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32 イグナーツとリッケン

 港近くの食堂に着いたが、まだリッケン達は来ていないようだった。店内はほどほどに混み合っており、五人は先に注文を済ませる事にした。注文を通すと、暫くして兵士の六人組が入店し、隣の席に座った。


「イグナーツ様、この様なところでお昼とは珍しいですね。ご友人ですか?」

「リッケン! よかった。会えなかったらどうしようかと心配していたんだ」


 イグナーツはリッケンがこない場合、どうしようかと内心不安だったのだ。リッケンは見るからに歴戦の戦士といった風貌をしており、背はアルスラーダと同じくらいだが、厚みはリッケンの方が三割増しぐらいあった。隊員との仲も良好で皆から信頼される三十五歳独身である。


「何か問題があったのですか?」


 リッケンは、さりげなくイグナーツと同席する異質な連中の品定めを行った。商人風の男と頭にバンダナを巻いた貴族の若様が一人。若様は今まで見た事のないくらい綺麗な男だ。残りの二人はどう見ても堅気ではない。黒髪の男は間違いなく手練れで、向こうもこちらの様子を窺っているのが、容易に見てとれた。若様の従者といった辺りだろう。もう一人の茶髭のバンダナ男はお調子者っぽい、軽い印象の色男で、どこか違和感がある。あまりじろじろと見るのも失礼なので、イグナーツに視線を戻した。

 自分を待っていたという事は、彼らと揉めたのか? お人好しのイグナーツが事件に巻き込まれたのではないかと、リッケンは心配になってきた。


「力を貸して欲しい。この場ではとても話せない内容なんだ。出来れば隊員の皆にも協力して欲しい」

「勿論です。イグナーツ様、他の隊員も集めた方がいいですか? 良かったら別の隊の連中にも声を掛けますがどうします?」

「小隊全員の力を借りたい。内密にしたいんだ。他の隊にはばれないように集めて欲しい」

「承知しました。おいレイフ、分かったな!」

「はい。でも内密にってどうします? こんな狭い店に集めるんですか?」

「レイフ! 狭いは余計だ!」


 店の奥から店主の野次が飛んできたので、レイフは肩を竦めた。


「港のマイヤール商会の三番倉庫に集まって下さい。既に我が商会の者が待機しております。フィリップ様の名前を出してもらえれば、通すよう申し付けてあります。なるべく人目につかないようにお願いします」


