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41 リッケン隊長の悩める夜

 タヘノスの領主館は朝から喧騒に包まれていた。昨日ルドルフが遺体となり無言での帰還を遂げてからの混乱は、未だに収まっていなかった。

 イグナーツが気丈に振る舞い、後処理を淡々と行う様は見ていて痛々しかった。リッケンを始めとする部下が中心となり、なんとか秩序を保っていた。

 昨夜の宮殿からの早馬には慌てたが、疲れはてて動けそうにない兵士に代わり、レイフを遣わした。さもなければイグナーツ自らが行きそうだったので、リッケンがレイフに押し付けたのだ。

 イグナーツは夕食を断ったが、リッケンは少しだけでもと強引に食べさせた。食後も働こうとするイグナーツを叱り、休むように勧めた。疲れてる自覚はあったので、言葉に甘え休む事にしたが、リッケンは寝室にまでついてきて、イグナーツを辟易させた。


「リッケン、それほど僕は頼りないかな」

「まさか、ただイグナーツ様が心配なんです」

「その、僕はリッケンの事は、信頼しているし、兄代わりだと思っているんだ」

「光栄です。イグナーツ様」

「だけどリッケン、やっぱり僕は女の子の方が好きなんだ」


 少し顔を赤らめ、リッケンの方を窺うイグナーツに、リッケンは大きく後ずさった。


「ごっ、誤解です。お、俺はイグナーツ様が眠れるか心配で、その、何かあればお呼びください!」


 言葉巧みにリッケンを寝室から追い出すと、イグナーツは深い溜め息をついて寝台に突っ伏した。リッケンが心配してくれるのは有り難かったが、ずっと一人になりたかったのだ。涙は枯れ果てるほど流した筈だが、喪失感は増すばかりだ。

 本当に自分に出来る事はなかったのだろうか? 兄が最期に自分に何か伝えようとしたように思えたのは、自分の願望だろうか? とるに足りない相手と見られていようが、いつかは認めて貰えるよう努力してきたつもりだ。だが永遠に機会は失われた。

 理解しあえないままルドルフは逝ってしまい、残された自分はこれからどうしたらいいのだろうか? 

 明日からは兄の補佐ではなく、自分が領主代行となり、統治しなければならない。自らの責任で何も為した事のない自分が、タヘノスの領主代行となる。責任の重さに押し潰されそうだった。

 自分が正式に領主となるかはまだ分からない。ならなければリッケンは怒るかも知れないが、それでもいいかもしれない。兄を死に追いやり、その後釜に自らが座るなど誰が許しても、自分が許せない。

 だが悩んだところで、全てはアールファレムが決める事で、自分に選択権はない。アールファレムはイグナーツの従兄弟だが、あまりにも差がありすぎて、未だに血縁である事が信じられない。

 様々な考えが頭の中を廻り、中々眠れそうにはなかったが、疲労していたのだろう。気付かぬ内に深い眠りにつくイグナーツだった。




 イグナーツの寝室を飛び出したリッケンに、レイフが声をかけた。


「あれっ隊長、そんなに赤い顔をして、どうしたんですか? まさかついにイグナーツ様に手を出したんじゃないでしょうね?」


 リッケンはすかさず、レイフの首を脇に挟み込み、押さえ込んだ。部下への暴力は厳禁だが、リッケンはちゃんと加減はしている。暴力と愛のある指導との線引きは非常に曖昧である。


