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76 最前線サンデルの新年

 ゾレストの南にあるサンデルの砦ではマルティンがハリーのいじけた態度にうんざりしていた。


「新年早々鬱陶しい!」

「だってよぉ。敵は攻めてこないわ、寒いわ、何も良いことがない! くそぅ。こんな事なら帝都に残っていればよかった」


 二人は見張り台の上で、代わり映えしない雪景色を眺めながら会話していた。といってもハリーがぼやき、マルティンが叱り飛ばすのはいつもの光景なので、兵士達は遠巻きに二人を警護するだけだった。

 ハリー達も今まで何もしていない訳ではない。というかハリーが我慢出来る筈がない。

 サンデルとゾレストの間にはリンサの兵糧庫がある。この辺りは雪で閉ざされる為に、その貯蔵量は相当な量である。そもそも秋口にそのリンサからゾレストに大量の輸送があった為に、不審に思った担当者から帝都に問い合わせがあり、カスパードの謀反が発覚したのだ。もっともその情報はアルスラーダにより隠蔽され、アールファレム達が知ったのは大分先になった。

 ハリーは到着早々、兵士を引き連れ、リンサに押し掛けた。だがハリーの思惑とは別に、あっさり無血で行われ、肩透かしをくらった。彼等もカスパードの謀反にどう対応してよいか分からず、ハリーが来てくれて助かったのだ。喜んで残りの糧食と共にサンデルに引き上げた。その間、ゾレストからの動きはなかった。

 その後も哨戒を続けているが、時折ゾレストからの脱走兵を受け入れるぐらいで、軽い小競り合いが数度起きただけだ。それもハリーが駆け付ける間も無く終息してしまい、ハリーは欲求不満に陥っているのだ。

 再三出撃しようとマルティンに持ち掛けるが、マルティンは絶対に許可しなかった。今回の任務はハリーの方が主将として立場が上だが、それを笠に着るようなハリーではない。

 もっともそう簡単に従うような男がお目付け役に選ばれる筈はない。皇帝からの命令は単純明快で、春までハリーを宥めろというものだ。

 直接マルティンに命令したのはシルヴィンとアルスラーダだった。マルティンにとっては関係のない筈の出兵会議の朝、シルヴィンに呼び出され、とんでもない任務を命じられたのだ。あまりの内容にマルティンは暫く固まってしまった。引き締まってはいるが、小柄なマルティンは歳のわりには若くみえた。アールファレムの部下の中では珍しく無愛想な男であまり無駄口は叩かない。いつもむすっとしているので怒っているように見えるが、別に機嫌が悪い訳ではなく元々そんな顔なのだ。それを周囲が勝手に誤解して気を遣い、それがマルティンが苛立たせ、結果的に機嫌が悪くなるのだ。だが今のマルティンは正真正銘、機嫌が悪い。


「あれの面倒を私にみろと仰るのですか?」

「他に適任がいない。すまんが頑張ってくれ」

「先月末に娘が産まれたばかりなのですが」

「そうだな。娘の為にも手柄を立ててくれ。マルティン、気の毒には思うが決定事項だ。諦めろ」


 この時マルティンは上官に対し、本気で殺意を抱いたのだ。その後アルスラーダがアールファレムの名前をちらつかせ、マルティンは渋々引き受けざるを得なかった。


「おい! 聞いているのか?」


 不愉快な回想から不愉快な現実に引き戻されたマルティンは、同僚には答えず改めて雪景色に目を向けた。ゾレスト出身のマルティンだが寒いのが大嫌いなのだ。アールファレムからの勧誘に二つ返事で応じたのは、ゾレストから離れたかったのも大きな理由の一つだ。無論それだけではないが、誰にも言うわけにはいかないその理由は嫁にすら話していない。四十歳のマルティンは嫁を溺愛していた。十二歳も年下で二人の子供と一緒にデルレイアでマルティンの帰りを待っている。

 シルヴィンへの報告書は今まで三度出したが、妻への手紙は毎日したためている。もっとも毎日送る訳にはいかず、報告書を届ける時にまとめて渡す事しか出来ない。返信は今まで二回受け取っていた。それを毎晩読み返すのが寝る前の儀式になっていた。

 可愛い息子はまだ字も書けず、判別出来ない絵が同封されていた。気の利く妻は娘の手形を送ってきて、マルティンはあまりの小ささにそっと紙を撫で、傍で成長を見てやれない事を悔やむのだ。娘の手形だけは常に懐に入れて持ち歩いている。マルティンは着膨れした服の上から、手形を大事そうに擦り、隣の大男に目を向けた。

 ハリーのぼさぼさの銅色の髪に緑色の瞳が憎らしい。マルティンが腹立たしいのは、愛する妻とハリーが同じ色の瞳をしている事だ。勿論、妻の瞳の方が数倍綺麗で新緑を思わせるほど瑞々しく澄んでいる。対するハリーの目は濁って汚ならしい。あくまでマルティンの印象であり、ハリーが聞けば目を剥いて怒るだろう。


「お前以外が志願していれば、俺がくる事はなかったんだ」

「俺が頼んだ訳じゃないわ。カスパードの奴に文句を言えよ」

「彼奴には感謝していたんだがな」


 実はゾレストへの赴任に関しては、まずマルティンに打診があったのだ。その時は妻が寒さに弱いので、どうか他の者にと押し付けたのだ。その結果がこのようになってしまい、マルティンとしては、今回の事態に対して複雑な感情を抱いていたのだ。


「カスパードに感謝? 何だそれ?」

「単純なお前には分からんさ」


 憎たらしい物言いにハリーは舌打ちして、マルティンから目を逸らした。ハリーとしてもマルティンに負けず劣らず相方に不満を抱いていた。このサンデルに来てから、ハリーはマルティンの笑顔を一度も見ていない。いつもむすっと怒り、ハリーとしては居心地が悪い事この上ない。せめてフリードリッヒやモーリッツとはいかなくても、ライナー辺りなら一緒に馬鹿な事を言って楽しめるのだが、無い物ねだりしても仕方無い。二人は揃って溜め息をつき、あまりに同時だった為、顔を見合わせた。


「マルティン、手合わせしないか?」

「貴様はそれしか知らんのか? 他にする事はあるだろうが!」

「雪景色を眺めるよりましだろうよ! 帝都にいれば武術大会も楽しめたのにな。はぁ〜」

「ならここでやればいいだろう。どうせ皆退屈しているんだ。暇潰しにはいいんじゃないか」

「……お前! 天才か!」


 ハリーは目を輝かせて、マルティンの手を握った。嫌そうなマルティンの手をぶんぶんと振り回した後、ハリーは走ってマルティンの前から立ち去った。ようやく解放されたマルティンは大きく息を吐いた。白い息にうんざりしながら、砦内に戻ろうとするマルティンに兵士が声をかけた。


「閣下も参加なさるのですか?」

「当たり前だ。合法的に奴をぶちのめす絶好の機会だ。今までのうっぷんを晴らす! 覚悟しろよハリー!」


 マルティンは腕をぐるぐる回し、高らかに笑いながら立ち去った。兵士達は顔を見合わせ、肩を竦めた。結局二人共、戦闘馬鹿なのだ。口で言うほど相性は悪くなかった。本当に嫌なら毎日一緒にいないだろう。

 このように最前線サンデルは今日も平和である。

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