47 シルヴィンの失態
「おいおい大丈夫か? この大事な時に風邪を引いたんじゃないだろうな」
シルヴィンは先程からくしゃみを連発するルーヴェルを心配したが、ルーヴェルは首を振って否定した。
「大丈夫だ。どうもむずむずしてな。どこぞのもてない男が私の噂をしているだけだろう」
しれっと言いながらルーヴェルは酒杯を傾けた。
「相変わらず口が悪いな」
シルヴィンは人当たりがいいくせに、わりと毒を吐くルーヴェルを呆れて見やった。
二人はほぼ連日一緒に飲んでいた。皇帝不予という事で、二人の仕事は倍増していたが、どうしても宮殿全体に活気がない。アールファレムが暫く顔を見せないだけでなく、賑やかなハリー達も不在とあっては仕方ないかもしれない。
「どうした、元気がないな」
「いや陛下不在の宮殿がこんなに寂しいとはな」
「いつもはもっと寂しいぞ。戦の時は将軍達もほとんど出払うからな。私はいつでも留守役だ」
アールファレムはルーヴェルを一度も戦場に同行させなかった。常に留守を守るだけのルーヴェルはやきもきしながら待つしかない。
「なるほどな。早くお戻り下されればよいが。ハンスは無事たどり着いたかな」
「まぁなんとかしているだろうさ。邪魔になるからアルスは嫌がっているかもな。上手くいっていればなんとかなっている頃だろう」
「なんとかって、あの御二人が無事関係を結べたと思うか?」
「多分大丈夫だろう。いざとなればアルファ様の方が度胸がある。いくらあいつがどんくさくても、なんとかしているだろう。リベリオもいるしな」
アルスラーダをどんくさい呼ばわりするのは、ルーヴェルぐらいだろう。
「リベリオ陛下がいらしては逆に無理なんじゃないか?」
「逆だ。あいつは色恋には聡い。上手く後押しするだろうさ」
「おいおい、陛下の秘密がばれているという事か?」
「いやそれは大丈夫だ」
「ほぅ、何故断言出来るのだ?」
「リベリオは鋭いかと思いきや抜けているところがある。私が出した結論はあいつは筋金入りの大馬鹿者だ!」
シルヴィンは思わず吹き出し、ルーヴェルも一緒になって笑いだした。
恐ろしい事にルーヴェルの予想は全て的中していた。三人の性格を知り尽くしているルーヴェルだからこそだが、流石に全てを予測出来ない。ルドルフの謀叛や、ケビンという危険な男の魔の手がアールファレムに襲い掛かろうとしているなど、察知出来る筈がなかった。
「そうか……。ついにか」
シルヴィンは感慨深く呟くと、酒を煽った。ルーヴェルもシルヴィンの心境を慮り、酒を注いだ。二人は長い間無言で、酒を飲み交わした。
「美形はやけ酒を飲んでも様になるな。羨ましい限りだ」
「ふん。顔なんぞ何の役に立つ? ここまできたのは俺の力だ!」
先程までは楽しそうにしていたシルヴィンが珍しく声を荒げた。ルーヴェルはむしろ愉快そうに友人を観察しだした。俺などと言うシルヴィンなど見たことなかった。シルヴィンが乱れたのは、あの事件の時ぐらいだ。誰が相手でも感情をさらけ出さない男が、酒の力とはいえ、本音を打ち明けてくれるのは嬉しかった。
「女など寄ってきても邪魔なだけだ。俺の人生に女などいらん!」
「それは随分面白くなさそうな人生だな」
「お主だってとっかえひっかえしているではないか!」
シルヴィンの目は完全に据わっていて、ルーヴェルをますます愉快がらせたが、シルヴィンは気付かず、更に酒を煽った。
「そろそろ止めておいたらどうだ。とっくに酒量を超えているのではないか……」
「煩い! 酒ぐらい飲ませろ! くそっアルスラーダのやろう……」
