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65 フィリップは男前

 ちょうど昼時だったのでルーヴェルはブルーノ達二人と昼食を共にとる事にした。


「宮殿に住みたいのか?」

「うん。特別扱いはされたくないし、早く仕事も覚えたい。駄目かな」

「うう〜ん。…………休みの日はうちに帰ってくるんだぞ」

「うん。そうする」


 ブルーノは満面の笑みを浮かべ、フィリップはブルーノの肩に手を回して、喜びを分かち合った。


「ルーヴェルが宮殿で泊まる時は、部屋に遊びにいってもいい?」

「勿論構わない。あの部屋はお前の自由にしてもいいぞ。私もなるべく宮殿で泊まるようにしよう」

「だから特別扱いは困るんだって言ってるだろう」


 二人の仲睦まじいやり取りに、フィリップは自然と顔を綻ばせた。


「フィリップからも言ってやってくれよ」

「ルーヴェル様に対して意見など恐れ多いよ。大事にして頂いているんだから、光栄に思った方がいい」


 ブルーノは眉を寄せて、ルーヴェルの顔とフィリップの顔を見比べた。


「でも俺は普通がいいんだよ」

「普通って無理なものは諦めなさい。お前は私の口利きでアルファ様に直接お仕えする事になったんだ。近衛の一部やモニカには既にお前の正体までばれているんだ」

「だからこそ普通にしたいんだよ。フィリップと同じ扱いにして欲しい」

「おいおい。フィリップと同じだと普通扱いどころか特別待遇になるぞ。アルファ様がどれほどフィリップの事を可愛がっているか気付いていないのか?」


 一生懸命訴えるブルーノにルーヴェルが呆れて尋ねると、フィリップは真っ赤な顔して黙ってしまった。自分が身に余る寵愛を受けている事は十分自覚していた。否定すればむしろ不敬になるだろう。ペンダントをぎゅっと握りしめて俯いた。


「それは分かるけどさ……。どうしたらいいのさ。難しすぎるよ」


 更に眉を寄せて、しきりに瞬きを繰り返すブルーノの仕草はとても可愛らしく、フィリップはルーヴェルの気持ちが分かる気がした。


「ブルーノ、自然にしていたらいいよ。謙虚で驕らず、ありのままにしていたらいい。それでもやっかみは出るかもしれないけど、それでルーヴェル様と距離をとるのは嫌だろう?」


 フィリップは傍目には無邪気に振る舞っているように見えていても、ちゃんと周囲に気遣いをしてた。

 ルーヴェルはフィリップの意外な一面に感心して、目を細めた。思った以上に賢い子で、宮殿内で嫌味にならないように、ちゃんと立ち回っていたのだ。そして負の感情を向けられるのすら覚悟していた。それを避けるためにアールファレムから離れる事の方が、フィリップには耐えられないのだ。

 ブルーノもフィリップと同じ立場になるだろう。だから優先順位をはっきりさせるように助言したのだ。そして二人一緒なら孤立する事はない。お互いを支えにして少年達は成長するのだろう。ルーヴェルは二人が眩しくて、自分が老人になったような錯覚を覚えた。


「フィリップは男前だな。ブルーノ、フィリップのような男を目指すといい」


 フィリップは今まで可愛いとはさんざん言われてきた。だが男前などと賞賛された事は一度もない。思わぬ賛辞に胸を熱くさせ、恥じ入るばかりだったが、ブルーノは憧憬の眼差しでフィリップを見詰めた。


「うん。俺もフィリップみたいに優しくて頼れる男になりたい」

「そ、そんな大層な人間じゃないよ!」


 慌てて否定したが、ブルーノは両手でフィリップの手を握り締めた。


「フィリップは凄いよ。俺が宮殿で生きていこうと思えたのはフィリップがいたからだ。陛下が何故フィリップの事を気に入ったのか、俺にも分かる気がする」


 ブルーノは目を輝かせてフィリップに思いの丈をぶつけた。フィリップは自分が大した人物でない事は自覚していた。だがこのように慕ってくれているブルーノの期待に応えたいと心の底から思えた。


