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62 ブルーノの過去

 ルーヴェルがブルーノを連れて応接室に入ると、ブルーノに気付いたジークがブルーノに駆け寄った。ブルーノは足元にじゃれつくジークを見て、一瞬笑みを浮かべたが、自分を見詰める皇帝の姿が視界に入り呼吸を止めた。

 噂以上に美しい青年でこちらを見やる蒼い瞳は興味津々に輝いていた。手前にいた大将軍のシルヴィンがブルーノの事を睥睨していたが、ブルーノの目には皇帝アールファレムしか映らなかった。

 あの男がブルーノから全てを奪ったのだ。彼に復讐する事を誓ったあの日、真っ赤に染まった光景が脳裏に甦った。

 ブルーノは我に返り、ルーヴェルに導かれるまま皇帝の向かいに座った。ようやくフィリップが同席している事に気付いて、少し表情を和らげた。控え目に手を振るフィリップの胸元にはイルカのペンダントがかかっていて、ブルーノは安堵したが、すぐに目の前の皇帝に意識を集中させた。不思議と緊張は消え去り、心穏やかに顔を合わせる事が出来た。

 女官が皆の分のお茶を給仕したが、勿論フィリップの分も用意されており、フィリップは居心地悪そうに体をもぞつかせた。アールファレムは悪戯っぽく笑い、フィリップの頭を一度撫でた。ルーヴェルは楽しそうなアールファレムを見て、一瞬目を細めたが、表情を引き締めて本題に入る事にした。


「アルファ様、紹介が遅くなり申し訳ありませんでした。こちらがブルーノ、ブルーノ・フォン・フォルムです」


 部屋の隅に並んでいた近衛兵達が感嘆の声を洩らし、モニカに睨まれた。


「私がアールファレムだ。よろしくブルーノ」


 アールファレムは身をのりだして、右手を差し出したが、ブルーノは軽く首を振って拒絶した。

 近衛達はあまりの無礼に激昂しかけたが、シルヴィンに睨み付けられ、その場を動けなかった。

 フィリップが不安そうにアールファレムの顔を見上げたので、アールファレムはフィリップの頭を撫でて、怒っていない事を示した。


「初対面の筈だが、どこかで会ったのかな」


 アールファレムは優しい口調で問い掛けたが、むしろ逆効果だった。ブルーノは子供相手と侮るアールファレムの態度に苛つき、顔を歪めた。


「いいえ。会いませんでした。会えば殺されると思ったので命からがら逃げました」


 感情を込めずに淡々と話すブルーノだったが、一番驚いていたのは本人である。この場でぶちまけるつもりはなかったのだ。しれっとして仕官を申し出るつもりだったのに、どうしても我慢出来なくなったのだ。


「ブルーノ。つまり敵側にいたのかな」


 困惑しながらルーヴェルが尋ねたが、シルヴィンは片手を上げて制止し、モニカに視線を送った。モニカは一礼すると近衛兵を追い出し、自身は僅かに躊躇したが、シルヴィン達を信じて退室する事にした。

 フィリップも立ち上がろうとしたが、ブルーノが首を振ってとどまらせた。


「俺はアクリア村で生まれました」


 その一言でフィリップ以外の三人はブルーノの憎しみの源泉が何であるか悟った。アールファレムは沈痛な面持ちで目を瞑り、シルヴィンは苦々しげに唸った。

 ルーヴェルは出会った時のブルーノを思い出していた。浮浪児として餓死寸前で道端に転がっていた少年。彼の境遇はアールファレム達によってもたらされたものだった。罪悪感と同情心が入り交じり、目眩をおこしそうになったが、なんとか手を伸ばし、ブルーノの手をしっかりと握り締めた。

 ブルーノはその手を振りほどきたかったが、体は正直だった。寄る辺のないブルーノに唯一手を差し伸べた人物に少なからず恩を感じていたのだ。ルーヴェルの方を見やり、信頼を込めて手を握り返した。再び皇帝に視線を戻すと、ちょうど目を開いたようで二人は暫く無言で見つめあった。

 フィリップがテーブルの端を両手で掴み、心配そうにブルーノの方を見ていた。アールファレムはブルーノを見据えたまま、右手でフィリップの手を包み込んだ。フィリップの体温がアールファレムに伝わり、心を落ち着かせてくれた。本当ならアルスラーダに側にいて欲しかったが、いないものは仕方無い。


