42 タヘノス新体制へ
「さて弁明はそれだけかな」
ハンスのたどたどしい言い訳を聞き終えたアルスラーダは冷徹な笑みを浮かべながら、机をとんとん叩いた。哀れな近衛兵のハンスは涙目で部屋を見回したが、イグナーツ、リッケン、リベリオの三人はそっと視線を外し、アールファレムは苦笑いしながらも、口出しする気はないようだ。
早馬の使者に選ばれ、懸命にタヘノスまで、馬を何頭も乗り換えて辿り着いたハンスだったが、疲労困憊で動けなくなるという失態をおかした。
「宰相閣下から預かった大事な手紙を他人に任せるなど考えられない所業だ。強行軍で疲れたなど言い訳になると思ったのか! 近衛兵なら、陛下に直接お渡ししてから倒れろ!」
勿論、近衛兵は帝国でも選り抜きの精鋭のみしか配属されない。
ハンスは武勇に優れ、誠実な人柄で皇帝へのお目通りも許され、新進気鋭の二十六歳だが、今はアルスラーダの前で、力なくうなだれていた。
「閣下。最初ハンスは自分で向かおうとしたのですが、あまりに疲れているようなので、僕が強引に休むように言ったのです」
見かねたイグナーツが庇い立てした。アルスラーダが口を開こうとしたが、アールファレムは軽く右手を上げた。
「時間がない。ハンス、今後は必ず自分で私に届けろ。次はないからな」
「この様な無様な失態は二度とおかしません。陛下、本当に申し訳ありませんでした」
「よろしい。この後すぐにも出立するが、体調はどうだ?」
「有り難うございます。体調はもう問題ありません。是非お伴させて下さいませ」
「分かった。大事な話があるので、部屋の外で待っていてくれ」
ハンスは最敬礼をして、踵を返し退室していった。
「イグナーツ、シャリウスのジェラルド王が崩御なさった。我々は至急帝都に戻る事になった」
イグナーツとリッケンは想像もしない知らせに目を丸くした。今後の世界情勢は変わらざるを得ないだろう。
タヘノスに寄航する外国籍の船の中でも、同盟国だけあってシャリウスの割合は群を抜いて多い。その他の国の船も、シャリウスに必ず寄航してくる。勿論ガルフォンの船も例外ではない。
もしシャリウスが不安定になれば、タヘノスに真っ先に余波が来るだろう。物資が滞れば、ガルフォン全体に影響が出る。アールファレムがイグナーツにいち早く情報を洩らしたのは、早目の対応が必要だからである。
「この話はいずれは広まるだろう。部下にいつ、どこまで話すかは、判断に任せる。当面は情報収集を積極的に行ってくれ。気になる情報は中央に報告するようにしてくれ」
「かしこまりました」
「さてここからが本題だ。ここからの話は口外しないでくれ」
アールファレムの前置きに、イグナーツとリッケンは頷きながらも、居住まいを正した。
「イグナーツは既に知っているが、若旦那の正体はミュスタン国王リベリオだ」
リッケンは驚きながらも、ようやく得心がいった。
「来年になると思うが、ミュスタンとガルフォンは同盟を締結する予定だ。ミュスタン商船がタヘノスを拠点とした商業活動を行う事を許可した」
二人が驚愕するなか、港湾工事、造船所、果ては船員、船大工の育成についても詳細な話が行われた。
「国軍が駐留するのですか?」
「ああ、今後のタヘノスはガルフォンの中でも特殊な位置付けになる。イグナーツ、指揮権は勿論、お主にある。こちらはリッケンが主体になるのかな?」
リッケンはとんでもないと慌てて否定した。
「私はただの小隊長に過ぎません。本来ならこの場に同席するのもおこがましいのです」
今までイグナーツの部下は、タヘノスでは格下に見られていた。リッケンが重用されれば、主要なルドルフ派は面白くないだろう。
「リッケン……」
不安そうにイグナーツは、リッケンの服の裾を掴んだ。イグナーツにとって、アールファレムの話は許容範囲を超えていた。リッケンの手助けなしでは、到底なし得ない事は、火を見るより明らかだ。
「うっ……。勿論出来る限りの事はします。ですが、俺はただの軍人です。出来る事など知れています」
三十人規模の部下をまとめるのとは訳が違う。軽々しく返事出来る事ではない。
「主流派の部下の代表は誰になりますか? もしくはそれが可能な人材がいますか?」
アルスラーダはイグナーツに尋ねたが、イグナーツは顔を曇らせた。
「テオが兄上の右腕だったんですが、昨夜、出奔しまして行方は分かっていません。内政に関しては、元々僕がかなり担当していたので、兄上の部下とも上手くやっていけると思います。どちらかといえば軍関係の方が自信がないので、リッケンには僕の補佐をして欲しい」
