31 ルドルフの嫉妬
マイヤール商会のタヘノス支店の応接室に場を移し、早速アルスラーダから事情を聞くことにした。
「実は昨夜、マイヤールが陛下を訪ねてきました。ルドルフ様に関する不穏な情報を聞き付けたというので、慌てて報告に駆け付けたようです」
アールファレムがイグナーツに視線を向けると、イグナーツは下を向いてしまった。両手を握りしめ心痛に堪えている様子が見てとれた。
アルスラーダはマイヤールに先を話すよう促した。
「昨日、陛下とお別れしてから支店の者達とベッカー等を労う為、夕食を共にしたのです。最近の情報を交換したのですが、タヘノス支店の者が気になる事を申したのです。領主館に十月頃、デューク副将が訪れたそうです。その時は別に不自然に思わなかったらしいのですが、この様な事態になった以上、怪しいと言わざるを得ません」
「私が昨夜聞いたのはそこまでです。幸いマイヤールはルドルフ様にも面識があるというので、可能な範囲で探らせました。イグナーツ様が一緒においでになられた意味を御伺いしたいですな」
アルスラーダに射竦められ、イグナーツはますます縮こまった。マイヤールは気の毒なイグナーツを庇い、今朝の出来事を代わりに報告した。
「私も我が身が大事ですから、直接ルドルフ様に確認するのは避け、まず穏健なイグナーツ様にそれとなく御伺いした次第でございます。その時点では勿論、陛下がタヘノスにおいでになられている事は伏せておりました。陛下と懇意にさせて頂いている旨をお伝えし、事と次第によっては、デルレイアに戻り、陛下に報告すると申し上げたのです」
マイヤールはまくし立てると、お茶を一気に飲み干した。イグナーツはその間に、心の準備を完了させたみたいで、マイヤールから引き継いだ。
「マイヤール会長、ありがとう。その後は僕が、……私が話します。私がデルレイアに出向き、直接報告したいと申し上げたところ、陛下に近い御方がこちらにおいでになられていると伺いました。その後、道すがらに陛下が自らおいでになられていると伺った次第でございます」
今度はイグナーツはまっすぐアールファレムの視線を受け止めた。
「それで私に報告したい内容はなんだ?」
「領主解任だけで済ませるようお願い申し上げます」
「イグナーツ様、解任だけで済ませる訳にはいきません。王族だからこそ厳しい処断を下す必要があります」
アルスラーダを手で制し、アールファレムはイグナーツを問い質した。
「イグナーツ、肝心な部分を報告しろ! ルドルフは何を企んでいる? それとも既に行動を起こしたのか? 曖昧に済ませられると思わない事だな」
ルドルフが不満を抱いているのに、薄々気付いていたアールファレムだが、内面で留まっている分には口出しするわけにもいかない為、放置していた。だが行動に移すとなると従兄弟だからといって容赦するつもりはない。
「陛下……。兄上は以前より自分が皇帝になる筈だったと不平を申しておりました」
「そいつは馬鹿なのか? アールファレムは初代皇帝だぞ。実力で建国したんだ」
リベリオがごく当たり前の疑問を口にした。傍観者を決め込んでいたのだが、あまりに馬鹿げていたので我慢しきれなかったのだ。
イグナーツは不快げに眉をひそめた。若旦那という男の正体は知らないが、皇帝を呼び捨てにするなど不敬にも程がある。
「リベリオ陛下の仰られる通りでございます。ルドルフ様が皇帝になどなれる筈がありません」
イグナーツが驚くなか、リベリオが苦笑しながら、付け髭とバンダナを外した。
「どこで気付いた? 俺の顔はあまり一般人には知られていない筈だぞ」
「一介の商人を陛下がご案内なさる筈がありません、と言いたいところなんですが、最初に違和感を抱いたのはベッカーです。握手した手が商人の手ではなく、普段から剣を握る手だと申しましたので、そこから推察しました。陛下と対等に話せるミュスタン軍人など、リベリオ陛下しかいらっしゃいません。先程、陛下を呼び捨てになさったので確信しました。ちなみにデルレイアの色街では最近、若旦那なる若者が、幅を利かせているという噂ですな」
流石ガルフォン一の商人と謳われるだけあり、マイヤールの洞察力は際立っていた。
「いずれはばらすつもりだったが、参ったな。騙してすまなかった。だが昨日の話は本当だ」
「お気に為さらず。陛下であれば、私どもも安心して商売が出来ます」
「マイヤール、ベッカーが欲しいな。譲ってくれないか?」