「私を殺したいか?」

「その為に俺は生きてきた。だがあんたの為に死ぬのはごめんだ」


 シルヴィンは既にいつでも抜刀出来るよう身構えていた。警戒心が伝わりアールファレムは念のために釘をさした。


「シルヴィン。決して抜く事は許さんぞ」

「ブルーノは武器を持っていない。それは私が保証する」


 ルーヴェルは左手でブルーノを庇い、シルヴィンに目で訴えた。シルヴィンとしては、こんなとんでもない過去の遺物を連れてきたルーヴェルを恨みたい気分だった。


「あの陛下、アクリア村でいったい何があったのですか?」


 我慢しきれなくなったフィリップが尋ねると、アールファレムは握った手に力を込めた。


「まだ私が皇帝に即位する前におこった戦いに巻き込まれた。結果アクリア村は滅んでしまったんだ」

「火をつけたのは敵側だ。ビクトールが追っていたんだが、追撃の足止めをする為に奴等は村に火をはなったんだ。結果的にビクトールは村人の救出作業に追われ追撃を断念した訳だ。真夜中だった事もあって、かなりの被害が出た。勿論、後で命令した犯人は処刑したが、だからといって死んだ人間が生き返る訳ではない」


 シルヴィンが苦い表情のまま、アールファレムの説明の補足を行った。


「なら陛下は味方じゃないか!」


 フィリップは目を丸くさせて言ったが、ブルーノは立ち上がって叫んだ。


「あの混乱の中でどうしてそんな事が分かるんだ! 敵か味方かどちらにせよ利用される訳にはいかなかった。フォルムの血筋を絶やさない為に、俺と妹だけ逃げろって言われて……くそっ! だいたい戦いがなければ、あんな事にはならなかった。あんたが俺から家を奪い、父さんと母さんを殺したんだ! 妹のニーナを抱いて逃げて……でも体の弱かったニーナはすぐに死んだよ。段々弱っていって、火が怖いって、母さんに会いたいってずっと泣いていた。最後は泣く元気すらなかった。抱いて寝ていたのに、朝起きたら俺の腕の中で冷たくなっていたんだ。まだ四歳だったんだぞ! 返してくれよ! あんた皇帝なんだろ! なんだって出来るんじゃないのか!」


 ブルーノは大粒の涙を流していたが、それでもアールファレムの顔を正面から見据えていた。唇をぎゅっと噛み締め、溢れる涙を拭おうともしなかった。


「すまない。謝ってすむ問題ではないのは分かっているが、私にはそれしか出来ない」


 アールファレムは立ち上がって、深く頭を下げた。シルヴィンが軽く首を振ったが、何も言えず皇帝に倣い、立ち上がり並んで頭を下げた。アールファレムのせいではない。だがブルーノの言った事は正しい。間接的とはいえ、アールファレムのせいで、ブルーノの家族は死に絶えたのだ。だがあれ以上の事はあの当時行えなかった。

 戦後アールファレムはアクリア村を訪れて、凄惨な焼け跡を目の当たりにした。小さな村でほとんどの村人が住処と家族を失い、残された村人は村を去り、村は消滅した。今から四年前の話だからブルーノはまだ八歳だった筈だ。あれからブルーノの歩んできた人生を思うと、どうして言い訳する事が出来ようか。

 ブルーノとて今更どうにもならない事ぐらい分かっていた。それでも憎しみを糧に今日まで生きてきたのだ。自分一人だけ生き延びた罪悪感をアールファレムのせいにしていたに過ぎない。

 ルーヴェルに拾われて、ブルーノは分からなくなった。憎むべき片割れの筈なのに、ルーヴェルは忘れていた家族のぬくもりを思い出させてくれた。


「俺は……分からない。どうしたいかなんて俺だって分からないよ」


 頭を下げたままの二人を見て、途方にくれたブルーノは俯いて呟いた。ルーヴェルが強引に抱き寄せて頭を撫でてやると、ブルーノはルーヴェルにすがり付いて泣いた。

 ルーヴェルはブルーノに負担がかからないように体勢を調え、頭を撫で続けた。アールファレムの方を向くと、心配そうな表情を浮かべ、ブルーノの背中を見詰めていた。

 アールファレムはここで泣き出す訳にはいかなかった。目を背ける事も許されず、戦争の犠牲となった子供の為に何が出来るか考え込んでいた。


「もし陛下に引き取って頂けなかったら、僕も同じ様に陛下を恨んでいたんでしょうか?」


 フィリップは真剣な眼差しでアールファレムを見上げた。フィリップは戦場で一人で泣いていたのを、アールファレムが拾って引き取ったのだ。ブルーノの境遇はフィリップの辿ったもうひとつの可能性でもあった。


