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57 シルヴィン、ジークに癒される

 アールファレム達は宮殿の北にある通用門から中に入った。女官長のモニカとハンスが待っており、二人の案内であまり目立たず、すんなりと皇帝の居住区画まで戻る事が出来た。久し振りの宮殿は懐かしく、アールファレムはジークを抱きながら、あちこち立ち止まり、ルーヴェル達を困らせた。

 私室前では、フィリップが落ち着かない様子でアールファレムの到着を待っていた。


「フィリップ! ただいま」


 アールファレムはハンスにジークを預けると、フィリップを力一杯抱き締めた。


「陛下! お帰りなさいませ!」


 フィリップは泣き笑いを浮かべ、背中に手を回していいものか迷ってしまった。


「心配かけて済まなかった。うん? 少し背が伸びたかな」


 いくら成長期とはいえ、たかが半月ぐらいで違いが出る筈もない。


「自分では実感はないのですが、伸びていたら嬉しいです」


 気を良くしたフィリップは恥ずかしそうに笑いながら、声を弾ませた。


「ふむ。やはりフィリップの方が小さいか」


 ルーヴェルはフィリップの頭を撫でながら、ブルーノと比較した。フィリップは恨みがましい目でルーヴェルを見上げた。


「誰と比べておいでですか?」

「ああ、その内会わせるさ。さぁさぁ、アルファ様、早く部屋に入りましょう」


 ようやく室内に入ると、シルヴィンが待ちくたびれていた。部屋の外から声が聞こえてきたので、出ていって方がいいか迷っていたのだ。


「シウただいま。留守番御苦労だったな」


 アールファレムは流石にシルヴィンには抱き付かなかった。笑顔で右手を差し出し、シルヴィンは平静を装いつつ、その手を握り返した。後方からアルスラーダの敵意に満ちた視線が向けられたが、軽く受け流した。


「陛下、お帰りなさいませ。御無事でなによりでございます。深く安堵致しました」

「しかし随分早いな。モニカから聞いたのか?」

「いえ、昨夜ルーヴェルから報せを受け取りました。駆け付けようか迷ったのですが、時間も遅かったので、かえって御迷惑かと判断しました。出迎えが遅れました事をお詫び致します」

「詫びは不要だ。暫く会わない間に堅くなったんじゃないか? 堅いのはエクムント一人で十分だぞ」

「そうですな。エクムントには我々の分も頑張ってもらいましょう」

「はは、それは大変そうだな」

「アルファ様、先にお召し物を着替えられませ」


 定番となりつつあったバンダナをほどきながら、アールファレムは衣装部屋に向かい、久方ぶりに旅装束から着替えた。すぐに応接室に戻り、アルスラーダの隣に座った。既にルーヴェルとシルヴィンがそれぞれ向かいに座っていた。


「そうだ! 三人に土産があるぞ!」


 アルスラーダは三人分の土産を取り出して並べた。


「はい。ルーヴェルには指輪、シウには短剣だ」

「ありがとうございます。アルファ様、早速嵌めますね」

「陛下、私にまでありがとうございます。大事に致します」


 ルーヴェルは嬉しそうにアクアマリンの指輪を嵌めたが、シルヴィンは流石に皇帝の前で、刀身を出すわけにはいかず、珊瑚の細工を優しく撫でると、落とさないようにしっかりと懐にしまった。今後は懐剣として常に携帯するつもりだ。


「フィリップ、おいで。つけてあげよう」

「わぁ! すごく可愛いです。僕まで貰ってもいいんですか?」

「勿論だ。心配かけたし、なにより名前の使用料だ」


 アールファレムがイルカのペンダントをつけてやると、フィリップは指でつまみ、はにかむように微笑んだ。


「ありがとうございます。宝物にします。ああ、でも普段つけていて壊したらどうしよう? でもずっと持っていたいし……」

「その時は新しいのを買ってやるさ」

「そんな駄目です! 絶対に大事にします!」

「そうか。喜んでくれて嬉しい。モニカ、済まない。モニカの分を用意していなかった」


 アールファレムはにこやかな笑顔で佇むモニカに向かって、軽く頭を下げた。


「陛下のそのお言葉だけで十分でございます。陛下が御無事に戻られたのです。それ以上望む事はありません。それよりも陛下、先ほどから気になっておりまして、新しい御家族をわたくしどもに御紹介頂けますか?」


