37 若きリベリオの悩み
「フィリップ様、いらっしゃいますか?」
アルスラーダは軽くノックすると、返事も待たずに部屋に入った。
アールファレムは寝台でまどろんでいたようで、目を擦りながら身を起こし、端に腰掛けた。
「寝台で休むなら、服ぐらい着替えて下さいませ」
「……ふぁー。旅先でまで硬いこと言うなよ。それに服装ならアルスの方が酷いぞ。風呂に入ったらどうだ」
「確かにそうですね。ですがその前に失礼します」
アルスラーダはつかつか歩みよると、アールファレムの前で跪き、右手をとり、そっと唇を押し当てた。
「ファビオの事、気にしていたのか」
アールファレムは空いた左手で、アルスラーダの黒髪を慈しむように優しく撫でた。硬い髪質すらもいとおしかった。
「あんな軽薄な男が、私のアルファ様に触れるなど許せません」
アルスラーダは顔を上げると、まっすぐアールファレムの蒼い瞳を見詰めた。
「私のアルファ様か。ふふ、少し前のアルスからは考えられないな」
「自分の感情に素直になる事にしましたから」
視線が絡み合い、アルスラーダはアールファレムの両頬を手で包み込んだ。顔をゆっくりと近付け、唇が触れようとしたその時、ジークが急に吠え出した。アールファレムはくすくす笑いだして、扉を指差した。
「先に風呂に入ってくるんだな」
「……邪魔な男が帰ってくるじゃないですか」
アルスラーダは渋々引き下がり、ジークを一睨みして、部屋を後にした。
アールファレムはジークを手招きして、抱き上げた。
「お前は私を守るつもりか? アルスは私の味方だ。警戒する必要はないぞ」
ジークを顔の前まで持ち上げると、尻尾を振りながら、アールファレムの鼻を舐め出した。
「ふふっ、くすぐったいな。ジーク、アルスにばれたらただじゃすまないぞ。流石に犬にまで嫉妬はしないかな」
アルスラーダの独占欲はアールファレムにとって、大変心地よかった。にやけ顔を浮かべながら、ジークに話し掛けていると、再びノックの音が響き、リベリオが戻ってきた。
「あれっ? アルスが先に戻った筈だが」
「風呂に入りにいった」
「なるほどな。あの格好は酷かったからな。あいつは相変わらず凄いな」
リベリオは寝台の横に椅子を引っ張ってきて、腰掛けた。
「ああ。あいつは私を守る為なら、殺す事を躊躇しない」
「それが分かっていればいいさ。……色々疲れたな」
「ありがとう。お陰で助かったよ」
「気をつかうような仲じゃないだろう」
リベリオは照れて髪を掻き回した。
「中座して悪かったな」
「お前は面倒になると逃げやがって」
リベリオが軽くアールファレムの首を絞めると、間に挟まれたジークが慌てて逃げ出した。アールファレムはジークを目で追いながらも、軽くリベリオの顔を叩いた。半ばリベリオに押し倒されたような体勢だったが、気にせず会話を続けた。
「ははは、よせよ。あいつが私を気に入る理由は顔だけだ。そんな奴の相手をするのは苦痛でしかない。まぁ今後は利用させてもらうが、基本的には会うつもりはない」
「お前の真価は中身にこそある。あいつが本当のお前の事を知れば、ますます手がつけられなくなるだろうな」
「それほど大層な中身は持ち合わせていないさ。従兄弟を死に追いやっても、涙も出ない程の冷血漢だ」
自嘲して言ったが、殺した事を後悔はしていなかった。イグナーツの事は気の毒に思いはしたが。
「いちいち気にしていたら、王なんて務まらんぞ」
「そういう事だ。ただ後味の悪さはどうしようもないな」
「まあな。いくら慣れてるとはいえ気持ちのいいものではない。……テオには気を付けた方がいい。復讐を企むかもしれん。動きを見張らせておけ」
リベリオが真顔で忠告するので、アールファレムは笑おうとして失敗した。頭を掻きながら、リベリオを押して椅子に座らせた。
「リッケンに頼んでおくよ。イグナーツには向いていないだろう」
「それがいいだろうよ。イグナーツを後任に据えるのか?」