アールファレムはマイヤールに引き抜きを持ち掛けたが、アルスラーダが咳払いをして、話を戻すよう促した。
「話が逸れ過ぎたな。ルドルフが何故過信したのか、イグナーツ分かるか?」
「陛下が叔父上の跡継ぎになられたのが、不満だったようです。もし自分が跡継ぎになっていれば、自分こそが皇帝になっていたと言うのです」
本当に馬鹿げた話だった。ここまでくると妄想に近い。
「呆れた男だな。あの様なちっぽけな領土から始めて、皇帝になれるのはよっぽどの悪人だけだ」
「誰が悪人だ! リベリオ、茶化すな。あの戦力で統一なさったのはひとえに陛下の実力だ。ルドルフ様が領主になられていたとしても、皇帝になど成れた筈もない。だがルドルフ様はそうは思わなかった。陛下を妬み、手前勝手な理屈で自分の境遇を嘆き、デュークにつけこまれた」
アルスラーダの痛烈な批判は、イグナーツの胸に突き刺さった。
「イグナーツに責任があるとは思っていない。少なくも現時点ではな」
イグナーツを無罪放免と判断するには、情報が出揃っていない。
それまで部屋を歩き回っていたジークが、アールファレムの足にじゃれついた。アールファレムはジークを抱き上げ、膝に乗せた。
「デュークは以前、兄上の部下でした。短期間ではありましたが、私もよく覚えています。あまり好きにはなれませんでした」
アールファレムはデュークが配属を転々としていたという話を思い出した。
しかし滅多に人を嫌わないイグナーツにまで、そう言わしめるデュークはよっぽどの男なのだろう。
「豪胆なルドルフ様とデュークのような男が気が合うとは到底思えません」
「閣下の仰られる通りです。兄上は毛嫌いして、すぐに放逐しました。ですがその短期間でデュークは兄上の不満を感じ取っていたようです」
ルドルフは随分あからさまに不平を洩らしていたみたいで、アールファレムは自らの判断の甘さを悔いた。
「デュークはカスパード将軍の謀反を仄めかし、北半分をカスパード将軍、南半分を兄上の分割統治を持ち掛けてきたようです。カスパード将軍謀反の情報が入ってから、デュークの訪問の理由を兄上に問い質すと、正直に話してくれました」
「いろいろと小細工をしてくれる!」
アールファレムが激昂しそうになるのをジークが抑えた。ジークを抱いていては机を殴り付ける事も出来なかった。
「それでルドルフはその話に乗ったのか? まぁ事前にアールファレムに報告していない時点で、叛意は明らかだがな」
リベリオは鼻を鳴らすと、アールファレムの膝からジークを取り上げ、自分の膝に乗せた。ジークは少し抵抗したが、小さく一鳴きすると、諦めたみたいで大人しくリベリオにされるがままになっていた。小さいジークを撫で回していると、心が和み、癒されるようだった。だがリベリオにとって今回の騒動は他人事で、別に心が傷む事もない。ただ撫でたいだけだった。
「しかしカスパード将軍が成功する筈がないのは、分かりきった話でしょう。ルドルフ様には何か勝算はあるのですか?」
商売人のマイヤールからすれば、勝算の低いカスパードに乗っかるなど正気の沙汰ではない。
「ルドルフの狙いは私を殺す事だろう。イグナーツ違うか?」
アルスラーダの双鉾が剣呑な光を帯び、イグナーツを怯えさせた。
「後継者がいない現状では、上手く立ち回れば自分が皇帝になれると……陛下! 僕は止めたのです! 信じて下さらないとは思いますが、どうか……!」
「イグナーツ、お前のせいじゃないのは分かる。だがタヘノスの民には既に不審に思う者が出てるんだ。もし私が現れなかったら、どうするつもりだったんだ?」
アールファレムは不快げに、机を殴り付けた。
隣のジークが驚いて、リベリオの膝から逃げ出した。
「たいした男ではないようだな。兄貴より自分が心配か。見所のある男と聞いていたが、がっかりだな」
リベリオが舌打ちしたのは、イグナーツのせいか、ジークが逃げたせいなのかは本人も分からない。
「どうしていいか分からなかったのです! 我ながら最低なのは分かっています。僕では兄上を止められなかった。兄上は勝てるとは思っていません。ただ勝負がしてみたいと、それだけなんです」
「具体的にはどういう計画なのかご存知ですか? 真っ向勝負を挑むほど無謀ではないでしょう」
アルスラーダは兵士を連れてこなかった事を後悔した。アールファレムの安全の為には、デルレイアに帰ってから対処すべきだろうが、アールファレムがこのまま引き下がるとは思えなかった。
