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60 忠臣シルヴィン

 アールファレムはシルヴィンの私室を訪ねた。まだ夕暮れ時で夕日が窓から射し込んでいた。


「シウ、ジークが邪魔していないか?」

「勝手に連れてきてしまって申し訳ありません」


 シルヴィンは皇帝自らがジークを探しにきた事に驚き、深く頭を下げた。


「構わないさ。少し話があるんだ。入ってもいいか?」

「どうぞお入りください。飲み物を用意いたします」

「そうだな。食事の前に少し呑むか。付き合え」

「はい。喜んでご相伴になります」


 酒は部屋に常備してあるので、女官を呼ぶほどではない。ちなみにアールファレムの部屋の酒は既に没収されている。シルヴィンが二人分の酒を用意して乾杯した。


「そういえば禁酒はやめたのか?」

「控え目にしております。それで陛下、無事に切り抜けられましたか?」

「ああ。モニカに助けられた。その湖の話で思い出してな。大事な事を言っていなかったのを思い出したんだ」


 アールファレムは扉がしっかり閉まっているか、目で確認した。


「…………その言いにくいんだが、大丈夫だった」

「何がでしょう?」


 アールファレムは視線を逸らし、少し頬を赤らめながら言ったが、当然シルヴィンには何の事か分からなかった。


「その……。うん。子供の事だ」

「子供?」

「だから出来ていなかったんだ」

「子供が出来ていない? …………あっ!」


 シルヴィンはようやくアールファレムが何の話をしているか分かった。一気に血の気が引き、深々と頭を下げた。


「その節は本当に申し訳ありませんでした!」


 頭を下げながらも、口から盛大な溜め息が洩れた。一番懸念していた事が杞憂に終わって、一安心したのである。そういえば四日前からアールファレムは朝の訓練に参加していない。


「本当に良かった」


 シルヴィンはしみじみ言いながら、頭の中ではアルスラーダの事を考えていた。つまりアルスラーダとの間にも子供は出来なかった事になる。勿論、アルスラーダもそのあたりは気を付けたのだろうが、そのような事シルヴィンが確認出来る筈がない。


「安心させたかったんだ」


 アールファレムはあの時の事を本当に恨んでいないのだろう、屈託のない笑顔でそう言うと、シルヴィンをまっすぐに見つめた。そういえばあの一件が起きてから二人きりになったのは今日が初めてだ。無防備なアールファレムを不用心だと思うが、信頼が嬉しく、だが同時に寂しくもなり、なかなか複雑な心境になった。


「私が言うのは筋違いなのは十分承知しています。ですがどうかアルスラーダと幸せになって下さいませ」


 アールファレムは暫し面食らったが、やがてシルヴィンの言葉をゆっくり噛みしめ頷いた。


「ありがとう」


 花が綻ぶような笑顔をみせ、シルヴィンは思わず見惚れてしまった。今まで見たことのない表情だった。アルスラーダといる時は、おそらくいつもこんな顔をするのだろう。そう思うと胸が苦しくなったが、今更である。

 だがそんな事より、アールファレムの変化が危険過ぎる。アールファレムは綺麗になりすぎた。旅から帰ってきて、一段と女性らしさが増した。シルヴィンの目から見て、以前との違いは明らかだ。事情を知っているシルヴィンだから余計に感じるのかもしれないが、実は既に兵士達の間でも噂になっていた。表情に色気が出てきているのだ。口には出さないだけで、怪しむ者が出てきてもおかしくはなかった。勘のよいビクトールやモニカあたりは気付いているかもしれないが、探りをいれるのは危険過ぎる。


「陛下。今しばらくは辛抱なさって下さい。自重なさるようくれぐれもお願い致します」

「ああ。気を付けているつもりなんだが、ルーヴェルにも言われた。そんなに顔に出ているかな」

「はっきり申し上げれば、女性らしさがましています」

「私のどこがだ? どこにそんな要素があるんだ」


 アールファレムは自嘲して笑い、表情を隠す為にグラスに口を付けた。


「陛下はご自身が思うより、ずっと女性らしくいらっしゃいます。自覚なさって下さいませ」

「そうかな。色気の欠片もないんだがな」


 グラスを机に置くと両手を胸に添えながら、視線を落として自分の胸を見やった。シルヴィンは目のやり場に困って、咳払いしてジークの方に視線を移した。くりくりっとした目でシルヴィンを見上げるジークに思わず顔を緩め、膝の上に乗せた。


