59 フィリップのペンダント
アールファレム達が宮殿に戻ると宮殿全体が活気づいたが、一番変化が著しいのは練兵所だった。毎朝シルヴィンとアルスラーダが訓練を行うようになると、日を追って人が増えた。将軍達も負けじと参加し、皇帝もほぼ毎朝姿を見せた。優勝候補の二人以外は、兵士達相手にも手合わせを行った為、希望者が殺到した。しまいには広大な練兵所が溢れ、人数調整まで行われる始末だ。
「結構な事だ」
ルーヴェルはたまに覗くぐらいで、騒ぎとは無縁であった。勿論、ルーヴェルとてそこそこ剣は扱えた。だが常に安全な場所にいる事が、アールファレムにより義務づけされている。必然的に実戦経験は少ない。それに関して思うところがない訳ではないが、自らの立場はわきまえている。
ある日アールファレムは、日課の訓練を終えたばかりのアルスラーダとシルヴィンの二人と共に朝食をとっていた。アールファレム自身は四日前から訓練を休んでいる。
三人一緒に朝食をとるのも日課になりつつあった。これだけ行動を共にしていると、さすがのアルスラーダも敵意を隠す事に慣れてきた。だが決して内心の思いに変化がある訳ではない。
朝食が済む頃にルーヴェルがアールファレムを訪ねてきた。
「今日、フィリップを借りてもいいですか?」
フィリップは予想外の申し出に、目をぱちくりさせ聞き耳を立てた。
「構わない。ブルーノか?」
「ええ。すっかり元気になったので、本日連れて来ました」
途端にアールファレムは目を輝かせたが、ルーヴェルはにっこり微笑み、期待を打ち砕いた。
「まずはフィリップに紹介するつもりです。アルファ様はまたの機会になさって下さい」
「えー! いいじゃないか! フィリップばっかりずるいぞ」
アールファレムが怒り出すと、フィリップは訳が分からず、おろおろと不安そうに二人の顔を見比べた。
「宮殿に連れてくるのもやっとだったんですよ。アルファ様に会わせたら、騙したって怒り出しますよ」
「おいおい。陛下よりブルーノの機嫌を優先するのはおかしいだろう」
「ほぅ。お主は子供を騙すのは大人として当然だと言うのか?」
シルヴィンが呆れて口を挟んだが、ルーヴェルは譲らなかった。
「仕方無い。フィリップ、宮殿内を案内してやってくれ。隈無く案内するんだぞ。私の執務室も気兼ねなく連れてきていいからな」
アールファレムがせこい事を言い出したが、ルーヴェルはもはや何も言わなかった。
「はい陛下。ブルーノ様をご案内致します。どのような御方なのですか?」
「敬称はいらないよ。私が少し前から面倒を見ている少年なんだ。友達になってやってくれ」
「友達ですか! 大丈夫かな? 僕、あまり友達いないから」
フィリップははにかみながら、ペンダントをまさぐった。最近フィリップは無意識にペンダントを触る癖がついた。
「フィリップ、ジークを連れていくといい。ブルーノも以前ジークと会っている。きっと安心するだろう」
「ありがとうございます。そうします」
フィリップを連れて、ルーヴェルが退室すると、シルヴィンがアールファレムに尋ねた。
「ブルーノとはどういう少年なんですか? ルーヴェルは拾ったとしか教えてくれないんです」
「英雄王アルトゥールの末裔らしい」
アールファレムの代わりにアルスラーダが眉間にしわを寄せながら答えた。ただでさえ目付きが悪いのにと、アールファレムは思ったが、それを指摘できる雰囲気ではなかった。
「アルトゥール? 本物なのか?」
「さぁな。指輪を持っているらしいが、今になって証明など出来ないだろう」
「帝国宰相が偶然拾った少年が英雄王の末裔ね……。胡散臭いな」
「随分ルーヴェルは気に入っているみたいだぞ」
「やはりそっちの趣味があったのか!」
「いや、そういう意味ではない。だいたいあの男は無類の女好きだろう」
「私も前まではそう思っていたんだが、最近はそうでもない気がするな。特定の女を作らないというより、興味がないんじゃないか」
「おいおいあれだけ遊んでいるんだぞ! それはないんじゃないか?」
