69 友情の在り方
12月30日夜半、ルーヴェルとシルヴィンは宮殿内のシルヴィンの私室で酒を酌み交わしていた。
「最近あっちの方はご無沙汰みたいだな」
シルヴィンは下世話な表現で友人に尋ねた。ブルーノの目の届く範囲でルーヴェルはあまり派手な真似が出来ずにいた。ルーヴェル自身が遠慮している訳ではなく、相手が逃げてしまうのだ。宮殿の外に出れば影響も少ないのだが、どうもその気にならないので、仕方なしにシルヴィンと過ごす事が多くなった。
「その様子では私の最新の噂を知らんみたいだな」
「いろんな説があるのは耳にしているが、どれが最新なんだ?」
「どの噂も結局私の本命が誰かというものだ」
ルーヴェルは満面の笑みを浮かべ、親友の顔をまじまじと見詰めた。ルーヴェルが笑顔になってシルヴィンにとって愉快な展開になった事など一度もない。誰の名前が飛び出すかなど聞くまでもなかった。
「貴様! 毎晩俺のところに来たのは嫌がらせの為か! 帰れ!」
「つれない事をいうなよ。照れているのか?」
シルヴィンは目の前にあった摘まみの豆をルーヴェルに投げ付けた。
「やかましい! とっとと部屋に戻ってブルーノに慰めてもらえ!」
「なるほど。大将軍に振られたから、仕方なしにブルーノに慰めてもらえというのだな。また新たな噂が広まりそうだ」
「あほう! 俺を巻き込むな!」
ついには立ち上がり、テーブル越しにルーヴェルの胸ぐらを掴んだ。
「至近距離に迫るなよ。そんなに相手して欲しいのか?」
ルーヴェルは両手でシルヴィンの顔を挟み、目を閉じて顔を近付けた。
「くそっ! 殴りたい!」
シルヴィンはルーヴェルを突き飛ばして、勢いよく椅子に座り直した。
「むしろ何で殴らないんだ?」
「からかわれたぐらいで殴れるか!」
シルヴィンは不機嫌そうに言い捨てると、酒杯に手を伸ばした。
「まだ罪悪感があるのか?」
ルーヴェルの口調にはからかい成分が多分に含まれていたが、目が笑っていない。シルヴィンは平然としながら、豆を一粒弾いて、ルーヴェルの方へ飛ばした。
「お前相手になぜ罪悪感を覚えるのだ? 俺が済まないと思うのはアールファレム様に対してだけだ」
口ではそう言いながらも、根っこの部分で遠慮しているのは自分でも自覚している。それを簡単に取り払う事はシルヴィンには出来ない。
「ならいい。いつまでもしおらしくされても気持ち悪いからな」
ルーヴェルはシルヴィンの心情は理解した上で、一応は断っておいたのだ。この友人は口は悪いのだが、意外と生真面目な面があり過ぎた。
「人の心配をしている場合ではないだろう」
「そうか? 別に現状はそれほど悪くはないと思うがな。お主よりましだろうさ。いつまで引きずっているつもりだ」
どうやら今夜のルーヴェルはシルヴィンの本音を聞き出す為にきたらしい。シルヴィンとしては気楽な話の方が有り難いのだが、友人が自分を心配してくれているのは分かった。だからといって感謝する気は更々ない。
「別に引きずっている訳ではない」
「強がりにしか聞こえんな。未練たらたらの態度は端から見ても丸わかりだぞ」
「……簡単に割り切れるなら苦労しないさ。だが春までは浮わついた事を考えている余裕はない」
シルヴィンの表情から笑いが消え去り、真剣な眼差しでルーヴェルを見据えた。
「カスパードを殺すまでは……か。実際のところ想像出来ないな。私には本当の弟はいないが、いざというときにアルスを殺す事が出来るかどうか自信はない」
「妹を……もしアールファレム様がアルスラーダのせいで死んだとしたらどうだ?」
シルヴィンの例えは酷すぎた。ルーヴェルの想定するなかでも最悪の事態だった。
