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66 アルスラーダ逮捕!?

 皇帝補佐次官のルーカスの長かった一日がようやく終わろうとしていた。不機嫌な皇帝と、それを気にする素振りを見せず淡々と仕事をこなす補佐官に挟まれ、気を揉む一日だった。アールファレムなどは殊更アルスラーダを無視して、ルーカスに話を振るのだから、たまったものではない。

 下っ端の部下達はなるべく部屋に近寄らないようにするだけでよいが、ルーカスの場合、立場的にそうはいかない。


「ルーカス、もう下がっていいぞ」


 アルスラーダの救いの一声に、そそくさと部屋を去った。扉を閉める際、二人が何やら話していたようだが聞こえていない振りをした。どうせすぐに仲直りするのだから、仲裁するのも馬鹿らしかった。部屋を出ると、立哨任務中のハンスと目が合った。もう一人の近衛とは顔見知りだが、名前までは知らなかった。ハンスとは仲が良くたまに呑みにいく事もある。


「随分お疲れのようですね」

「ああ今日は参ったよ。今夜予定はあるか? 久し振りにどうだ?」

「いいですね。もうすぐ交代ですので、先に行ってて下さい」

「分かった。この前の店で待っている」


 ルーカスの足取りが幾分軽やかになった。店は個室で周囲をあまり気にしなくてもよい。どこから情報が洩れるか分からないので、店選びは慎重に行っている。それでも機密を話すようなへまはしないが、ハンス相手なら少しぐらい愚痴を話しても問題はないだろう。

 先輩として奢る必要はあるが、独り身のルーカスには恋人がいる訳でもなく、金を使う相手もいない。

(恋人が欲しい)

切実な悩みを抱えながら、宮殿を後にするルーカスだった。




「アルスももういいぞ」


 アールファレムはルーカスの背中を見送りながら、素っ気なく補佐官に声を掛けた。


「いや私は今日は残るつもりです」

「そうか。仕事熱心だな。じゃあまた明日」


 アールファレムは立ち上がり、のびをするとあっさりと部屋を出ようとした。既にルーカスの姿は見えなくなり、二人きりになってしまった。


「仕事をするつもりはありません。アルファ様、今夜お側にいてもよろしいですか」

「よろしくない」


 そう言いながらもアールファレムは足を止めて、アルスラーダが追い付くのを待っていた。アルスラーダは笑みを噛み殺し、アールファレムを後ろから抱き締め、右耳を軽く噛んだ。アールファレムが耳への刺激に弱い事は既に判明していた。アールファレムは声を上げそうになり、慌てて手で口を塞いだ。執務室の扉は分厚いとはいえ、すぐ外には立哨中の近衛がいる。少し扉に近すぎる為、必死に声を押し殺した。


「アルファ様、愛しています」


 アルスラーダは耳元で囁き、耳を軽く舐めた。アールファレムが大人しくせざるをえない状況を最大限利用した。


「アルス……。私は怒っているんだぞ」

「申し訳ありませんでした。アルファ様があまりに魅力的過ぎて、昼から我慢出来なかったのです。アルファ様、お願いします。私を拒まないで下さい」


 すがるようなか細い声で囁くと、アールファレムの体から力が抜けるのが分かった。そもそも本気で怒ってなどいない。ただ気恥ずかしくて、仲直りする切っ掛けがなくて、つんけんしていたに過ぎない。


「アルス……後ろからは卑怯じゃないか」


 それでも簡単にほだされるのが嫌で、小さい声で責めると、アルスラーダは強い力でアールファレムの向きを変え、正面から抱き締めた。


「機嫌を直して頂けませんか?」


 アルスラーダはゆっくりと頬を撫で、唇を親指で優しくなぞった。アールファレムは俯こうとしたが、アルスラーダは許さない。顎に手を掛け、軽く力を込めれば、簡単に上を向かされてしまう。覆い被さるように顔を近付け、唇を重ねようとした瞬間、アールファレムが何か言い掛けた。アルスラーダは目の奥で笑うと、そのまま口を塞いでしまった。


