンの心の動きを正確に読み取っているルーヴェルは気の毒に思い、惚けるシルヴィンを肘でつついた。我に返ったシルヴィンは慌てて居住まいを正すと、アールファレムの視線を正面から受け止め、しっかりと頷いてみせた。
「ベルノルトを動かす事に異存はない。至急早馬で知らせるようにしておいてくれ」
「ではアルファ様。ベイロニアに対してはいかがなさいますか。無条件で信頼するには賢王の情報が不足しております」
「リベリオの話ではかなり嫌な奴らしいな。だが心配しなくていい」
アールファレムにはどうやら確信があるようで、ルーヴェルとシルヴィンはそれ以上の追求はしなかった。どのみち将軍が足りていない現状で、全ての場所を警戒するのは不可能であり、可能性の低いところに回す余剰はない。
シルヴィンの表情が険しくなり、瞑目して悩みだした。ことの発端がカスパードにある事を痛感しているからである。今すぐゾレストにいってカスパードの首を刎ねてやりたかった。憎悪の念にかられるシルヴィンを見詰めるアールファレムの表情は慈愛に溢れている。
「焦るな。シウ、大丈夫だからな」
アールファレムはたった一言だけで、シルヴィンを落ち着かせた。アールファレムの言葉が心に染み渡り、憑き物が落ちたように穏やかになるのが自分でも分かった。
「まだまだ未熟者でお恥ずかしい限りです。醜態を見せて申し訳ありませんでした」
「私なんか毎日叱られているぞ。アルスにルーヴェルにモニカだろ。醜態の一つや二つ気にするな」
「アルファ様は少しは威厳を持つようにして下さいませ」
ルーヴェルは少し困ったように顔をしかめたが、場を和ます為に言っただけで、本気で注意した訳ではない。アールファレムが真面目に政務に励むのは歓迎するが、面白味のない人物に成り下がるぐらいなら、今の人間味溢れるアールファレムでいて欲しい。本音を言えば、我が儘を少しばかり控えて欲しいが、その我が儘すら愛しいのだから、つける薬はない。
アールファレムはぽりぽりと頭を掻いて、素知らぬ方向を見て誤魔化した。
「それでアルファ様、武術大会の登録名をお伺い致します」
「おいおい! それをばらしたら面白くないだろう」
「いくらお顔を隠されても私やアルスラーダが剣筋を見れば、すぐに判別つきます。先程エクムント達が警護するのを引き受けて下さったではありませんか。万全の体制で予選に臨む必要があります」
シルヴィンにまるで子供を諭すような口調で指摘され、アールファレムは口を尖らせて、またもや視線を逸らした。王者の威厳などは見る影もなく、拗ねた子供のようだった。アールファレムはこの手の事で我慢などした事はない。貴族として皇帝として、我が儘を通してきた。
「……既に予選の組み合わせは決まっているな」
「勿論です。明日からですからね」
「なら細工は出来ないな。レオンだ。ハンスに頼んで登録してもらったんだ。本選もいじるなよ」
得意気に語るアールファレムを余所に、ルーヴェルは懐から対戦表を取り出し、レオンの名前を探した。シルヴィンが盗み見ようとするので、ぺしりと叩いた。
「けちっ! 別にいいじゃないか。どうせ明日には分かる事だろうが」
「うるさい! ……あった。クルトと一緒の組か。どうしようかな」
「そのままいけばいいだろう。どうせ本選まで残れば誰かに当たる事になるんだ」
アールファレムは既にクルトとの対戦に思いを馳せているらしく、盛り上げる為に実力者を分散する以外の細工を断固として認めようとはしなかった。その為に対戦表を取り上げようとしたが、ルーヴェルはそれを躱した。シルヴィンが二人の攻防を横目で見ながらも、隙あらば覗こうとするので、ルーヴェルは対戦表を仕舞い、これ見よがしに服の上から、ぽんぽんと叩いた。シルヴィンは少し残念そうにしながらも、仕方無しにルーヴェルから情報を引き出す事にした。
「今回将軍以外で勝ち残りそうな奴はいるのか? 将兵の参加率は高いらしいが、中には近衛も混じっているらしいじゃないか」
「ああ。意外にもバルドが参加している」
二人とも予想外だったらしく、目を丸くして驚いた。