「ブルーノを失望させないように精一杯頑張るよ」

「うん。俺も一緒に頑張る」


 二人が握手すると、部屋の隅から拍手がおきた。フィリップがそちらを向くと、レオナが笑顔で手を叩いていた。


「レオナ! いつからそこにいたの? 恥ずかしいな」


 レオナはルーヴェルを気にする素振りを見せたが、ルーヴェルが頷いて手招きしたので、お辞儀をして近付いた。もしモニカに見付かれば説教されるのは間違いなかった。


「今来たところよ。そちらが噂のブルーノ少年ね。よろしくブルーノ」


 レオナに話し掛けられたブルーノは真っ赤になりながら、もごもごよろしくと呟いた。

 どうやら女性に免疫がないらしく、ルーヴェルからの生暖かい視線に気付く余裕すらなかった。


「もう噂になっているのか。どんな噂なんだ?」


 ルーヴェルの問い掛けに、レオナは気まずそうに視線を逸らせた。


「あくまで噂ですから、その、……私は信じていません!」


 ひどく狼狽え内容をぼかすレオナの態度を見て、フィリップはだいたい見当がついた。だが先程の浴場の話が出回るにはいくらなんでも早すぎるだろう。

 だが宮殿内の噂の伝播速度はフィリップの想像を遥かに超えていた。兵士や下働きは大変口が軽いものだ。女官などは特にひどく、一度一人の耳に入れば、その日の内に宮殿内にしれわたると言われるほどだ。

 そして噂にはもれなく尾鰭がついて回る。噂を聞いて女官達の中には取り乱す者が多数出た。勿論、過去ルーヴェルと関係を持った女性達である。彼女達はそのような噂は到底信じられなかった。

 不自然なレオナと微妙な表情でルーヴェルを窺うフィリップ、ブルーノに至ってはルーヴェルと視線を合わせようとすらしなかった。嫌な予感しかしないルーヴェルは落ち着き払って、もう一度同じ質問を繰り返した。


「レオナ、それでどんな内容なのかな」

「……二通りの噂がありまして、閣下の隠し子ではないかという説と、閣下と深い関係にある本命の相手で、毎晩必ず床を共にしているという説を耳にしました」


 一つ目の噂の出所はシルヴィンの部下達で、既に大半の人の耳に入っていた。ルーヴェルは最近の女官達の態度の違いにようやく合点がいった。もう一つは先程の浴場でのブルーノの発言が原因だ。兵士達は大興奮してあちこちに触れ回り、ルーヴェルの給仕に向かう前のレオナの耳にまで届いたのだ。最近レオナはよく宰相の担当になる事が多い。真面目に働くところが評価されたのだが、モニカにより、なるべく宰相の毒牙に掛からないような女官が選別されているのが真相だ。

 レオナは今日は宰相の食後の茶の担当を命じられ、途中から待機していたのだ。思わず手を叩いて歓談の邪魔をしてしまい、大失態に反省する間もないままに失言をやらかしたのだ。


「ち、違う! 誤解だ! 俺をこんな変態と一緒にするな! ルーヴェルとはそんな関係じゃない!」

「ルーヴェル様が変態?」


 必死に抗弁するブルーノの発言をフィリップが反射的に繰り返した。ルーヴェルは否定するのも馬鹿らしくなってきたが、ブルーノの狼狽っぷりに悪戯心が刺激された。


「変態とは聞き捨てならないな。ブルーノ、男色は別に禁止されている訳ではないぞ。差別発言をするのはあまり感心できんな」


 宮殿でルーヴェルの華やかともいえる女性問題を知らぬ者はいない。フィリップからすれば、手当たり次第にしか見えず今まで揉め事が起きていない事がむしろ不思議であった。

 本気でルーヴェルに惚れている者も中にはいるのだが、皆諦めていた。一向に本命を作らないルーヴェルに女性達は安心していたのだ。

 それがまさかのブルーノの出現である。少女でないだけましと見るか、やはりと納得するかで意見が分かれていた。宮殿の至るところで様々な憶測が飛び交い、色々と物議を醸す事となった。いずれにしてもモニカにとっては頭痛の種である。

 フィリップにはルーヴェルとブルーノがそのような関係ではないという事は容易に見てとれた。その上でルーヴェルがブルーノをからかっているだけだという事も見抜いていた。

 ルーヴェルは一見穏やかに見える。水色の瞳は常に優しく他人に慈愛を注ぐように見えた。フィリップも最初は見掛けに騙された。優しい人で人当たりもよいのだが、実は底意地が悪いのだ。その癖、どこか他人を寄せ付けないところがある。他人に踏み込ませないように壁を作っているように思えるのだ。