「……ふっ……ん……」


 時おり息継ぎをするだけで、濃厚な口付けが繰り返された。アールファレムの腰は砕けたように力が入らず、アルスラーダが支えなければ、立つこともままならない。


「アル……、ちょ……」


 抗議の言葉すら満足に言わせてもらえず、諦めてされるがままに身を任せた。アルスラーダは抵抗が弱まったのをいい事に、やりたい放題しようとしたところでばちがあたった。勢い余って押し倒してしまい、アールファレムが扉に倒れかかったのだ。

 物音に近衛が即反応して、扉を開けると、肩で息をしながら補佐官を睨み付ける皇帝と、皇帝の視線から逃げようと壁際で俯く補佐官の姿があった。


「ご、御無事ですか?」

「こ、この無礼者を逮捕しろ〜!」


 アールファレムはアルスラーダを指差すと、怒って部屋を飛び出していった。すぐに追おうとするアルスラーダの前に、近衛の二人が立ちはだかった。足音が響き、更に近衛兵が駆け付け、アルスラーダを取り囲んだ。たが駆け付けた近衛は困惑気味に、抜刀してよいものか判断しかねた。何せ相手はあのアルスラーダである。先に部屋に踏み込んだハンス達は既に剣を抜いて、アルスラーダに突き付けていた。


「ほぅ。私に勝てると思っているのか?」


 アルスラーダは口では偉そうな事を言いながらも、この下らない窮状をいかに切り抜けようか考えを巡らせていた。

 ハンスはだいたいの状況を察した。旅の間に二人の親密度合いを間近に見聞きし、戻ってからも観察は続けていた。人前では一応慎んでいるようだが、注意して見れば一目瞭然である。勿論、誰にも口外はしていないし、するつもりもない。だがアルスラーダはやり過ぎた。


「陛下の御命令ですからね。勝てるかどうかは関係ありません。陛下が逮捕せよと仰ったからには命令に従います」


 ハンスはふてぶてしい笑みを浮かべて、アルスラーダに対峙した。アルスラーダはここで抜刀する訳にはいかなかった。身の潔白を証明して、早くアールファレムの後を追いたかったのだが、簡単には切り抜けそうにない。


「何の騒ぎだ!」


 人だかりを掻き分け、一人の偉丈夫がアルスラーダの前に進み出た。近衛隊隊長のバルドである。実質的に近衛に命令をしているのはアルスラーダだが、一応はバルドが隊長である。実力、信頼共にアルスラーダに負け、影が薄いと揶揄されていたが、当人は気にした素振りを見せない。齢四十六歳にして二人の子持ちである。短く刈り上げた茶髪に茶色の瞳と平均的な容姿の持ち主だが、実力は隊長に選ばれるだけあって、一騎当千の強者である。寡黙な男で、アールファレムの信頼も厚い。

 バルドは室内を見渡し、まず皇帝の姿がない事を確認した。


「陛下は御無事か?」

「はい。アルスラーダ閣下を逮捕するよう命令され、部屋を出ていかれました」


 ハンスはアルスラーダから目を離さずに報告を行った。バルドは眉をぴくりとさせて、ハンスとアルスラーダの間に割って入った。長身のアルスラーダだが、バルドは同じぐらいの背丈にくわえて、横幅がある。常人なら威圧されるだろうが、アルスラーダが気にする筈がない。


「弁明なさいますか?」

「ほんの少し機嫌を損ねられただけで、本気で仰った訳ではない」

「ハンス。閣下の言葉を証明出来るか? 陛下の下された命令を一字一句間違えずに申してみろ」


 ハンスは一字一句と言われ、少し怯んだが、なんとか記憶を探りだした。


「この無礼者を逮捕しろと仰いました」


 もう一人の近衛も頷いて、ハンスの言葉を裏付けた。バルドは無情な判断を下した。皇帝の命令は単純明快であり、誤解のしようがない。例え真意がどうであれ言葉通りに従うより他はない。


