70 クルトの復帰
シルヴィンはアールファレムの執務室に呼び出された。ゾレスト方面の年内最終報告を行う為である。室内にはアールファレム、アルスラーダ、ルーカス、それにフィリップとブルーノの二人も壁際で控えていた。
「ふむ。目立った動きはないか」
一通り報告書に目を通して、アールファレムは机の上に書類を置いた。
「想定の範囲内です。脱落者も出ていますが、瓦解するまでには至っていないようです。決戦が近付けばまた変化が出るでしょう」
「そうだな。……しかしマルティンはハリーの扱いに大分苦労しているようだ」
ハリー、マルティン両名から報告を上げさせていた。マルティンは実直な男である。ぼやきはしないが、文面からはだいたいの状況が読み取れた。
「それも想定の範囲内です。上手くあしらっているようで何よりですな」
シルヴィンは所詮他人事なので、好き勝手な事を言ってのけた。アルスラーダも特に異論はない。マルティンはその為に派遣されたのだ。彼なら職務を全うするだろう。
「新年の差し入れは間に合うように手配しております。ただフリードリッヒが動くようだな」
アルスラーダが会話に口を挟んだ。後半はシルヴィンに向けたものだ。報告書は事前にアルスラーダも目を通してあった。
「既に何人か潜り込ましているようだが、新年の浮わついている隙に一気に城内の様子を探るつもりのようだ」
フリードリッヒのいるパルナンには密かに増援も行い、着々と準備は進んでいる。
「成功を祈るしかないな。もどかしいが仕方無いか」
アールファレムは目を瞑り、深く考え込んだ。シルヴィンはアールファレムの長い睫毛に目を奪われ、惚けそうになったが、アルスラーダの視線に気付き、咳払いして誤魔化した。
「陛下。一つ確認したいのですが、陛下は出陣なさらないのですよね」
「陣中見舞いには行くつもりだ」
シルヴィンとアルスラーダは顔を見合わせた。どうせ大人しくしている筈がないとは覚悟していた。アールファレムが顔を出すだけで我慢できる訳がない。
「私はシルヴィンの側を離れる訳にはいきません。御身の安全を少しはお考えになられませ」
アルスラーダの忠告に分かった、分かったと返事して、アールファレムはその話を打ち切った。
「さてシルヴィン・フォン・ギュンター大将軍。もう一つ報告があるのではないかな」
アールファレムがその様な呼び方をする時はろくな事がない。正式な話がある時、もしくは茶化す時である。アルスラーダが底意地の悪そうな笑みを浮かべているところをみると、例の噂の事に違いなかった。
「さて小官には他に報告するような事はございません。他に用がなければ下がらせて頂きます」
「まぁそう言うなよ。ルーヴェルは陛下にとっても、私にとっても兄のようなものだ。もし二人が伴侶となるなら、我々にとっても家族同然だ。祝福させてくれ」
「誰が伴侶だ! 貴様!」
シルヴィンはアルスラーダの胸ぐらを掴んで睨み付けた。
「兄さんやめろよ。ほらブルーノも心配しているじゃないか」
シルヴィンがブルーノの方を向くと、ブルーノは縋るような視線をこちらに向けていた。今回の噂は目撃証人までいたため、広く信じられていたのだ。それにシルヴィンはまだ知らないが、シルヴィンの前にルーヴェルが執務室を訪れていた。
「そんな訳あるか〜! あの馬鹿がふざけて抱き付いてきただけだ。俺にその気はないわ!」
シルヴィンはアールファレムの前という事も忘れ捲し立てた。
「本当に抱き合ったのか?」
アルスラーダは少し後退り、シルヴィンと距離をとった。
「先程のルーヴェルの話と違うな。温かく見守ってくれと私に報告してきたんだが」
「陛下〜。あの馬鹿は私に嫌がらせをする為なら、平気で嘘をつく男です。陛下に偽りを申すなど言語道断ですな。永遠に口を聞けぬように、喉を切り裂いてやります。どうかご許可願います」
「もう一発殴るぐらいで勘弁してやってくれ。たまにはルーヴェルも痛い目をみるべきだ」
そもそもルーヴェルの顔に殴られた痕があった為にアールファレムが尋ねたのだった。無論アールファレム達には冗談だと分かっていた。分かっていないのは素直なブルーノぐらいで一人顔を青くしていたのだ。
このように新たに素敵な噂が宮殿中を駆け巡る事になった。遂にルーヴェルの本命が判明したのだ。シルヴィンは躍起になって噂を否定したが、ルーヴェルは愉快そうに煽り立て騒動を楽しんだ。シルヴィンの受難は年が明けてもまだまだ続きそうだった。
今夜から明日にかけては大規模な年越しの宴が催される。大広間は軍人や文官でごった返していた。今夜はそれに加えて国中の有力者やその家族も招かれていた。無論、国内最大手のマイヤール商会の会長も招かれている。