 マイヤールがレイフに説明をしたが、まだ動こうとしなかった。


「どうした? 早くいけ!」

「しかし隊長、俺の昼飯はどうなるんですか?」

「馬鹿レイフ! 隊長を怒らせるな。早く行ってこい!」


 リッケンが怒鳴る前に別の隊員がレイフの服を掴んで、追いやった。まだレイフは未練があったが、リッケンと目が合うと、一目散に飛び出していった。


「気の毒な事をしたな。レイフには後で僕が謝っていたと言っておいてくれ」


 イグナーツの謝罪にリッケンは首を振った。


「気にしないで下さい。昼飯抜いたぐらいで死にはしませんよ。後で何か与えておきます。我々は先に倉庫に向かいましょうか?」

「いや、食事してくれて構わないよ。僕達もこれからなんだ」

「分かりました。おい、注文だ! すまないが急いでくれ!」


 リッケンはようやく腰を落ち着け、店員を呼びつけた。

 やがて先にアールファレム達の席に料理が運ばれてきた。


「やっぱり魚が美味いな。タヘノス最高! 酒も美味い! あっ、フィリップ、お前は酒は飲むなよ」

「夜まで我慢して下さいね。若旦那も一杯だけだぞ。ほら、フィリップ様、この海藻サラダ絶品ですよ。召し上がりますか?」


 返事も待たずにアールファレムの皿に取り分けた。早速頬張ると気に入ったのか、瞬く間にサラダを平らげた。


「マイヤール、デルレイアでも海の幸が食べられるようにならないか」


 アールファレムはもぐもぐと口を動かしながら尋ねた。アルスラーダは行儀の悪さに顔をしかめたが、注意するのは我慢した。


「生きたまま輸送するとなると、定期的な供給は厳しいでしょうな。ご要望とあらば勿論承りますが、費用は掛かります」


 帝都に一番近い漁港のログプールですら三日はかかる。出回るのは塩漬けなどの加工品になってしまうのだ。


「タヘノスにいる間に思う存分、堪能して下さいませ。皆様がこの街を気に入って下されば大変嬉しく思います」


 イグナーツの丁寧な応対を訝しみながら、リッケンは水をすすった。今まで大人しくしていた隊員達が小声で会話しだした。


「何者だと思う?」

「あの商人はマイヤール商会の会長ですよ」

「そんな事は分かっているさ。問題は他の連中だ。イグナーツ様より偉いみたいだぞ」

「おいおいイグナーツ様は皇帝陛下の従兄弟だぞ。そうそういるはずないだろう」


 リッケンは突然、口から水を吹き出した。


「うわっ! 隊長、汚いですよ」

「すまん、すまん。ちょっと考え事に夢中になってな」


 店員が料理を運んできたついでに、机を拭いてくれた。

 隣の騒ぎを気にしたのか、運ばれた料理に興味があったかは知らないが若様がこちらを向き、リッケンと視線を合わした。にっこりと微笑む若様に、ぺこりと会釈しながら、リッケンは確信した。間違いなく皇帝アールファレムだ。黒髪の従者は、ガルフォン一の剣士アルスラーダに違いない。

 王室絡みの厄介事など、リッケンの手に余るがイグナーツの頼みを断れる筈がない。いったい用件はなんだ? 最近イグナーツは塞ぎ込んでいた。確かゾレストの情報が入ってきた辺りからだ。国の行く末を案じているせいだと思っていたが、違うのか?


「隊長、食べないんですか? 時間がないんでしょう」

「ああ、悪い。急ぐぞ」


 どうせすぐに分かる事を考えても仕方無い。リッケンは慌てて、食事を始めた。

 双方昼食を済ませ、二手に別れて港に向かった。人数が多すぎて目立つのを避ける為だ。

 リッケンはイグナーツの命令で同行したが、一行の会話は下らない雑談ばかりだった。


「俺も犬飼いたくなったな。どこかに捨てられていないかな」

「別に捨て犬にこだわる必要はないだろう。……なんだったらジークを連れて帰るか?」

「何て酷い事を言うんだ! 許さんぞ」

「我が商会は小動物も取り扱っております。若旦那様、よろしければ好みを御伺いしましょうか?」


 マイヤールはどんな時でも商売を忘れない商人の鑑だ。


「うーん、馬で帰るからな。連れ帰るのが大変そうだ。ミュスタンで探すさ。マイヤールすまんな」

「ご希望とあらば、ミュスタンまでお連れしますが、今回は諦めましょう。何でもお申し付け下さいませ。マイヤール商会はあらゆる物を取り揃えております」

「ちゃっかりしているな。だがあまり贔屓にするとファビオが妬くからな」

「なるほど、色々と立場がおありのようで。無理を申すわけには参りませんな。デムーロ商会とは私も揉める訳にはいきませんからね。今まで通りフィリップ様相手に商売に励みましょう」


 昨日の時点でマイヤールはファビオの名前まで知らなかったが、デムーロ商会の情報を出来る限り集めたらしい。ガルフォン一の商人の異名は伊達ではなかった。

 この様な調子で話が盛り上がっていたが、イグナーツは緊張しているようで顔色が悪かった。


「大丈夫ですか? 少し休憩なさいますか?」


 リッケンはイグナーツの肩に手を添えた。


「大丈夫。僕が頑張らないといけないんだ。リッケンありがとう」


 十四歳年下のイグナーツはリッケンにとっては、庇護欲を掻き立てる弟の様な存在だ。

 ルドルフは豪快で大雑把な大男だ。そんな兄を献身的に補佐するイグナーツは領民からも、慕われていた。いつも兄を立て、前に出ないイグナーツをリッケンは歯痒く思っていたが、一家臣でしかない自分が口出し出来る筈もなかった。イグナーツは兄には少し遠慮していたが、リッケンには心を許してくれていた。


