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75 フリードリッヒからの便り

 厳粛な空気の中、儀式は粛々と進められた。アールファレムの出番は最初だけで、後は大神官の眠たくなる有り難い説話が延々と続いた。マルクスは説話が始まるや否や、堂々と眠りだした。やがて最前列で大きないびきをかき始め、静かな大聖堂に不快な音が響き渡った。厳めしい表情の神官がマルクスの前で腰に手を当てて、文句を言おうと大きく口を開いた。慌ててライナーが肘でつつくとマルクスはよだれを袖口で拭いながら、呑気に苦情を申し立てた。


「なんじゃ。うっとうしいのぉ」


 マルクスは目をしばたたかせ、目前の神官に気付くと、少し決まり悪そうに姿勢を正した。目線で神官を追い払い、ライナーに注意した。


「もっと早く起こせ!」

「知るか!」


 大神官が咳払いすると、二人は口をつぐんで真面目な顔を取り繕い、正面を向いた。シルヴィンの眉尻がぴくぴくと痙攣したが、左隣に座っていたアールファレムがシルヴィンの膝に軽く手を載せて宥めた。退屈な儀式に飽きていたアールファレムは、実はマルクスのいびきで目覚めたのだ。神官達は皇帝は目を瞑り、神に祈りを捧げていると信じていたので、気付かなかったようである。

 シルヴィンはみるみる目尻を下げて柔和な表情を浮かべた。アールファレムの左に座っているアルスラーダの小さな舌打ちはシルヴィンには聞こえなかった。

 長い儀式もようやく終わり、まずアールファレムが退席し、その後高官が続いた。後方にいた一般の参列者は頭を下げ、アールファレムが通り過ぎると、せめて後ろ姿を見ようと必死に首を伸ばした。中央の通路は広く、均等に近衛兵が立ち皇帝の安全確保に目を光らせていた。少しでも手を伸ばすような素振りをすればたちどころに兵士が立ち塞がった。

 アールファレムは宮殿に着くなり、大きなあくびをしてアルスラーダに見咎められた。


「神官の説教はなんであんなに眠くなるのかな」

「説教ではなく、神の教えですよ」


 アルスラーダがたしなめたが、アールファレムは首を竦めながら、愚痴を続けた。


「あの連中が本当に神の声を聞いたのか? 神の代弁者など胡散臭い。まさか大神フレイダルが顕現したとでもいうのか」

「陛下。流石に人前で大神の悪口を仰るのはお控え下さいませ」


 恐る恐るビクトールが意見を述べたが、アールファレムはあっさり反論した。


「私は大神の悪口を言っているのではなく、神官どもの態度が気に食わないと言っている」


 アールファレムの意見には大半の者が同意見だが、敬虔な信者であるビクトールとしては容易に首肯しかねた。

 だがフレイダル教の上層部の神官達のやりように批判的なのはビクトールも同じだ。拝金主義とまではいわないが、それに近いものは感じる。もう少し清廉潔白な神官が多ければ良いのだが、いかんせん地位が上にいくほど反比例しているようだ。


「ビクトール、済まないな。不快にさせてしまったか?」

「どうかお気になさらずに。信仰とは強制するものではありませんから」


 そう言われても、流石にこれ以上批判する訳にはいかないだろう。アールファレムに信仰心がなくても、部下に強制するつもりはない。だがアールファレムのそうした姿勢は部下に伝わっているのは事実である。将軍達は自らの意思でそうしているが、一般の兵士などは皇帝に影響されている者が多い。彼等はむしろ皇帝を信仰しているといっても過言ではない。アールファレムが右を向けと言えば、疑問すら抱かずにいつまでも右を向くだろう。


