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56 ブルーノの敵意

 ルーヴェルは朝から少々困っていた。


「アルファ様、起きて下さい。もう朝ですよ」


 何度呼んでも、アールファレムが起きないのだ。いや起きてはいるのだが、むにゃむにゃ呟きルーヴェルに身を擦り寄せて、起きようとしないのだ。

 休みの日なら別に構わないのだが、残念ながらそういう訳にはいかない。


「アルスと寝たときも、この様に甘えていたのですか?」


 アールファレムは顔を真っ赤に染め、瞬時に起き上がった。恥ずかしくてルーヴェルの視線から逃げるように顔を背け、シーツを強く掴んだ。


「そ、そんな恥ずかしい事、ルーヴェルに言える訳ないじゃないか」


 ようやく自由になったルーヴェルは体を起こすと、凝った体を軽くほぐした。意地悪な笑みを浮かべ、アールファレムの顔を手で包み込み、まぶたに軽く口付けた。


「おや私に言えないような恥ずかしい事をなさったのですか? いけませんね」


 アールファレムの乱れた髪を大きな手で掻き回すように撫でた。


「馬鹿!」


 可愛く拗ねたように睨み付けたが、ルーヴェルはにこにこするだけでまったく悪びれない。アールファレムはルーヴェルの両頬を精一杯の力で引っ張った。さすがに痛かったのか、ルーヴェルは手で軽くアールファレムの手を叩いて、止めさせた。


「反省しました。どうかお許し下さい」


 ルーヴェルはきりっとした表情で、ぺこりと頭を下げた。


「うむ、苦しゅうない。許す」


 アールファレムが右手を差し出すと、ルーヴェルは恭しく、甲に口付けた。我慢しきれずに二人は同時に笑いだした。

 アールファレムは名残おしくはあったが、寝台から出て身支度を始めた。ルーヴェルは慌てて起きると、支度を手伝った。髪を綺麗に梳かし終えるとルーヴェルは満足して頷いた。


「では私は着替えてきますので、後ほど朝食の席で会いましょう」


 ルーヴェルがアールファレムに挨拶して、部屋を出ると、アルスラーダが壁にもたれながら待っていた。


「おはよう、アルス」

「おはよう、ルーヴェル」


 アルスラーダはルーヴェルの肩をぽんっと叩くと、ノックして部屋に入っていった。

 アルスラーダの強がりなどではなく、極めて自然な振る舞いにルーヴェルは成長を実感して、嬉しそうに目を細めた。どうやら旅を経て一回り大きくなったようで、感慨無量で廊下で一人頷いた。


「気持ち悪い」


 ルーヴェルの笑顔を見たブルーノは、ジークを抱きながら思わず立ちすくんでしまった。


「どうしたんだ。そうか妬いているんだな」


 ルーヴェルは強引にブルーノを抱き寄せ、頭を撫で回した。


「やめろ! すぐに引っ付くな!」


 ブルーノが心底嫌そうに暴れるので、ルーヴェルは力を弛めた。


「随分元気になったようだな。結構な事だ」


 ルーヴェルはブルーノの肩を抱いて、自分の部屋に戻ろうとした。


「どこに連れていく気だ!」


 ブルーノが過剰に反応を示すから、ルーヴェルがますます面白がるのだ。


「話があるんじゃないのか? 時間がない。着替えながら聞こう」

「別にジークを返しにきただけだ。離せよ」

「そういう訳にはいかん。ジークは皇帝陛下の飼い犬だ」


 昨日ルーヴェルは何の説明もなしにジークを預けたのだ。ブルーノはさっきまで可愛がっていたジークが、まるで恐ろしい生き物のように見えてきた。


「そんな! だってくそっ!」


 ルーヴェルは取り乱したブルーノを強引に部屋まで連れ込んだ。


「陛下が昨夜からお見えになられている。お前が望むなら陛下に紹介してやるがどうする?」

「な、なんで俺なんかを……。俺がフォルムだからか」

「そういえばその事はまだ話していないな。ただ私が拾った少年に興味があるだけだろう」


 ブルーノはジークの頭を撫でながら、下を向いて悩みだした。


「皇帝アールファレムが……。うっ!」


 ルーヴェルは突然ブルーノの顎を掴んで、上を向かせた。


「私の前では敬称をつけろ。分かったか」


 穏やかな笑顔を浮かべてはいるが、顎を掴む手はびくともしない。ブルーノがなんとか頷くのもやっとである。ルーヴェルが宰相らしくないので、忘れそうになっていたが、普通なら浮浪児などが声を掛ける事すら憚れる相手なのだ。侮っていた訳ではなかったが、目の前の人物が、ただの変態ではない事を改めて実感するブルーノだった。


「ブルーノ、陛下は子供には大変お優しいお方だ。だからといって甘える事は許さん。覚えておくようにな」

「べ、別に俺は会いたい訳ではない」


 ルーヴェルはブルーノの様子を窺いながら、着替え始めた。ブルーノは正直過ぎるのだ。皇帝の話が出ると、激しく感情を乱すのだ。いくら言葉で否定しても、嫌悪感を押さえきれていない。だがまだ十二歳のブルーノに感情を制御しろという方が難しいだろう。