「その時はあいつを殺す」
「つまりそういう事だ」
そう言われてもルーヴェルにはシルヴィンが何を言いたいのか、さっぱり理解出来なかった。だが恐らく今の話に手がかりがある筈だ。
「……妹がいたのか?」
「ああ。カスパードより二つ下であいつによくなついていた。あいつはつきまとうエミリアがうっとうしくなって、森に置き去りにしたんだ」
「無事だったのか?」
一応尋ねたもののルーヴェルには答えが分かっていた。シルヴィン達兄弟に妹がいるなど聞いた事はない。
「野犬に襲われたらしく、むごたらしい死体となって帰ってきたよ。誰も泣いているあいつを責めなかった。だからだろうな。いつの間にかあいつの記憶はすりかわっていた」
「記憶が? いったい何歳の時の話なんだ?」
「カスパードが七歳の時だ。あいつの中の記憶では、エミリアは知らない間に迷子になった事になっていた。本気でそう思っていたんだ」
「自分を守る為に嘘の記憶を作り、いつの間にか真実と思い込んだのか。そんなことがあり得るのか?」
ルーヴェルの疑問はシルヴィンが長年抱いていたものだ。
「俺だって信じられなかった。あいつは非難されるのが怖くて自分に言い聞かせたんだろうな。もしあいつが少しでもエミリアに対して罪悪感を抱いていたら、俺も許せたさ。だが記憶にないものに罪の意識を持つはずがない。むしろ俺を弾劾してきた。自分を妬んでありもしない事で陥れようとしているとな」
「親は何も言わなかったのか?」
普通なら親がまず怒りそうなものだ。だが先程からのシルヴィンの話には他の家族の話は出ていない。
「無かった事にしたんだ。体面を気にして、ただの事故の扱いにした。息子の過失など認められなかったんだ。母はカスパードを守る為に、エミリアを切り捨てた。死んだ娘より、生きている息子が大事だったらしい」
シルヴィンは淡々と感情を抑えながら話したが、ルーヴェルの向こうにカスパードを見ているのだろう、思わず息を呑むほどに獰猛な光を両目に宿していた。
「ギュンター家ほどの名家なら色々事情もあるか……。カスパードもまだ七歳では仕方無い」
「妹を殺して仕方無いで済むか! 俺はあの時からあいつを見限った。あいつは自分が大事なんだよ。今も昔も自分が大好きで、他人に認められたがった。誉めて欲しいのなら、自分が努力すればいいだけだ。結果がこの様だ。デュークに操られ、アールファレム様に背いた。俺があの時殺しておけば、このような事態にならなかった。無能と思って好きにさせ過ぎた。カスパードは俺が殺す。エミリアの為にも、俺自身の為にもだ」
ルーヴェルはこれほど饒舌に話すシルヴィンを見たことはなかった。憎悪を剥き出しにしているのに、何故この男は絵になるのだろうと的はずれな感想を抱いた。弟を殺すなどと尋常でない事を口にしているにもかかわらず、醜悪な印象はない。むしろ整った眉目に陰を与え、美しさを際立たせてさえいた。
幼い頃より憎悪をずっと胸に秘め、弟の成長を見てきたのだろう。兄弟仲が悪いのは周知の事実だが、その理由を他人に話したのは、今夜が初めてに違いなかった。
カスパードにも言い分はあるかも知れない。だがルーヴェルがカスパードに会う可能性は限りなく低い。シルヴィンの主張を鵜呑みにするのは、公平を欠くかも知れないが、別にルーヴェルの評価などカスパードは必要としていないだろう。だが目の前にいる男はルーヴェルの助けを必要としている。そしてルーヴェルにもこの男が必要なのだ。
「お前は少し楽に生きろよ。妹の為じゃなくて、お前の為に生きろ」