「そうかもしれんな。フィリップ、お前がいてくれて私がどれほど助かっているか分かるか? お前が笑っているだけで私は嬉しいんだ。だがそれで私は満足していたらしい。孤児院を各地で作って、それで解決したつもりになっていたようだ」


 アールファレムはブルーノから目を逸らさず、再度フィリップの手を握り締めた。


「さて如何しますか? 生き残った我々が責任を負うべきでしょう。ブルーノに対して、我々が何をしてやれるのか考えないといけません」


 シルヴィンとて金で解決出来ない事くらい分かっていた。家と金を用意してそれで済むなら簡単である。孤児院に入れてもよいが、恐らくアールファレムがそうさせないだろう。


「ルーヴェル、ブルーノを養子にするか?」


 シルヴィンの出した案は妥当なところだろうが、少々配慮にかけていた。


「シルヴィン、結論を急ぐな。……ブルーノ、ゆっくりでいい。今後の事は後日、納得いくまで話し合おう」


 ルーヴェルはブルーノの顔をハンカチで拭ってやった。ようやく泣き止み赤く腫れた目が痛々しかった。ブルーノは暫く無言で俯いていたが、やがて顔を上げ、ルーヴェルと向き合うと、ぽつぽつと言葉を紡ぎだした。


「…………俺は、俺は養子になんかなりたくない。世話になんかならない。でも……行くところなんてどこにもない」

「ブルーノ私が嫌いか?」


 ルーヴェルの問い掛けに、首を横に大きく振って否定した。


「嫌いじゃない……。でも好きじゃない! 好きになったらいけないんだ! あんたは敵なんだ!」


 ブルーノは叫んで離れようとしたが、ルーヴェルは力を緩めず、むしろ力を込めて抱き締めた。


「ブルーノ、私はブルーノが好きだ。息子ではないな。弟のように思っている。四年前、見付けてやれなくてすまなかった。お前を一人にして悪かったと思っている。どうか私に償いをさせてくれないか?」

「遅い……。もう遅いんだ」


 ブルーノは力なくもがいたが、ルーヴェルは優しく背中を擦って、惜しみ無く愛情を注いだ。


「ブルーノ、長い間待たせて悪かった。本当にすまない」

「……もういい。ルーヴェル分かったから、もう謝らないでくれ」

「今日のところは帰ろうな」


 ルーヴェルが諭すように言ったが、ブルーノはかぶりを振った。


「帰りたくない。あそこは俺の家じゃない」

「孤児院の方がいいのか? ネロも寂しがるぞ」


 ネロの名前を聞いて少し迷う素振りを見せたが、ブルーノはぶんぶんと首を振った。


「働く。働いて一人で生きていく」

「お前はまだ子供だ。働く必要はない。一人で生きていくのは私が許さんぞ」


 ルーヴェルはブルーノの頬を撫でながらきっぱりと言い切った。反論は許さないと瞳が物語っていた。ブルーノは困惑して再び俯いてしまった。


「それなら僕と同じ様に宮殿で働いたらいい」


 フィリップが何でもない事のように言うと、ブルーノは目をぱちくりとさせた。確かに仕官を考えていたが、既に想像していた状況と現実は大きくかけ離れていた。


「ブルーノ、私からも頼む。私に償いをさせて欲しい。勿論、宮殿で働くといっても、ルーヴェルの身の回りの世話とか簡単な雑用だけだ。住むのも宮殿でもルーヴェルの家でも好きな方を選んでくれればよい。返事は急がないから、考えてくれないか」


 アールファレムの眼差しは、誠意に溢れていた。ブルーノは心の奥にあるつかえが溶けていくのが実感できた。まだ納得した訳ではない。だがあの日止まった時がようやく動き出したのだ。


(ニーナ……。俺は……もう楽になっていいのか?)


