61 ブルーノ宮殿へ
今日はいよいよアールファレムとブルーノが対面する事になった。ルーヴェルとしてもシルヴィンから厳しく詰問され、これ以上は逃げ切れなくなったのだ。どちらにせよ、いつまでも避けきれるものではなく、ブルーノに覚悟を迫ったのだ。
フィリップは朝からそわそわと落ち着きなく、アールファレムを呆れさせた。
「そこまで心配しなくても大丈夫だ。少し座りなさい」
「でも陛下!」
反論しようとしたフィリップを強引に自分の隣に座らせた。反対側にはシルヴィンが瞑目したまま座っていた。ジークは床に寝そべり、室内の様子を眺めていた。
「私が信用出来ないか?」
「そんな事はありません。ですがブルーノが失礼な態度をとらないか心配で、どうか怒らないでやって下さい」
ちなみに目付きの悪いアルスラーダはブルーノが怯えるので、同席の許可が出なかった。今頃、皇帝の分も仕事に励んでいるだろう。
「ブルーノ、前にも言ったが、アルファ様はお優しい御方だ。甘える事がないようにな」
ルーヴェルはブルーノに注意したが、ブルーノは顔を強張らせて軽く頷いただけだ。
ブルーノはフィリップのペンダントを壊した事を気にしており、あれからずっと後悔していた。たからフィリップに会うついでという態度をとっていた。だが極度の緊張から、昨夜は眠れなかったようだ。フィリップに会うのにそこまで緊張する筈もなく、やはり皇帝に会う事が心理的な負担になっているのは疑いようもない。
未だにブルーノは詳しい事をまったく話さなかった。徐々にだがルーヴェルに心を開いてきているのだが、意地っ張りなブルーノは素直になれずにいた。そしてルーヴェルがアールファレムを誉める度に不機嫌になるのだ。ただの子供のやきもちだったが、ブルーノは認めたくなかった。
もとよりブルーノにとってアールファレムは敵である。その部下のルーヴェルの事も憎むべきなのだ。だが憎しみだけで生きていけるほどブルーノは強くなかった。
強くなりたいと願っても現実には、非力で庇護される子供でしかない。ブルーノには知恵も力も不足していたが、気概だけは一人前で、ルーヴェルから見れば空回りしていた。
ブルーノはこの面会を好機と捉える事にした。皇帝が子供に甘いのは、この前フィリップを見ていて明らかだった。いきなり暗殺をするつもりはない。ブルーノは自分が死ぬのは真っ平ごめんだった。上手く皇帝の傍に潜り込み、機会を窺うのだ。そうルーヴェルに出会ったのは、天がブルーノの味方についた証拠に違いなかった。
そう意気込んで宮殿までやってきたのだが、緊張のあまり顔が真っ青になっていた。
「大丈夫か? あまりひどいようなら後日にしてもいいんだぞ」
「……大丈夫。問題ない」
あまりに辛そうなので、見かねたルーヴェルが声を掛けたが、蚊の鳴くような声で応えた。あまり大丈夫そうには見えないが、本人が言い張るのなら、無理強いも出来ない。
ルーヴェルはブルーノの肩を抱きながら、歩く速度を落とした。常ならルーヴェルを振りほどくブルーノだったが、今日はその体温が心地好く、素直に体を預けていた。
ブルーノの体から余分な力が抜けていく様が伝わり、ルーヴェルは安心しながら、もう一人の生意気な弟の事を考えていた。アールファレムの事となると過剰に反応する弟を宥めるのは日常茶飯事だった。何かあっても相談しないくせに、最後は不承不承頼ってくるのだ。生意気なブルーノはアルスラーダの小さい頃にそっくりだった。勿論ブルーノの方が可愛いげはあるが、あれでも小さい頃はアルスラーダも可愛かったのだ。目付きと中味に少々……いやかなり問題があるだけで、見た目は悪くない。
だがアールファレムの秘密を守る為に排他的になりすぎた。全てを寄せ付けないのは明らかにやり過ぎであり、フリードリッヒやライナー達ですら警戒していたのだ。彼等が信用にたる人物だと分かってからも、その態度は続き、幾度か注意したのだ。幸いにしてフリードリッヒ達はその反応を好意的に受け取り、忠義によるものと解釈した。フリードリッヒが以前から秘密に気付いていたとしたら、アルスラーダの態度は必然だと認識しているだろう。
果たして何人が気付いているのやら、とルーヴェルは内心でぼやいていると前方の廊下にアルスラーダが見えた。
舌打ちしたいのを堪え、表面的にはにこやかな笑みすら浮かべて愚弟に声を掛けた。
「どうかしたのか? 暇などないだろう」
「いや噂のブルーノに会いたいと思ってな」
アルスラーダも最初は興味などなかった。だがシルヴィンの言動の変化に看過出来なくなったのだ。この前ブルーノが宮殿に来てから、シルヴィンはブルーノを敵視というほどではないが、厳しい発言をするようになった。