 皆の視線がハンスの腕の中のジークに集まった。


「ジークだ。タヘノスの港で拾ったんだ。宜しく頼む」


 アールファレムはハンスからジークを受け取ると、膝に乗せて頭を撫でた。フィリップは先程から気になっていたようで、そろりと手を伸ばしジークを撫でた。ジークが尻尾を振ると、フィリップは目を輝かせた。


「フィリップ、世話を頼む。私が仕事中は相手をしてやってくれ」

「はい! ジークよろしく」


 アールファレムが早速ジークをフィリップに預けると、女官がお茶を運んできた。

 アールファレムが軽く右手を上げて頷くと、モニカ達は退出し、四人は情報を交換し合った。


「そうか。その後はゾレストからの情報は入っていないのか」

「ええ。何も動きはないようです。ですがシャリウスの政変で何らかの動きはあるでしょう。問題はどちらから仕掛けるかといったところでしょうか」


 シルヴィンの懸念はアルスラーダが以前指摘したものだ。敵同士が結託すると非常に厄介になる。シャリウスが潜在的な敵であるとは既に共通認識だった。


「ああ。取り合えずオリアンヌ姫に手紙を出す事にする。ケビンの事も探りを入れるべきか迷うところだが……」


 ケビンだか、カミーユだかは知らないが、王城に出入りしていたのだったら王女が見知っている可能性は十分あった。


「実際のところ、アルスラーダ閣下から見てケビンの強さはいかほどのものですか?」

「今の私では勝てないだろうな。つまりお主でも無理だ」


 アルスラーダは事実を言っているに過ぎない。シルヴィンは瞑目して考え込んだ。


「シウ、閣下はよせ。アルス相手に今更気をつかうな」

「いえ、それは少々まずいのではないですかな」


 先程からアールファレムがシウと呼ぶ度に、室内の温度が下がっているのに、気付いていないのか、わざとしているのか、恐らくは後者だろう。

 アルスラーダがシルヴィンを許す日はこない。そしてシルヴィンもその様な事は期待していない。シルヴィンとしては皇帝が望むのなら、和解を偽る事に異存はない。だがアルスラーダにそれが出来るとは思わなかった。

 取り合えず隣で前屈みで肩を痙攣させているルーヴェルの足を机の下で蹴飛ばし、シルヴィンはアルスラーダの表情を窺った。意外にもアルスラーダは嫌悪感を見せず、シルヴィンをじっと見詰めた。


「アルファ様の仰る事ももっともですね。我々が仲違いしているような印象を与えるのは、避けるべきだろう。シルヴィン、武術大会までの間、訓練を一緒に行わないか? 他の連中では相手にならんからな」

「それはいい。よろしく頼むとしよう」

「こちらこそよろしく頼む」


 ルーヴェルからすれば薄気味悪い白々しさだったが、アルスラーダの提案自体は悪くない。二人の実力が上がれば、それだけケビンの台頭を抑える可能性が出てくる。優勝者のみが皇帝からの言葉を賜るのだから、どちらかが勝てばよいのだ。とにかく接触する機会を与えなければいい。問題は本選に残るだけで、仕官出来るという規定だが、何も宮殿での雇用を約束したものではない。

