51 皇帝対補佐官
アルスラーダは険しい顔をして、馬を走らせていた。一行は何度か小休止をとっただけで、風のように街道を駆け抜けた。
ラジエンデ号がログプールに入港したのは昼前だ。ログプールからデルレイアまでは通常なら、丸三日はかかる。だが一行はかなりの強行軍で進み、通常の倍の速さで初日を終えた。馬車馬は選りすぐりの優秀な馬を連れてきている。残りの馬はマイヤールが用意しただけあって駿馬揃いだ。この調子で距離を稼げば、明日の深夜にはデルレイアに到着出来るだろう。
ただその為、野宿になったが、これだけ人数がいれば見張りも十分だ。野営の支度が整うとアルスラーダは厳しい表情を崩さず、ログプールの方角をにらみ据えていた。ケビンが追い付く可能性は極めて低いが、用心はすべきだった。
「アルス様、ケビンはあの時、何と申したのですか?」
アルスラーダの耳元でケビンが何を囁いたかはマイヤールまで聞こえなかったが、あの後アルスラーダが激昂したのだ。アルスラーダはマイヤールだけなら適当にあしらえただろうが、アールファレムも傍に立っているのに気付いていた。
「大した事ではない」
「奴は何と言ったのだ?」
アールファレムはマイヤールと同じ質問を重ねた。
「下らない事です。心配する必要はありません」
「アルス。奴は何と言ったのだ?」
「……武術大会が楽しみだ、そう言っていました」
「ほう。面白いじゃないか。シルヴィンとの一騎討ちかと思っていたが、番狂わせがあるかも知れんな」
「いやいやそんな番狂わせなどいりません。そもそも異国人も参加出来るのですか?」
マイヤールだけでなく、武術大会を楽しみにしている国民は多い。だが国民はアールファレムの重臣の誰かが勝つのを期待しているのだ。もしケビンが優勝でもすれば、おおいに盛り下がるだろう。
「参加するのに資格はいらん。腕に自信がある者は素性を問わず挑戦出来る。優勝者は皇帝から直接、賞金と賞品を授かり、御言葉を賜るのだ」
「そして本選に残った者は仕官の機会が与えられる訳だ。今年は本選に残った全員が既に仕官済みだったからな」
今年はシルヴィン、アルスラーダに加え、将軍が五名、副将が一名、計八人が本選まで進んだ。
来年はその内、ハリー、フリードリッヒ、ベルノルトの三名の不参加が確定している。
将校達は俄然色めき立ち、優勝は無理でも本選に残り、名を上げようとする者が大勢いた。
「ケビンを拒む事は出来ない。アルスが実力で退けるのを期待しよう。必ず勝て」
アールファレムはアルスラーダの肩に手を置いたが、アルスラーダは微かに俯き、返事をしなかった。
「なんにせよ。武術大会が目的なら、帰り道は安全という事ですな」
マイヤールは暗い雰囲気を吹き飛ばす勢いで、明るく言ったが、アルスラーダは首を振って否定した。
「保障などない。油断して襲われたらどうするのだ。宮殿に着くまでは気を抜く訳にはいかない」
アルスラーダはアールファレムの背中を押し、野営地まで戻った。ハンスはアールファレムの無事な姿に安堵し、用意していた食事を椀によそってアールファレムに手渡した。
「結局、一度もまともに料理出来なかったな。宮殿に戻ったら、やってみようかな」
「これ以上、私の仕事を増やさないで貰いたいですね」
アルスラーダは一刀両断で却下して、アールファレムの隣に座り、ハンスから酒と椀を受け取った。アールファレムが手を伸ばすとハンスは熱いお茶を差し出した。
「酒は出さないように言われています」
悲しそうな目でアールファレムは無言の抗議をしたが、ハンスは申し訳無さそうにそう言うと自分用にもお茶を注いだ。
アルスラーダは、アールファレムの視線などものともせず、酒を呑み出した。
「横暴だと思わないか?」
「至極妥当な判断です。ご自身の酒癖の悪さを自覚して下さいませ」
「申し訳ありませんが、僕も同意見でございます。宮殿に戻るまでは辛抱なさって下さいませ」
「戻っても禁酒は続けてもらいます」
アルスラーダが畳み掛けるように言うと、当然ながらアールファレムはむくれだした。だが毎度の事なので、アルスラーダは上手くあしらい丸め込んだ。
「暫くは我慢してやるさ」