「誠に遺憾ではありますが、陛下の御命令は絶対でございます。間違いであれば陛下がいずれ撤回なさるでしょう。ひとまず牢屋に拘禁致します。ご同行願います」


 この堅物め! と怒鳴る訳にもいかず、アルスラーダは平然とした態度を崩さず頷いた。

 かくして皇帝補佐官が地下牢に収監されるという珍事がおこったのだった。




「反省しているか?」


 夜半になりアルスラーダを訪ねたシルヴィンは、笑顔を隠そうともしなかった。


「……早く出せ」

「反省していないなら今晩はこのまま拘置するよう仰せつかった。その態度では出す訳にはいかんな」

「やかましい! ルーヴェルはどうした?」

「不甲斐ない補佐官に失望して、陛下を慰めに向かった」

「……ふんっ」


 アルスラーダはバルドの配慮だろう、牢に相応しくない豪奢な椅子に座り、ふんぞり返りながら、悪態をついた。

 この区画は特別な囚人を収監する為の牢で、今はアルスラーダ以外は拘置されていない。あらかじめ人は遠ざけていたので、内緒話をするにはうってつけの環境だった。アルスラーダとシルヴィンが二人きりになるのは久々である。


「私が憎いか?」

「命令がなければすぐにでも殺している。貴様を許すつもりはない。何のつもりで聞いたのだ? これを機に私を殺すつもりか?」


 アルスラーダは剣すら取り上げられていない。バルドも本気でアルスラーダが罪を犯したなど思ってはいなかった。勿論鉄格子に鍵は掛けられてはいるが、それだけで尋問すら行われていなかった。


「いや憎んでいるならそれでいい。許される訳にはいかないからな。アールファレム様は優し過ぎる」

「名前で呼ぶな。汚らわしい」

「そうは言っても、陛下とお呼びするとお怒りになられる。そこは諦めてくれ」

「あまり調子に乗るなよ」

「ああ」


 いくら凄んでも鉄格子の中からでは、滑稽でしかない。シルヴィンは笑うわけにもいかず、殊勝に頷いた。


「じゃあな」

「おい!」


 アルスラーダは立ち去ろうとしたシルヴィンを慌てて呼び止めた。


「うん? どうかしたのか?」

「ここから出せ。…………出して……下さい」


 シルヴィンの視線に気圧されたアルスラーダは途中から渋々丁寧な口調に変えて頼み込んだ。


「反省したのか」

「している」


 シルヴィンは鍵を開けると、牢の中に入りアルスラーダの胸ぐらを掴んで立たせた。


「何をするつもりだ!」

「頼むからしっかりしてくれ。お前が守らないでどうするんだ」


 シルヴィンは呻くように声を絞り出した。不甲斐ないアルスラーダに言いたい事は沢山あったが、それを指摘できる仲ではない。ルーヴェル相手なら遠慮は不要だがアルスラーダとは微妙な関係である。

 至近距離で見詰められたアルスラーダは俯いて、シルヴィンの視線から逃げた。悔しいがシルヴィンの方が正しいのは理解していた。


「言われなくても分かっている」

「まったくお前もルーヴェルも……」


 シルヴィンは力一杯突き飛ばし、アルスラーダは椅子の背もたれにしたたかに背中をぶつけて再び座る羽目になった。


「俺に近付いて欲しくないなら、隙を作るな。アルスラーダ、あの方を幸せに出来るのはお前だけなんだ。本当に頼んだぞ」


 シルヴィンは言いたい事を言うと、振り返ろうともせずにさっさと出ていった。アルスラーダは半ば呆然としたが、我に返ると、忌々しそうに立ち上がった。


「あの野郎……。素では俺って言ってやがるのか」


 思わず笑いそうになり、顔を撫でて厳めしい表情に戻した。シルヴィンに借りが出来たが、それほど不快ではなかった。いっそ殴られた方がよかったとも思うが、間違いなく殴り返していただろう。

 牢屋の入口で兵士が二人、敬礼しながらアルスラーダを出迎えた。


「大変失礼致しました」

「いや、お陰で頭を冷やせた。世話になったな」


 アルスラーダは軽く片手を上げて兵士達に声を掛けると、大人しく帰路についた。


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