今後のタヘノスの事を考えれば、少々頼りない印象がある。リベリオのつけこむ隙があるのは結構だが、最低限の力量は持ち合わせてくれなければ困る。
「正直まだ決めかねている。だが民意を考えるとイグナーツが妥当だとは思う。補佐役に優秀な人物をつけるのが最善だろう。適任がいればいいが、リッケンは軍人だからな。文官が望ましいな。いないなら中央から回すが、上手くいくかどうかは、やってみないとな。明日イグナーツと話してみるよ」
「それなんだが……」
リベリオはラジエンデ号の話をアールファレムに伝えた。
「悩ましいな。適当に処理する訳にはいかんが、二日も短縮できるのは大きい」
眉間を寄せて悩むアールファレムも、なかなか魅力的だった。リベリオは先程からの親密な絡みを、急に意識してしまい、再び良からぬ感情が沸き上がってきた。寝台が目の端に入り、慌てて窓際に身を移動させた。リベリオの足元にジークがじゃれついてきたので、身を屈め頭を撫でて誤魔化した。
「当初の予定通り、取り合えずはイグナーツに任せよう。戻ってルーヴェルとも相談してみるよ」
アールファレムが立ち上がると、リベリオはジークを前につきだし、盾代わりにした。
アールファレムは親友の不審な態度に、首を傾げて、詰め寄ろうとしたが、何故かリベリオはじりじりと後ずさった。
「ん? 何で逃げるんだ」
「いや、逃げてない」
まさか本当の事を言うわけにはいかないリベリオは進退極まり、視線をアールファレムから逸らすのがやっとである。
リベリオより背の低いアールファレムは下から顔を覗き込み、強引に目を合わせた。リベリオが内心、悲鳴を上げたところで救世主が現れた。
「何をしているのですか?」
風呂上がりのアルスラーダは、じっくり二人の様子を観察した。
やや赤らんだ顔をして、ばつが悪そうに目を逸らすリベリオを冷たい視線で射抜き、だいたいの状況を察知した。
救世主が一転し、憤怒の鬼神と化した。リベリオにとって事態は急速に悪化しつつある。
「随分早かったな。たまにはのんびりしてもいいんだぞ」
「油断ならないミュスタン人から、アルファ様をお守りする必要がありますのでね」
アルスラーダの言葉の端々に刺がちりばめられ、リベリオに突き刺さった。
「ファビオが宿までくる筈ないだろう」
アールファレムは鋭いかと思いきや、割りと鈍いところがある。
「ファビオも来たがったが断っておいたぞ」
リベリオはアルスラーダに向かって誇らしげに言ったが、冷たい視線に変化はない。
「アルス、明日ラジエンデ号で帰る事にした。丁度出港するらしい」
「イグナーツ様のところに顔を出さないのですか?」
「朝、寄ってから港に向かおうと思う」
「かしこまりました。リベリオはどうする?」
「港まで付き合うよ。ファビオ達とは港で待ち合わせしているからな」
「一緒に帰るのか? どうせエリス狙いだろう」
アールファレムはリベリオを肘で小突いた。
「それがなかなか手強いんだ。じっくりおとすさ」
リベリオはアールファレムに感謝しながら、話に乗ったが、アルスラーダからの視線に依然変化はない。
「アルス。俺は三十歳、お前は二十二歳。八歳も年長だ。そこのところ分かっているか?」
「下半身をしつけてから言ってもらおうか」
思わずジークで下半身を隠し、アールファレムに思いっきり殴られるリベリオだった。
「ジークが汚れるわ!」
アールファレムはジークを取り上げると、リベリオを睨み付けた。
「冗談だろうが、そんなに怒るなよ」
リベリオは、頭を擦りながら宥めようとした。
「下品過ぎる。いっそのこと去勢してやろうか!」
「きゃいん!」
アルスラーダの一言で、リベリオは体の一部を縮み込ませ、内股気味でアールファレムの後ろに逃げ込んだ。
「まったくお前という奴は」
アールファレムは呆れながらも、どこか楽しそうだった。
アルスラーダはアールファレムさえよければ、他はどうでもいいので、矛を収める事にした。
ようやく落ち着いた頃、マイヤールがやって来た。
「陛下。ご所望の品をお持ちしました」