「皇帝の発言にどれ程の影響力があるか、もう少しお考え下さいませ」


 アルスラーダはアールファレムの反省を強く促した。皇帝教の信者筆頭であるアルスラーダだが、立場としてはフレイダル教を否定する訳にはいかない。


「分かっている。あれっ? たしかあれはレイフだったかな」


 アールファレムは見覚えのある若者の姿を視界に捉えた。アルスラーダがアールファレムの視線を辿ると、イグナーツの部下らしき集団が脇に立っていた。五名の内、名前が分かるのはレイフぐらいで、残りの内二人はリッケン小隊の隊員で見覚えがあった。レイフは将軍達が一斉に自分の方を向いたので、思わず後ずさった。他の者は慌てふためき、頭を下げた。


「レイフ久し振りだな。イグナーツのお供か?」


 アールファレムは歩み寄ると、笑顔で右手を差し出した。レイフは気後れしたまま、恐る恐る右手を握り返した。


「はい。先程到着したばかりです」


 アールファレムの背後からの視線が恐ろしいが、アールファレムはレイフの手を離してくれない。不審な男を品定めしているようで、いくら無神経なレイフといえども、居心地が悪かった。

 もっともイグナーツの名前が出た為、大抵の者はレイフの素性を察していた。だがアールファレムがあまりにも馴れ馴れしすぎるので、皆の視線に険がこもる。レイフとしては勘弁してほしいところである。


「アルス、イグナーツに私の部屋に来るように伝えてくれ」


 アールファレムは返事も聞かず私室へと向かい、すかさず近衛がアールファレムの前後を固めた。アルスラーダが離れる場合は隊長のバルドが指揮を執る。むしろアルスラーダの方が近衛の職責を侵している訳だが、バルドは皇帝が無事なら、その辺りは拘らない。


「かしこまりました。レイフ、イグナーツ様の元へ案内を頼む」

「はい! 直ちに! では皆様ごきげんよう」


 レイフはこれ幸いと急ぎ足で立ち去る事にした。


「随分お調子者だな」

「人の事がいえるか!」


 クルトは感心してレイフの人物評価をしたが、マルクスがすかさず突っ込みをいれた。そんな二人の肩にシルヴィンが手を回した。


「そうだな。人の事が言えた義理じゃないな」


 笑顔で手を食い込ませていくと、二人から悲鳴が上がった。


「痛っ……! もうちょっと加減をして下さい!」

「老人を労れ!」

「いつもながら何をやっているんだか」


 ルーヴェルは繰り返しおこる馬鹿騒ぎに呆れて肩を竦めた。祝賀会まではまだ時間があり、流石に今日ばかりは仕事をするつもりはない。視線をふと脇にずらすと旅装束の兵士が一目散に自分の方へ向かってくるのに気付いた。他の者も気付いたようで、兵士に注目が集まる。兵士はシルヴィンを見て一瞬迷いを見せたが、改めてルーヴェルに向かい、懐から手紙を取り出した。


「フリードリッヒ閣下よりお預り致しました。どうか御覧くださいませ」

「フリードリッヒが? 確か一昨日報告書が届いたばかりだろう」


 後半はシルヴィンに向かって話し、ルーヴェルは手紙を開封し読み始めた。


「ああ。昨日陛下に提出したばかりだ。その直後急ぎの用が出来たという事か」


 シルヴィンが兵士をじろじろと眺めると、兵士はやや後ずさった。勿論フリードリッヒはシルヴィンの部下である。そのフリードリッヒが自分ではなくルーヴェル宛に手紙を出すのは少し不自然だろう。


「宰相閣下か補佐官閣下に直接お渡しするよう仰せつかりました」


 シルヴィンの視線に耐えかねた兵士は聞かれもしないのに言い訳を口にした。シルヴィンとしては頭を掻くしかない。別に咎めるつもりはなく、フリードリッヒがいまだに自分を信用出来ないのはやむを得ないと自覚している。