「アルスラーダが離れる時に珍しいな。…………んっ? そうか。どちらにせよアールファレム様の警護につけないのなら一緒だな」
アールファレムが武術大会に参戦するなら、特別観覧席に座るのは影武者になる。なら隊長であるバルドが側にいる必要はなく、むしろ参加した方がアールファレムの近くにいれる確率が高い。バルドは部下にも積極的に参加するよう呼び掛けていた。お陰で昨年より参加人数は膨れ上がっていた。
「バルドのお陰で大会の警護もやり易くなっている。妙な連中が入り込んでもこれだけの人間が参加していては、下手な真似はしにくいだろう。バルドにもレオン様には注意を払うように頼んでおこう」
「あまりばらすなよ。せっかく偽名を使っているんだ……」
二人から睨まれてアールファレムは決まり悪そうに下を向いてしまった。
「ハンスには口止めしたのに、何故バルドにばれたんだろうな」
アールファレムがぶつぶつぼやいていたが、側仕えでも皇帝に近い者ほど、皇帝の不審な態度から察しがついていた。モニカやハンスなどは影武者の選定、衣装、当日の抜け出し方なども協力させられていた。ハンスはアールファレムの代理登録をする際、自らも参加するようアールファレムから命じられていた。元より参加するか迷っていた為、決断を後押しされた形になった。
「とにかくケビンとあたったら棄権してもらいますからね。後で皆の前でも約束して頂きます」
「信用していないのか!」
わざとらしく憤慨してみせたが、ルーヴェルにじっと見つめ返されると、途端に黙り込んだ。
「そうなるといじる必要がないんじゃないか?」
シルヴィンの言う通り、アールファレムさえケビンと対戦しなければいいのだから、特に小細工は必要はない。だがもし二人が決勝戦に残った場合、果たしてアールファレムが棄権出来る状況かどうかだ。決勝が不戦勝となっては、大会が盛り下がるのは必至である。
ルーヴェルの理想はアールファレムかケビンどちらかが敗退してくれる事だ。となるとアルスラーダかシルヴィンをアールファレムにぶつければよい。だがアールファレムに負けてくれなど口が裂けても言いたくない。
そんなルーヴェルの心中も知らず、アールファレムとシルヴィンは明日が楽しみだなどと呑気な会話を交わしている。じとっとした目でアールファレムを見詰めると、こちらの視線に気付いたようで、小首を傾げた。
「何か言いたいのか?」
「いえ何もありませんよ」
「気にし過ぎか。それでアルスはどうした? さっき出ていってから、会ってないのか?」
ついでのように尋ねているが、実は先程から気になっていたのだ。ルーヴェル達が無言でじっと見詰めると、微かに頬を赤らめた。
「アルファ様、クルトも勘づいています。恐らくビクトールもです」
主語を言う必要もなく、アールファレムは眉を寄せて、机の上に載せている手で握りこぶしを作った。
既にフリードリッヒ、そしてモニカにもばれているらしいのだ。ただ全員が伝聞で、直接アールファレムに確認してきたのはシルヴィン唯一人だ。かなり手荒い確認方法だったが、今となれば欺いていた代償ととれなくもない。もっとも今後、他の者がそのような手段に訴えてきても、断固として断るしかないが。
「自覚はないのだが、私はそれほど変わったように見えるか?」
「見違えるほどに変化なさいました。今まではどちらかというと中性的な魅力だったのですが、女性的に成長なさいました。本来でしたら歓迎すべきでしょうが、残念ながらアルファ様の場合、都合が悪すぎます。変化の原因がアルスにあるのは間違いありません」
切っ掛けがシルヴィンであれ、ここまで変貌したのはアルスラーダの力に因るところが大きい。
「このままでは時間の問題でしょう。破局を迎える前に少なくとも将軍達の信用を得る必要があります。アールファレム様、彼等は絶対に裏切りません。私が保証します」
それはシルヴィンに言われるまでもなく、アールファレムには分かっていた。それでもその決断を下すには非常に勇気がいった。
女性であると知った時、果たしてライナーやマルクスが今までと同じ態度でいてくれるのか? 女性としてのアールファレムを受け入れてくれるだろうか?