こういった時にはアールファレムは皇帝としての権限を使わない。それぐらいの分別はあるのだ。それに宮殿に戻れば、優しいルーヴェルが待っている。アルスラーダには内緒で呑ませてくれるに違いない。
「ルーヴェルにもきっちり話をしておきますからね。そうだ! フィリップに見張らせましょう」
優秀な補佐官が見落とす筈がなかった。マイヤールは愉快そうに酒を呑んでいたが、アールファレムと目が合い、気まずそうに目を逸らした。
用心棒達はというと、恐れ多くて話し掛ける事も出来ず、少し離れたところで、ほぼ無言で食事をとっていた。見張りを交替で行う為、体を暖める程度に、酒は振る舞われていた。酒の力だろう、退屈に堪えきれず、四人は小声で会話を始めた。
「皇帝陛下って、なんか想像と……」
「言うな! あれはフィリップ様だ。俺たちは貴族の若様の護衛をしているんだ」
一番年嵩の男はむしろ自分に言い聞かせているようだった。
「いやほらっ。でもあそこまで別嬪さんとは思わなかったじゃないか。顔を見られただけでも運がいいぞ」
「お前失礼な言い方をするなよ! 不敬罪で処刑されたらどうするんだ!」
四人は慌てて皇帝の方を窺ったが、どうやら会話は聞こえなかったようで、一斉に胸を撫で下ろした。
「以前会長のお伴で宮殿についていった事があったんだが、あの時は威風堂々となさっていて、とても凛々しかったぞ。今の陛下はきっと素のお姿なんだと思う」
「それはそうだろうが、威厳が無さすぎないか?」
「緊急事態がおきれば、俺らが心配しなくても陛下は噂通りの英傑に戻られるさ。平和にデルレイアに着くのが一番だ。陛下はあのままでいてくださる方がいいんだよ」
「なるほど。そういう考え方もあるか」
「俺の腕が立つのを見ていただい気もするな」
「それいいな。俺の手を握って、そなたのお陰だ。感謝する。なんて言われて見ろよ。堪らんぜ」
妄想が膨らむ彼等だったが、はしゃぎすぎて声が大きくなっている事に気付いていなかった。
「腕が立つかどうか私が見極めてやろうか」
「いえ、遠慮します。調子に乗って申し訳ありませんでした」
冷たい微笑を浮かべるアルスラーダの提案に、四人は揃って頭を下げた。
「アルスは固いなぁ」
アールファレムはけらけらと笑ったが、マイヤールは自分の部下の不始末にひやひやしながら、介入しようか迷っていた。ハンスが首を振りながら、マイヤールの肩を叩くと、マイヤールは安堵の表情を見せた。
「ハンス、なまっているだろう。ちょっと付き合え」
どうやらアルスラーダは体を動かしたいらしく、ハンスを誘った。ハンスが立ち上がろうとしたが、アールファレムが立ち上がる方が早かった。
「私が相手になろう」
アールファレムは腕を回し足を屈伸させ、軽く体をほぐすと剣を構えた。船では室内に閉じ込められ、馬車では座ったままで、タヘノスに到着後は運動らしい事をほとんどしていなかった。
「仕方ありませんね」
アルスラーダはアールファレムの心情が理解出来るだけに反対はせず、剣を抜いてアールファレムに向き合った。
思わぬ展開に他の面々は大興奮で、固唾をのんで見守る事になった。ジークはちょこまかと危ないのでマイヤールが抱いた状態で観戦する事にした。
実力は明らかにアルスラーダの方が上である。何せ腕力が違い過ぎる。その上アルスラーダは決して鍛練を怠る事はなかった。旅の間ですら時間があれば体を鍛え、体が錆び付かぬように努力していたのだ。一方アールファレムはといえば、ハリー達と訓練を行うようになったのは最近の話だ。たまにアルスラーダに付き合うぐらいだった。フィリップが何やら剣に興味を抱き始め、アールファレムは内心反対だが、嫌われるのが怖くて、うやむやにして遠ざけているのは余談である。
アールファレムの売りは身軽さにあった。戦場で軽やかに身を翻す様は蝶のように華麗だった。少々の体格差なら覆せるが、何せ一撃が軽い。いくら体重をのせても、正面から切り結べば、大概は押し切られる。だがらこそアールファレムは相手の力を受け流し、その力を削ぎ、体勢を崩した隙を狙うようにしている。問題はアルスラーダには付け入る隙がないのだ。
勿論、アールファレム相手にアルスラーダは本気を出さない。だがあからさまに手を抜いて勝てるほどにアールファレムは弱くはなかった。