 手紙を読み終えたルーヴェルの表情は非常に険しく、ろくな内容でないのが容易に見てとれた。そもそも早馬でくる報せに吉報など有り得ない。


「どうやら最悪の予想が当たったらしい。取り敢えずシルヴィンは一緒に来てくれ。他の者には後で話がある筈だ」


 ルーヴェルは道すがら、シルヴィンに手紙を渡し読ませた。歩きながら手紙を読むシルヴィンの顔が強張っていく。


「俺でなくお前に託したのは、陛下の安全に関わるからか」

「そうらしい。一度失った信頼を取り戻すのは難しいな。実直なフリードリッヒらしい」

「精進するよ。それでどうする? イグナーツ様との会談の中断してまで、報告する必要があるか? 今更そこまで急ぐ事もあるまい」

「先にアルスと三人で話をしておこう」

「そうだな。しかし新年早々に問題がおこるとは嫌な一年になりそうだ」


 フリードリッヒのもたらした凶報は深刻で、今後の展開を思うと、二人は揃って溜め息を吐いた。


「大将軍閣下。何かいい知恵を出してくれよ」

「無いものは無理だ。アールファレム様の反応を想像するだに恐ろしい。絶対に荒れるぞ」

「だろうな。ここはアルスに任せよう」


 シルヴィンからすればルーヴェルの態度は意外だった。今までは何かあればルーヴェル自身がアールファレムに向き合っていた。自分の方がアールファレムを理解していると自負していた筈だ。


「アルスラーダに出来るか?」


 遠回しにお前がやれと言ったのだが、ルーヴェルは首を振った。


「そろそろ兄離れをしてもいい頃さ」

「数日前までは拘っていたようにみえたが、いったい何があったんだ?」

「新年にあたり私も変わる事にした。ここらで関係性に進展があってもよかろう」

「まぁお前がいいならそれでもいいさ。ただあまり急激に行うなよ。あの御方は少し不安定なところがおありになる。アルスラーダだけで支えられるかどうかしっかり見極めてくれよ」

「もう少しアルスを信用してやれよ」


 シルヴィンはどちらかというとルーヴェルの方を疑っていた。アルスラーダに任せる振りをして、もて余すのを期待しているのではないかと勘繰ったのだ。


「本当に信用しているのだな?」

「こんな事で嘘を言ってどうする。それにアルスに無理なら私にも無理だ。悲しみならともかく怒りはな。せいぜい落としどころを先に相談するとしよう」


 ルーヴェルはシルヴィンの肩に手を置いて笑いかけた。アールファレムとルーヴェルの歪な関係を正したのは他ならぬシルヴィンなのだが、本人は気付いていないようだ。今までアールファレムだけにしか興味を持てなかったルーヴェルの心にずかずかと入り込んだ癖に、無自覚な態度は少し無責任ではないかと不満すら抱いてしまう。

 シルヴィンが嫌そうにルーヴェルを引き剥がすと、アルスラーダがブルーノと一緒にアールファレムの私室から出てきた。


「こんな廊下でいちゃついていてはまた噂が再燃するぞ」


 アルスラーダの一言でシルヴィンはげんなりとしてルーヴェルから距離をおいた。


「ブルーノ、イグナーツ様との会談が終わり次第、我々を呼んでくれ。陛下に大事な話がある」


 ルーヴェルはブルーノの頭を撫でると、アルスラーダに目線で付いてくるように合図して、近くの談話室に入った。アルスラーダは聞き返す事なく素直に従った。シルヴィンの手に握られた手紙に気付いていたからだ。

 アルスラーダは手紙を読み終えると、目を瞑り暫く考え込んだ。ルーヴェルはアルスラーダの思考がまとまったのを見てとった。


「フリードリッヒとエドガーの推察に過ぎん。だが信憑性は高いだろう」


 ルーヴェルが厳しい表情のまま意見を述べると、シルヴィンも首肯しアルスラーダの反応を待った。アルスラーダも同意見らしく、忌々しい手紙をテーブルに放り投げ、二人と視線を合わせた。

 三人は密室にもかかわらず、声を潜めながらアールファレムを宥める為の密談を始めた。


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