皇帝の周囲は順番待ちの人で溢れていた。近衛やアルスラーダが目を光らせているが、流石に不審な人物はこの場にはいない筈である。だからといって警備を手薄にするわけにはいかない。不特定多数の人間がひきめしあうなかで、いかに皇帝の安全を確保出来るかは永遠の課題である。厳重だが、邪魔にならないように絶妙に人員が配置されていた。
ようやくマイヤールの順番が回ってきた。これでも民間人のなかでは早いほうである。順番に意味を見出だす人は少なくない。マイヤールのような商売人は特にである。商人の中では一番先に謁見が許され、鼻高々でアールファレムの前で頭を垂れた。
「マイヤール! あれ以来だな。相変わらず元気そうで何よりだ」
アールファレムは嬉しそうに、マイヤールの肩をばしばし叩いた。アルスラーダが咳払いして、アールファレムに注意を促した。旅に出た事は大半の人間には秘密にされているのだ。アールファレムは肩を竦めて、今度はマイヤールの頭を撫でた。
「陛下〜。ですからそれはお止めくださるようお願い致します」
「まぁいいじゃないか。マイヤール、子犬の商売でかなり儲けているらしいな」
「うっ! もうご存知でしたか」
「はっはっは。商魂たくましくて結構なことだ。その調子でたんまり税を納めてくれ」
「うっ少しぐらい大目にみてくれても……。はいっ! 勿論冗談ですよ。やだな〜」
アルスラーダの鋭利な視線が容赦なく突き刺さり、マイヤールは慌てて否定して後退った。
「不正を仄めかすような発言は慎め。よく考えて喋るんだな。出入り禁止で済めばよい方だぞ」
マイヤールは汗だくになって頭を下げた。
「平にご容赦願います」
「心配するな。本気で言っていないのは分かっているさ。マイヤール、来年も頼む。ベッカーにもよろしく伝えてくれ」
アールファレムは通常の相手なら最後に握手をして終わらせる。だがマイヤールには握手した後、軽く抱擁して悪戯っぽく笑いかけた。アールファレムが近衛に向かって頷くとマイヤールは深々とお辞儀をして、次の来賓に場所を譲った。未だに大勢の者が並んでおり、彼等は一様にマイヤールを羨望の眼差しで眺め、マイヤールは大いに面目をほどこし、意気揚々と下がった。内心ではアールファレムの気遣いに深く感謝していた。
あのままでは皇帝の不興をかった慮外者として軽んじられただろう。だがむしろ多少の無礼は許されるほどの親密度を見せつける事が出来たのだ。マイヤールは遠くから再び深々とお辞儀をしてみせた。アールファレムは気付かないだろうが、別に構わない。ただの自己満足に過ぎないのだから。マイヤールは会場を見渡し、商売上昵懇になった方がいい相手を見繕い、あちこちを渡り歩いた。
「ご無沙汰しておりました」
療養を終えたクルトは同僚に温かく迎えられ、皆の前でシルヴィンに挨拶を行った。
「壮行会以来だな。武術大会にも参加すると聞いたが、本当に大丈夫なのか?」
「勿論です。俺の不在で宮殿の女性達が寂しがっていたでしょう。彼女達の為にも、健在っぷりをお見せ致します。閣下にも負けるつもりはありません。よろしくお願い致します」
「頼もしい限りだ。期待している」
シルヴィンが笑顔で手を差し出すと、クルトは力強く握り返した。
「そうそう閣下、おめでとうございます。ルーヴェル閣下とお付きあいを始められたとお伺いしましたよ。いやぁ、堅物の閣下の相手がまさかあの宰相殿とは驚きましたよ」
クルトは失策を犯した。まだ握手したままでその様な軽口を叩いたのだ。シルヴィンの笑顔が微妙に強張り始め、クルトの手を渾身の力を込めて握り潰そうとした。
「朝からその戯言を何回聞いたと思う? いちいち怒るのも馬鹿らしいわ! …………クルト、今来たところだな。誰から聞いた?」
シルヴィンが周囲を軽く見渡すと、ライナーとマルクスが背中を向けて逃げ出そうとしていた。そういえば最初にクルトを出迎えたのは、この二人だった筈だ。シルヴィンはクルトを解放すると二人を呼び止めた。
「おいっ! そこのお調子者共!」
マルクスはライナーを掴んで、シルヴィンの方へ追いやると、脱兎の如く逃げ出した。シルヴィンは取り合えずライナーを背後から抱き締めた。
「ははは……」
「随分楽しそうだな。今から笑えん事態になるのにおかしな男だ」
ライナーの口から徐々に笑いが消え、次第に悲鳴が漏れだした。マルクスは安全なところまで逃げ出し、食欲を満たしながら僚友の無事を遠くから祈った。
「シウ。浮気はよくないな。私という男がいながらライナーと抱き合うのか?」
ルーヴェルはシルヴィンの首筋を指でなぞった。シルヴィンがあまりの気持ち悪さに思わず手を離すと、その隙にライナーが逃げ出した。
「貴様、殴られ足りんのか?」
ルーヴェルの青あざは増えており、折角の男前が台無しだった。
「あまりそっちの趣味はないんだが、お前にその気があるなら仕方無い。惚れた弱味だ。努力してみよう。だがもう少し優しくしてくれよ」