意味が分かったのはそこまでで、段々意味不明になり、最後は仰向けになり眠りだした。
「まったく仕方の無い奴だな」
会う前からこの有り様では、二人が戻ってから大丈夫だろうかとルーヴェルは心配になった。
「他に女が出来ればいいのだろうが、簡単にはいかないよな。……だが」
独り言ではあったが、そこで中断させた。シルヴィンと違ってルーヴェルは酒で酔えない。他人からはよく羨ましがられるが、こんな時は損に思える。常に理性が働き、本音を吐く事すら出来ないのだから。
「まぁ! 大変!」
若い女官が肴を持ってやってきたが、シルヴィンの醜態を見て声を上げた。
「酔い潰れたようだ。お陰で一人寂しく飲んでいるんだ」
ルーヴェルは既に女官の腰に手を回していた。
「えっ、その私は……。あのっ」
どもりながらも嫌がってはいないようだ。頬を真っ赤に染め、床に寝転がるシルヴィンとルーヴェルの間で視線をいったり来たりさせた。
「閣下をこのままにする訳にはいけません」
どうやら責任感が勝ったらしく、女官はシルヴィンの方へ注意を向けた。
「兵士に頼むさ。私は自分の部屋に戻るつもりだが、一緒に来てくれないか? 一人で過ごすには今夜は寒すぎる」
「それはご命令ですか?」
「命令したいところだが、無理強いする訳にはいかないな。嫌か?」
ルーヴェルは頬に手を添えて、まっすぐ瞳を見詰めながら聞いた。
「嫌……ではないです。喜んで……行きます」
「ゾフィ、いい子だ」
ゾフィは驚いて目を見開いた。以前名乗った事はあったが、まさか名前を覚えているとは思っていなかったのだ。ルーヴェルはゾフィの柔らかな頬を優しく撫でた。腰に手を回し一緒に部屋を出ると、近くにいた警邏中の兵士にシルヴィンの世話を頼み、二人はルーヴェルの私室へ向かった。
兵士は溜め息をつきながら、助っ人を呼びにいった。兵士達は四人がかりでシルヴィンを担ぎ上げた。
「それでルーヴェル閣下はその女官と仲良く立ち去ったのか」
「ああ。胸がすごくでかい綺麗な女官だった。いいよなー」
「ひょっとしてゾフィじゃないだろうな。狙ってたんだぞ!」
「名前まで知らないさ。だが巨乳の時点で諦めろ。ルーヴェル閣下の毒牙からは逃れられないさ」
もう一人の兵士も頷きながらぼやいた。
「今はベルノルト将軍と、クルト将軍がいないとはいえ、ルーヴェル閣下がいたら俺らに回ってこないよなー」
「この前十代は駄目だって女官長に怒られていたらしいぞ。しかしどうしてうちの偉いさんは女癖が悪い人が多いんだろうな。少しは陛下を見習って欲しいよ」
「いくら見習ってもお前がもてない事は変わらんぞ」
「そういうお前はもてているのか?」
「悲しくなってくるからやめよう。しかし閣下は全然起きそうにないな」
兵士達は会話しながらシルヴィンを運んだが、まったく起きる気配はなかった。
「完全に酔い潰れているな。あのルーヴェル閣下に付き合ってたらこうなるさ。あの方は本当に化け物だな」
「そういえばシルヴィン閣下の女性の噂はあまり聞かないな。勿論、女達が騒いでいるが、どうなんだろうな」
「こんなに男前だったらよりどり見取りだろうに、実は男が好きだったりしてな」
「まさか、それはないだろうよ。想い人がいるという噂もあるしな」
「それは相手にしてもらえなかった女性士官の妄想だったらしいぞ」
「ハリー将軍なんか噂もないからな」
「違いない」
好き勝手に噂話に盛り上がる兵士達に気付かず、深い眠りにつくシルヴィンは、翌日抜け落ちた記憶と、激しい二日酔いに苦しむ羽目になった。
