71 アルスラーダの幸せな夜
深夜になりアールファレム達はようやく私室に引き上げた。ほぼ立ちっぱなしだった為に、足が棒のようで、靴を脱いで長椅子の上で足を伸ばした。行儀の悪さは咎めず、アルスラーダは隣に座ると、膝の上にアールファレムの足を載せて、足を揉み始めた。
「アルス、痛い! もうちょっと優しく! んぐっ!」
容赦なくぐりぐりと拳で足裏を刺激するとアールファレムは悲鳴を上げたが、アルスラーダは気にせず続行した。モニカは二人の様子を意に介さず、黙々とテーブルに酒と軽食を並べた。
「モニカ、ありがとう。今年も宜しく頼む」
アールファレムはきちんと挨拶をしたが、身をよじりながら涙目で言った為、台無しである。
「勿体無い御言葉、誠にありがとうございます。こちらこそ宜しくお願い致します。明日の夕方からも……いえ、もう今日ですね。祝賀会ですので、あまり遅くならないようになさいませ。アルスラーダ閣下。陛下の御体に負担にならないよう十分配慮なさいませ」
「あ、ああ。御苦労様」
モニカは頭を下げると、音も立てずに立ち去った。アルスラーダは首を振って、モニカの出ていった扉を見詰めた。
「どうかしたのか?」
のけ反っていたアールファレムは身を起こして、アルスラーダの顔を覗き込んだ。
「どうやらモニカは気付いているようですね」
「何をだ?」
「我々の仲です」
アールファレムはようやく合点がいったようで赤面した。モニカの最後の言葉が何を意味したのか、今更気付いたのだった。
「えっ、それは不味いな」
「今更でしょう。恐らくそれ以上の事にも気付いていますよ」
着替えや風呂などに女官の立ち入りを禁止しているのだから、女嫌いと噂されても仕方無いが、かといって侍従の手も借りないのだから、怪しまれても仕方無かった。だがモニカはそういった風評からもアールファレムを守り続けた。いつから気付いていたのかは分からないが、今まで口にしなかったので分かりようもないが、忠告するぐらいだ、よっぽど最近のアルスラーダの態度に思うところがあったのだろう。
今までルーヴェルが泊まる事は幾度かあったが、アルスラーダが泊まる事はなかった。だが旅から帰ってからは頻繁にアルスラーダが泊まるようになった。アルスラーダは一応痕跡には気を付けていたが、モニカからすれば丸わかりである。仕方無いのでアルスラーダが泊まった朝は、必ずモニカ自身が寝室の清掃を行うようにしているのを、アールファレム達は知らない。
実はモニカは最近のアルスラーダの態度に腹を立てていたのだ。モニカはアールファレムの秘密にはとうに気付いていた。秘密を話してもらえないのは正直なところ残念に思うが、それは仕方無い事だ。問題は最近のアルスラーダに隙がありすぎる事だった。先日、アルスラーダが投獄された時は宮殿中に激震が走った。喧嘩にしては度が過ぎていた。幸いすぐに釈放されたものの、あまりに異様過ぎた為に様々な憶測が行き交ったのだ。モニカがルーヴェルの噂が広まるのを放置するのは、そちらに興味を引き付ける為である。ルーヴェルの噂で傷付くのはせいぜいブルーノぐらいで、他は面白半分で騒いでるだけだ。だがアールファレムの方は冗談では済まない。何としてもモニカが守り抜く必要があった。頼りになるのは己だけだと割り切っていた。何せ頼るべきルーヴェルやシルヴィンは今や渦中の人物である。
(本当に使えない殿方ばかりです。陛下が甘やかし過ぎるのが原因ですね)
だが実情は逆で、モニカを含め全員がアールファレムに甘いのだが、モニカはそこには気付かない。いや気付きながら、それは当然だと認識しているのだから、よりたちが悪いかも知れない。アールファレムにはのびのびとして欲しいというのが、モニカの願いだった。後は宮殿が安寧であればよいが、皇帝の幸せが第一である。