二人は間合いをじりじりと詰め、アールファレムが先に仕掛けた。アルスラーダが難なく剣で受け止めると、切り結んだが、すぐにアールファレムは後ろに下がって再び間合いをとろうとした。だが、すかさずアルスラーダが追い掛け、アールファレムに向かって剣を叩き付けた。アールファレムは手が痺れそうになるのをこらえ、なんとか受け流した。
アールファレムは久し振りに気持ちよい高揚感が込み上げてきて、笑みを浮かべた。アルスラーダも楽しそうに笑いだし、二人は長い間、楽しみながら戦いを続けた。
驚いたのは用心棒達である。アールファレムはあのアルスラーダとほぼ互角に戦っているのだ。あの素早い動きにとてもついていけそうになかった。まさかあのひょろっとしたフィリップ様が、ここまでの腕を持っているとは、想像を遥かにこえていた。アールファレムは戦略や戦術ばかりではなく、個人の武勇も際立っていると噂では聞いていたが、見た目で過小評価してしまっていたのだ。どうせ大袈裟に喧伝されているだけだと思っていたが、今見ている光景は噂が真実である事を証明していた。
アルスラーダは彼等が賞賛の眼差しでアールファレムを見ているのに気付き、満足していた。アールファレムを少しでも軽んじるような態度は許せなかった。例え悪意はなくともだ。
実際のところ、戦場では剣より槍で戦う事の方が多い。アルスラーダなどは槍や戦斧を馬上で巧みに操った。しかし平時は大概の者が剣のみを装備していた。ちなみに将軍以上が謁見時の武装を許可されている。
やがてアールファレムが音を上げて降参した。
「加減しててこれだからな。やっぱりアルスには敵わないな」
「当たり前じゃないですか。護衛対象より弱い護衛官など話になりませんよ」
アルスラーダの発言はハンス達の心を深く抉った。
「アルス様! 僕に稽古をつけて貰えませんか」
「俺にもお願いします!」
深夜にもかかわらず、急にやる気になった五名は、次々とアールファレムとアルスラーダに挑み、こてんぱんにのされた。マイヤールは思いがけず楽しい余興を独占して見物する事ができ、終始ご機嫌だった。アルスラーダは汗を拭いながら、マイヤールを冷やかした。
「用心棒代は見物料と指導料で相殺にしておこう」
「元々請求する気はありませんよ」
「ならこちらは請求するぞ」
「では相殺で手を打ちましょう」
マイヤールはあっさりと前言を撤回してみせ、アルスラーダに小突かれた。
「しかしこれでは見張りにならんな」
アルスラーダは死屍累々と転がっている五人を見渡した。辛うじてハンスが立ち上がったが、万全には程遠い。
「仕方無い。私も見張りをしよう」
「馬鹿な事を仰いますな!」
「駄目です!」
「流石にそれはまずいです……」
アールファレムの提案は、皆から即座に却下された。
「私が前半引き受ける。後は二人が焚き火前で寝てくれ。何かあれば叩き起こす。ハンスは後半の指揮を頼む」
アルスラーダの指図に、ハンスが手を上げて問題提起した。
「あの馬車で五人も寝られませんよ」
「後ろに三人、前の座席に二人ぐらいは寝られるだろう。私の事は特別扱いしなくていいぞ」
アールファレムが言ったが、その場合アールファレムが誰の横で寝るかという問題がある。
「ふむ。フィリップ様とハンスが一緒に寝るしかないか。後半はハンスと私が交代するとしよう」
「別に俺達は外で構わないです。火の側なら暖かいですし、フィリップ様に窮屈な思いはさせられないっす」
一人がそう言うと他の用心棒達も頷いて同意した。皇帝と同じ空間でなど、とてもじゃないが安眠出来そうにない。
マイヤールは大人しくアルスラーダの采配に従うつもりだった。
「すまんがそうしてくれ。マイヤールとハンスが後ろで寝てくれ」
「私だけ一人なのか」
少し寂しそうなアールファレムに、アルスラーダはジークを渡した。
「はい。寂しくないですよ」
「子供扱いしていないか?」
「おや、ジークより私が添い寝する方がいいんですか? 別に構いませんが取り敢えずはジークだけで我慢して下さいね」
「なっ! そんな事は言ってないぞ。ジークいくぞ」
「お休みなさいませ」
ハンス達は急いで寝床の準備を整え、アールファレムを迎え入れた。




