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52 ルーヴェルの弱点を探せ

 シルヴィン大将軍は今日も不機嫌だった。一昨日の酒の影響は既にない。二日酔いなどという忌々しい状態からは昨日の昼過ぎには回復していた。だが今日のシルヴィンの悩みごとも酒が絡んでいた。

 昨夜、ルーヴェルとビクトールが宮殿内で呑んでいたらしい。目の前で約束していたのを聞いていたし、それ自体は別に悪い事ではない。高官といえども息抜きが必要な事は理解している。

 問題は更にライナーとマルクスまで加わった事だ。そしてマルクスが問題を起こし、女官長のモニカが朝から苦情を申し立てにきたのだった。そもそも皇帝が病気療養中にもかかわらず、毎日高官達が酒宴を開いているという事実にも問題があると言うのだ。自分にも一因があるので、そこを強く注意する訳にもいかないシルヴィンなのだ。

(早く陛下がお戻りになりますように!)

 強くそう願うシルヴィンだが、アールファレムが予定より早く戻ろうとしている事も、アルスラーダにより禁酒を言い渡された皇帝が強い不満を抱えている事など知る由も無い。

 元々無駄口を叩くシルヴィンではないが、常より黙々と職務をこなす様は部下からすればたまったものではない。びくびくと上官の顔色を窺いながら、失敗しないように細心の注意をはらい、一日の終わりを待ち望んだ。


「張り切って職務に励んでいるようだな。感心、感心」


 宰相が訪ねてくると、部下達は更にどんよりとした顔色になったが、口には出せない。


「邪魔をしにきたのか?」

「随分苛ついているな。酒の禁断症状が出てるんじゃないか? 危険な兆候だ。医者に見せた方がいいぞ」

「貴様こそ医者に見てもらえ! 頭に虫でもわいているのではないのか!」


 遂には貴様呼ばわりされる始末だが、むしろルーヴェルは嬉しそうだ。背後ではシルヴィンの部下達の表情が絶望的な表情に変化している。

(早く帰ってくれ!)

 部下達全員が心を一つにしていたが、ルーヴェルは空気を読まない。読めないのではなく、あえて読まないのだ。


「陛下がご病気の今、お主が一番しっかりしなくてはならないのだ! 分かっているのか!」


 アールファレムの不在時は宰相であるルーヴェルが最高責任者になる。宰相は軍に対しても強い発言権を持つが、ルーヴェルが口出す事はあまりない。棲み分けは非常に曖昧で、例えば兵站などの調達はルーヴェルの管轄だが、実際の輸送はシルヴィンの管轄である。

 今のところアールファレムを頂点として上手く機能しているが、現状に変化が出た場合に備えて、法律から整備した方がいいだろう。将来的に宰相と大将軍が常に仲が良いとは限らない。そして有能である保証もない。人間関係で左右される組織など脆弱極まりなかった。そもそも皇帝が無能であればどうしようもないが、専制国としてはそれを問題にする訳にはいかないだろう。皇帝が有能である事が大前提の上で成り立っているのである。次世代に移る前に片付ける必要があるが、いまだアールファレムが若い為に、まだ手付かずになっていた。

 何より後継者は必要だが、皇帝が死んだ後の事を考えるのは不敬であると忌避されたからだ。


「しっかりとしろと言うが、何か問題があったか?」

「何かだと! 昨夜の騒動で女官長が私のところに怒鳴り込んできたぞ! お主が一緒にいて、あの醜態は何だ!」


 酔っ払ったマルクスが廊下で歌い出したまではよかったが、我慢出来なくなって、その場にある彫像に向かって用を足したのだ。それだけでも問題なのだが、更にその彫像が獅子像であった事がモニカの逆鱗に触れたのだ。獅子はガルフォン帝国においては皇帝の象徴である。その獅子像に老将軍が小便をかけたのである。

