46 星夜の語らい
アールファレムの熱は夕方には下がり、アルスラーダを安堵させた。
「心配掛けてすまなかった。アルスもう大丈夫だ。寝過ぎたぐらいだ」
アールファレムは半身を起こし、大きく伸びをした。ジークは一緒になって伸びをして寝台から飛び降り、床を歩き回りだした。
「まだ駄目です。少なくとも翌朝まではお休み下さいませ」
「翌朝までって、おいおい冗談だろう? 少しだけ船内を見て回りたいな」
「駄目なものは駄目です。ちなみに船内を回るのは明日になっても駄目ですよ」
アールファレムは力一杯アルスラーダを睨み付けたが、アルスラーダはまったく引かなかった。アールファレムは一端、寝台の端に腰掛け、立ち上がろうとしたが、アルスラーダによって両肩をがっちり手で押さえ付けられた。
「駄目駄目って何回言う気だ!」
拗ねるアールファレムにケビンの事を説明すると、アールファレムは考え込んだ。
「動きが早いな。しかし尾行に気付かないとは、油断したかな」
「かなりの手練れです。恐らくはルドルフ様を呼び出したリベリオが最初につけられたのだと思います。そこから我々に目をつけたのではと推測します」
「ふむ。かといって簡単にアルスの前に姿を見せる訳か」
「自信があるのでしょう」
言いながらアルスラーダは屈み込み、唇を頂こうと顔を傾けながら近付いたが、流石に睨まれた。
「こらっ!」
「美味しそうだったので」
二人きりになるとついつい、がっついてしまうアルスラーダだった。
「アルス、逃げ回るのは嫌だ!」
「駄目です。危険な真似はさせられません」
「アルスがいるのに危険がある筈がない」
アルスラーダは深く頭を下げた。
「卑怯な真似をするな」
アールファレムがなじったが、アルスラーダは決して頭を上げようとはしなかった。
「アルファ様、どうかお願い致します」
アールファレムは黒いつむじを指で軽くつついたが、アルスラーダは微動だにしなかった。
「アルスが一緒でも駄目なのか?」
「本当に危険なのです」
「分かった。専用デッキぐらいはいいか?」
「はい。風がきついので暖かい格好で外に出てくださいませ。ぶり返したら大変です」
アルスラーダはせっせと荷物から着替えを探った。
「あんなの狡いじゃないか」
アールファレムの呟きは足下にいたジークにしか聞こえないくらい小さかった。
くぅーんと鳴くジークを抱き上げると、アルスラーダに渡し、代わりに着替えを受け取った。
アルスラーダはジークを抱きながら居間に引き上げた。
アールファレムはのろのろと着替えると、編み込まれたままの髪をほどいた。軽く手櫛で整え、居間に顔を出すとハンスが直立不動で出迎えた。
「陛下! 元気になられて何よりです」
心の底から喜ぶハンスにアールファレムは感謝の言葉を掛けると、アルスラーダからジークを受け取り、専用デッキに向かった。
「風がきついな。ジークじっとしているんだぞ」
アルスラーダは戸口から心配そうに見守っていた。
アールファレムは茜色の西日が海に沈もうとする美しい景色に息を呑んだ。
「綺麗だな。アルス、ハンスも一緒に見よう」
アルスラーダはハンスを呼び寄せ、二人はアールファレムの背後に立った。
船は東から西に向かっているので、進行方向に夕陽がある。大きな夕陽に比べれば、いくらラジエンデ号が大きくても比べ物にはならない。アールファレムは幻想的な風景を夕陽が沈むまで、静かに眺めていた。
「付き合わせて悪かったな」
ジークを抱いていたアールファレムは暖かかったが、二人は寒そうだった。
「鍛えてますから」
アルスラーダが澄ました顔で言うと、ハンスもこくこくと頷いた。
「頼りにしているぞ」
三人が部屋に戻るとほぼ同時に、ベッカーが船員と共に三人分の食事を運んできた。
「……美味しそうだな」
本当に美味しそうな食事だったが、何やらあの野菜の色が目立つ。アールファレムはこれから後二日、同じ彩りの食事が続く事をまだ知らない。
夜更けにアールファレムはアルスラーダと二人で、専用デッキに出た。勿論、夕方よりも着込んだアールファレムは全身をもこもこさせていた。ハンスは部屋で休んでおり、ジークも寝台で先に眠っていた。
「アルス、星が綺麗だな。ここから眺めているだけでも結構楽しめるな」
「……窮屈な思いをさせて申し訳ありません」
「アルスのせいじゃないさ」
暗い冬の海と満天の星空が溶け合ったような漆黒の闇が、寄り添う二人を優しく包み込んだ。二人は小声で会話を交わし出した。
「ルーヴェルはもう休んでいるかな?」
「仕事は終わってるでしょうね。一人で休んでるかは怪しいですが」
「ルーヴェルの好みはどんな女性なんだ? 女官とも何人か仲良くしているらしいが、私には教えてくれないんだ」
