79 我が儘と譲歩
イグナーツと一緒に昼食をとり、上機嫌のアールファレムの前に、最も信頼する三人の重臣が顔を出した。三人とも表情は硬く、アールファレムは警戒心を抱きながら三人を出迎えた。アルスラーダが無言で手紙を差し出すと、アールファレムは嫌な物を見るように置かれた手紙をじろじろと眺めた。
「フリードリッヒからです」
意表をつかれたアールファレムはすぐに手紙を読み始めた。フリードリッヒの誠実な人柄が文面によく現れていた。三人が無言で見守る中、読み終えたアールファレムは深く溜め息を吐いた。
元々サミュエル王子の印象はかなり悪い。姉が陽だとすると、弟は陰だ。あの姉弟は髪の色以外まったく似ていない。成り上がりのアールファレムとは会話を交わそうとすらしなかった。傲慢な坊やというのが正直な感想だ。
「結局カスパードを唆したのもサミュエルなのか?」
最早敬称を用いるのも馬鹿らしく、アールファレムは嫌悪感を隠そうともしなかった。
「その手紙に書かれている以上の事は判明しておりません。よってどちらからかは不明です。ただ秋頃という事は少なくともデュークとは接触しているでしょう。つまりシャリウスの武力を当てにしての蜂起とみて間違いないかと存じ上げます。アルファ様、シャリウス行きは中止なさいませ」
「する筈がない! はっきりさせてやる!」
アールファレムがテーブルを拳で叩き付けると、正面に並んで座る三人は互いに顔を見合わせた。その態度もアールファレムは気に食わない。
「言いたい事があるなら言ったらどうだ」
真ん中に座るアルスラーダは見えない場所を二人につつかれて、代表して応えた。
「暗殺の危険があります」
「そんなものいつだってあるさ」
「明確な悪意がある以上、いつもとは訳が違います。それとアルファ様は武術大会にも参加するおつもりですよね」
アールファレムは正面から尋ねられ、ぷいっと視線をずらした。
「参加しないさ」
「なら目を見て話して下さいませ。ケビンは本当に危険だと私は何度も申し上げました」
「ケビンと当たるとは限らんだろう」
「つまり認めるのですね」
「……危なくなったら棄権する」
「その隙があると思うのですか?」
「……それぐらいは出来るさ」
形勢不利なアールファレムは救いをルーヴェルに求めたが、ルーヴェルの表情は険しい。ルーヴェル達は武術大会のアールファレムの参加は渋々見逃すつもりだったが、こうなった以上、アールファレムには我慢してもらうしかない。シルヴィンの方を見ると、俯いてアールファレムの視線から逃れた。援護が得られないと悟ったアールファレムは強気に出る事にした。
「嫌だ。自分の身は自分で守れる」
「では武術大会は参加、シャリウスにも行かれる、そう仰るのですね」
「当然だ」
アールファレムはふんぞり返って、アルスラーダの顔を正面から見据えた。だがアルスラーダに退くつもりはないのは態度からして明らかで、二人は睨み合った。お互い一歩も譲るつもりはなく、息が詰まるような沈黙が長い間続いた。
「アルファ様。あまり我が儘を仰いますな。何か譲歩なさいませ」
ルーヴェルは宥めるようにアールファレムに言い聞かせたが、アールファレムは頑なに頷かなかった。
「年に一回しかないんだぞ」
「では来月また開催しましょう。今更延期する訳にはいきませんが、別に回数を増やしてもいいでしょう」
「有り難みがないだろう」
アルスラーダの提案を即座に却下したが、それ以上喋る気はないらしかった。
「それでどうやってアルファ様をお守り出来るのですか。自ら危険に飛び込むのはいつもの事ですが、今回は戦ではありません。不要な危険を冒す必要がどこにあります?」
「私が楽しむ為だ。引き際はわきまえている」
「残念ですが今が引き際です。アルファ様は無謀過ぎます」
「嫌だ!」
「だから我が儘を……!」