「アルスにはシャリウス滞在時にはアルファ様の側を離れるように命じました。今は一人その事で悩んでいます」
「…………アルスのせいじゃない」
アールファレムは長い沈黙の後、反論したものの、その声は小さく弱々しかった。あまりの痛々しさにシルヴィンは直視出来ずにいたが、ルーヴェルとて気持ちは同じである。それでもほだされる訳にはいかないのだ。
「今更距離を置けとは申しません。取り敢えずシャリウスにいる間だけで結構です。どうかご辛抱下さいませ」
シルヴィンにも以前注意されていたが、自覚のないアールファレムは特に注意をはらっていなかった。
だが今後はそういう訳にはいかないだろう。今更わざと男らしく振る舞うのは無理があり、余計に怪しまれるのが関の山で、具体的にどうすればよいのか分からなかった。精々アルスラーダとの仲を悟られないようにする事ぐらいだろう。ルーヴェルはシャリウスにいる間だけと言ったが、本来なら今も慎む方がいいだろう。
「分かった。今後は控えるようにする。アルスには私から伝える」
アールファレムは今回は我が儘を通そうとはしなかった。いくらなんでもそれぐらいの分別はある。ただ、一度温もりを知った以上、本当に我慢できるか自信がない。
以前の陛下と呼ばれていた頃に戻るのは絶対に嫌だった。体だけではなく、心で繋がっている筈だと言い聞かせても不安が残る。
アルスラーダがカスパードにしたことは、未だにアールファレムの心にしこりを残していたのだ。またアルスラーダが怪物になるのではと不安になるのだ。アールファレムだけでなくアルスラーダも変わった。だがもし自分と距離を置けば、また不安定になるのではと心配してしまう。無条件に信頼出来れば、どれほど幸せなことか。
心配そうにアールファレムを見詰める二人に気付き、内心を押し殺して安心させるように頷いた。
「是非そうなさいませ。それで将軍達には打ち明けられますか?」
「少し時間をくれないか。シャリウスに行く前には伝えるつもりだ。すまんが同席して欲しい」
「勿論同席致します。問題は離れている面子ですが、いかがいたしますか?」
「順次話していく。今まで騙していたんだ。直接詫びるのが筋だろう」
アールファレムは決心したらしく、もはやその目に迷いはない。だが次の言葉は余計だった。
「武術大会の前に話すと、ただでさえ手加減されそうなのに、余計に相手してもらえないだろうからな」
真剣に言っているらしく、シルヴィンとルーヴェルは苦笑して顔を見合わせた。
「本当に楽しみにされているのですね。まさか優勝を狙っておいでですか? こればかりはお譲りしませんよ」
シルヴィンは呆れながらも、アールファレム相手でも手加減するつもりはない。アルスラーダとケビン、双方とも自分の手で下すつもりなのだ。
「勿論、実力勝負で頼む。全員覆面でしてくれれば楽しいのにな」
「そんな胡散臭い大会は観客が怒りますよ。それよりアルファ様、覆面で試合に臨まれるのですか?」
「明後日楽しみにしていろ。必ず本選には残って見せるからな」
先程までの真剣な面持ちは見る影もなく、高らかに笑うアールファレムだった。完全に切り替わった訳ではないが強がりでもない。楽しめる時には存分に楽しむのがアールファレムの主義だ。今は思い悩むより、目先の楽しみに集中する方が余程建設的というものだ。アールファレムが笑えば笑うほど、シルヴィン達の不安は募っていくのである。
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