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36 ファビオの奇行

 マイヤールの部下の案内で、一人の青年が女性の従者と共に、部屋に入ってきた。

 アールファレムは興味津々で目の前の青年を眺めた。細面の綺麗な顔立ちの青年で巻毛の髪は夕焼けのような、鮮やかな茜色をしていた。女性と見紛うばかりのぱっちりとした睫毛が若葉色の大きな瞳を際立たせている。

 青年は部屋の面々を見渡し、リベリオの姿を見て僅かに目を見開いたが、隣のアールファレムに視線をむけると微動だにしなくなった。


「ファビオ様? ファビオ様、帰ってきて下さい!」


 従者が必死にファビオを揺さぶったが、ファビオは硬直したまま、アールファレムから目を逸らさなかった。

 だが突然、一筋の涙を流すと、ふらふらとアールファレムに近付いた。

 アルスラーダは予想を遥かに超える危険人物を警戒し、アールファレムを庇おうと立ち上がりかけたが、アールファレムが制した。

 皆が注視する中、ファビオは大胆にも、長椅子の前に置かれたテーブルを大きくずらし、アールファレムの前に身を割り込ませた。アルスラーダは剣に手を掛け、いつでも抜刀できる態勢だ。

 ファビオは跪くと、ジークを抱くアールファレムの手を恭しく手に取った。アールファレムが抵抗しないのをいいことに甲に軽く口付けると、頬擦りをし出した。

 リベリオとアルスラーダがほぼ同時に、ファビオの頭を思い切り殴り付けた。


「何をするのですか!」


 ファビオは何故殴られたのか、本当に理解出来ないようで、心外そうに頭をさすった。


「こちらが言う台詞だ。何の真似だ」


 アルスラーダは斬られなかっただけましと言わんばかりに、ファビオを追い払い、ずれたテーブルを戻した。

 ファビオはようやくアルスラーダに気付いたようで、血塗れの服を見て眉を寄せた。


「随分悪趣味な格好ですね。ガルフォンでは流行っているのですか?」


 怪訝そうに問い掛けるファビオに、アールファレムは我慢しきれなくて笑いだした。ひとしきり笑うと、涙を拭いながらアルスラーダの代わりに謝罪した。


「アルス相手に大したものだな。すまない。部下の非礼は私が詫びよう。着替える時間がなかったんだ。貴殿を待たせるのも悪いと思ってな」

「……声までお美しいのですね。まったく罪な御方だ。謝罪などとんでもない。待てと仰るなら、何日でも待ちましょう。貴方が何をなさろうとも私は全て容認して見せます。このファビオ・デムーロ、貴方の忠実な僕です」


 マイヤールは頭痛がしてきた。この風変わりな男と今後上手くやっていける自信がなかった。


「えーと、ファビオ殿? そろそろ本題に入らせていただきたいのだが宜しいかな」


 マイヤールはアルスラーダの機嫌がこれ以上悪化する前に、話の流れを変えたかった。既に手遅れだったが。

 ファビオはマイヤールの方を、ようやくまともに向いた。


「これは失礼しました。運命の相手に出会えて舞い上がってしまったようです。貴方がマイヤール会長ですね。初めまして、ファビオ・デムーロと申します。以後お見知り置き願います」


 前半の部分に少々引っ掛かる部分はあったが、どうやらまともな会話も出来るようで、安堵した。もっともアルスラーダの眉間には深い皺が刻まれていたが、マイヤールは気付かなかった……事にした。


「こちらにおいでの理由をお伺いしたい。私の方はリベリオ陛下に協力を依頼され、快諾したところです」

「なるほど、マイヤール殿と手を組まれたのですね。私はリベリオ陛下お一人にお任せするのは申し訳ないので、様子を窺いにきたのです。大手であるマイヤール商会に挨拶にきたところで、まさか陛下にお会いできるとは夢にも思いませんでした。それでリベリオ陛下、そちらの御方を紹介して頂きたいのですが、宜しいですか?」


 リベリオの方を向いていたが、頬を染めながら、ちらちらとアールファレムの方に視線を送っていた。商売は大事だが、それ以上にアールファレムが気になって仕方無かった。


「私はアールファレム。リベリオは昔からの友人だ。今後よろしく頼む」

「アールファレム様とお呼びしても宜しいでしょうか?」


 うっとりしているファビオを再び女従者が揺さぶった。


「呑気な事を言っている場合ですか! 分かっているんですか? ガルフォン帝国の皇帝陛下ですよ。これ以上の粗相は止めて下さい」


 女従者はアールファレムの名前を聞いて、一気に血の気が引いた。ファビオの病気はどうしようもないが、流石に相手が悪すぎた。皇帝の機嫌を損ねないうちにファビオには正気に戻ってもらわねば困る。ましてや隣の血塗れの男が、今にも抜刀しそうな勢いで、こちらを睨み付けているのだから。


「エリス。まさか最初から分かっていなかったのか? これほどお美しい御方は、アールファレム陛下以外あり得ないだろう。噂通り、いや噂では陛下の魅力の半分も伝わっていないな。まったく私は今まで無駄に人生を過ごしていた。何故私はミュスタンなんかに生まれたのだ!」

「なんだったら追放してやろうか? そろそろ飽きてきた。真面目にしろよ」

 