「ルドルフ様はこの事をご存知なのですか?」


 イグナーツはますます顔を曇らせてしまい、リッケンは尋ねた事を後悔した。


「兄上は……。倉庫についたら説明する」


 イグナーツは苦しみに堪えるように、ぎゅっと目を瞑り立ち止まってしまった。


「イグナーツ様、俺達は何があっても貴方の味方です」


 リッケンは既に何が起きるか見当をつけていた。それでもイグナーツに味方すると決意した。


「ありがとう。遅れたようだね。急ごう」


 アールファレムが心配して待っているのに気付き、小走りで追い付いた。アールファレムはイグナーツの頭を、くしゃくしゃと撫でた。


「すいません。フィリップ様」

「いい部下を持ったようだな」

「はいっ!」


 どうやら先程のやり取りが聞こえていたらしかった。リッケンは身に余る賛辞に頭を下げた。

 港は昨日よりは人が少ないようで、倉庫付近にはあまり人影はなかった。


「今日は大きな船の出入りの予定がありませんからね」


 リッケンの説明に一同は納得し、無事に倉庫にたどり着いた。

 倉庫の中では、既に小隊の皆が集まっているようで、隅の方でレイフがパンにかぶり付いていた。


「マイヤール。ありがとう。後でジークを迎えにいくからな」

「はい。お早いお帰りをお待ち申し上げます」

「もう一つ頼みたい事がある」

 

 アールファレムが耳打ちすると、マイヤールは笑顔で頷いた。部下二人に引き続き、見張り役を任せて引き揚げた。


「さて集まって欲しい」


 イグナーツは小隊の皆を集めた。リッケンの合図で小隊は素早く整列し、イグナーツの命令を待った。


「まず紹介しよう。こちらの御方は、皇帝アールファレム陛下であらせられる」


 アールファレムがバンダナを外すと、隊員からはどよめきが洩れた。予想していたリッケンですら、その美しさには息を飲まずにはいられなかった。

 ガルフォンの誇る気高い黄金の獅子を目の辺りにし、隊員の中には感動して涙ぐむ者もいた。


「静粛に!」


 リッケンが一喝すると、どよめきは一瞬で治まり全員の顔付きが変わった。


「よく訓練されているようだ。リッケン隊長。イグナーツに信頼出来る部下がいるか尋ねたら、迷わず貴官の名を挙げた。期待してよさそうだな」

「我が隊はイグナーツ様、それに勿論皇帝陛下に忠誠を誓っております。なんでもお命じ下さいませ」


 リッケンが完璧な敬礼をすると、隊員も一斉に敬礼をしてみせた。


「ありがとう。皆、楽にしてくれ。イグナーツ、説明を頼む」

「はい陛下。……我が兄ルドルフが陛下に背いた。我々の任務は謀反人の逮捕、もしくは処刑だ」


 再びどよめきが起きた。ルドルフは決して悪い領主ではない。あまり人の意見を聞かないところはあったが、温和なイグナーツが間にたち、仲裁してきた。苦手な部分はイグナーツに任せて、兄弟で助け合ってタヘノスを統治してきた。

 まさかと言う者が大半だったが、やはりという表情をする者も何人かはいた。ルドルフは不満を隠さなかったので、配下には危ぶむ者も少なくなかったのだ。幾人かは忠告をしたが、行動には起こさない、皇帝が従兄弟である自分には手出しはしないと言い張り、改めはしなかった。だが遂に破局が訪れたようだった。