イグナーツは途中からリッケンの方を向いて、助力を乞うた。
「私からも頼む。イグナーツを助けてやってくれ」
アールファレムは、座りながら軽く頭を下げた。
「と、とんでもない。私のような者に勿体ない事です。どうか頭をお上げ下さいませ」
リッケンは狼狽して立ち上がって、懇願した。
「引き受けてくれるか」
「我が命はイグナーツ様に捧げております。お望みのままに従います」
「リッケン、ありがとう」
イグナーツも立ち上がると、リッケンの手を両手で握ると、大きく上下に振り回した。リッケンが少し照れたように微笑み、主従が絆を再確認するなか、アルスラーダが眉をひそめているのに、リベリオが気付いた。
「テオの事が心配なのか?」
「ああ。私に復讐してくる分には構わないが、問題はアルファ様に刃が向けられた場合だ」
アルスラーダの危惧にリッケンが謝罪した。
「昨夜、最後に会話をしたんですが、かなり思い詰めていました。正直斬るべきか迷ったのですが、申し訳ありません。俺には出来ませんでした」
「簡単に同僚を殺せる方がどうかしている。気にやむ事はないさ」
アールファレムはそう言ったが、アルスラーダとしては簡単に同意出来ない。ことがアールファレムの安全に絡むだけに、昨日テオを生かしておいた事が悔やまれた。
「私の命を狙う奴なんて、ごろごろいる。今更一人増えたところで、大して変わらんだろうさ」
「それもそうだな。サミュエル君など新たに増えるかもな。ただ警護の薄い帰りは特に気を付けろよ。行きと違って、頼りになる俺が同行出来ないんだからな」
「アルスがいれば心配はいらんよ。それにお前の代わりはハンスが務めるさ」
軽く流すアールファレムだが、リベリオの言葉にイグナーツが反応した。
「サミュエル君というのは、まさかシャリウスの王子の事ですか」
「ああ。アールファレムの才能に嫉妬しているようでな。暗殺まではしないと思うが用心に越したことはない」
不安そうにイグナーツはアールファレムを見やったが、アールファレムは平然とお茶をすすった。
「アルス頼んだぞ」
「かしこまりました」
アールファレムの安全対策は、その一言ですんだ。リッケンが兵士の同行を申し出たが、却下した。
「よし、帰るぞ」
アールファレムは立ち上がると、足下にいたジークを抱き上げた。
「ジーク、船に乗せてやるからな。落ちるなよ」
リベリオはやれやれと肩を竦めると、アルスラーダと顔を見合わした。アルスラーダはイグナーツに馬を譲って貰えるようお願いした。
「馬がなんでいるんだ? まだ元気そうだったぞ」
宿屋からここまで問題なく馬車は走っていた。不思議そうに尋ねるアールファレムの頭を、リベリオが後ろから両手で挟み込んだ。
「俺の分だ」
リベリオは薄情な親友の頭をぐりぐりと押さえ付け、アールファレムは謝りながら、すり抜けようともがいた。
「忘れてただけじゃないか、アルスが覚えていたからいいだろ」
「そんな下らない事は私が処理します。アルファ様は大事な事だけ覚えていて下さいね」
「お前、下らないとはなんだ。俺に歩いて帰れというのか?」
三人がしょうもない話で盛り上がるのを、イグナーツは羨ましそうに眺めた。
「仲がよろしいんですね」
「ふん。付き合ってやってるだけだ」
「ほーう、同盟の話はなかった事にしようかな」
リベリオがふんぞり返って返事すると、アールファレムは勝ち誇った顔で、リベリオを肘でつついた。
「お前、卑怯な事を言うな」
再び楽しそうに罵りあいを始めたが、リッケンは何か考え事をしているようで、イグナーツが問い質した。
「リッケン、どうかしたの?」
「いえ、ハンスさんの乗ってきた馬はどうなさるのかと思いましてね。帰りはハンスさんが馬車の御者役をなさるのかと思ったのですが、違うのですか?」
「そういえば一頭浮いてくるな」
アルスラーダは盲点だったらしく、頭を掻いた。
「という事だ。若旦那、感謝しろよ」
アールファレムが何故か得意気に威張ると、リベリオが反応しそうだったので、アルスラーダが割って入った。
「はいはい。早く港にいかないと、ベッカーが気を揉んでいますよ」
「あのマイヤールに仕えていると、苦労するだろうな」
今回のベッカーの苦労は半分以上、アールファレムの責任の筈だが、自覚はないようだ。
他の面々は賢明に指摘するのを避けた。リベリオでさえ、アールファレムの頭をぽんぽんと叩き、出発を促すにとどめた。