マイヤールは持ってきた包を丁寧にほどき、三つの品をテーブルに並べた。
「中々見事な品だな。誰かに贈るのか?」
リベリオは三点の中から短剣を手にとり、鞘から抜いた。
「ああ、どうやら土産を買う暇がなさそうなので、倉庫でマイヤールに頼んでいたんだ」
アルスラーダは記憶を探り、マイヤールの立ち去り際にアールファレムが耳打ちしていたのを思い出した。
「一つはルーヴェルとして、後は誰の分だ?」
マイヤールが用意したのは、珊瑚の見事な装飾が施された短剣、イルカを型どった綺麗なペンダント、アクアマリンの指輪の三点だ。
「シルヴィンとフィリップの分だ」
「確かに今回フィリップは大活躍したからな。名前の使用料は必要だ」
どれが誰の分の土産かは大変分かりやすい品だった。
リベリオは短剣を鞘に戻しながら、アルスラーダが機嫌悪そうにしているのに気付いた。
「まだ怒っていたのか?」
「別に怒っていない」
そう言いながらも、短剣を忌々しげに持ち上げて見せた。
「お気に召しませんか?」
マイヤールは他の候補も持ってくるべきだったと悔やんだが、アールファレムが否定した。
「いや、これでいい。アルスはシルヴィンが気に食わないだけだ。気にするな」
「あれっ、不仲だったか?」
「気に入らないだけだ。奴に土産なんて要らないでしょうに」
「シルヴィンと約束したのをアルスも聞いていただろう。まったく、もう。アルス、拗ねるな」
「……はい」
マイヤールは、今後アルスラーダの前では、シルヴィンの話題は避ける事にした。
リベリオは興味津々のようだが、言及は避けた。アールファレムが視線で訴えていたからだ。
リベリオはなんとなく手持ちぶさただったので、マイヤールの禿げ頭を撫でた。頭頂部は見事につるりとしており、後方に僅かに残された白髪混じりの髪を、マイヤールはとても大事にしていた。
マイヤールは抗議する訳にもいかず、悲しそうな目でリベリオを見上げた。
「今、何歳なんだ?」
「五十歳です」
リベリオの受けた衝撃は中々のものだった。
アルスラーダは気の毒に思ったが、ちらりと視線を送っただけで、無言を貫き、自分の髪をそっと触った。
アールファレムはというと、自分は禿げる心配はないので、面白がってジークをマイヤールの頭に載せようとしたが、ジークは嫌そうに踏ん張った。勿論マイヤールはもっと嫌だったので、後ずさった。
「三十台前半から後退し出して、四十歳過ぎる頃には今の髪型になりました」
「三十台前半!」
リベリオは思わず自分の髪に手をやった。
「父親はふさふさでしたが、祖父が同じ禿げ方をしていました」
マイヤールは言いながら、だんだん悲しくなった。何故、自分の禿げ頭の説明を皇帝の前でしなくてはいけないのか、リベリオを恨みがましい目で見詰め、反撃にでる事にした。
「リベリオ陛下の髪質は私と同じく軟らかいですな」
剛毛のアルスラーダは密かに胸を撫で下ろした。アールファレムも、アルスラーダの髪を触って確認していた。
「うっ! アールファレムの方が軟らかいぞ」
「アルファ様は大丈夫です」
勿論、女性であるアールファレムは、禿げる心配はないが、二人が知る筈がない。
「まぁマイヤール、気にするな。髪と金にがめつい事を除けば、お主はいい奴だ」
アールファレムの発言は、まったく慰めになっていなかった。
宿屋の主人が食事の支度が出来た事を告げにきて、一同は場を移した。
移動中アールファレムは楽しそうにマイヤールの頭を撫でていた。諦め顔でされるがままのマイヤールだったが、アルスラーダが土産代金の話を切り出すと、笑顔が戻った。
「現金な奴だな」
リベリオは感心したが、値段は更に感心する値がついていた。
「おうっ! まぁあれだけの品だからな」
「今回は儲けは度外視しています。ほぼ原価です」
残念ながらマイヤールの言葉を信じる者はいなかった。アルスラーダは皮肉な笑みを浮かべながら、代金を支払い、マイヤールは恭しく受け取った。