「陛下、私が申し上げているのは、そういう直接的なものではありません。ふとした仕草や表情が柔らかくなられたんですよ」

「うーん。軟弱になってなければいいんだがな」

「そういう事ではないんですよ」


 心配する内容が少しずれているのが、アールファレムらしく、シルヴィンはくすくすと笑ってしまい、軽く睨まれた。

 シルヴィンが肉球をつついていると、アールファレムが羨ましそうな視線を送ってきた。


「アルスにはこんな事相談できないし、ルーヴェルに聞くといろいろと上級過ぎて私には難しすぎるんだ。シウ、今後も宜しく頼む」


 ルーヴェルはアールファレムに変わって欲しくないので、恐らくわざと出来そうにない事を言うのだろう。だがアールファレムがこのままでいい筈がない事はルーヴェルにも分かっているだろう。一度話し合う必要がありそうだった。

 ノックの音が響き、シルヴィンが返事すると、モニカが現れ、食事をどうするか尋ねた。


「そうだな。シウ一緒に食べていくか?」

「是非ご一緒させてください」


 既に二人分用意されているらしく、アールファレム専用の食堂で二人は仲良く語らいながら、食事を楽しんだ。


「お酒のお代わりを貰えるかな」

「既に適量を超えております。代わりにお茶をどうぞ」


 旅から戻って、酒量の管理はきっちりとモニカに引き継がれていた。


「まだ少ししか呑んでいないぞ」

「先程シルヴィン閣下と食前にお召しになられていたでしょう」


 アールファレムは恨みがましい目でみたが、先程助けられた恩があるだけに我慢するしかなかった。もう少ししたら新年になる。新年ぐらいは好きなだけ呑ませてくれるだろうと引き下がった。

 それと今日気付いたのだが、シルヴィンの部屋には酒が置いてあった。そしてシルヴィンがとやかく言う筈がない。シルヴィンの優しさにつけこむ事に、罪悪感はない。何故ならアールファレムは悪いと思っていないからだ。

 そもそもシルヴィンが優しいなど、他人が聞けば信じないだろう。あれはアールファレム限定だった。つまり帝国幹部は揃いも揃って皇帝を甘やかしているのだ。

 酒を止められた筈のアールファレムが急に笑顔になったので、モニカの目が剣呑な光を帯びた。シルヴィンはモニカの変化に気付いたが、アールファレムはどうやら気付いていない様だ。


「へ、陛下。ブルーノには会えましたか?」

「いや会えなかったんだ。どうも避けられているような気がする」

「それは本当ですか?」

「いや大袈裟な反応をされては困る」


 シルヴィンの表情が強張ったので、アールファレムは慌てて取り繕った。


「かしこまりました。心にとどめる事に致します」

「いやだからとどめなくてもよい。気にしないでくれ。それでシウは会えたのか?」

「ええ。廊下で少しだけ会話しました。フォルムの血筋かどうかは分かりませんが、あの見てくれでは高貴な家柄と言われれば信じるでしょうな」


 ブルーノがアールファレムに対して好意的ではないと聞くと、どうしてもブルーノに対して辛口になってしまうようで、アールファレムは失言を後悔した。


「つまり貴公子のようだったのかな」

「はい。あのルーヴェルがそちらの趣味に目覚めたのかと思いました。勿論、昔の陛下と較べるのは可哀想ですが」


 確かにブルーノは綺麗な少年だが、アールファレムほどではない。あくまでシルヴィン基準の話だが、そもそもアールファレムと較べる必要はない。流石にアールファレムは苦笑いを浮かべた。