 リッケンの咳払いで倉庫内はすぐに静けさを取り戻した。


「ルドルフ様が陛下に背いたのであれば、我々はイグナーツ様に従うのみです。御命令を!」


 リッケン小隊はイグナーツ直属である。もしイグナーツが謀反したとなれば葛藤もあるだろうが、ルドルフ相手では抵抗も少なかった。


「領主館に乗り込むのは危険だ。兄上は陛下の暗殺を目論んでいる。僕が兄上をここまで誘き寄せる」

「イグナーツ様が上手く嘘をつけるとは思いません」


 リッケンが正直な感想を述べた。イグナーツに危険な真似をさせたくなかった。


「兄上は僕が裏切るなんて思いもしないだろう。だから僕がやる。リッケンついてきてくれないか?」

「それは勿論ですが、何もイグナーツ様がなさる事はありません。騙し討ちなんて似合いません」


 リッケンの言葉に思わずリベリオが笑い出した。


「悪い、悪い。そうだよな。こんな卑怯な真似、普通は出来ない。こういうのは性悪な皇帝のやる事だ」

「暗殺を企むような輩に何故正面から向かう必要がある? 一騎討ちでも陛下は負けないが、奴にその価値はない。本来なら陛下がこの場におられる必要性すらない」


 アルスラーダはこの期に及んで、余計な事を言い出すリベリオを睨み付けた。人目がなかったら胸ぐらを掴んで揺さぶってやりたかった。


「こちらの御方はいったいどちら様ですか?」


 リッケン達は後の二人の正体すら聞かされていなかった。もっとも大半の者はアールファレムが名乗った時点で、アルスラーダの方は見当をつけていた。黒髪の補佐官がいつも皇帝の側にいるのはガルフォン国民で知らぬ者はいない。


「私は皇帝補佐官のアルスラーダだ。こちらは助っ人の若旦那だ。陛下の古い友人になる」

「はぁ。若旦那様ですか」


 若旦那は商家の跡取り息子を指していうが、どう見ても商人には見えなかった。


「口は悪いし性格ももうひとつだが、そこそこ場数も踏んでいる。イグナーツ様、どうか若旦那もお連れください。きっと役に立ちます」


 アルスラーダの優先すべきはアールファレムの安全が第一だ。リベリオが簡単にくたばる筈もなく、才覚は認めていた。


「性格に関してお前に言われる筋合いはないわ! 同行するのは別に構わんがな」

「そこまで頼んでいいのか?」

「心配するな。アールファレム。ちゃんとお前の従兄弟殿を連れてきてやる」


 リベリオはすまなさそうな顔をしているアールファレムの頭に軽く手をのせた。


「いや、悪いとは思うが心配はしていない。ルドルフの腕ではお前に敵うわけがないからな」


 リベリオなら臨機応変に対応してくれるだろう。イグナーツの事は心配していたが、この二人が同行するならこれ以上心強い事はない。


「分かりました。隊員達はここで待機でよろしいでしょうか?」


 ルドルフ一人を仕留めるのに、この人数が必要とは思えないリッケンは皇帝の真意を確かめた。


「彼等にはどちらかというと、その後に役立ってもらうつもりだ。混乱を鎮めるのにイグナーツ一人では心許なかったからな」

「なるほど。ルドルフ様の謀反は公になさるのですか?」

「時期が悪すぎるからな。もっともデュークが背後にいるらしいから、重なったのは必然と言うべきだろうな。内々に済ませようとは思っている。一応帝都に持ち帰るつもりだ。当面はイグナーツに後は任せる」

「当面という事は、イグナーツ様以外がタヘノス領主になるという事ですか?」


 リッケンは気色ばんでアールファレムに詰め寄ろうとしたが、アルスラーダが間に入った。リッケンの身分で皇帝と直接会話するなど本来ならあり得なかった。


「その可能性はあるという事だ。イグナーツ様の処分も全容を把握してからになる。後日、帝都より役人を派遣して調査を行う」

「勿論、承知しております。リッケン、僕の事は心配いらない。……ありがとう」


 イグナーツとてリッケンが心配してくれるのは有り難かったが、無罪奉免で済むと思ってはいなかった。それにタヘノスが要地なのも理解している。自分一人で統治出来るかどうかも自信はなかった。

 そもそも皇帝が何しにタヘノスに来たのか、ようやくイグナーツは疑問を抱いた。


 

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