「逆だ。俺は……今まで自分の為に生きてきた。アールファレム様を傷付け失いかけて、ようやく自分の傲慢さに気付いた。弟の事は俺が過去から目を背けた結果だ。俺自身がけりをつける。だから俺の為なんだよ」
シルヴィンは本気でそう信じているようだった。ルーヴェルは無性に泣きたくなった。だが涙を堪えて、なんとか思いを口にした。
「なぁ、シルヴィン死ぬなよ。お前が死ねば私は一人になる。お前は私の為に生き残れよ」
「何だそれ? 俺が何で死ななければいけないんだ?」
「戦場で絶対はない。今までもそうだったろう?」
「それはそうだが、もし俺が死んでも、お前は一人にならんだろう。アールファレム様やアルスラーダ、それにブルーノがいるじゃないか」
「嫌だ。お前がいい。他の誰に本音を言えるというのだ。お前じゃなきゃ駄目だ」
駄々を捏ねて泣き出すルーヴェルを見て、シルヴィンは呆気にとられた。
「何も泣かなくてもいいだろうが。いい歳して情けないと思わんのか」
「うるさいな。お前が泣かないから、代わりに泣いてやっているんだ」
ルーヴェルは袖口で涙を拭いながら、感情を抑える事も出来ずに悪態をついた。シルヴィンも釣られて泣きそうになり、慌てて瞬きを繰り返し、酒を勢いよく流し込んだ。
「無茶な飲み方をするとまた酔っ払うぞ」
ルーヴェルは泣きながらも、何でもないように会話を続けた。
「泣き上戸のお前に言われたくないわ!」
「酒のせいじゃない。お前が泣かしたんだ。この野郎! お前が悪い!」
「はいはい。俺のせいだ。ほら呑めよ。酒を呑んでこんな不愉快な会話は忘れてしまえ!」
シルヴィンがなみなみと酒を注ぐと、ルーヴェルは一気に煽った。
「お前も泣けよ!」
「意味が分からんわ! ルーヴェル、落ち着け」
ルーヴェルは立ち上がると、テーブルを回り込み、椅子に座るシルヴィンに覆い被さった。
「うわっ! 離れろ! 気持ち悪い!」
「うるさい! 大人しくしていろ」
しがみついて離れないので、シルヴィンは背中を擦ってやり、落ち着くまではそのままにしてやろうと溜め息をついた。
だがシルヴィンは不幸体質の持ち主である。特にルーヴェルが絡むとろくな事にならない。頼んでもいないのに女官が酒の補充にやってきて、二人の姿を見て、慌てふためき、部屋を飛び出してしまった。
「待ってくれ! 誤解だ! 違う〜!」
必死で叫ぶシルヴィンが可笑しくて、ルーヴェルの体が震えていた。
「貴様! 今すぐに離れろ!」
シルヴィンが力付くで引き剥がすと、ルーヴェルは腹を押さえて笑いこけた。
「新たな噂が広まるな。シルヴィン今夜は泊めてくれ」
「この野郎〜!」
シルヴィンは渾身の力を込めて、ルーヴェルを殴り付けた。ルーヴェルの唇から血が出たが、嬉しそうに舐めて、手の甲で拭った。
「やっと殴ったな」
「殴られて嬉しそうにするなよ。変態か!」
ルーヴェルはシルヴィンを無視して、シルヴィンの頭をわしわしと撫でた。シルヴィンの髪がぐちゃぐちゃに乱れたが、シルヴィンはもうどうにでもなれとされるがままになった。今夜のルーヴェルの行動はさっぱり読めなかった。
長椅子に並んで座ると、くだらない話で盛り上がり、夜遅くまで二人での酒宴は続いた。夜半にルーヴェルが引き上げると、シルヴィンは長椅子に寝そべった。
「くそっ! 全然酔えなかったじゃないか」
一人になると急に笑いの衝動がシルヴィンを襲った。込み上げる笑いを我慢出来ず、涙まで流しながら声を出して笑った。ひとしきり笑うと、何故か体が軽くなった。まったく眠気がこないので、仕方無しに風呂にでも入ろうと、大浴場に向かう事にした。大浴場でルーヴェルと再会して、裸で絡まれ噂の信憑性が増す事になる。