 ルーヴェルがそう説明すると、アールファレムは感心して唸った。


「詐欺まがいだが、まぁありなのかな」

「流石は腹黒宰相。到底我々では思い付かんな」


 アルスラーダは呆れ顔で、ルーヴェルを見やり、シルヴィンもわざとらしく大きく頷いた。


「まったくだな。いやはや善人には真似出来ない」


 ルーヴェルは仲が悪い癖に、自分を糾弾する時は足並みを揃える二人を忌々しく思い、先程の仕返しとばかりにシルヴィンを蹴飛ばした。


「ふむ。楽しそうだな。私も参加しようかな」

「駄目です!」

「有り得ません!」

「冗談が過ぎます!」


 アールファレムは三人から即座に反対され、少し拗ね出した。


「ちょっと言ってみただけじゃないか。そりゃ本心だけどさ」


 ただでさえ波瀾の起きそうな大会にアールファレムが出るなどもってのほかである。そもそもいかに近付けないか協議しているのに、本人が参加するとあってはどうして守る事が出来ようか。

 だがこの手の事でアールファレムが引き下がるとは思えない。ルーヴェルは目配せして、アルスラーダに合図を送った。


「いいですか。絶対に許可しませんからね!」

「分かった。分かった。諦めるとしよう」


 絶対に諦めそうにない口調で言って、冷めたお茶をすするアールファレムを三人は疑わしげに見詰め、揃って溜め息をついた。


「それではアルファ様、今から政務にかかって頂きます。皆に健在である事を知らしめる為には、大勢の人の前にお姿を見せる必要があります」

「今日ぐらいゆっくりさせてくれても……。はい、頑張ります」


 二人からギロッと睨まれて、アールファレムは殊勝に頷いた。シルヴィンはアールファレムが気の毒になり、少し悩んでから名案を思い付いた。


「陛下。今夜、快癒祝という名目で宴を行いませんか? 将軍達も寂しがっておりました」

「シウ、素晴らしい。私の事をよく理解してくれている。是非行おう! アルス、頼んだぞ!」


 アールファレムはたちまち機嫌を良くして、笑顔で鼻歌まで歌いだした。シルヴィンが堅苦しい晩餐会ではなく、気楽に楽しめる宴を提案したのは、アールファレムの事を本当によく理解している証拠だろう。


