73 フィリップの進路
新年初日とあって流石に練兵所にはあまり人がいなかった。皆家族と共に過ごしているらしく、独り者の若者達が半ばやけくそ気味に訓練に励んでいた。
そんな中で、シルヴィンはライナーと淡々と手合わせを行っていた。マルクスも妻には勝てず、今日ばかりは訓練を休んでいた。
「今日は少ないなぁ」
アールファレムは練兵所を見渡し、呑気な声を出した。皆、皇帝の登場に動きをとめ、一斉に敬礼をした。
「陛下! 本年もよろしくお願い致します」
ライナーが駆け寄り挨拶すると、シルヴィンも同じように挨拶をした。隣のアルスラーダには軽く会釈するだけに留めた。アルスラーダも同様に頷くと、顎をしゃくって、早速手合わせを始めた。
「いい雰囲気じゃないか。昨夜はお楽しみだったようだな」
シルヴィンは切り結びながら、アルスラーダに尋ねた。アルスラーダは不愉快な事を思い出してしまい、昨夜の欲求不満をぶつけるように刃を叩き付けた。
「お預けを喰らった」
シルヴィンは思わず吹き出してしまい、アルスラーダの猛攻にさらされ、膝を屈した。
「修業が足りんようだな」
アルスラーダは蔑むような視線でシルヴィンを見下ろしたが、シルヴィンは立ち上がると、不敵に笑った。
「ふん、お情けで一本くれてやっただけだ。もう一勝負するぞ」
「……最近貴族様とは思えん言葉遣いじゃないか。大将軍閣下は見掛けによらず粗野なんだな」
「お主の兄貴分のせいだろうよ」
「あの男は人を苛つかせる天才だからな」
シルヴィンが再び斬りかかると、アルスラーダは真っ向から受け止めた。
「剣では譲らん!」
シルヴィンは気迫を込めて、真剣な眼差しでアルスラーダを見据えた。対するアルスラーダは勝者の貫禄を見せ、笑顔で対峙した。
「仲がいいなぁ」
会話は聞こえないが楽しそうな二人を見ながら、アールファレムは嬉しそうに感想を洩らした。
「とてもそうは見えませんが、陛下が仰るならそうなんでしょう」
「喧嘩するほど仲がいいというだろう。お主とじぃのようにな」
「いない時ぐらい忘れさせて下さい。そろそろお守りから解放してくださいませ。そうだ! ビクトールあたりと組ましてはいかがです?」
ライナーはここぞとばかりに僚友を売り飛ばしたが、アールファレムが認める筈がなかった。
「じぃが泣くぞ。ライナー諦めろ。誰かが犠牲にならないと皆が不幸になるんだ」
「私の幸せはどうなるんですか!」
「結構楽しそうにしているじゃないか」
図星をつかれてライナーは黙ってしまった。アールファレムが改めて周囲を見渡すと、兵士は二十人ほどしかいない。
「よしっ! この人数なら私とライナーが直接稽古をつけてやろう。希望者はいるか?」
兵士達が一斉に二人の元へ殺到した。あまりの勢いにライナーは苦笑いしながら整列させて、順番に相手をする事にした。
ちょうどいいところにフィリップが観戦に現れたので、ジークを預けた。今朝はモニカが室内清掃する事になった為、少し手が空いたのだ。ブルーノは昨夜からルーヴェルの家に戻っている。
全員の相手が終わると、流石にへとへとになり、アールファレム達は汗を拭いながら、アルスラーダ達の戦いを見学する事にした。
何戦目か分からないが、既に二人共に軽口を叩く余裕はない。熾烈な剣戟の応酬に周囲から感嘆の声が洩れた。
アールファレムは視線を二人から逸らさずにライナーに尋ねた。
「どうだ? あの二人に勝てそうか?」
「あんな化け物相手に無理ですよ。上手く潰しあってくれる事を祈るだけです。じぃとクルトには譲るつもりはありませんが……。妙な噂を小耳に挟んだのですが陛下は参加なさらないのですよね?」
「ほぅ。噂になっているのか」
アールファレムはそう呟いただけで、返答はしなかった。明らかに参加する気満々である。アールファレムは部下相手にはなるべく嘘はつかないようにしている。だがなるべくであって、絶対ではない。既に諦めるとアルスラーダ達には言った筈だが、あの三人は何でも反対するのだ。いちいち言うことを聞いていたら、息が詰まるだけだった。