アールファレムは勢いよく席をたつと、窓際まで近付くと、窓の外に視線を向けた。これ以上会話するつもりがないのは明白だった。
「アルファ様、聞いているのですか?」
「なんで我慢しなくちゃならない! 楽しみにしていたんだぞ! 今になって駄目なんて認められるか!」
最初から駄目と言っていたのだが、アルスラーダ達が本気で妨害しなかったのも事実である。だが子供のように駄々をこねる姿は王者とも思えない。いやむしろ我慢できないのは王者ゆえともいえた。
アルスラーダがわざと音を立てて立ち上がると、アールファレムは一瞬体をびくつかせたが、意地でも振り向かなかった。アルスラーダはつかつかと大股で歩み寄り、アールファレムを後ろから抱き締めた。アールファレムは狼狽したが、ルーヴェルとシルヴィンは素知らぬ振りで沈黙している。
「アルファ様」
アルスラーダは穏やかな口調で耳元で名前を囁いた。
「人前だ!」
「あの二人など気になさいますな。私だけを見て下さい」
アルスラーダは頭を撫でて、更に耳に息を吹き掛けた。ルーヴェルとシルヴィンは予定通りとはいえ、馬鹿馬鹿しくてまともに見てられなかった。
「アルス……。ケビンと当たったら棄権する。約束する」
「控え室で襲われるかもしれません」
「護衛をつけてくれればいい。アルス頼む」
「仕方ありませんね。警護は既にエクムントとビクトールに頼んでいます。ですが絶対にケビンとの対戦は避けて下さいね」
「分かった」
アールファレムはアルスラーダの腕の中から逃れようともがいたが、アルスラーダが力を弛める気配がない。アールファレムはルーヴェル達を気にして苛立った。
「アルス! もう離せ!」
「まだもう一つの案件が残っています」
「そちらは絶対に譲らん! 我が国に手出しするのは百歩、いや千歩譲って許してやる。だがジェラルド王の死に……」
「それはフリードリッヒ達の推測に過ぎません。私達はそちらの確率は低いと見ています。容態が悪く、死を待っていただけではないでしょうか。流石にオリアンヌ様やクリストフ将軍が黙っている筈がありません」
アールファレムはアルスラーダに身を預けながら考えこんだ。冷静になれば言う通りで、いくら王子とはいえ、無事ではすまないだろう。
「分かったが、葬儀に参列しない訳にはいかん。現時点でシャリウスは同盟国だ。無視出来ない」
「内憂があるため名代を立てるといえば問題はありません。ルーヴェルが務めます」
「駄目だ。随行の将兵を増やすようにしてくれ。警戒されない程度でな。念のため国境にも兵を待たせておく。話が以上なら下がってくれ。少し疲れた」
「かしこまりました。随行者はもう一度練り直す事にします」
まだアルスラーダとシルヴィンは不服そうだったが、ルーヴェルはこれ以上の説得は無理と判断した。決断したアールファレムに何を言っても時間の無駄だからだ。アルスラーダに目配せして、ルーヴェルとシルヴィンは退室していった。
アールファレムはアルスラーダにもたれ掛かったままである。暫しそのまま身を委ねていたが、急にくるりと向きを変えて、アルスラーダに抱き着いた。がっしりとした胸板が頼もしく、アールファレムに安心感を与えた。
「少しこのままでいてくれ。まだ頭の中が混乱している」
アルスラーダはアールファレムの背中に右手を回し、左手で頭を撫でた。暫く頭を撫でているとアールファレムも落ち着いたようで、大丈夫と言わんばかりに、アルスラーダを見上げた。アルスラーダは少し笑い、アールファレムの顎を持ち上げると、何をされるか分かったアールファレムは瞳を閉じた。
アルスラーダは少し顔を傾け、アールファレムに口付けた。優しく触れるだけのそれに物足りないのか、アールファレムは更に体を密着させた。アルスラーダが喜んで応じたのは言うまでもない。