アルスラーダとシルヴィンの興味深いやり取りはモニカの咳払いで中断した。皇帝の前でするには、やや品位にかけていた。
「別に気にしなくてもいいぞ」
そう言われても会話を続ける気は失せてしまい、室内は奇妙な沈黙が支配した。
「なんにせよブルーノに会うのが楽しみですな」
シルヴィンが会話をそう締めくくると、アールファレムはにこにこしながら頷いた。後はフィリップの首尾を待つだけだった。
だがフィリップは夕方になっても、アールファレムの前に姿を見せなかった。
アールファレムの執務室は広く、当然アルスラーダの机も用意されている。日中は部下達の出入りも激しいが、夕方になると落ち着いてきて、一時的に二人きりになった。アールファレムはアルスラーダの机の側までやってきて、アルスラーダの髪を軽く引っ張った。
「いきなり何をなさるのですか。どうも先程から上の空みたいですが、後もう少し集中してくださいませ」
「そんな事より、こんな時間までフィリップがこないのは、何かあったんじゃないかな? どうしたんだと思う?」
「意気投合して遊んでいるんじゃないですか? アルファ様にはまだ仕事が残っています」
「気になるな。ちょっと捜してくる」
アールファレムが部屋を出ていくと、アルスラーダも苦笑しながら追い掛けた。実際のところ今日やるべき仕事はほぼ終わっていた。
一日の段取りは、謁見等はなるべく午前中に集中させ、昼からは書類仕事を重点的に行う。合間に会食が行われる時がある。視察や会議等で狂う時はあるが、だいたいはそういう予定になっていた。
アールファレムが女官や侍従に聞き込むと、中庭の辺りでフィリップを見掛けたと目撃情報が得られた。アルスラーダと連れ立って、中庭まで来たが、それらしい人影は見付からない。湖の辺りまで足をのばすと、ほとりでフィリップが一人で座り込み、ジークが近くを彷徨いていた。アールファレムに気付いたジークが駆け寄って、足元にじゃれついた。アールファレムはジークを蹴飛ばさないよう注意しながら、フィリップの隣に腰掛けた。
フィリップは目に大粒の涙を溜めており、必死で泣くのを堪えているようだ。鎖のちぎれたイルカのネックレスを握り締めており、どうやらそれが原因で泣いていたようだった。
アールファレムは優しい手付きで、フィリップからペンダントを取り上げた。
「これぐらいならすぐに直るな」
「陛下! ご、ごめん……なさい。ぼ、僕、壊してしまって、どうしていいか……本当にごめんなさい」
しゃくりながら、一生懸命謝るフィリップの頭を右手で抱き寄せ、ぽんぽんと軽く叩いた。フィリップは堰を切ったように泣き出し、アールファレムにしがみついた。アールファレムはこっそりペンダントをアルスラーダに渡し、補佐官は無言で宮殿に引き返した。
アールファレムはフィリップが落ち着くまで背中を撫でさすった。体はかなり冷えており、長い間ここにいた事が予想された。
「喧嘩したのか?」
「途中までは仲良く一緒に、宮殿をまわっていました。でも昼過ぎに最奥に行こうとすると嫌がったんです」
最奥はアールファレムの居住区間だ。ただ日中はアールファレムは中枢部で政務をとっており、昼間にいっても、主人は不在である。どうやらブルーノはアールファレムに対して、あまりいい感情を持っていないようだ。ルーヴェルがなかなか会わせない理由はそれかもしれない。
「陛下はこの時間はいらっしゃらないと言うと、案内を受け入れてくれました。一通り回ったので、陛下が会いたがっていたと伝えると、逃げようとして、揉み合っているうちに壊れてしまったんです。ブルーノもすごく謝ってくれたんですが、僕どうしていいか分からなくて、申し訳ありません」
再び泣きそうになったので、アールファレムはフィリップの頬っぺたを両手でつまんだ。
「謝らなくていい。元々私のところまで案内しろと言った私が悪いんだからな」
「ほんなことは……」
「気にしなくていいからな。フィリップ、それでどうだった? 喧嘩するほど仲良くなったんだろう?」