「貴様〜! …………いや、止めよう。反応するとお前の思う壺だ」
「ようやく気が付いたのか。つまらん。新しいのを考えるとするか」
シルヴィンは即座にルーヴェルの頭を叩いた。その様子をクルトはひりひりする手を擦りながら、不思議そうに眺めた。
「あながち間違ってはいないらしいね。あの二人いつの間に仲良くなったんだ?」
「さぁな。クルト、あまり上官をからかうなよ。閣下もいろいろと抱えていらっしゃる。我々が支えなくてどうするのだ」
「エクムントは本当に変わらないね。まぁ、分かったよ。代わりに同僚で遊ぶ事にするよ」
「少しは殊勝にしてようとは思わんのか!」
クルトが殊勝になればそれこそ病気である。エクムントを軽くあしらい、クルトは皇帝の方に視線を向けた。アールファレムの周囲にはまだ人が群がっていたが、先程よりは大分少なくなったようだ。そろそろ挨拶にいこうと片手を肩の上でひらひらとさせて、アールファレムの元へ向かった。
エクムントもアールファレムに挨拶にいくなら止める訳にもいかなかった。流石のクルトもアールファレム相手には敬意を払う。そこまで傍若無人な男ではない。
クルトが復帰するとなると、来年からはエクムントの苦労が増えそうであった。
「良かったですね。一番エクムントが心配していましたからね」
ビクトールは最初からいたのだが、今まで黙ってにこにこしながら、皆の様子を眺めていたのだ。
「ハリーがおらんので楽していたのに、クルトときたらハリー以上の問題を起こすからな」
クルトの仕事を受け持っていたエクムントは誰よりクルトの復帰を待ち望んでいた。
「素直じゃないですね」
「ふん。今はただでさえ手薄なんだ。奴にも少しは働いてもらわねば困る。武術大会で鼻っ柱を叩きおられた方が奴の為だろうよ」
「武術大会は面白くなりそうですね。陛下も何やら画策されておいでのようですし、出場なさるかも知れませんね」
「物騒な事をさらっと言うな! 陛下が参加など……。あの方ならやりかねんな」
「訓練にも励んでおられますし、何より武術大会の話をほとんど口になさらないのが怪しい。困ったものです」
「困ったようには見えんぞ。面白がっていないか?」
ビクトールは相変わらずにこにこしたままで、エクムントからすれば、どこまで本気で言っているのか疑わしかった。
「ふふふ。そう見えますか? 困りましたね」
二人の会話は少し離れた場所にいたルーヴェルとシルヴィンの耳にも聞こえていた。
「どう思う?」
「あのアルファ様だぞ。我慢なんぞ出来ると思うか?」
「そうだよな。そんな気はしていたが……。なぁ、上手く細工出来ないか?」
「偽名を使っているだろうし、難しいだろうな。ケビンをお前とぶつけるのも手だが、奴自身が更に偽名を使う可能性もある」
「お前考える気あるのか? アールファレム様の安全に関わるんだぞ」
「無理を言わんでくれ。黄金色の瞳の男に注意するようには言っておいたが、どうやら本人が現れた様子はない」
シルヴィンは苛立ったが、ルーヴェルとしてもやりようがない。代理登録が出来る以上、ケビンの出場もアールファレムの出場も防ぎようがない。
「しかしどう変装するおつもりか? どうやってもばれるだろうに」
「この前はバンダナで誤魔化していたらしいが、流石に帝都では通用せんだろう。顔を全部隠していたら、アルファ様と思っていいかもな」
シルヴィンとルーヴェルは想像してみたが、あまりに胡散臭すぎた。
「仕方無い。ビクトール、エクムント、特命を授ける。ちょっとこっちへ来い」
シルヴィンは談笑していた二人を呼びつけると、予選から本選までの間のアールファレムの警護を申し付けた。
「誰が陛下かも分からないのに、警護せよと?」
「そんなに怪しい格好の奴が何人もいないだろう。覆面の男に注意しろ。勿論それとなくだぞ。いざというとき以外はばれないように気を付けるようにしろ。折角楽しまれているのを邪魔するのも無粋だからな。それとなくお守りし、無事に大会を楽しんで頂くようにな」
シルヴィンは真面目腐った顔を保ちながら部下に難題を押し付けた。微笑を浮かべるビクトールに、顔をひきつらせるエクムント、対称的な二人だった。
皆の視線の先では朗らかに笑いながら、クルトと語らう皇帝の姿があった。
運命の武術大会まで後二日。無事に済めばいいが波乱の起きる気配が濃厚である。シルヴィンはため息をついたが、心の何処かで強敵の出現に心を踊らせていた。アールファレムの事さえなければ、純粋に戦いを楽しめるのだ。だが口にすればルーヴェルに攻撃されるだけなので、黙っていた。
「これだから軍人は度しがたいんだ」
「何も言ってないだろうが!」
「表情に出ているぞ」
ルーヴェルの指摘に顔を撫でて誤魔化すシルヴィンだった。