アールファレムが気まずそうにしているので、シルヴィンを問い質すとあっさりと吐いた。ブルーノはアールファレムに敵意めいた感情を抱いているらしい。顔色を変えるアルスラーダをアールファレムは宥め、執務机の前に立つシルヴィンを厳しく責めた。アルスラーダは机の手前側に立っていた。
「心にとどめるのではなかったのか!」
「そのつもりでしたが、その後陛下はとどめなくてもよいと仰ったではありませんか」
アールファレムの真意が伝わらなかった筈もなく、わざと曲解して屁理屈を捏ねた。
「シルヴィン。本気で言っているのか?」
アールファレムは怒鳴るのをやめ、なかば唸るように尋ねた。本気で腹をたてている証拠だったが、シルヴィンは一向に気にした様子はない。
「陛下の御意がどうであれ、御身に危険がせまるのであれば、私は命令に従う訳には参りません」
アルスラーダも当然だとばかりに頷いた。事がアールファレムの安全に関わるのなら、アルスラーダも私情などかなぐり捨てる。
「たかが子供だ。馬鹿げている」
鼻先で笑ったが、二人は真剣な顔を崩さず、アールファレムは机を手のひらで叩き付けた。シルヴィンが顔をしかめたのは手が痛そうだなといらぬ心配をしたせいである。
「子供でも人を殺せます。アルファ様もよくご存知でしょう」
アルスラーダが初めて人を殺したのは、十二歳の時で初陣より二年も前だった。アールファレムが忘れる筈もない。
「ああ。よく知っているさ。だがそんな子供は特殊だろう」
「彼も十分特殊です。何せ、あのアルトゥール・フォン・フォルムの子孫ですからね」
シルヴィンは今の二人のやり取りに気になる点があったが、既に話は進んでしまったので聞けずじまいだった。折を見てルーヴェルにでも尋ねる事にした。
「血筋は関係ないだろう。本当に危険ならルーヴェルが放置する訳がない」
勿論三人ともルーヴェルの事は露ほども疑っていない。
「どちらにせよ警戒するに越したことはありません。子供だからといってくれぐれも油断なさらぬようになさって下さいませ」
シルヴィンは噛んで含めるように言い聞かせた。アルスラーダは厳めしい顔のまま、アールファレムの手をとった。無論、先程叩き付けた右手の方だ。骨太の乾いた手が優しくアールファレムの手を撫でた。ゆっくりと親指の腹を往復させると、アールファレムはくすぐったそうに体を竦めた。アールファレムはシルヴィンを気にして顔を赤らめたが、シルヴィンは表情一つ変えなかった。
「もう痛くない。機嫌をとっても無駄だからな」
つまり痛かったという事だろう、二人の面白がる視線が不愉快でアルスラーダの手を振り払った。本当は名残惜しかったが、そんな事を口にだすのも悔しく、不機嫌な振りを続けた。
「足りないのでしたら頭を撫でましょうか?」
「アルス!」
「よろしければ席を外しましょうか?」
「シウ! 二人ともふざけるな!」
再び机を叩き付けるのは我慢して、精一杯二人を睨み付けた。
「これは失礼致しました。とにかく明日は私が護衛を務めます」
アルスラーダの同席はルーヴェルにより拒否されていた。代わりにシルヴィンが護衛につく事になったのは、こういう経緯があったからである。
ブルーノの体が一瞬にして強張ったのが、ルーヴェルに伝わってきた。ルーヴェルがブルーノを背後に庇うと、アルスラーダは眉を寄せただけで何も言わなかった。
「お前は威圧的過ぎるんだよ」
「この顔は生まれつきだ。仕方無いだろう。それより紹介してくれないのか? わざわざ仕事を中断してきたんだぞ」
別にルーヴェルが頼んだわけではなかったが、ブルーノの前でアルスラーダを罵るのも憚られた。渋々振り返りブルーノの肩に手を回して、アルスラーダの前に立たせた。
「ブルーノだ。縁があって私が面倒をみる事になった。こっちは皇帝補佐官のアルスラーダだ。私の弟のようなものだ」
ブルーノは大きく緑色の目を見開いて、目の前の黒髪の大男を見上げた。同時にアルスラーダもブルーノを上から下までしっかりと観察した。長いまつ毛が少年というより少女のように見えた。華奢な体はひょろりとして、未だに肉付きが悪かった。不安げなブルーノに厳しい表情のアルスラーダ、視線を逸らせたのはブルーノだった。値踏みするような視線に気圧され、俯いてまばたきをしきりにする様はアルスラーダからすれば疚しい証拠だった。ルーヴェルの服をまるで命綱のように、きつく掴んでいるのも気に入らない。
アルスラーダが右手を前に差し出すと、体をびくつかせ、手を顔の前でかざし、恐々と様子を窺った。
「握手がしたかったんだが、何を勘違いしているんだ? 斬り付けるとでも思ったのか?」
「そ、そんな事は思っていません!」
ブルーノは狼狽しながら、差し出されたままの無骨な手を握った。硬く剣士の手だったが、その様な感想を抱く余裕もない。力を入れられるかと覚悟したが、意外にあっさりと解放された。