アールファレムは手を離すと、頬を撫でた。ようやくフィリップはアールファレムに抱き付いていた事に気付いて、慌てて離れようとしたが、がっちり押さえられ、更に膝の上に向かい合って載せられた。
「陛下。僕もう十三歳なんですよ」
「そうだな。随分重たくなった」
「ごめんなさい!」
降りようとしたが、アールファレムが許さない。顔を真っ赤にして視線を逸らすのがやっとだった。
「それでどうだったんだ?」
「はい。最初は凄く楽しかったんです。でもブルーノはその、陛下の話になると途端に無口になって、すごく辛そうで、理由を聞いても答えてくれないんです。あまり会いたくないって言うから、強引に手を引いたら、振りほどいた時に、ペンダントに引っ掛かってしまったんです。僕が落ち込んでしまったら、ブルーノはすごく謝ってくれて、でも僕の方が年上なのに……」
「そうかそうか」
アールファレムはフィリップの話を嬉しそうに聞いていた。先程と同じ事を繰り返していたが、辛抱強く最後まで話終えるのを待った。
「それでブルーノはどうしたんだ?」
「ルーヴェル様の執務室まで連れていきました。そこで別れたので、帰ったかどうかは分かりません」
「最後まで面倒を見てくれたんだな。偉いぞ」
アールファレムはフィリップの頭をくしゃくしゃになるまで撫でた。するとジークが構って欲しそうに二人の間に割り込んだ。フィリップがようやく笑顔を取り戻しジークを撫でた。
「むぅ。こんなに私が慰めたのに、結局ジークに負けたのか!」
アールファレムが対抗意識を燃やし、ジークを睨み付けた。
「そ、そんな事はないですよ。陛下のお陰です。ありがとうございます」
フィリップが慌てて否定すると、横からアルスラーダがジークをつまみ上げた。
「ジーク邪魔だ」
アルスラーダはアールファレムに修理されたペンダントを渡した。フィリップが驚いているなか、アールファレムはフィリップの首につけてやった。
「ほら。鎖なんか交換したらいいだけだ」
「ありがとうございます。アルスラーダ閣下もお手間をとらせて申し訳ありません」
「気にするな。寒くなってきました。早くもどりましょう」
アルスラーダはフィリップの髪を整えると、二人を促して立たせた。フィリップは湖の方に目をむけると、急に血相を変えた。
「うん? どうかしたのか?」
アールファレムはフィリップの頭に手を置いて、顔を覗き込んだ。
「陛下、ごめんなさい! 先月、嫌な事があった場所だったのに、僕のせいで、こんなところまで……」
フィリップはシルヴィンを嵌めた湖の入水騒ぎを思い出したようだ。もっともフィリップの認識では、ただの事故である。アールファレムは慌ててフィリップの手を引き、急いで湖を立ち去ろうとした。だがアルスラーダが、笑顔でアールファレムの肩に手を置いた。
「先月、湖で何があったんです?」
「大した事じゃない。気にするな。フィリップ、走るぞ!」
アールファレムはすごい勢いで走り出し、フィリップは引き摺られながら謝罪しようとした。
「ごめんなさい! 僕余計な事言ったみたいで……」
「舌を噛むぞ! 部屋まで逃げるぞ!」
「見逃してくれますかね!」
「しらばっくれる。フィリップ、絶対に洩らすな!」
「はいっ!」
フィリップは楽しくなってきたが、アールファレムはそれどころではない。あんな危険な真似をしたことがばれれば、激怒するのは間違いない。いざとなればルーヴェルに押し付けてもよいが、今日はブルーノが一緒なので、おそらくもう帰宅している頃だろう。そうなると、どうやって切り抜けるか、見当が付かなかった。
「陛下! いかがなさいました?」
ただならぬ様子の皇帝に驚いたシルヴィンは、剣に手を掛けて、アールファレムの背後を窺った。
「シウ頼んだ! 先月の湖の騒動がアルスラーダにばれそうなんだ!」
「先月の湖? ……あっ! そんな無茶な!」
シルヴィンが目を剥いたが、アールファレムはシルヴィンの肩を叩くと、風のように通り抜け、背後からアルスラーダがジークを抱えて走ってきた。シルヴィンは元々は自分が蒔いた種だ、敢然とアルスラーダの前に立ちはだかった。