「兄上はデュークを利用するつもりです。陛下を暗殺してデュークに罪を擦り付け、カスパードを自らの手で討ち、帝位につくと申していました」
「本当にお前と血が繋がっているのか? 救いようのない大馬鹿者じゃないか」
リベリオの感想に、アールファレムは頭を掻いた。怒るのも馬鹿らしくなってきたのだ。
「さてどう対処しようかな?」
気持ちに余裕が出てきたので、ジークを手招きで誘き寄せ、抱き上げ頬擦りした。
さっきからの人間たちの勝手な振る舞いを、ジークは怒るでもなく、嬉しそうに受け入れた。
「手っ取り早く、私が殺してきます」
アルスラーダは事も無げに言ってのけた。
「それが正解かもな。大丈夫だとは思うが同行してやる。アールファレム、お前は残っていろ」
「いくらなんでも乱暴すぎるな。リベリオ、お前は暴れたいだけだろう」
「ばれたか。でもお前に従兄弟が殺せるのか? 俺とアルスに任せておけよ」
「心配いらんさ。敵を殺すのを躊躇するほど、私が甘いと思うか?」
酷薄な笑みを浮かべながら、ジークを撫でるアールファレムには、リベリオも顔をひきつらせた。
「お前は元来そういう奴だよな。普段はお人好しの癖に、戦いでは容赦ないからな」
「当然だろうが。上が中途半端では、命懸けで戦っている兵士が可哀想だろう」
「イグナーツ様、覚悟はよろしいですね」
アルスラーダは確認したが、いずれにせよルドルフの死はこうなった以上、避けられなかった。
項垂れ、涙を浮かべるイグナーツは言葉もなく下唇を噛みしめた。
「アルス、まだ許可した訳じゃないぞ」
アールファレムは取り敢えずは保留にしたものの、確かに正攻法では兵力差がありすぎる。
「イグナーツ、お主が自由に動かせる部下は何人だ? それと領主館の警備はどんな具合なんだ?」
リベリオは既に領主館に乗り込む気でいた。
「寝ているところを襲撃するか? 女といれば好都合だな。或いは誘きだして始末するか」
アールファレムもやる気になったようで、より酷い案を捻り出してきた。
「お前は、よくそんな卑怯な事を思い付くな」
リベリオは再び顔をひきつらせた。
「手駒もなしに正面からいく馬鹿がいるか。イグナーツ、どうするかはっきりさせろ。全てが終わるのをここで待っているのか、それともルドルフの味方につくか、どちらでも好きにしろ」
「兄上は僕が殺します! 僕にやらせて下さい!」
イグナーツは床に跪き、アールファレムに懇願した。
「兄弟で相打つか。ガルフォンでは最近流行っているのか?」
リベリオの笑えない冗談は無視して、アールファレムは悩んだが、どのみちイグナーツの協力は不可欠である。
勿論イグナーツの腕前でルドルフに敵うはずもなく、そこまでさせるつもりはない。アールファレムはイグナーツを椅子に座らせると頷いてみせた。
「覚悟は分かった。イグナーツの意見が聞きたい」
「流石に兄上は私にしか自分の考えを洩らしていないようです。直接乗り込んでも、滅多な真似はしないとは思いますが、陛下に万一の事があっては大変です」
アルスラーダが激しく頷いたが、アールファレムは見なかった事にした。
「ということは誘き寄せて騙し討ち作戦だな」
「もう少し言い様があるだろうに」
リベリオの捻りのない作戦名に呆れつつ、アルスラーダは剣を抜き、曇り一つない輝きに満足すると鞘に納めた。勿論毎日手入れしているので刃毀れなど見落とす筈もない。柄に手を掛けながらアルスラーダは独り言を呟いた。
「そういえば最近本気になっていないな。腕が鈍ってなければいいが……」
アールファレムとリベリオは顔を見合わせた。旅の間も時間があれば、三人は剣の手合わせを行っていた。アールファレムとリベリオも一流の剣の使い手である。だがアルスラーダの腕前は段違いだ。特にリベリオ相手に遠慮する訳もなく、散々な目に合わされた。
「いったいどの口が言うんだ」
「俺らからすれば、悪夢のような扱きだが、あいつ基準では児戯でしかなかったという事だろうさ」
二人は仲良さそうに、小声で慰めあった。アルスラーダは面白くなさそうに一瞥すると、イグナーツに向き合った。
「先程のリベリオの質問にもありましたが、味方になりそうな部下はいますか?」
「僕の直属のリッケン小隊長なら必ず僕の味方になってくれます。個人的にも信頼していますし、陛下の事も尊敬しています。他の者は兄上が相手だと、どちらにつくか、僕いえ、私には断言は出来ません」
「イグナーツ、無理せず地のまま喋ればいいさ。私達は従兄弟なんだ。そう気を遣うな」