「身体の起伏が激しい女性です。ある部分が大きいほど好みみたいですね。性格は控え目な方がいいようです」
つまりはアールファレムと正反対な訳だ。アールファレムは晒しで押さえ付けられたぺったんこの自分の胸を両手で触った。着膨れしていたが、そこに膨らみがないことは重々承知している。例え晒しがなくともだ。
「抑えているわりには大きかったですよ」
「わりにはって事は小さいんじゃないか」
気にしているようなので慰めたつもりのアルスラーダだが、言葉尻を捉えられアールファレムに睨み付けられた。
「ルーヴェルの好みです。私はそれぐらいの大きさの方が……」
「それぐらいって!」
何を言ってもやぶ蛇になる事を悟り、アルスラーダはアールファレムを後ろから抱き締めた。
「愛しています」
「誤魔化したな」
「嘘だと思いますか?」
「黙っていろ」
アールファレムは目を瞑り、アルスラーダの鼓動を背中で感じ取った。波の音と混じりあい、とても落ち着く心地好い音だった。
「アルス、どこで寝るつもりだ。ハンスと二人あの部屋は狭くないか?」
昼間ちらりと見ただけだが、寝台が二つ並んでいるだけの部屋だった。その分、居間や寝室が広く、自分の為だけに贅沢な空間が用意されているのに、ようやく気付いたアールファレムは恥ずかしくなった。
「居間の長椅子です。あの部屋が唯一、外に通じていますからね」
申し訳無さで俯くアールファレムをアルスラーダは力強く抱き寄せた。
「長椅子って、アルス一緒に寝ても……」
「駄目です。一緒に寝たら我慢出来ません。アルファ様、寂しいでしょうがジークで我慢して下さい」
「寂しい訳じゃない。でもルーヴェルはいないし、一人だと広すぎるんだ。宮殿でも、ここでも……」
今までは一人で慣れていたのだが、最近はリベリオやらアルスラーダがずっと一緒だった。宮殿に戻れば、広い部屋をもて余すようになるだろう。その感情を寂しいというのだが、そこは触れずに流しておこう。だが今の発言には、それよりも重大な問題を孕んでいる箇所がある。アルスラーダはアールファレムを自分の方に向かせ、両肩に手を置いた。
「今でもルーヴェルと寝てるのですか?」
「この前久し振りに一緒に寝たな。アルスはルーヴェルと寝たりしないのか?」
何が悲しくてルーヴェルなんかと寝なければいけないのかと聞きたいが、どうやらアールファレムは本気で言っているようだ。
「男二人が一緒に寝るのは気持ち悪くないですか」
「昔は三人で寝たじゃないか。確かアルスも一緒に寝たいと言い出して三人で寝るようになったんじゃなかったか」
事実ではあるが、何故そう言い出したか分かって欲しいアルスラーダだった。
「アルファ様、リベリオはアルファ様が男と信じています。その上で私との関係を応援してくれていたのです。ですが私はこれっぽっちも男に興味がありません。私が興味があるのは今も昔もアルファ様だけです」
「だってルーヴェルだぞ。兄のように慕っているんじゃないのか」
「兄と一緒に寝たがる弟はいません!」
思わず声を荒くしてアールファレムの手のひらで口を押さえられた。
「静かにしないか! 誰かに聞かれたら大変だぞ」
小声で叱り付けられたが、まだアルスラーダは言いたい事を伝えきれていない。アルスラーダはアールファレムの手を剥がし、小声で囁いた。
「アルファ様、分かってくれましたか?」
「ルーヴェルは私にとっては特別だから、アルスも同じと思っていた」
「間違ってはいませんが、アルファ様、私とルーヴェルが一緒に寝ていたらどう思いますか?」
「仲良しだなと思うが、確かに想像出来ないな」
「そうでしょうとも。馬鹿な事を考えるのはお止めください」
「今度久し振りに三人で寝ないか? 楽しそうだぞ」
アールファレムは無邪気に言うが、アルスラーダとしては複雑だ。ルーヴェルの事をまったく意識していないから、平気で言うのだろう。だが二人の関係性に変化があった直後に、そのような発想が出てくる事が問題なのだ。まさかルーヴェルと共有? アルスラーダは馬鹿げた考えを振り払った。
「アルファ様、冷えてきました。そろそろ部屋に戻りましょう。お休みくださいませ」
「もっと話していたいが、そうだ! アルス寝付くまで一緒にいてくれないか」
せっかくの誘いを断れる筈もなく、アルスラーダはアールファレムの頬を優しく撫でると、背中にそっと手を添え部屋に入るよう促した。
結局、今夜アルスラーダは自制心と戦う事になるようだ。病み上がりのアールファレムに負担はかけられない、無心になるのだ。アルスラーダはまるで戦に臨む覚悟で暖かい室内へと入っていった。