「いやそんな事を張り合う気はない」

「そうですね。まったく勝負になりません」

「いやだからだな。……まぁいい。フィリップと仲良くなってくれればいいと思ってな」

「それなら大丈夫です。フィリップは兄が出来て嬉しそうでしたよ」

「兄? フィリップの方が年上の筈だぞ」

「えっ! どうみてもブルーノの方が上でしたよ」

「ああ。そういえばルーヴェルが言っていたな。ブルーノの方が背が高いんだが、一つ下らしいぞ」


 急にモニカが咳払いをするので、二人がそちらを向くと、フィリップが傷付いた顔をして俯いていた。


「休んでも良かったのにどうしたんだ?」

「大変ご迷惑をおかけしたので、せめてお茶を召し上がって頂こうと思ったんですが……」

「別に気にしなくてよかったのに、でも嬉しいな。ありがとう」

「私もちょうど酒をやめようと思っていたところだ。フィリップ、私にも入れてくれるかな」


 かなりわざとらしく機嫌をとりだす二人にモニカの冷ややかな視線が突き刺さった。

 気まずい空気が漂い、フィリップが二人に無言で給仕するなか、アールファレムはシルヴィンに視線でなんとかするよう訴えた。


「ブルーノは歳のわりに大きすぎるな」

「僕は歳のわりに小さいですからね」


 反論されてシルヴィンは黙ってしまったが、すぐにフィリップは後悔して頭を下げた。


「ごめんなさい。生意気な事を申し上げました。皆様が僕の事を気にかけて下さるのを光栄に思うべきなのに、最近調子にのっていました」

「馬鹿だな。お前は私にとって息子同然なんだ。もう少し生意気になってくれてもいいんだぞ」

「そんな! 息子だなんて恐れ多くて思った事もありません!」

「今から思うといい。フィリップ、小さいからといって気にしなくてもいいぞ。すぐに大きくなるんだからな」

「そうなると嬉しいです」


 フィリップは笑顔を取り戻して、退室していった。


「今の大きさが一番いいのにな」

「あまり言い過ぎると嫌われますよ」

「そういう事を言うか! だいたいシウが悪いんだろうが! 何がブルーノは大きすぎるだ! フィリップがあんないじけた発言をするなんて可哀想で見ていられなかったぞ」


 どうもフィリップの事となるとアールファレムは過保護になりすぎる。シルヴィンは謝りつつも、皇帝とフィリップとの距離を危ういものと感じていた。皇帝の息子などと冗談ではすまされないのだ。幸いフィリップは増長する事なく、自らの分を弁えている。今後少しでも危険な兆候がでれば、お互いにとってよい結果にならないだろう。

 シルヴィンはそこまで考えて我に返った。少し前の自分であれば考えもしなかっただろう。いつの間にか忠臣としての思考が身に付いている事に、今になって気付いたのだ。


「シウ聞いているのか?」


 アールファレムは上の空のシルヴィンを叱りつけたが、あまりに無反応なので、仕方無くフィリップの淹れてくれたお茶を飲んだ。お茶はとても美味しくアールファレムは思わず顔を綻ばせた。


「相変わらず美味しいな。優しい味がする」

「それはいい過ぎですよ」


 シルヴィンは吹き出してしまい、またまた睨まれた。シルヴィンは今の関係を尊いものだと再認識し、らしくなくとも忠臣として仕える事を心の中で改めて誓約した。我が儘で残酷なほど美しい獅子帝が無邪気に笑える日常を守るのだと。


「シウ、最近呼び方が陛下に戻っているが、私に含むところでもあるのか?」


 意識していた訳ではなかったが、いまだに慣れていない為、陛下と呼んでしまっていたようだ。


「まさか! 含むところなんてまったくありません。ついつい習慣になっておりました。アールファレム様、以後気を付けます」


 シルヴィンは座ったまま、きっちりと敬礼してみせた。


「よろしい。それでフィリップは何度言っても呼んでくれないんだ。どう思う?」

「ご許可頂いた私が申すのもなんですが、フィリップにも立場があります。あまり特別扱いをしては侍従達との間に軋轢を生みかねません。どうか我慢なさって下さい」

「左様です。陛下のご好意があまり過ぎるようでしたら、フィリップの為にもなりません。どうかご理解下さいまし」


 モニカも前々から気にしていたのだろう、シルヴィンの援護に回った。

 今までは微笑ましく見守っていた侍従達だったが、ペンダントの事で若干ではあるが、やっかみめいた事を洩らす者が出てきていた。フィリップにそのつもりがなくとも、見せびらかしているようにも見えるのは事実だった。当人に聞こえないようにはしているが、懸念の声がモニカの元に報告されていた。

 アールファレムは途端に不機嫌になったが、二人の言い分の方が正しいのは分かっていた。前髪を掻き上げ、口をきゅっと結んで天井を見上げた。


「アールファレム様。寂しいお気持ちはお察し致します。ですがどうか節度を……」

「それ以上言わないでくれ。分かっているつもりだ」


 アールファレムはシルヴィンの言葉を遮り、フィリップの淹れてくれたお茶を飲み干した。


「フィリップは私の近侍だ。そこは譲らないからな」

「勿論でございます。仲を引き裂くつもりはありません。今のままの関係を保たれればよろしいかと存じ上げます」


 傷付いた様子の皇帝に、ついついほだされてしまったシルヴィンはモニカからの視線に首を振って限界を訴えた。

(これだから閣下達は頼りにならないのです)

 モニカの心の声は言葉に出さずとも、シルヴィンに伝わっていた。

 ただアールファレムも今後は注意するだろうし、まったくの無駄ではない筈だった。

 二人とも、アールファレムがフィリップの後見人として面倒をみてやりたいという思いは十分理解している。帝都の学校に通わせようとしたのだが、働きたいと本人が強く希望した為、まともな教育を受けていない。文字と簡単な計算などは侍従に習ってはいるが、何とかしたいと考えていた。

 ブルーノが現れた事により、フィリップのおかれた環境に変化がおきようとしていた。


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