ライナーは今更ながらに出場を後悔し始めた。優勝は望めない上に、下手すれば皇帝と対戦する事になる。武術大会は勿論、本物の武器を使用するのだ。万が一にでも、アールファレムに怪我をさせたらと思うと気が気でない。エクムントやビクトールの判断を羨んだが、今となっては後の祭である。あの二人には特命が下っているが、それはライナーには知らされていない。
「はぁ〜」
「覇気がないぞ!」
アールファレムは溜め息をつくライナーの背中を叩いた。ライナーとしては謝るしかないが、そもそも誰のせいで憂鬱になったのかと言いたいが言える筈がない。
「さてライナー、アルスには絶対にぱらすなよ」
「もうご存知ではないのですか?」
「だろうな。だがわざわざ指摘する事もあるまいよ。折角のお祭りなんだ。楽しもうじゃないか」
アールファレムは楽しそうに笑ったが、ライナーの口からは乾いた笑いしか出ない。
「ははは……」
フィリップはアールファレムが出場すると聞いて目を輝かせた。
「一生懸命応援します」
「こっそりだぞ」
アールファレムは片目を閉じて、フィリップの頭を撫でた。
「はい! 楽しみです。僕もいつか出たいな〜」
「危ないから駄目!」
一瞬で却下され、フィリップは視線を地面に向けた。アールファレムはフィリップが勉強する事は奨励したが、剣を持つ事は絶対に許可しなかった。一方でブルーノが希望すると、あっさりと許し、ブルーノには訓練の時間まで与えられた。アールファレムからすれば、ブルーノに関してはルーヴェルが保護者になる為に、ルーヴェルの意向を尊重しただけだが、フィリップからすれば、何故自分だけがと拗ねたくもなる。
「お前が戦う必要はない。私が守ってやるからな」
「逆です。僕がお守りしたいのです」
「そんなつもりでお前を側に置いているのではない。そんな顔をしても駄目だからな」
いつもはフィリップに甘いアールファレムだが、これだけは絶対に譲らない。フィリップは兵士に、出来れば近衛兵になる事を志願していた。だがアールファレムは猛反対していた。一兵士になれば、アールファレム付きになるのは難しいだろう。それぐらいフィリップも分かってはいるのだが、今の自分ではたいしてアールファレムの役に立てないのが悔しいのだ。アールファレムが能力面でフィリップを必要としていないのは十分理解している。
フィリップが塞ぎ込むと腕の中で、ジークが心配そうに小さな鳴き声を上げてフィリップの事を見上げた。フィリップは無理に笑顔を作り、ジークを撫でてやった。ジークを抱く時に引っ掛けないようペンダントはしっかりと胸の中にしまっていた。以前壊れてからフィリップは気を付けるようにしていた。
フィリップに同情したライナーが肩に手を回した。
「体を鍛える事自体は悪い事じゃない。戦闘訓練でなければ陛下もお許し下さるさ」
フィリップが縋るようにアールファレムを見上げると、渋々頷いた。
「まぁ適度な運動は必要だろう。ブルーノと一緒に励むようにな」
内心ではライナーを恨んだが、アールファレムとしても譲歩するしかない。本来ならフィリップの将来に口出す権限などないのだ。後見人を自負するなら本人の意向を尊重すべきなのは分かっていた。成長すべきはフィリップではなく、アールファレムの方だろう。
アールファレムが反対するのも無理はないのだ。小柄なフィリップはどこから見ても戦闘向きではない。アールファレムでなくとも心配になる。だがライナーとしては少年の気持ちも尊重してやりたくなる。
「フィリップ、先に帰って、ジークに餌をやってきてくれないか」
「はい、陛下!」
フィリップは軽やかに宮殿まで駆けていった。アールファレムは眩しそうに背中を視線で追い掛けた。
「我が儘なのは分かっている。周囲に一人ぐらい血の臭いのしない者を置いておきたい。あの子には人殺しは似合わない」
「そのお気持ちは分かる気がします」
自分達の手が血に塗れているからこそ、無害な人物の存在に癒しを求めるのだ。ただ本人がそれを望まない以上、アールファレムの我が儘に過ぎない。