アールファレムは笑いそうになるのを堪えながら言った。昔からイグナーツは僕と呼んでいた。先程から、僕と私が入り交じるのを面白がって聞いていたのだ。
赤面し恥じ入るイグナーツだったが、リベリオなどは未だに俺だったが、堂々として改める気もない。
「アルスが私と言い出したのは何歳だったかな?」
「昔の事は忘れましたよ。イグナーツ様、リッケン隊長は今どこにいるか分かりますか? 部下の人数はどれくらいです?」
「今なら街の警邏に出ている筈です。もうすぐ昼ですから、いつもの食堂にいけばつかまえられると思います。小隊ですので三十人弱だったと思います」
「十分だな。お腹も空いてきたし、丁度いい。しかし食堂では説明も出来ないな」
「では私どもの倉庫を使いますか? 誘き寄せる場所としても適切でしょう」
マイヤールは足手まといになるのが分かっている為、同行は出来ない。だが少しでも、恩を売っておきたかった。上手くいけば次期領主のイグナーツの覚えもよくなり、タヘノスの商売もやり易くなる。
「ジークを拾った辺りか、昼間は人通りもあるんじゃないかな?」
アルスラーダは朝、散歩した風景を思い描いた。
「倉庫の入口を閉めれば分かりませんよ。問題はどうやって誘きだすかですが、デュークを利用しますか」
デュークには散々掻き回されたのだから、こちらも利用してやっても、ばちはあたらないだろう。
「マイヤール、お主には重要な仕事を頼みたい」
アールファレムは真剣な顔をして、ジークをマイヤールに預けた。恭しく受け取り、マイヤールはジークと見つめあった。次の皇帝への貢ぎ物はジークに役立つ物を選ぼうと、マイヤールは咄嗟に思い付いた。
「事が終わるまでジークをここで預かってくれ。だが、お主は倉庫まで案内してくれよ」
「ははっ。ジーク様の事は部下によく申し付けておきます」
「ジークにまで敬称をつけるな。そういうのはあまり好きじゃない。ジーク迎えにくるからな。大人しくしているんたぞ」
頭を撫でられジークは鳴いて返事したが、マイヤールが部屋から連れ出そうとしたら、悲しそうに吠え出した。
「ジーク、すぐに迎えにくるからな!」
「少しの時間離れるくらいで、気分出さないで下さい!」
アルスラーダは今後の事を思い遣り、溜め息をついた。執務室はともかく、会議への同席は断固禁止しようと決めた。
「イグナーツ。分かっているとは思うが、アールファレムはこんな奴だ。兄貴の事をないがしろにしている訳ではない……と思う。緊張感が持続しないんだ」
リベリオはこう見えて気遣いの出来る男である。
「失敬な奴だな。真面目に考えているさ。なぁアルス」
アールファレムはばつが悪そうにアルスラーダに話を振った。正直なところルドルフ一人を始末するだけの、簡単な作戦にあまり本気にはなれないのだ。イグナーツにとっては血の分けた兄だが、アールファレムにとっては、カスパードの方がよっぽど親しい仲である。裏切られたのは残念だが、それほど意外でもなかった。
なにより今後のタヘノス領主としての適性にも、やや懐疑的だったので、解任の手間が省けた一面もあった。場合によってはイグナーツに連座して責任をとらせ、ルーヴェルの言うように直轄領にしてしまおうかとも考えていたのだ。イグナーツを手元に置いておけば、手駒としても利用出来る。
そんな事を正直に言える筈もなく、補佐官に丸投げした。
「勿論です。陛下はルドルフ様とイグナーツ様にお会いするのを大変楽しみにされていました。この様な結果になって、どれほど心を痛めておいでか、いくら明るく振る舞われていても私には隠せません……」
アルスラーダの長舌はまだ続いていた。アールファレムは哀しみを堪えるように、視線を落としイグナーツの視界から逃れた。暫くしてアルスラーダの演説が終わったが、アールファレムは下を向いたままだった。
「へ、陛下! それほどまでに我々兄弟の事を思ってくれていたのですね」
涙腺の弱っていたイグナーツは再び涙を流し、深々と頭を下げた。
「イグナーツ、至らぬ私だが、今後は私の事を兄と思ってくれ」
アールファレムは立ち上がると、イグナーツの側に立ち、手を広げて慈愛に満ちた微笑みを浮かべてみせた。イグナーツが泣きながら従兄弟の胸に飛び込み、感動的な場面の筈だったが、抱き合う二人を見るリベリオのまなざしは、この上なく冷ややかだった。アルスラーダがわざとらしく目頭を押さえていたので、取り敢えず殴り付けておいた。