「落ち着け!」
「シルヴィンどけっ!」
アルスラーダはジークを放り投げ、シルヴィンは慌てて受け取った。その隙にアルスラーダは、シルヴィンを躱し、追跡を続けた。
「お役に立てず申し訳ありません!」
ジークを抱きながら、頭を下げるシルヴィンを見た兵士達が、うちの偉いさん達は何をやっているんだかと呆れかえっていた。
「今、内戦がおきている筈だよな」
「ああ。しかも大将軍の弟の将軍が謀反を起こした筈だ」
「平和そうにしかみえないな」
兵士達の会話は大将軍の耳には届かなかったようだ。
「まったく乱暴な事をする。ジーク、落ち着くまで私のところにいるか?」
シルヴィンはジークを抱いて、肉球をぷにぷにしながら、私室に引き上げた。シルヴィンは大の肉球好きだった。
「アルファ様! 開けて下さい!」
アルスラーダは扉を何度も叩いたが、アールファレムは鍵を閉めて閉じ籠ってしまった。勿論フィリップも一緒だ。フィリップがアルスラーダの追及に堪えられる筈がない。
「何も聞かないなら開けてやる」
「そんなあからさまに怪しい態度をとられて聞かない訳にはいかないでしょう!」
「なら絶対に言わん! アルス今日はもう帰っていいぞ。ご苦労だった」
「こらっ! アルファ様!」
アルスラーダは粘ったが、中からは声一つ聞こえてこなくなった。どうやら中に引っ込んだようだ。腕を組みながら思案にくれるアルスラーダの背後に、モニカが音もたてずに忍び寄った。
「何の騒ぎですか? 先程から宮殿内が騒がしいようですが?」
「いや、陛下が部屋に逃げ込んで……」
「陛下が嫌がるような事をなさったのですか?」
「違う! 私は陛下が心配で……。モニカ、先月湖で何があったのか知っているか?」
「ああ、あれですか。確かフィリップと散歩なさっていて、転んで湖に転落なさったんでしたか。びしょ濡れになられて大変心配致しました。お風邪を召されなくて何よりでした」
「それだけか? しかしそんな話聞いていないぞ」
「あの程度の事をわざわざ閣下に報告する必要があるんですか? わたくしどもを信用してくださらないのですか?」
「いや、決してそういう訳ではない」
「閣下、今日のところはお引き取り下さいませ」
モニカは扉の前に立ち、深々とお辞儀してみせた。アルスラーダとしてはモニカにここまで言われては、素直に引き下がるしかなかった。
「ではアルファ様。私は帰ります。あまり心配掛けないで下さいね」
「ああ。さようなら」
どうやらまだ扉前にいたようだ。アルスラーダが立ち去ると扉がゆっくりと開かれた。
「モニカ、感謝する」
「陛下。あまりアルスラーダ閣下を困らせるものではありませんよ」
「ふふ。気を付ける」
「先月の件はルーヴェル閣下より箝口令がでております。陛下、どうか御身を大事になさって下さいませ」
「モニカの事は母親だと思っている。母親にこれ以上心配かけないようにするとしよう」
「ありがとうございます。是非そうなさって下さいませ。アルスラーダ閣下も陛下を心配なさっているんですよ」
「ああ。分かっている」
アールファレムがモニカの頬に軽く口付けると、モニカは軽く笑っただけで、一礼して立ち去った。
「モニカが宮殿で一番強いんじゃないか?」
「優しくて強いお母さんですね」
身寄りのないフィリップにとっても、モニカは母親のような女性だ。細身でいつも背筋を伸ばし、誰が相手でも一歩もひかず、宮殿を取り仕切っている。普段は優しいが決して甘い人ではないのは、皆重々承知していた。
「フィリップ、ジークはどこにいると思う?」
「アルスラーダ閣下が抱いていませんでしたか?」
「シルヴィン閣下がお連れになられたようですよ」
どうやら聞こえていたらしく、向こうの方からモニカが答えた。
「迎えにいってくる」
「僕がいってきます」
「いや、話したい事があるんだ。フィリップはもう下がっていいぞ」
「ありがとうございます」
アールファレムはフィリップと別れて、シルヴィンの私室へと向かった。