 もしアールファレムが知れば、じぃも歳だからな、と笑いとばすだろうが、残念ながら不在である。シルヴィンはあまりの馬鹿馬鹿しさに眉をぴくぴくと痙攣させた。普段は聖母のようなモニカが烈火の如く捲し立てるのを聞いているうちに、怒りより情けなさが勝ってきて、シルヴィンは泣きたくなった。

 興奮する女官長をなんとか宥め、三人の将軍を呼び出し説明を求めた。


「記憶にないのぉ! 儂はもう呑めんといったのだが、ライナーに無理に呑まされたところまでは覚えているぞ」


 マルクスはしっかりライナーに責任転嫁した。


「こらっ、じぃ! 適当な事を言いやがって! 俺が何度止めたことか!」


 ライナーはマルクスに掴みかかろうとしたが、マルクスはひょいっと身軽にかわすと、ビクトールを盾にした。


「本当にお二人は仲良しですね。何だかんだでいつも一緒ですよね。羨ましいです」


 ビクトールは見当違いの意見をしみじみと述べながら頷いた。


「それでビクトールは何故じぃを止めなかったのだ」

「楽しそうに歌っていましたから、放置していました」


 にこにこしながらビクトールは答えた。一般ではビクトールは優しいという評価を得ているが、シルヴィンの意見は違う。こいつは人当たりはいいかもしれんが、中々の曲者だ。

 シルヴィンは次にライナーに目を向けた。ライナーは肩を竦めながら、昨夜の出来事を話した。


「じぃが廊下に飛び出してしまい止めようか迷ったのですが、ルーヴェル閣下が放っておけと仰ったので申し訳ありません」


 ライナーは極めて常識人だった。ルーヴェルが突き放した後も、結局は心配で追い掛けていったのだ。マルクスがやらかした後は、女官達に後片付けを頼むと、兵士と一緒にマルクスを部屋まで運び込んだのだ。その後は一緒になって彫像を磨いて、宮殿内の私室に引き上げたのだ。


「ライナーがちゃんと処理をしたのは報告を受けている。ご苦労だった。じぃ、あまりライナーに迷惑をかけるな。分かったか」

「すまんかった」


 マルクスが神妙に頭を下げると、ライナーは頭を掻きながら、謝罪を受け入れた。


「まぁいつもの事だからな。暫くは大人しくしていてくれよ」

「分かった。気を付けるとしよう」


 シルヴィンは皇帝が病床についている間はあまり問題を起こさないように注意して、三人を下がらせた。

 そして溜め息を付きながら事件を振り返っていると、ルーヴェルへの怒りが沸々と込み上げてきたのだ。ただ宰相を呼び出すほどの事ではない為、悶々としながら仕事をこなしていた訳だった。そして夕方になって、当のルーヴェルが訪ねてきたのだ。


「私のせいではあるまい」

「一緒にその場にいただろうが!」

「だがじぃはお主の部下だろう。現にモニカは私のところには来ていない。八つ当たりしたいのは分かるが、私以外の者にはするなよ。大将軍としての度量が問われかねんからな」

「ル、ルーヴェル閣下、何か用があったのではないですか?」


 副官のドメルが皆の期待を背負って、ルーヴェルに声をかけた。何せまだ終業までは時間があった。ルーヴェルがシルヴィンを煽って楽しんでいるだけなのは、一目瞭然だった。


「ああ、本題に入ろう」


 どうやら本当に用があったらしく、用件をすませるとあっさり退室していった。


「宰相直々に足を運ぶ必要があったか?」


 シルヴィンの呟きはもっともで、部下に使い走りさせても構わないほどの些末な案件だった。ドメルは少しためらいながら推測を述べた。


「気分転換にこられたのではないでしょうか?」

「お陰でこちらの気分が最悪だ!」


 シルヴィンは目の前の書類の束を机の上に叩き付けたが、それこそ八つ当たりでしかない。


「すまない。感情的になったようだ」


 シルヴィンは謝罪しながら、ルーヴェルという人物について考え始めた。友人というより最近では玩具扱いされているようで、いつのまにこうなったのかを悩み始めた。

 あの一件以来、シルヴィンはアールファレムに負い目ができた。だがルーヴェルがシルヴィンを責めたのは、事件直後だけである。あれからはよく本音で会話するようになったが、よくよく思い起こせばルーヴェルが自分の事を話した事など一度もない。