 最初は面白がっていたリベリオだが、話がまったく進まないのに苛つき机をどんっと叩いた。

 ジークがびくっと震えるのを、アールファレムは優しく宥めた。


「私は席を外そう。アルス、後は任せたぞ」


 アールファレムはジークとともに、さっさと部屋を後にした。

 ファビオはがっくり肩を落として、マイヤールの隣に座った。


「まぁまぁ、陛下は怒ってはいないと思いますよ。ただ退屈……こほん。些事にはこだわらない御方ですからね。後は我々に任せて下さったのでしょう」


 リベリオが飽きたように、アールファレムも飽きたのだろう。付き合いの長いマイヤールには、容易に予想できた。

 お茶が運ばれ、マイヤールは部下に礼を言って一息に飲み干した。ちょうど喉が渇いていたのだ。





「フィリップ様はどちらに行かれた?」


 話が済んだアルスラーダは、店内を見渡したが、アールファレムの姿は見えなかった。


「先に宿に戻ると伝言を預かっております」


 アルスラーダはしっかり服を隠し、顔も洗っていた。リベリオが忠告したのだ。その為、店員も普通に対応できた。


「不用心な!」


 アルスラーダは急いでアールファレムの後を追った。眉間の皺が定着化しそうだった。

 

「若旦那様。私も御一緒しても宜しいでしょうか?」


 この後マイヤールが、アールファレム達と食事を共にすると聞いたファビオは、期待しながらリベリオに伺いを立てた。


「駄目に決まっているだろうが。お前を連れていったらアルスに殺されるわ! ある程度は予想していたが、もう少し普通の対応が出来ないのか? 何が運命の相手だ。少しは空気を読め!」

「あれほどお美しい御方を前にして、平然とできる方が異常でしょう。ああ、一度でいいから私の名前を呼んで欲しい」


 陶酔状態のファビオをエリスは、遠い目で見ていた。今まで以上の熱病っぷりに今後が思いやられた。


「エリス、苦労するな」


 リベリオがエリスの肩に手を置くと、エリスは顔を強張らせ、体を固くした。以前王城を訪れた際、リベリオはエリスを口説いた。国王の女癖の悪さは重々承知していた。リベリオにとっては遊びと分かっているだけに、相手するのも馬鹿らしかった。主人であるファビオといい、リベリオといい、エリスの周囲にはろくな男がいない。

 露骨に溜め息をつき、リベリオを冷たい眼差しで見詰めた。リベリオはすごすごと手を離し、ファビオに挨拶した。


「じゃあまたな。ミュスタンで会おう」

「いつこちらをお発ちになられますか?」


 ファビオの問いにリベリオは首を傾げた。


「もうあらかた用件はすんだからな。フィリップ次第かな。あいつはいろいろ後処理があるだろうからな。二、三日以内だと思う」


 ルドルフの葬儀までは滞在しないにしても、明日は領主館に顔を出す必要があるだろう。リベリオは取り合えずは最後まで付き合うつもりだった。


「帰りは同行しても宜しいでしょうか?」


 ファビオの申し出を断る理由はない。リベリオは二つ返事で頷いた。エリスの方を見ているようだが、エリスの気のせいに違いない。エリスは帰路の苦労を思うと、胃が痛くなってきた。


「二、三日ですか? それは残念ですな」


 会話を聞いていたマイヤールが、口を挟んだ。


「何が残念なんだ?」

「明日ならラジエンデ号に、フィリップ様に是非ともご乗船して頂こうと思っていましたので」

「あの船か! デルレイア近くに寄港するのか」

「勿論です。帝都に行くには一番早い経路ですからね。ログプールに寄ります。ラジエンデ号なら二日で到着できます」

「ログプールからデルレイアまで三日かかるとして、二日も短縮できるのか。出港はいつ頃の予定になる?」

「昼前頃に予定していますが、多少なら融通しますよ」


 ちょうど顔を出していたベッカーが、目を剥いたが、マイヤールの意向に逆らえるはずもなく項垂れていた。


「その方が安心だな。あいつら二人だけだと危なっかしいからな。返事は明日で間に合うか?」

「ええ。朝に宿に出向きましょうか?」

「ふむ。今から会うんだから、直接聞いたらどうだ?」

「それもそうですな。私はまだ小用がありますので、先にお戻り下さいませ。私は後で参ります。護衛を用意しましょうか?」

「いらん、いらん。ファビオはどうしようかな? 明日取り合えず港で待っていてくれ」

「かしこまりました。出来ればフィリップ様にもう一度、お会いしとうございます」

「確約は出来んな。それじゃあエリス、また明日」


 懲りずにリベリオはエリスの頬に軽く口付けしようとして、なんなく躱された。


「若旦那様、さようなら」


 刺々しい挨拶に見送られ、リベリオは去っていき、ファビオ達も引き上げた。

 ベッカーは客人が全員立ち去ったのを確認して、マイヤールに声を掛けた。


「少し聞こえてきたのですが、御乗船なさるのはフィリップ様とアルス様だけですよね?」


 鬼気迫る勢いでマイヤールに詰め寄った。一行に新たに珍妙な人物が増えているのを警戒したのだ。


「ああ。特別室を一応空けておいてくれ」

「会長に利用してもらうつもりだったのですが」

「私は一等室でいい。フィリップ様は我が商会にとっては、一番大切な御方だ。最優先にしてくれ」


 ラジエンデ号には一等貴賓室が五部屋あり、更に特別貴賓室が一部屋だけ存在した。

 幸い明日からの航海では、貴賓室に空きがあったので、対応は出来そうだった。


「会長、お待たせしました。こちらでどうでしょう?」


 マイヤールが待ちわびていたものを、部下が次々と机の上に並べた。暫く吟味し、その中から三点を選んだ。


「丁寧に包んでくれ」


 小用を済ませたマイヤールはほくほく顔で、包みを大事に抱え宿屋に向かうことにした。





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