ルーヴェルに昨夜の自分の発言を聞き出そうとしたが、にやにや笑うだけで教えてくれなかった。副官のドメルは黙って、上官の前に水を用意した。
「私は当分、禁酒する!」
シルヴィンは元気なく小声で宣言して、ルーヴェルをますます面白がらせた。
「随分楽しそうですね。何かあったのですか?」
「ビクトール良いところにきたな。シルヴィンが禁酒宣言をしたところだ。ちゃんと守るかどうか皆で見張らないとな」
書類を提出にきたビクトールは上機嫌の宰相と、不機嫌そうな大将軍に挟まれ困惑させられた。
「禁酒ですか。私には出来そうにありませんが、頑張ってくださいね。応援します」
そういえばこいつも酒豪だったなと、シルヴィンはビクトールの事もついでに睨み付けたが、なんとも迫力に欠け、眠そうにしか見えない。
シルヴィンが心配で様子を見にきただけのルーヴェルは、そろそろ退散する事にした。
「じゃあ頑張るんだな」
「ああ、早く行け」
「そうだ。ビクトール今夜一緒に飲まないか。親友が禁酒したんで飲み仲間がいないんだ」
「私でよければいつでもお伴しますが、閣下ならいくらでも女性がいるでしょう」
「飲むのは男、寝るのは女。その方が楽しいと思わないか」
ルーヴェルは爽やかな笑顔で酷い事を言って、既婚者のビクトールに同意を求めたが、その様な内容に頷ける筈もない。シルヴィンは水を一口飲むと、顔を強張らせているビクトールに訴えた。
「こいつはな、優しいように見えて極悪非道の男だ。女の敵なんだ」
「女など邪魔だ。俺の人生に女はいらん!」
「お前の台詞とは思えんな。いきなりどうしたんだ?」
いつの間にか、お主からお前呼ばわりするシルヴィンを無視して、ルーヴェルは嫌らしい笑顔を浮かべながら、ビクトールの肩を抱いた。頼むから巻き込まないで欲しい、切なるビクトールの願いは叶わず、二人は相も変わらず、ビクトールを介してやり取りを続けた。
「ビクトール、大将軍閣下は昨夜、先程の宣言を私の前で行い、女断ちする事を誓われた。今後は酒も女も止め禁欲生活に勤しむそうだ。いやはや素晴らしい」
「おい、私に記憶がないからといって適当な事を言うな。だいたい俺などという粗野な言葉を使う訳がないだろう」
「ほぅ。そうか、そうか。ビクトール、今夜は楽しみにしていてくれよ」
「おい、ルーヴェル! 待てって」
シルヴィンは慌てて立ち上がったが、急に動いたのと大きな声を出したので、頭が痛み頭を抑えて、椅子にへたり込んだ。
「邪魔したな」
散々かき回して、ルーヴェルはようやく立ち去った。
後に残されたビクトールはいい迷惑だった。書類を抱えたままだったビクトールは気まずい空気の中、ようやく書類を差し出した。シルヴィンは書類を受け取ると黙々と目を通し、最後に判子をついた。
「飲むのは構わないが、仕事に支障のないようにな」
シルヴィンはやっとの事で言葉を絞り出すと、扉を指差し退室を促した。
「お大事になさいませ」
心配そうに去っていくビクトールを見送ると、シルヴィンは机に突っ伏した。
ドメルが水差しからそっと水を注ぎ足すと、シルヴィンは礼を言って、一気に飲み干したが、急にうっと呻くと口を抑えながら、部屋を飛び出していった。
ドメルは上官の消えた扉を見やり、溜め息をついた。数日前までは野心家の大将軍だった筈の男が、何故こうも人間臭い男に変貌したのだろうと考えたが、さっぱり分からなかった。
げっそりしたシルヴィンが、よろよろと戻ってきたのは、大分たってからであった。大将軍の長い一日は始まったばかりである。