 優しそうな顔をして、辛辣な事を平気でいい放つ、腹黒宰相とはアルスラーダの評だが、シルヴィンもそれに深く同意している。

 なかなか本質を見せないが、私利私欲で動くような男ではなく、全ては皇帝の為、国の為に行っているのは間違いない。

 かといって堅物ではなく、一緒にいて非常に面白い男だ。女性に対しては非常に貪欲で、とっかえひっかえしているが、本命を作る様子はない。


「弱点はないのか」


 思わず声に出してしまい、部下達が口々に意見を言い始めた。


「巨乳の女性でしょう」

「それは弱点ではないだろう。そうだ! 陛下には甘いぞ」

「それでどうやってつけこむんだ?」


 皆は退屈していたのだろう、あれやこれやと話し合いを始め、シルヴィンも面白そうなので参加する事にした。

 最終的に一番年少のガイ将補が、今夜ルーヴェルを尾行する事に落ち着いた。


「しっかり探ってくるんだぞ」


 皆から激励され送り出されたガイは、忙しい筈なのに何故こんな事になったのかと悩みながらも、宰相を尾行するためルーヴェルの執務室近くで張り込みを始めた。




「ルーヴェル様、どうやら尾行されているようです」


 宮殿を出てすぐに護衛官がルーヴェルに注意を喚起したが、ルーヴェルは振り返らずに笑いながら答えた。


「そのようだな。面白そうだから放置しておけ」


 ルーヴェルはガイ将補の顔を覚えていた。シルヴィンの命令だとしたら、またからかう材料にすればいいだけの事だ。


「しかしあれで隠れているつもりでしょうか?」

「あそこで隠密に向いているのはエドガーぐらいだろうよ。私の部下も少し訓練させた方がよさそうだな」


 残念なことにエドガー副将はモーリッツの家族を救出する為、既に帝都を離れていた。もっともこのような任務を引き受けずに済んだのは当人にとっては幸運だっただろう。

 不運なガイは人生で初めての尾行がばれている事にも気付かず、一生懸命頑張っていた。

 ルーヴェルは護衛官に馬を引かせていたのだが、ガイの為にゆっくり進むように指示した。護衛官はガイよりシルヴィンに同情しつつ、言われた通り歩を緩めた。

 夕方でも大通りは大変混雑していた。この辺りは夜更けまで人が途切れる事はない。ルーヴェルは一度自邸に戻り、またここまで戻ってくる事が多い。時間があるときは南にまで足を伸ばし、色街に繰り出す時もある。

 今日はどうしようかと馬上で悩んでいると、視界の隅にごみが見えた。何の気なしに見ているとごみがもぞもぞと動き出した。ルーヴェルは止まるように命令すると、馬を下りてごみに近付いた。