モニカは内心をおくびにも出さずにこやかな笑顔のまま自室に引き上げた。自室の扉を閉めた途端に溜め息が洩れでたが仕方あるまい。疲れがどっと襲ってきたが、朝早く起きる必要があった。素早く風呂を済ませ、眠りにつく事にした。
「アルス、どうしようか?」
「そうですね。取り合えず軽く食べましょうか」
会話が成立していないが、アルスラーダは気にせずに立ち上がると、施錠をすませ、テーブルを長椅子の方に引き寄せた。不安そうなアールファレムの隣に座ると、アールファレムの口元に食事を運んだ。二人ともほとんど食事が出来ていなかったのだ。アールファレムが反論しようと口を開くと、アルスラーダは次々と食べ物を口に放り込んでいった。グラスを持って酒を呑ませようとして、アールファレムが盛大にむせた。
「ごほっ……! アルス!」
アルスラーダが暫く背中を擦ってやると、ようやく息を落ち着けた。
「話を聞け! モニカの事だ!」
「大丈夫でしょう。モニカは信用出来ます」
アルスラーダが他人を信用するのは珍しい。だがアルスラーダは迷い無く断言してみせた。アールファレムも黙ってしまい、置かれたグラスを一気に煽った。アルスラーダは微かに目を細めただけで制止はしなかった。
「そうだな。……もっと早く打ち明けるべきだったかな」
アールファレムは目を瞑り、アルスラーダの肩にもたれた。アルスラーダは右腕を伸ばして優しく肩を抱きながら、器用にも左手だけで食事を済ませた。暫くするとアールファレムはうとうとと眠りだした。
「アルファ様、お風呂はどうなさいます?」
「朝入るからいい。訓練の後にする」
むにゃむにゃと言ってアルスラーダに抱き付いてきた。アルスラーダは仕方無く寝台までアールファレムを運んだ。アールファレムは完全に寝入ってしまい、アルスラーダは当てが外れて、呆然と寝顔を見詰めるだけだった。勿論アルスラーダは下心からアールファレムに酒を呑ませようとしたのだ。だが疲れた体で、食事をとり酒を呑めば眠くなるのは自明の理である。
仕方無いのでアルスラーダはアールファレムの衣服を脱がし、晒しを外した。押さえられていた胸が顕わになったが、当然お預けである。寝衣を着せようか迷ったが、そのままにしてアルスラーダも軽く脱いで、アールファレムの横に体を割り込ました。
寝台の隅には白い毛玉が転がっているが、無視する事にした。ジークはこちらに気付いたようだったが、我関せずとばかりにすぐに目を閉じた。アルスラーダは手を伸ばして胸に触れたが、起きる気配はない。
すけべ心をおこしてそれ以上の事もしてみたくなるが、寝ている相手に手を出すのは男としては如何なものか。アルスラーダはさわさわと手を動かしつつ悩んだ。あまりやり過ぎるのは駄目だ。アールファレムの反応は非常に鈍い。微かに身動ぎするものの、眠気が勝っているらしく、煩わしげに逃げようとする。
アルスラーダは途中から悲しくなってきて、手を止めた。アルスラーダが行為をやめるとアールファレムの顔に安らぎが戻った。アルスラーダは反省してアールファレムを引き寄せ、抱きながら目を瞑った。悶々としてとても眠れそうになかったが、離れ難く、結局勿体なくて眠るのを諦めた。
目を開けて幸せそうに眠るアールファレムの顔を至近距離から眺めた。
「アルファ様……」
名前を呼ぶとアールファレムは微かに笑うような仕草を見せた。アルスラーダの気のせいかもしれない。だがアルスラーダは嬉しくなり、顔を綻ばせ頬を軽くつついた。心の奥底がこそばゆく、熱い何かが込み上げてきてアルスラーダは無性に泣きたくなった。人は幸せを実感した時も泣ける事を、初めて体感したアルスラーダは泣きながら深い眠りにつく事ができた。