当然だがアルスラーダやモニカはアールファレムの我が儘を容認している。皇帝の意思こそ尊重すべきで、むしろフィリップの方が立場も弁えずに、我を通している事になる。それこそ兵士の代わりなどいくらでもいるのだから、フィリップの意思など忖度する必要はない。アールファレムがそこまで割り切れれば、ここまで悩みもしないのだろうが、自分が悪いと自覚している以上、いずれはフィリップの意見が通る事になるだろう。
「時間の問題か……」
「成長しているんですよ。親は見守るだけです」
ライナーの言葉はアールファレムの胸に突き刺さった。父メフェウスの事が頭をよぎったのだ。血の繋がらない父という名の他人。初めて殺されかけた夜の事を忘れた事はない。当時は恐怖にかられ眠る事すら出来なかった。もしルーヴェルがいなければ、アールファレムは逃げ出していただろう。ルーヴェルはアールファレムの異変に逸早く気付き、決してアールファレムを一人にしなかった。
「陛下? お顔の色が優れませんが、大丈夫ですか?」
ライナーが気遣ったが、アールファレムは強張った笑みを浮かべながら首を振った。
「大丈夫だ。少し疲れが出ただけだ」
アールファレムにとってメフェウスは既に過去の人間である。過去に囚われるような無駄な時間は一瞬たりとも存在しない。アールファレムは虚勢ではなく、心底そう思えた事に安堵し、今度は自然な笑顔を浮かべることに成功した。
「さて決着がついたようだな」
時間的には最後の勝負になるだろう一戦はシルヴィンに軍配が上がった。終了後、握手をするような仲ではない。訓練を終えるとアルスラーダはさっさとアールファレムの方へ歩き出した。だがシルヴィンも何故かついてきた。
「……ついてくるなよ」
「新年なんだから朝食を共にしようと思ってな」
「誰が貴様と!」
「別にお主と一緒したいとは言っていない。私はアールファレム様をお誘いするつもりだ」
「一緒の事だろうが!」
二人の会話は当然アールファレム達にも聞こえていた。
「ライナーはどうする?」
「あのお二人がいなければ御一緒したいところなんですが、どうしましょうかね」
「それもいい案だな。あの二人には別室で朝食をとらせて親睦を深めさせてやろうかな」
アールファレムは嬉しそうに応じたが、ライナーはもう少し考えて発言すべきだろう。向こうの会話が聞こえる距離なら、こちらの声も届くのだ。いつの間にか二人の大男がライナーの前に立ちはだかっていた。
「ライナー、いかんな。上官に対する敬意が足りん」
「しかもちゃっかり自分だけアルファ様と一緒しようとする辺り、下心が透けて見えるな」
不穏な笑みを浮かべる二人からライナーは走って逃げ出した。
「陛下! また後ほどお会いしましょう」
全速力で逃げるライナーの背中を見やり、シルヴィンはこれ見よがしに嘆息した。
「まだまだ元気のようだな。訓練が足りん。明日からは直々に指導してやろう」
「そうだな。複数の敵相手の立ち回りも取り入れるか」
「確かにそれも大事だな」
ライナーが聞けば卒倒するような相談が二人の間で行われた。この二人はこの手の話になると、意見が一致するのだ。部下達には惜しみ無い愛と鞭を与えるのがガルフォン軍の方針である。無論暴力は論外で、きっちりと線引きはされている。上官と部下達との間では少しの誤差があるが、概ねアールファレムの許容範囲内である。この場合、部下達の言い分が黙殺されるのは致し方無いだろう。
「本当に二人は仲がいいなぁ」
アールファレムは嬉しそうに頷いたが、アルスラーダは心底嫌そうに顔を歪めた。その表情を見たシルヴィンが余裕たっぷりの嫌な笑みを浮かべるとますます眉間が狭くなった。アールファレムが指でアルスラーダの眉間を擦るのを、仏頂面で我慢していると、シルヴィンは嘲るように鼻を鳴らした。
「早く朝食に行こう。今日は忙しくなるからな」
アールファレムは剣呑な二人の様子などまったく意に介せず急かした。今日は行事が多く予定されているのだ。三人は小走りで練兵所を後にした。