「陛下に興味がありそうに思えたのだが、私の思い違いだったか」

「興味のない国民なんていないだろうさ」

「まだ会う覚悟はないか」

「分かったような事を言わないでくれ!」


 ブルーノは泣き出しそうになって、慌ててルーヴェルから目を逸らした。


「何も話さないのに、分かってくれというのか?」

「分からなくていい! 俺はあんたと何の関係もないんだ!」


 ルーヴェルは着替えを済ませると、ブルーノの頭に軽く手を載せた。


「ブルーノ、近いうちに宮殿で謁見する事になる。それまでに心の準備を済ませておくんだな」

「何でそんな事をしなくてはいけないんだよ!」

「さっき自分で言ったじゃないか。お前はフォルムだ。分かった以上放っておく訳にはいかん」

「ここを出ていく。もう動ける」

「お前の目的は復讐なんだろ。なら私の近くにいた方がいいんじゃないか」


 ブルーノは逃げ出そうとしたが、ルーヴェルはそれを許さない。


「復讐ってなんのだよ。訳の分からない事を言うなよ!」


 ブルーノはぽろぽろと泣き出してしまい、ブルーノの腕の中のジークが心配そうに啼いた。

 ルーヴェルが言い過ぎを後悔して口を開こうとしたが、間の悪い事にネロが顔を出した。

 ネロはルーヴェルを冷たく一瞥すると、二人の間に割って入り、ブルーノに笑顔を見せた。


「おい、ネロ。これはだな……」

「陛下がお待ちです。早く向かわれませ」

「……ああ。分かった」


 ルーヴェルはブルーノを気にしながらも、慌てて部屋を出ていった。


「子供を本気で苛めるなんてルーヴェル様らしくないです」


 扉が閉まる間際にネロが言った言葉はしっかりとルーヴェルに届いていた。勿論わざと聞こえるように言ったに違いなかった。


「苛めるつもりはなかったんだがな」


 少しかまをかけたのだが、ブルーノはまだ子供なのだ。加減を間違えたようで、ルーヴェルは頭を振りながら、アールファレムの元へ急いだ。


「おやブルーノ少年はどうした? 朝寝坊しているのか?」


 アールファレムはきっちり昨夜の約束を覚えていたようだ。


「どうもまだ本調子ではないようで、皇帝に会うのは遠慮したいとの事です」

「ルーヴェル、嘘はいけないな」


 アールファレムはルーヴェルの嘘を瞬時に見抜いた。アルスラーダは興味津々でルーヴェルに尋ねた。


「嘘なのか?」

「まぁな。アルファ様、よく分かりましたね」

「ルーヴェルの嘘は分かりやすい。でも不思議とアルスの嘘は分からないんだよな」

「きっとアルスは性格が悪いからですよ。私は根が正直ですから嘘がつけないんですよ」

「それこそ嘘だろうが! それで実際はどうなんだ」

「まだ覚悟が出来てないようなんだ。年内には挨拶に伺わせます」

「なんでアルファ様に会うのに覚悟がいるんだ? まさかルーヴェル、恋人にしようとしているのではないだろうな」


 どうもブルーノが絡むと、ルーヴェルにとって不名誉な方に話が進む傾向があるのは何故だろう。


「皇帝に会うのは十二歳の少年にとって、非常に重い事です。それに彼には少々特殊な事情があります」

「特殊な事情? まさか変態宰相に言い寄られているのか?」

「アルス茶化すな。ブルーノの名前なんですが、ブルーノ・フォン・フォルムと名乗りました。フォルムの紋章入りの指輪を所持しています」


 アールファレムは驚いて、アルスラーダと顔を見合わせた。アルスラーダは眉をひそめ、腕を組んでフォルムに関する記憶を思い起こした。


「フォルムの末裔か。二代で滅んで、その後は国が分裂し、今の諸国の元になったんだったな。ガルフォンはその後、一代限りの短命王朝が続き、遂には王のいないまま、百年近い年月が流れた。そしてアルファ様が終止符をうった訳だ」

「良く出来ました。ちゃんと覚えているようで偉いぞ」


 何せ二人に歴史を教えたのはルーヴェルである。


「このくらいは誰でも知っている内容だろう。ただ王家の人間のその後はどうだったかな」

「アルトゥールの死後、各地で動乱が起きて、結局二代目は暗殺された。その後妻子が殺されたという話は確かに聞いた事がないな。念のために学者に調査するよう命じたが、史料が少ないようだ。歴史書は元々かき集めさせてはいるが、アルトゥール関連がほとんどで、それ以降は系統立ててまとめた書物がないんだ」


 昨日の時点でルーヴェルは歴史学者を呼び出し、早急に調査を行うよう命令していた。

 ブルーノがせめて出身地ぐらい話してくれれば、現地に調査に行かせるのだが、それすら話さないのだ。

 話さないのは、それ自体に何か秘密があるとルーヴェルは睨んでいた。そこに憎悪に結び付く何かがある筈だ。

 過去アールファレムのせいで、ブルーノは故郷、もしくは大事な人物を失ったのではないだろうか?

