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64 大浴場にて

「風邪をひいてしまいます。早く風呂に入ってきなさい」


 にわか雨にあい、ずぶ濡れになった少年二人と一匹が モニカの命令で大浴場に送り込まれた。二人がはしゃぎながら、ジークの体を洗っていると、泡だらけのジークがするりと逃げ出してしまった。

 幸い時間が早いので、お偉方は来ていない。同じ様に雨に濡れた兵士達が数人、体を暖めにきているだけだった。兵士達も協力的だったが、泡で滑り、何度も失敗してしまった。兵士達の間をすり抜け、飛び出したジークを捕まえたのは、最年長の将軍マルクスだった。息抜きにとライナーを誘って、昼間から風呂に入る事にしたのだった。

 ジークを簡単にひょいっと捕まえ、フィリップに渡してやった。


「マルクス閣下! お騒がせして申し訳ありません」

「賑やかで結構、結構。ジークは陛下の犬じゃったな。小さいのぉ」


 マルクスは目を細めたが、ライナーは無視して洗い場に向かった。


「うん? どうかしたのか?」

「犬は嫌いだ」

「まさか怖いのか?」

「あんなに小さいのに怖い訳ないだろうが」


 マルクスは意地悪な笑みを浮かべ、フィリップを呼び寄せると、ライナーは後退った。勿論フィリップの腕の中には濡れてほっそりしたジークがいる。


「気持ち悪いじゃないか!」


 ライナーは必死になって手で追い払い、桶を盾のようにかざした。


「本当に苦手みたいじゃな」


 マルクスはフィリップと不思議そうに顔を見合わせた。勿論、風呂場なので全員全裸である。屈強な体つきをして顔にも傷痕のある、いかついライナーの醜態にブルーノは笑いそうになったが、なんとか堪えた。


「うん? 見ない顔じゃな。お主は誰じゃ? フィリップの友達か?」


 マルクスはようやくブルーノに気付いたようで、頭をぽんぽんと叩くようにしながら尋ねた。


「はい。今日からこちらでお世話になります。ブルーノと申します」


 ブルーノはしっかりと挨拶してお辞儀した。何故かシルヴィン以外の相手だと敬語を使う事に抵抗はなかった。マルクスは頭を撫でて相好を崩した。


「そうか、そうか。よろしく頼む。儂はマルクスじゃ。そっちの情けない男はライナーじゃ」

「うるさい。じぃ、余計な事を言うな! ブルーノよろしくな」


 しっかり距離をとって挨拶するライナーの姿に、兵士達からも笑いが洩れた。


「いいか。俺だって一応は将軍なんだからな」

「その歳で独身というんだから、大した男ではないわ」

「関係ないだろうが!」


 ライナーは桶に水を汲むと、マルクスにぶっかけた。マルクスは俊敏に躱したが、滑りそうになって、ブルーノが慌てて支えた。


「すまんのう。ライナーは乱暴者で年長者に対する礼儀がなっとらん。ブルーノを見習うんだな」

「ふん。敬意を払って欲しかったら、少しは人格を磨いてくるんだな。己を改めれば、自ずと周囲も改まるさ」

「憎たらしい事を言いよって、そういうところがもてない原因じゃぞ」


 二人の会話はまだ続いていたが、フィリップはきりがないので、こっそりと抜け出し、ジークの泡を洗い流すと、浴槽に浸かった。ブルーノは大きな浴槽におっかなびっくりしながら、おずおずとフィリップの横に座った。


「こんなに大量のお湯なんて、初めて見たよ」

「ふふ僕も最初はびっくりしたよ。普段は僕達は夜にしか入れないんだ。でも身分関係なしに開放されているんだ。だから将軍様から僕らのような下っ端まで一緒の風呂に入る事が許されている訳さ」

「へぇ。陛下も利用なさるのか?」

「陛下は専用浴場を利用なさる。こちらを利用なさった事はなかったと思う」


 フィリップはブルーノ相手には普段と違う言葉遣いで話していた。マルクスは意外な素顔を面白がりながら、フィリップの傍に座った。フィリップはジークが湯に浸からないように、縁で支えていた。ジークは今度は逃げずに大人しくしていた。どうやら風呂は嫌いではないらしかった。

 ジークがいるせいでライナーはかなり離れた場所で一人ぽつんと湯に浸かり、会話に参加したそうに、こちらをちらちらと気にする素振りを見せていた。


「裸の陛下がこんなむさ苦しい男の中に混じるなど、想像しただけで恐ろしいわ。野獣どもが牙を剥いたら大変じゃ」

「物騒な事をでかい声で言うな!」


 マルクスの声は大きすぎるので、大浴場中に響く。ライナーが顔を赤らめているのは、のぼせている訳ではなく、実際に想像したせいだった。ライナーの反応は大変分かりやすくマルクスは呆れ果てた。