「もし希望を叶えてくれるなら、俺はあんたの側にいたい。あんたが何をするのか見ていたい」


 シルヴィンが眉をひそめたのは、言葉遣いのせいだけではないだろう。だが反論出来るような空気ではない、小さなため息をついて、言葉を呑み込んだ。フィリップが嬉しそうに顔を輝かせ、ルーヴェルは少し寂しそうだった。


「構わない。だが一つ頼みたい事がある。フィリップと一緒に勉強してやってくれないか? 学校は嫌がるし、教師をつけようとしても遠慮してしまうんだ。二人一緒なら……そうだ! レオナも参加させよう!」


 気の進まなそうなフィリップだったが、レオナの名前を聞いたとたんに、嬉しそうになった。


「勉強? 今更学んだところで生きていく為に必要だとはとても思えない。フィリップとそのレオナとやらの二人だけで頑張ってくれ」

「いや必要だ。将来何になるにせよ、学んで損するという事はない。まずはその言葉遣いから学ぶんだな。如何なる事情があろうとも陛下に対してあんたなどと呼ぶ事は絶対に許さん! 最低限の敬語は身に付けてもらうぞ」


 シルヴィンとしてはそこは譲る訳にはいかない。例えアールファレムが許しても、周囲が黙っている筈がない。


「分かったよ」

「分かりましたと言え。もしくはかしこまりましただ」

「あんたは皇帝じゃないだろう!」

「ほぅ。お前は大将軍より偉いつもりなのか?」

「いやそれはそうだけどさ」

「宮殿で生きていく為だ。目上相手にその態度が許されると思っているのか。フィリップ、よく仕込んでやってくれ」


 早速シルヴィンの指導が始まり、ブルーノは辟易したが、自ら望んだ事だった。


「……よろしくご指導お願いします」

「まぁぎりぎり及第点だな。致しますが正解だ」

「細かすぎるよ!」

「僕も正直なところ自信ありません」


 フィリップは隅で身を縮めて、アールファレムに笑われた。


「気にするな。気持ちが込もっていればいい。ブルーノもその内慣れるさ。私が尊敬される存在になれば自ずと変わるだろう。もしブルーノの態度が変わらないのであれば、私にそれだけの価値がないという事だ。あまり気負わなくてもよいぞ」


 ブルーノは顔をひきつらせて大将軍の顔色を窺った。早急に言葉遣いを改めなければ、シルヴィンが激怒するに違いない。


「ブルーノ、少し不躾な事を尋ねる。貴族出身のわりに言葉遣いが粗野に思うのだが、やはり村をでてからの生活が長かったせいなのか?」


 ルーヴェルは以前から気になっていた事を尋ねた。なまじ顔が整っているだけに、どうしても残念な印象を受けてしまうのだ。


「貴族? 家名だけでただの農家だぞ。勿論部下なんかもいないし、先祖が凄かったっていわれても、まったく実感が沸かなかった。貧乏とはいわないけど、普通の生活だったんじゃないかな」


 ブルーノにはフォルムの血筋などにこだわりはない。そんなものは今まで何の役にも立たなかった。初めて会った時に疑われて怒ったのは、名前を騙るような輩と思われた事が心外だったからに過ぎない。


「貴族出身だろうと我が国では関係ない。能力が全てだ。だがどうする? フォルムの名前を公表すればいろいろと面倒になるだろう」


 シルヴィンは名門貴族出身で初期のアールファレムが飛躍的に勢力を延ばしたのはギュンター家の力が大きい。だが今の地位を獲得したのは自身の実力だと自負している。だが名門貴族とフォルム家では格が違う。宰相の紹介という事でブルーノは注目を浴びるだろう。それに加えてとなると邪推する輩も出てきそうだ。ブルーノは当惑した様子でルーヴェルの事を仰ぎ見た。


「偽る事はないだろう。わざわざ言わなければよい。幸いモニカと近衛にしかばれていない。口止めをしておこう。万一ばれても気にするな。堂々としていろ。お前は私の弟なんだからな」

「うん。そうする」


 ブルーノは嬉しそうに鼻を擦り、ルーヴェルの手をぎゅっと握った。ルーヴェルはアールファレムの寂しそうな視線には気付かずにブルーノに微笑みかけた。


「ブルーノ早速仕事を頼みたい。フィリップと一緒にジークの散歩につき合ってやってくれ」


 アールファレムからの初めての命令に少年二人は即座に従い、連れ立って部屋を飛び出していった。




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