 フィリップが冷静にルーヴェルを分析するなか、まだ付き合いの浅いブルーノは簡単にルーヴェルの発言に食い付いた。


「だ、男色? ルーヴェル、そんなの嘘だよな? だってネロはそんな事言っていなかったぞ。ルーヴェルはすごい女好きって言っていた」

「世の中には両方好きな人間もいるんだぞ」


 ブルーノは怯えた目で家族になった筈の男を見詰め、目尻には涙がうっすらと滲み出てきた。


「ルーヴェル様。そろそろお止め下さい。あまりにひつこいと本当に嫌われますよ」


 可哀想になったフィリップが助け船を出したが、ルーヴェルは真面目な顔でブルーノの顔を正面から見詰めた。


「ブルーノ、お前の気持ちには応えられない。すまないな。私は女性相手にしかその気になれない。許して欲しい。お前がどうしても私を望むなら努力はするがどうする?」

「いつ俺がそんな事を言った!」


 途中から真面目な表情をくずし、にやにやと笑いながら尋ねるルーヴェルに、やっとからかわれていた事に気付いたブルーノが怒り出したが、レオナに笑われてしまい、口を尖らせて俯いてしまった。


「そう拗ねるな。せっかくの可愛い顔が台無しだぞ」

「男が可愛いと言われて喜ぶか!」

「そうか? レオナ、どう思う?」

「とても綺麗で羨ましいぐらいです」


 ブルーノは怒ったり、照れたりと大変目まぐるしく感情を変化させた。可憐なレオナに見詰められると、こそばゆくとてもじゃないが顔を直視出来なかった。


「良かったな。大好きなレオナに誉められたぞ」

「馬鹿な事ばかり言うな! 会ったばっかりで好きも嫌いもあるか!」

「一目惚れしたかと思ったんだがな。綺麗だと思わないか?」

「本人を前にして恥ずかしい事を言えるか!」


 耳まで真っ赤にして、食って掛かるブルーノに対して、レオナはくすくすと笑うだけだった。レオナは綺麗と言われて恥じらいはしたものの、ブルーノに対してはまったく脈はなさそうだ。


「そうそうレオナ、今度からこの二人と一緒に勉強をしてもらう事になった。しっかり面倒見てやってくれ」

「あっ!」


 どうやらブルーノは分かっていなかったらしく、ようやく皇帝が話していたレオナが目の前の少女の事だと気付いた。嬉しいやら恥ずかしいやらで、ブルーノは初めて皇帝に深く感謝した。


「勉強ですか。私までいいんですか?」

「ああ。陛下はレオナの事も気遣っておられた」


 レオナの顔が瞬時に赤く染め上がった。宮殿に来てからアールファレムにあまり会えなかったので寂しい思いをしていたのだ。身分が違うのは分かっていたのだが、せめて顔だけでも見たいと毎日願っていた。遠くから姿を見ただけで、気付いてもらえなくても幸せだったのだ。

 だがアールファレムは自分の事を覚えてくれていたのだ。嬉しくて泣きそうになるのを堪え、頷くのがやっとである。

 聡明なフィリップだが男女間の機微には疎い。だからブルーノの分かりやすい反応には気付いても、レオナの想い人にまでは思いが至らない。レオナ自身も実る恋とは思っていないので、誰にも相談などしていなかった。そもそも皇帝に好意を寄せている女官はレオナに限らず、多数存在していた。抜け駆けをしようとする者も何人かはいたが、あまり派手な行動に出る者はモニカによって遠ざけられた。それが嫌で最近は態度に出す者は居なくなった。モニカは皇帝が女性相手にその気になって欲しいとは思うのだが、皇帝が不快なので、極力問題になりそうな人物は近付けないようアルスラーダから注意されたのだ。

 その辺りの事情は子供であるフィリップには知らされていない。フィリップは純粋にレオナとブルーノの三人一緒に過ごせる事が楽しみだった。

 三人とも笑顔ではあるが、喜ぶ内容が見事にばらばらである。ルーヴェルは子供達の恋愛模様に興味はないが、仲が良いのはいい事だ。


「三人ともよく勉強するんだぞ」

「はいっ!」


 少年、少女達は元気よく返事すると、声を上げて笑い出した。

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