「まさか独身を貫いているのは、陛下に懸想しとるんじゃなかろうな」


 マルクスのせいで浴場中の視線がライナーに集中した。


「そんな訳あるか! 俺は女が好きだ! 陛下に敬愛以上の感情はないわ!」


 慌てて立ち上がり拳を突き上げるライナーだったが、当然全裸である。下半身丸出しで女好き宣言をする姿はいっそ哀れで、フィリップはそっと視線を外し、マルクスですら茶化すのを止め、大浴場を沈黙が支配した。

 ライナーは大げさに咳払いをして、再び湯に身を沈めた。いっそ頭ごと潜りたかったが、威厳を保つ為に我慢した。既に挽回出来るかは甚だ疑問だが、一応将軍としての面目がある。マルクスにも慈悲の心はあった。見なかった事にして視線を逸らすと、ブルーノと目が合った。


「ふむ。ブルーノ、お主……」


 白金色の髪は濡れており、前髪がおでこに張り付いていた。端正な顔はほんのりと赤く、色気すら感じられる。華奢な体つきが中性的な魅力を醸し出しているが、本人に自覚はないようだ。


「何か?」


 ブルーノは首を軽く傾げて、当惑したように見上げ、その趣味はないマルクスですらどぎまぎしてしまう。


「大浴場は危険かも知れんな。特に夜の利用は止めた方がいい。襲われかねない」


 フィリップも言われてブルーノをしげしげと観察すると、ブルーノは居心地悪そうに、湯にぎりぎりまで体を沈めた。ブルーノはこの四年間で貞操の危機を幾度も経験していた。親切そうに宿を提供してくれた親父が夜分に襲い掛かってくるのは数え切れないほどあった。勿論、善意の人間もいたが少数である。

 最初ルーヴェルの事も警戒したのだが、ルーヴェルは抱き締める以上の事はしてこなかった。風呂にも一緒に入ったが、性的な目で見られていない事ぐらいブルーノにも分かる。


「ブルーノ結局どっちに住むつもりなの?」

「う〜ん。こっちだとルーヴェルが一緒に寝られないから寂しがるかな」


 ブルーノの問題発言に浴場にいる全員が固まった。先程のライナーの醜態など可愛いものだった。


「お主……。ルーヴェル閣下といったいどういう関係なんじゃ?」


 マルクスは怪訝な顔で尋ね、ライナーも真相を確かめるべく近寄った。犬が怖いなどといっている場合ではない。


「ち、違う! へ、変な意味じゃない! 弟、弟みたいって。家族になろうって言ってくれたんだ」


 ブルーノはルーヴェルの名誉の為に一生懸命に否定したが、後半は照れながら、嬉しそうに話した。

(弟相手に一緒に寝るか?)

(いやいや無理、無理!)

 小声でやり取りをする将軍二人に気付かず、ブルーノは再び家族という温かい存在が出来た事を改めて実感していた。言葉に出すと凄く素敵な響きだったのだ。


「じゃあルーヴェル様のところから通う事にするんだね」

「他に通いで働く人はいないのかな?」

「近くに宿舎があるから地方出身の人は大抵そこから通っているかな。僕は子供だから宮殿内に部屋を頂いている。宮殿だと食事とかは用意してもらえるし、色々と助かるからね。自立出来るようになれば出ていった方がいいんだろうけど、まだ先になるかな。ブルーノの場合はルーヴェル様が一人暮らしは許して下さらないだろうし、宮殿内か、ルーヴェル様のところか好きにしたらいいよ」

「悩むけど宮殿にしようか。宰相のうちから近侍が通うのも変な話じゃないかな。誰かに言われそうで嫌だな」

「陛下がお許しになられた事だから、別にブルーノの好きにしたらいいと思うけどね。でもルーヴェル様は宮殿にもお部屋があるから、お泊まりになられる時は一緒したらいいよ」

「それだとあんまり変わらないんじゃないかな。でも一応ルーヴェルに相談してみるよ」

「うん。この後訪ねてみよう。住むところは大事だからね」


 フィリップは先輩らしく頼れるところを見せようと張り切っていた。ブルーノも素直に従い、二人は挨拶をすると慌ただしく浴場を出ていった。


「どういう素性なんじゃ?」

「俺に分かる訳ないだろう」


 ライナーは子供のように全身を伸ばして、湯に浮かび上がった。


「フィリップが一緒という事は友人として見込まれたのかも知れんな」

「かもな。陛下はフィリップに甘いからな」

「陛下の傍にあのブルーノが侍ると……。妙な噂が立たなければよいな」

「確かに絵になるな。陛下が女性に興味が示されればよいのだが、中々その気にならないようだな。困ったものだ」

「お主などその気はあるのに女が寄り付かんからな」

「うるさいな」


 ライナーは両手でお湯をすくって、マルクスにかけた。マルクスもすぐに悪乗りして応戦し、暫く子供のようにふざけあった結果、床が水浸しになってしまった。勿論浴槽の湯もすっかり少なくなり、不味いと気付いた時は既に手遅れだった。

 二人はこそこそと浴場を後にしたが、後刻たっぷりと小言をくらう事になった。




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