 どうやらごみではなく人間のようで、ルーヴェルは護衛官が顔をしかめるのもかまわず、その人物に声を掛けた。


「大丈夫か?」

「あ、ああ。まだ大丈夫……」


 その人物は虚勢を張り、立ち上がろうとしたものの力が入らず、その場に再び崩れ落ちた。

 あまりに汚ならしいので気付かなかったが、よくよく観察すればまだ若く少年のようだった。

 ルーヴェルは躊躇する事なく少年の肩に手を掛け、少年の顔を覗きこんだ。


「いったい何歳だ。親はどうした?」

「親は死んだ。放っておいてくれ。お情けはいらん」

「そういう訳にはいかん。取り合えず一緒にこい」

「物好きな男だな」


 少年は呆れ顔でルーヴェルをじろじろと値踏みした。やがておずおずと手を伸ばし、ルーヴェルの手を掴んで、なんとか起き上がろうとした。


「ルーヴェル様、いきましょう。浮浪児など構う必要はありません」


 ルーヴェルは護衛官を鋭く睨み付けて黙らせ、再び少年に向き直ったが、少年は急に敵がい心を剥き出しにして、ルーヴェルの手を払い除けた。


「ルーヴェルだと! まさかあのルーヴェルか!」

「どのルーヴェルかは分からんが、宰相のルーヴェルだ」

「くそっ! こんなところで……。せめて昨日ならまだ……」


 少年はぶつぶつ呟いたが、自力では立ち上がる事も出来ず、ルーヴェルを睨み付けるのが精一杯だった。

 護衛官が割って入ろうとするのを右手で制し、ルーヴェルは少年を持ち上げ肩に担ぎ上げた。


「うわっ! 離せ! この人さらい!」


 少年は抵抗したが、弱った体で敵う筈もなく、あっさりと馬にのせられルーヴェルの屋敷まで運ばれていった。

 ガイはそこまで見届けると、急いで宮殿近くの食堂に駆け込んだ。仲間達がガイの報告を待っている筈だった。ガイは興奮しながら、先程の話を披露して見せた。

 正直なところ、シルヴィン達はまったく期待せずに送り込んだのだが、予想外の収穫に一同は驚いていた。


「期待していないって酷すぎます!」

「まぁまぁ。よくやった。ほら呑めよ。それでその少年はどんな顔をしていたんだ?」

「遠目でよく見えなかったのですが、とにかく汚い少年でした」

「違うって! 閣下に似ていたのかどうか聞いているんだよ!」

「そうか! 隠し子かも知れん! 何歳くらいだった?」

「そこまで幼くはなかったような。フィリップと同じか少し上ぐらいですかね」

「確かフィリップは十三歳だから、十五ぐらいとして、ルーヴェル閣下は何歳だ?」

「二十七だ。いくらルーヴェルでも無理だろうよ」


 苦笑しながらシルヴィンはお茶をすすった。断じて酒を呑むわけにはいかないのだ。


「面白くなりそうだったのに残念ですね」

「でも何か因縁がありそうですな」

「我が国に害意ある人物の息子かもしれんな。父親の敵討ちにきた可能性もある」

「明日ルーヴェルに確認してみるさ。推測で話していても埒が明かないだろう。……私は帰るが酒はほどほどにな」


 シルヴィンはそう言うと立ち上がり、右手をひらひらさせて立ち去った。酒を呑まない上官など部下に気を使わせるだけだろうと判断したシルヴィンは、さっさと会計を済ませ、寒さに震えながら家路についた。


「なぁ、なんか妙じゃないか?」

「妙ってシルヴィン閣下の事か? 一昨日、酒を呑みすぎて禁酒したんだろうが」

「それがおかしいんだって。陛下がご病気なのにあのお二方が心配そうな素振りをまったく見せないんだぞ。ちょっとは自重しそうなものじゃないか」


 アールファレムが姿を見せなくなって、半月になる。さすがに怪しむ者も少なくなかった。


「確かにな。アルスラーダ閣下が付きっきりで看病なさっているらしいが、まったく姿を見ないのも変だな。ルーヴェル閣下は毎日通われているらしいが、限られた人間しか出入りを禁止されているようだ」

「元々出入りは限定されているだろう。あまり考え過ぎるな。危険な話題はするなよ」

「そういう事だ。陛下が快癒なさるまでは、妙な噂に惑わされないようにしろ」


 気が付けばエクムント将軍が厳めしい顔をして、横に立っていた。


「も、申し訳ありませんでした」


 声を揃えて謝罪すると、エクムントは軽く頷き、かなり離れた席に座った。


「怖かった。やはり我が軍唯一の良識人が言うと重みがあるよな」

「俺は硬くて苦手だな」


 小声で会話を続行する先輩方を横目に、出遅れたガイは食事に専念していた。早く帰りたかったが、どうせ言うだけ無駄なので諦めて食べることにしたのだ。

(注意されたところなのに、この人達は懲りないなぁ)

 その後もいろいろな話題が飛び交ったが、その後はエクムントから注意が入る事はなかった。


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