もはや尋常でないぐらい汗をかいているブルーノを見かねたルーヴェルが割って入った。
「あまり苛めないでやってくれ」
「どこが苛めているんだ? ただ握手しただけだろう」
確かにそれだけではあるが、なら少しくらい愛想よくしろよと言いたかった。
「さっさと仕事に戻るんだな」
「そうさせてもらう。そうそうルーヴェル、身体検査はしたのだろうな。短剣などは隠し持っていただけで殺すように近衛に言っておいたから問題はないと思うが」
「いい加減にしろよ」
人前では珍しくルーヴェルが苛立ちを隠さず、アルスラーダの胸に軽く拳を当てた。
「皇帝に謁見するのだ。当然だろう。宰相の紹介とはいえ特別扱いをするのは示しがつかない。既に近衛に身を検めさせるように命令している」
「それなら最初から身体検査など言い出さなくてもいいだろう」
「心構えを聞きたかったんだ。この件に関してはシルヴィンの方がまだ頼りになる。今日のところは奴に任せるしかない」
ルーヴェルはシルヴィンが同席する事すら聞かされていない。この二人が組むと予想以上に厄介だった。
「分かった。私が検査してからアルファ様に会わせる」
これ以上の負担はブルーノがもたないだろう。既に限界を超えているだろうが、今更取り止めれば、ブルーノの心証は更に悪化するだろう。
子供をここまで追い込むアルスラーダが腹立たしいが、アルスラーダの方が正しいのも分かっていた。ルーヴェルとてアールファレムの安全が脅かされるなら、子供相手でも容赦はしない。だがブルーノに、そんな度胸がない事は既に分かっていた。だが情が移って見落としをしている可能性もある。ルーヴェルの瞳にいつもの冷静さが戻ったのを確認すると、アルスラーダは立ち去った。
「頼んだからな」
アルスラーダの後ろ姿を見送り、ルーヴェルはブルーノの顔を覗き込んだ。
「大丈夫か? あいつはアルファ様を心配しているだけだ。お前が無害だと分かればあんな態度はとらないさ。気にしなくてもよい」
「うん……」
歯切れ悪く返事をして服を掴んでいた手を離した。強く掴んでいた為にしわになっていたが、ルーヴェルは気にせずに、ブルーノの手を握った。
「行こうか」
「うん」
先程までは緊張から喋れなかったのだが、今は明らかに意気消沈していた。ルーヴェルは何も言わず、二人は宮殿の奥へと進んでいった。
長い廊下を二人が歩いていると、皆が興味津々の視線で見てくる。おいそれと聞く事も出来ないので遠目で見ているだけだが、明らかにブルーノの正体を訝しく思っているのは明らかで、居心地悪く幾度かルーヴェルの顔を見上げた。その度にルーヴェルは優しい顔を向けて、握った手に軽く力を込めて勇気付けた。
徐々に近衛兵の姿が目立ち始め、遂に宮殿最奥の皇帝の居室区画まで辿り着いた。近衛兵がルーヴェルに向かって一斉に敬礼を施した。
軽く答礼し、ブルーノを連れて手前の近衛の待機部屋に入った。そこで兵士が見守る中、ルーヴェルはブルーノの身体検査を行ったが、勿論何も出てこなかった。首から銀の鎖をかけており、例の指輪を通していた。
昨夜ルーヴェルが指輪をつけていくか尋ねると、恥ずかしそうに目の前で嵌めた。ブルーノの指にはまだ大きすぎるらしく、ぶかぶかだった。それならと無くさないようにルーヴェルが鎖を用意してやったのだ。
ルーヴェルは服の中にしまっていた指輪を見えるように外に出すと、最後にブルーノの頭を撫でた。
「うん。可愛いぞ」
「俺は男だ!」
「一緒に風呂に入った時に確認したから知っているぞ」
「そんな事を人前で言うな!」
「人前で言って困るような事はなかっただろう。あまり狼狽すると、あらぬ噂が立つぞ」
ブルーノはあまりの言い種に開いた口が塞がらなかった。ルーヴェルはブルーノの緊張をほぐす為にわざとからかっていたのだが、そんな機微に気付く余裕はなかった。ただ効果はあったらしく、先程までの緊張は消えさり、ルーヴェルの態度に憤慨した様子を見せた。
近衛達はアルスラーダから、くれぐれも油断せぬよう仰せつかっていた。だが目の前の少年は危険人物にはまったく見えなかった。
「あからさまに顔に出すのは感心しないな。近衛たるもの感情を出すな。常に平常心を保て! それと簡単に油断するな!」
当惑している近衛達の様子にルーヴェルは苦言を呈すと、皆一斉に頭を下げた。
「申し訳ありません!」
「お主達が陛下をお守りするのだ。今後も頼んだぞ」
恥じ入った様子の面々の表情が一瞬で変化した。真剣な顔付きに変わり、誇りを持って職務を全うしようという気概を改めて抱いたのだ。元より皇帝を守る事を誓約した選ばれた兵士達である。ブルーノはその変化に目を丸くさせ、改めてルーヴェルの影響力を痛感した。
「さぁアルファ様がお待ちかねだ。早く行こうか」
ブルーノの背中に回した手は暖かく、ブルーノは覚悟を決めて頷いた。