「随分アルファ様の扱いに慣れてきたようだな」

「陛下に元気がないと士気が下がるからな」


 アルスラーダはルーヴェルとシルヴィンが仲良さげに小声で会話するのが気に食わなかったが、先程形だけの和解をしたばかりで、文句を言う訳にはいかない。


「すぐに手配して参ります。アルファ様は先に執務室の方にいらしてくださいませ」


 アルスラーダが一足先に部屋を出ていくと、ルーヴェルは軽く息をついた。


「アルファ様、あまり無茶を仰らないで下さい。アルスがシルヴィンを許す訳ないでしょう」

「人前では我慢してもらう。今は大事な時だ。アルスには大人の応対を身に付けてもらわねば困る」


 アールファレムの表情にはアルスラーダに対する深い愛情が滲み出ていた。


「意外と考えておられたのですね」

「ルーヴェル、陛下に対して失礼な物言いはよせ!」


 シルヴィンは慌ててルーヴェルを叱責した。


「シウの言う通りだ。私だっていつもいつも思い付きだけで行動している訳ではないぞ。たまには考えているんだ」

「常に考えて頂けるとありがたいです。さてそろそろ仕事にかかりますか。アルファ様、来年度の最終予算の決裁がたっぷり溜まっていますよ」


 途端に苦々しい表情になるアールファレムに、シルヴィンが声を掛けた。


「陛下。申し訳ありませんが、こちらも決裁が溜まっております。すぐにお持ちしますので、よろしくお願い致します」


 更なる追い討ちにアールファレムは長椅子に突っ伏した。


「どこにも味方がいない。長旅を終えて、ようやく戻ってきたところだぞ。少しくらい労ってくれてもいいじゃないか」


 ルーヴェルは立ち上がり、アールファレムに歩み寄った。


「留守中にどれだけ我々が苦労したと思っているんですか? アルファ様、早くしないと主役不在で宴が開かれる事になりますよ」

「仕方ない。真面目にするか」


 アールファレムはむくっと立ち上がると、何事もなかったかのようにすたすたと部屋を出ていった。

 皇帝のあまりの変わり身に、内心同情しかけていたシルヴィンは呆気にとられ固まってしまった。だがルーヴェルはむしろシルヴィンの反応に呆れた。


「おいおい、ただの冗談を本気にするなよ」

「あれが冗談?」

「そう。いつもの戯れにすぎない」

「あの陛下が……」

「素はいつもあんなものだぞ。今まではお主の前では皇帝として振る舞われていただけだ。気を許した証拠だな。良かったじゃないか。うん? 幻滅したか?」

「まさか! そんな訳ない! そうか。気を許して下さったのか」


 シルヴィンはだんだんと嬉しさが込み上げてきて、顔を緩めた。


「シウ、だからと言って手を出すなよ」

「出すか! それとその呼び方は止めろ!」

「私とお主の仲じゃないか。シウどうした? 照れているのか?」


 ルーヴェルが強引にシルヴィンの肩を抱くと、シルヴィンは無言で先程貰ったばかりの短剣をすらりと抜いて、親友に突き付けた。


「シルヴィン閣下! な、何をなさっておいでですか!」


 間の悪い事に女官が現れ、悲鳴を上げた。アールファレムが扉を閉めていかなかったのは、二人がすぐに部屋を出ていくだろうと思ったからだ。悲鳴を聞き付け、近衛兵まで駆け付け、シルヴィンは皆に謝罪するはめになった。ルーヴェルはしれっと被害者面をして、こっそりシルヴィンにだけ見えるように舌を出した。

 シルヴィンが文句を言おうとした瞬間、騒ぎを聞き付けたモニカがやってきた。ルーヴェルはさっさと退散し、再びシルヴィンは平謝りするのだった。


「例え陛下がご不在でも、陛下の居室で大将軍が抜刀するなど前代未聞の事です」

「勿論だとも。十分分かっているさ。今後このような真似は行わん。モニカ反省しているから、仕事に戻っていいかな」

「わたくしの仕事は宮殿内の秩序を守る事です。だいたいですね。将軍方は酒癖が悪いですし、宰相閣下やリベリオ陛下はすぐに女官に手を出す……」

「ちょっと待て。将軍連中の管理責任は私にあるからいい。だがルーヴェルとリベリオ陛下に関しては私に言うのは筋違いだろうが!」

「閣下が注意して下されば宜しいでしょう。まったくこれが陛下でしたら、これほど喜ばしい事はないのに、どうしてこうも……」


 ここぞとばかりにモニカは不満はシルヴィンにぶつけ出した。シルヴィンはあまりの剣幕にたじたじになり、適当に謝って逃げ出した。

 シルヴィンが扉をしっかりと閉めると、モニカの小言は聞こえなくなった。そもそもアールファレムが扉を開けっ放しにしなければ、このような事態にはならなかったが、アールファレムを責める訳にはいかない。溜め息をつくとジークを抱いたフィリップが心配そうに、シルヴィンを見上げていた。


「すまん。心配をかけたな」


 シルヴィンは疲れたような笑みを浮かべ、フィリップの頭を撫でた。


「はい」


 フィリップはジークをシルヴィンに差し出した。怪訝に思いながらジークを受け取ると、ジークはシルヴィンの鼻の頭を舐めた。


「随分人懐こい犬だな。ジークだったかな」


 シルヴィンがジークを撫でると、鳴きながら尻尾を振った。ルーヴェルのせいでささくれだった心が癒されるようだった。


「フィリップありがとう。ジークを借りていってもいいか」

「お仕事の邪魔じゃないですか?」

「構わんさ。部屋で遊ばせておく。一緒に来るか?」


 わんとしか鳴かないのだから、ジークに聞くだけ無駄である。フィリップは少し悩んでから申し出た。


「僕も一緒についていってもいいですか? 陛下からジークを預かったのに、無責任な真似は出来ません」

「勿論だとも。フィリップはいい子だな」


 シルヴィンは執務室にフィリップとジークを連れていき、後でアールファレムにばれて、散々羨ましがられる事になる。


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