「じょ、冗談ですって、そんな態度とる方が怪しい……」


 言えば言うほど、首が痛む事を、身をもってレイフは知ることになった。可愛い部下を軽く痛め付けて、すっきりしたリッケンは、レイフを解放すると、ようやく口を開いた。


「随分遅かったな。宿にいらっしゃらなかったのか?」

「いえ、さっさと渡してきましたよ。晩飯がまだだったので、すませてから報告にきました」


 レイフはこういう奴である。リッケンは怒鳴りそうになったが、イグナーツの寝室に近いので、辛うじて言葉を呑み込んだ。


「今度からは先に報告をしろ! それで内容はなんだった? 教えてくださったか?」

「まさか。すぐに追い出されましたよ。でもあまりいい内容ではなかったようですよ。フィリップ様は読み終えると手紙を握り潰していました」


 流石のレイフも皇帝の名前を出さず、偽名で呼ぶぐらいの分別はあった。

 レイフを労い、リッケンは壁にもたれ掛かった。立ち去るレイフを視界の隅で見送りながら、リッケンは思考に耽った。

 早馬でくる報せなど大体ろくなものではない。だが帝都で何があろうと、それほどイグナーツには影響はないだろう。問題はそこではなく、使者が真っ直ぐ、ここに来たことが重要だった。つまり皇帝の目的がタヘノスだった事になる。目的がルドルフの処分だとは思えない。最初から分かっていれば、兵士を同行させた筈である。

 だとすると怪しいのは、あの若旦那という人物だろう。彼は何者なのだろうか? 皇帝とはかなり親しい関係に見えた。何せ呼び捨てにしていたくらいだ。そんな人物の存在など今まで聞いた事はなかった。彼はいったい何者で、何しにタヘノスに来たのか、さっぱり分からなかった。マイヤール会長が同行していたのには意味があるのだろうか? 

 だが断言してもいい。あの男は商人ではない。ルドルフと相対していた彼は場数慣れしていた。ただ単純な軍人とも思えぬ異質なものを感じる。マイヤール商会の取引相手なのだろうか? 

 マイヤール商会の事はルドルフは嫌っていたようだが、タヘノスでも大きな影響力がある。商売がらみとなると、リッケンの管轄外だ。だがイグナーツを守る為には、苦手だとか言っている場合ではない。皇帝の思惑が何か分からないが、もしイグナーツが領主になれなくても、リッケンはイグナーツの側にいる。それは決定事項だ。

 万一連座して責任を追究されるような事になっても、イグナーツの命はとらないだろう。独身でお人好しのイグナーツには王族としての利用価値がある。あまり酷い事はしないと思いたいが、昼に垣間見たアルスラーダの躊躇ない一撃は目に焼き付いている。皇帝の意思はつまりそういう事だ。逆らう者は、王族であれ容赦しない。

 イグナーツに叛意がなくとも、いくらでも捏造は可能だ。玉座は一つ、アールファレムを崇拝する誰かが、今回のルドルフの謀反で危惧を抱き、王族を排除しないとも限らない。

 リッケンは頭を振って、何の根拠もない考えを打ち消した。何も起こっていないうちから、あまりに悲観的過ぎたからだ。


「隊長、何を企んでるんですか? 夜這いは駄目ですからね」

「隊長を逮捕なんて洒落にならないです」


 二人の部下が通り掛かったが、この先はイグナーツとルドルフの寝室しかない。

 軽く二人の頭を叩いて、訝しげな視線を向け、説明を促した。


「今日はいろいろあったんで、立哨が必要だろうと話し合ったんです。我々が交替で務めますので、隊長は休んで下さい」

「そうそう。隊長は歳なんですから、睡眠不足は良くないですよ」


 こういう軽口を叩くのが、気を遣わせないための部下達の優しさなのは分かってはいる。たまには素直に誉めさせて欲しいのだが、自分に内緒でそうさせない決まりごとでもあるのかと、勘繰りたくもなる。

 リッケンは軽口は聞かなかった事にして、気になっている件を尋ねた。


「テオはどうしている?」

「いくら言っても御遺体の側から離れません。食事はおろか、睡眠も取らないようです。こうなってはイグナーツ様に頼むしかないでしょう。……ですが正直なところ、それが一番心配なんです」