 まさか今更フォルム家が帝位を主張出来る筈がない。ブルーノはそれが分からないほど愚かではないだろう。

 ルーヴェルは現時点でブルーノの確執を二人に打ち明けるつもりはない。いずれはばれるだろう。何せあの有り様では時間の問題だ。だが理由がはっきりしないうちは、ブルーノの事は守るつもりである。

 アルスラーダやシルヴィンからは悪辣だの腹黒だの散々扱き下ろされているルーヴェルだが、子供を手にかけるような真似は極力したくない。出来るならブルーノを憎しみから解放してやりたい。普通の十二歳の少年に戻してやりたかった。優先順位は勿論アールファレムの安全の方が上ではあったが、致命的な事態に陥らぬ限り少年一人を守るぐらいの力はある。


「ますます会いたくなったが、あまり無理強いは出来ないな。フィリップの友達にと思ったんだが」


 皆考える事は同じである。どうしてもフィリップに同年代の友人を作ってもらいたいのだ。


「私も同意見です。なんでしたら先にフィリップに会わせてもいいですね」

「それがいい。私はこっそりと覗く事にしよう」

「こっそりって……。少しはお立場をお考え下さい」


 皇帝らしからぬ発言に、アルスラーダが苦い表情になった。ルーヴェルはアルスラーダの苦労を笑いそうになり、口元をさりげなく隠した。

 アールファレムが何か閃いたみたいで表情が明るくなった。


「そうだ! 以前から気になっていた問題も片付くぞ。フィリップに教師をつけようとしていたんだが、本人が固辞するので諦めていたんだ。二人まとめて教育を受けさせよう」

「それはいいですね。なるべく早く手配致します」


 ルーヴェルも賛成したが、アルスラーダはあまり乗り気ではないようだ。


「何か気になるのか?」


 ルーヴェルはアルスラーダに尋ねた。ルーヴェルとしては、出来ればアルスラーダにも協力して欲しかった。アルスラーダは眉間を中指でとんとんと軽く叩いた。


「ブルーノがフォルムの末裔でなければ、別に宮殿に出入りしても構わない。だがどうも問題が起きそうであまり賛成はできないな」

「ルーヴェル、ブルーノはどんな少年なんだ? 問題を起こしそうか」


 あれで問題が起きない方がおかしいのだが、むしろ会わせて問題を浮き彫りにさせようとしているなど、正直に言える筈がない。知られればアールファレムはともかく、アルスラーダが反対するのは目に見えていた。


「いろいろ苦労したみたいで、少し屈折したところもあります。ですがジークに対してはとても優しく、よくなついているようです」

「あの犬は誰に対しても尻尾を振るさ」

「何を犬相手にむきになっているんだ?」

「放っておいてくれ」

「狭量な奴だな。まぁいい。根はいい子だと思います」

「アルスは大事なお兄ちゃんがとられそうで拗ねているだけだ」

「そんな訳ないでしょう!」


 アルスラーダは即座に否定したが、アールファレムの指摘はむしろ自身に向けられていた。どうしても自分達三人は特別な関係だと思ってしまう。ルーヴェルが他人に興味を抱く事を、少し寂しく思ってしまうのだ。それこそ狭量な考えなのは分かっているのだが、自分達だけのルーヴェルでいて欲しいと思ってしまうのだ。

 ルーヴェルはアールファレムのそうした感情を感じ取り、微笑ましいというか、むず痒いような感覚になった。

 だがルーヴェルが気になるのは、アルスラーダは成長したが、逆にアールファレムが以前よりも更に甘え癖が増した事だ。感情を抑制出来なくなったのか、あえてしないのかは現段階では判別出来ない。

 今まで押さえ付けられた感情が解放された事は本人にとってはよい事だとは思うが、はたして皇帝としてどう転ぶかだ。ルーヴェルは今がアールファレムにとっての正念場だろうと考えた。もしアルスラーダへの思いを周囲に悟られれば、二人には破滅が待っているだろう。

 それにシルヴィンの事も気にかかる。この二人を見守る事がシルヴィンにとって、どれほど辛いか、その心情に思い至った。本人に覚悟はあるとはいえ、酷なのは間違いない。だからといってアルスラーダがシルヴィンの感情を忖度する筈がない。

 ルーヴェルは二人の前途多難ぶりを思い、二人を守り抜こうと決意を新たにした。しかし二人だけでなくシルヴィンとブルーノと守りたい人間が増えていくのは、いいことなのかどうか判断に困るルーヴェルだった。全てを守る事が出来ないのなら、優先順位が必要になってくるだろう。果たして自分に誰かを切り捨てる事が出来るかどうか自信がなかった。


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