 今、一番イグナーツに敵意を抱く可能性があるのは、テオだろう。騙し討ちになったのはもとより、そもそもイグナーツの告発がなければ、ルドルフは今も健在だっただろう。逆恨みだが、皇帝やアルスラーダには手を出せない分、イグナーツに向かう可能性があった。部下達も、それを危惧して警護を申し出たのだろう。リッケンがこうして廊下で見張っているのを予想していたに違いない。まったくよく出来た部下だが、惜しむらくは、ほぼ全員口が悪い。


「まぁ、大丈夫と思いたいが、すまんが頼んだぞ」


 二人の肩を叩いて立ち去ろうとするリッケンに、部下が追い打ちをかけた。 


「隊長の愛しのイグナーツ様には指一本触れませんので、安心してください」


 リッケンは足取りを乱しながら、自室に向かった。否定するのも馬鹿馬鹿しい。無論、リッケンの抱いている思いは、決して恋心などではない。隊員達からは、冷やかされる事も多いが、リッケンには過去に女性の恋人もいた。振られた原因は、貴方は仕事ばっかりで構ってくれないというものだった。リッケンの仕事とは、イグナーツを守る事だから、どちらを優先するかリッケンが迷う事はない。部下に言わせれば、女よりイグナーツを選んだ事になるが、それは違う。リッケンにだって人並みに結婚願望はある。

 ただイグナーツは別枠なのだ。やはり忠誠というのが一番近いのだろう。

 自室に戻るつもりだったが、いつの間にか通り過ぎ、気が付けばルドルフの遺体を安置している部屋に足を踏み入れていた。報告通りにテオは動かず、陰鬱な表情を浮かべ、椅子に座っていた。リッケンが入ってきたのに気付いていない筈もないが、微動だにしなかった。

 血塗れだったルドルフの遺体は綺麗に拭われ、首の傷は見えないように巧妙に隠されていた。暫く黙祷してから、リッケンはテオに視線を向けた。

 沈黙に耐えきれず、リッケンが部屋を出ようとすると、テオがやっと口を開いた。


「安心してくれ。イグナーツ様を恨みはしない。ルドルフ様は皇帝に刃向かったのだから、こうなるのは必然だった」


 リッケンは言葉の続きを待ったが、それ以上は喋る気はないのか、再び沈黙が続いた。


「納得出来たのか」

「…………イグナーツ様が死ねば、お前にも分かるさ」


 ぞっとするような笑みを浮かべ、テオは呟いた。リッケンは剣に手が伸びそうになったが、握りこぶしを作ることでなんとか堪えた。


「イグナーツ様は皇帝陛下を敬愛しておいでだ。反逆などあり得ない」

「それはそうだろうよ。何せ実の兄を皇帝に売ったのだからな」


 負の感情を剥き出しにするテオを、このまま野放しにするのは危険過ぎた。


「ルドルフ様が罪を犯したのだ。イグナーツ様はそれを正されただけだ。恨みはしないと先程言ったのは嘘か!」


 リッケンはいつでも抜刀出来るように身構えたが、テオに戦意はないようだった。


「恨みはしないさ。ただこれ以上ここに留まる理由はない」


 テオは立ち上がり、ルドルフの遺体に近付くと、すらりと剣を抜いた。リッケンが警戒するなか、ルドルフの髪を一房切り取った。それを大事そうにハンカチでくるむと懐にしまい、暫くルドルフの顔を眺めていた。


「葬儀には出ないつもりか」

「意味がない。じゃあな」

「待て、まさか皇帝陛下に復讐するつもりじゃないだろうな」


 テオは最後に敬礼を施すと、リッケンの問いに答える事なく、去っていった。


「くそっ! ルドルフ様、あんたのせいだぞ」


 リッケンは毒づいたが、ルドルフはもう何も語らない。

 この先テオが復讐者となるのか、第二の人生を別の場所で歩むのかは分からないが、出来れば後者であって欲しいと切実に願うリッケンだった。


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